プロレス
「まだ死なんのか」
ベトルードはうんざりした調子で言った。彼のいた執務室は今も不定期に震動し、外からは砲撃の音と巨人の唸り声が断続的に聞こえていた。
「最初にドンパチ始まってから、もう一時間経つぞ。いつまで続けるつもりなんだ」
「今のペースで行きますと、早くても十二時間はかかるかと思われますな」
「そこまでするのか」
顔の左半分が白骨化した部下からの報告を受け、ベトルードはさらにゲンナリした。ベトルードは体の肉を揺らしながら無駄に広い額に手を当て、その格好のまま口を開いた。
「何か理由があるのか? それとも奴が、ただ単にタフなだけなのか?」
「もちろん巨人本人が頑丈なのもあります。それからもう一つ、前線の兵士からの報告の中にこのようなものが」
「なんだ」
「自己再生している、と」
「ああん?」
ベトルードは眉間に皺を寄せた。部下は淡々とした調子で話を続けた。
「たとえ剣で斬られようが、大砲の弾が当たろうが、当たったそばから傷が回復していくらしいのです。それも相当なスピードで」
「どこまでも面倒な奴だな」
「そんなわけですので、未だに決着がつく気配がありません。こちらが攻撃すれば回復されて徒労に終わり、かといって攻撃しなければ向こうが町を破壊する。ジレンマです」
部下はどこまでも表情を崩さなかった。実は部屋に衝撃が伝わる度にベトルードの肥満体がぶよぶよ揺れる様を見て、内心笑いをこらえるのに必死だったのだが、彼はそんなことはおくびにも出さなかった。
一方でベトルードもまた、そんな眼前の部下の苦心を把握できずにいた。そして彼はそのまま、肉を揺らして部下を見つめながら問いかけた。
「何かいい考えは無いかな? もっと手っ取り早く済ませたいんだ」
「簡単な奴なら一つあります」
「ほう。それはなんだ。話してみろ」
「あなたが出張ればいいんですよ」
部下の言葉を受けて、ベトルードは一気に不機嫌になった。外からはなおも震動と轟音が響いてきていた。
その中で、ヘイムゼンの長は肉を揺さぶらせながら、見るからに嫌そうな顔で部下に言った。
「嫌だよ。あれ凄い疲れるんだぞ」
「でもダイエットになるでしょう? ロクに運動してないんですし、ちょうどいいじゃないですか」
「今のままでいいんだよ。何も困ってないんだから」
「見てくれは大事ですよ」
部下がそう答えて、ベトルードの体を下から上まで、舐め回すように見つめる。彼の視線を感じ取ったベトルードは露骨に嫌な顔をした。
「いいんだよ。人の体型にケチをつけるのはやめろ」
「それでもです。はっきり言いますが、あなたかなり醜いですよ」
「ふん」
ベトルードはそんな部下の諫言を鼻で笑ってみせたが、顔は苦いままだった。外ではなおも戦争が続いていた。悲鳴と怒号、爆音と震動が、嫌と言うほど部屋の中に響いてくる。
やがてベトルードが一つため息をつく。部下は微動だにせずそれを見つめる。
「わかったよ。やるよ」
ベトルードがぽつりとこぼす。なんだかんだ言って、彼は非常に甘い魔族だった。
それを見た部下がほっとしたように、僅かに肩を落とす。彼にしても、これ以上町の被害が増えるのはよろしくないと思っていたからだ。
「外にいる連中に避難勧告をしておけ。手加減できんぞ」
「かしこまりました」
それだけ答えて、部下が退出する。ベトルードは大きくため息をつき、顔の肉を大きく揺らした。
「まったく、面倒くさいな」
ベトルードが忌々しげに呟く。
次の瞬間、彼の肥えた体が内側から闇色に光り始めた。
「巨人、二体目! 新手の巨人です!」
前線で戦っている兵士の一人が声を上げる。その驚きと焦りの声は瞬く間に全ての兵士に広がっていき、そうして広がるにつれて彼らの焦りと驚きは天井知らずに肥大化していった。
「新手だと!?」
「仲間か!」
「どこにいるんだ!」
「あそこだ!」
兵士の一人が動転した声である方向を指さす。指された先にあった建物が音を立てて崩壊し、煙の奥から新たな巨人が姿を見せる。 武器を構え、手空きの兵士全員がそちらを向く。しかしそこにいた二体目を視認した瞬間、彼らの抱いていた恐怖はすぐに安堵に変わった。
「ああ、なんだ」
「ベトルード様か」
「これなら安心だな」
突如出現したそれ、全体を肌色に染めた巨大な肉塊を前にして、兵士達は一斉に肩の力を抜いた。中には既に自分達の勝利を確信し、気の緩みきった者までいた。自分の仕事は終わった。誰もがそう考えていた。
そしてそれと同様の感情は、後方で砲撃を行っている者も等しく抱いていた。自主的に戦闘していた市民達はその巨大化した都市の長を見て、その全員が希望に顔を輝かせていた。
「やった! ベトルードが来てくれたぞ!」
「おせえよデブ! ちゃんと仕事しやがれデブ!」
「やっちまえ肉野郎! 巨人なんかぶっ飛ばせー!」
中には罵声めいた言葉も混じっていたが、それでも彼らの目には、ベトルードに対する親愛と信頼の念がこもっていた。肥満体の巨人が負けることなど誰も考えていなかった。それを見た全ての市民が、ベトルードの勝利を確信していた。
「すごい盛り上がりですね」
「そんなに強いのかしら?」
唯一ワイズマンの面々だけが、その希望の波に乗り切れずにいた。エリーとヨシムネは互いに首をひねり、近くにいた一般人の一人にさりげなく問いかけた。
「あのベトルードって人、そんなに凄い人なの? ていうか強いの?」
「あ? なんだあんたら、余所者か? なら知らないのも無理ないかな」
ヨシムネに尋ねられたその住民は、彼女らを一方的に余所者扱いしてきた。そう決めつけられた二人は一瞬むっとしたが、事実だったし話をこじらせたくなかったので、反論はしなかった。
そんな彼女達に対し、問われた住民は「しょうがないな」と言わんばかりの態度を見せながら自信満々に答えた。
「この町で一番強い奴って言ったら、やっぱりあのベトルードだろうな。政治手腕だけじゃなくて、腕っぷしも強い。あいつ以上の適任はいないんじゃないかな。太ってるけど」
「はあ、なるほど」
最後の一言はいるのかどうかわからなかったが、とりあえず二人は曖昧な返事を返した。空返事ではあったが、しかし住民は気分を害することなく、なおもウキウキとした調子で話を続けた。
「あいつは余程の事態でもない限り、自分からトラブル解決に乗り出すことはしないんだ。でも一度あいつが腰を上げたら、そのトラブルはもう解決したも同然なんだ。住民だけで解決できない問題が出てきた時の、最後の切り札ってやつさ」
「それだけ彼が強いってこと?」
「そういうこと。頭も切れるし、力も持ってる。最高の主だよ。太ってるけど」
最後の注釈は本当に必要なのか? その住民の説明を聞いていた二人はわずかに疑問に思った。
しかし彼女らがそれに気をやる前に、その住民がベトルードを指さして言った。
「ほら見ろ。あいつが戦うぞ」
気づけば、周りにいた他の住民達も、仕事を放棄してベトルードに視線を向けていた。誰もがワクワクとしていた。
ワイズマンの面々もそれに従った。そして彼らの視線の先、ベトルードはひどく緩慢な動きで巨人に向き合った。
「来い。俺が相手してやる」
ベトルードが得意げに挑発する。しかし彼がそう言って手招きをした時には、既にその巨人は狙いを定めていた。
ベトルードが話し終えるのと、巨人が一足飛びでベトルードの懐に入り込むのは、ほぼ同時だった。
「え?」
そして肉の塊はそれに反応できなかった。
巨人が肉の顔面に拳を叩き込む。
粘土を殴ったような鈍い音が響く。ベトルードが大きく上体をのけぞらせる。手ごたえを感じた巨人がニヤリと笑う。
ベトルードがのけぞったまま、その巨人の殴ってきた方の腕を左手で掴む。
「……!」
突然の抵抗に巨人が息をのむ。不自然に上体を後ろに反らしたまま、ベトルードが告げる。
「一回は一回だ」
肉袋が弓なりに反った上半身を引き戻す。自身の肉に埋もれた額を、猛烈な勢いで巨人の額にかち合わせる。
爆発音に等しい轟音が轟き渡る。巨人が一瞬白目をむき、しかしベトルードは腕を離さない。
「もう一発だ!」
ベトルードが吠える。がら空きの腹部に鉄拳を見舞う。
渾身の右フック。左手は離さない。肉に埋もれた拳が腹に突き刺さり、前のめりに体を曲げた巨人の口から苦悶の声が響く。
「まだまだァ!」
ヘイムゼンの長の顔は歓喜に満ちていた。合法的に暴力を振りかざせる歓喜を存分に味わっていた。左手で相手を掴んだまま、その後も容赦なく腹に右拳を叩き込む。
そして彼と同様に、兵士と住民もその後ろ暗い喜びを共有していた。直近で暴力シーンを見て悦に浸る。彼らはまるでプロレスか何かを見ているかのように熱狂していた。
「のんきなもんだな」
そんな光景を、ジョージは呆れた顔で俯瞰していた。下手をすれば町が滅びるかもしれない、自分も巻き添えを食らって死ぬかもしれないのに、ここまでお祭り騒ぎが出来るとは。ジョージはこの町の住人の神経が理解できなかった。
「魔族ってそんなものですよ」
するとその彼の心情を察してか、どこからともなく現れたロンソが彼に語りかける。ジョージは渋い顔で「そうなのか?」と問い返し、ロンソも「そうですよ」と即答した。
「これが魔族なんです」
ロンソが断言するように締める。ジョージはいまいち乗り切れないまま、煮え切らない返事をするだけだった。




