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ジャイアントキリング

 工業都市ヘイムゼンの長、ベトルードは肥満で有名だった。彼は巨大な卵のように体の凹凸の無い、でっぷりと肥え太った体躯を有し、「肉袋」という二つ名まで頂戴していた。

 その肥大した巨躯を覆う衣服はほぼ無く、おかげで彼は常日頃から股間と胸元を隠す布切れだけを身につけていた。そのため、彼が一々動く度に露出した贅肉がぶよぶよ揺れ動き、それが原因で敬遠され忌み嫌われてもいた。

 しかし彼は有能だった。少なくとも悪人ではなかった。彼がヘイムゼンの長になってからは都市の経済も潤ってきており、住人も部下もその手腕を高く評価していた。これで身なりが立派だったら最高だったのに。そんな事をいう者までいる始末だった。

 神は二物を与えなかったのである。


「ベトルード様。緊急の用件が入っております」


 そんな彼の執務室に、一人の魔族がやってきた。頭から二本一対の角を生やし、灰色の鎧を身につけた、長身の男の魔族だった。

 一方、ベトルードはその魔族の前方、デスクの前に腰掛けていた。しかし背筋を伸ばすと頭が天井にぶつかるので、その長は背を丸め、小さなデスクに腹を乗せるような格好を取っていた。それでも丸めた背中が天井を擦っていたので、かなりギリギリな状態であった。

 なお経費削減を理由に、この執務室がベトルードのサイズに合わせて再調整される案は却下されている。


「おお、どうした。何かあったのか?」


 室内にやってきた部下に気づいたベトルードが、顔を上げて彼を見た。ベトルードはそれまで自分が腹を乗せたデスクの奥、そのすぐそばの地面に書類とペンを置いて仕事をしていた。彼はその状態から肉に埋もれた首をもたげ、その体積に見合わない小さな瞳を部下に向けたのである。

 奇怪極まりないが、部下にとっては慣れ親しんだいつもの光景だった。その鎧姿の部下はベトルードをまっすぐ見据えたまま彼に言った。


「問題が発生いたしました」

「問題? どこかの工場で火事でも起きたのか?」

「いえ、外部からもたらされた問題でございます」

「外部?」


 ベトルードが顔をしかめる。眉間に皺が寄せられ、顔の肉が揺れる。


「何が起きたと言うのだ。盗賊団が襲ってきたのか」

「盗賊団ではありません。もっと大きな問題です」

「もったいつけるな。何が起きたんだ」

「巨人でございます」


 催促するベトルードに部下が告げる。

 直後、外から轟音が鳴り響き、執務室が大きく震動した。ベトルードの背後にあった書棚から本がなだれ落ち、書類の束が崩れて辺りに散乱した。

 部下と肉袋は身じろぎ一つしなかった。


「今のがそうなのか」

「その通りです」


 部下が頷く。再度部屋が震動する。


「防衛部隊はどうしている?」

「現在交戦中です。現状撃退は可能ですが、既に市街地への侵入を許してしまっています」

「避難は?」

「完了しております」

「なぜその巨人はこの町に来たのだ?」

「不明です。遠方よりこの町にやってきて、こちらの応答も無視して破壊活動を開始しました」


 ヘイムゼンは外部との交流も盛んに行っていた。おかげで町の四方に設けられた検問からは、絶えず人が出入りしていた。だから例えその巨人が誰かを追ってここまで来たのだとしても、果たして誰を標的にしていたのかをその人の波の中から特定するのは非常に困難な作業であった。

 この世界には監視カメラも指紋識別装置も存在していない。言ってしまえば、ザルなのだ。


「まあいい。犯人探しは後でしよう。今はその巨人を撃退するのが先だ」


 ベトルードもそれが難しい仕事である事は理解していた。だから彼は落ち着いて、眼前の問題の処理を優先させた。

 鎧を着込んだ部下もそれに同意した。


「目下、攻撃は順調に進んでいます。それと市民の中から、独自に攻撃を行っている者達もおります」

「その者らには直ちに下がれと伝えよ。国防は衛兵の仕事だ。お前達が無駄死にする必要は無いとな」

「それは既にこちらから伝えております。ですがまったく耳を貸さないのが現状でして・・」


 そこまで言って、部下は顔を渋らせた。三度部屋が揺れる。今までより穏やかな揺れだった。


「聞き分けの悪い奴らだ」


 揺れる部屋の中、ベトルードは苦笑混じりに言った。全身の肉が愉快げに揺れる。そして彼は肉を揺らしながら部下を見据え、強い口調で彼に言った。


「なら構わん。好きにやらせてやれ。お前達もお前達の仕事を優先するのだ」

「了解しました」


 長からの命を受け、部下は背筋を伸ばして敬礼した。それから彼は踵を返し、執務室から外へと出て行った。


「有志の協力者、か」


 そうして部下が退出した後、ベトルードは肉を揺らしながらそう呟いた。その言葉はどこか嬉しげであった。

 どんな理由であれ、自分の町を一般人が守ってくれている。それだけの価値があると思われている。それがとても喜ばしかったのだ。


「中々粋なことをするじゃないか」


 非常時にあって、ベトルードは幸福を覚えていた。その「有志の協力者」の中に今回の黒幕がいることに気づかぬまま、彼はただその多幸感に浸っていた。





 同時刻、ワイズマンは市街に設置された防衛線の中にいた。そこで彼らは兵士や市民と共に、巨人撃退の任務に自主的に就いていた。


「砲弾持ってこい! もっとだ!」

「弾が足りねえぞ! 急げ急げ!」

「急かすんじゃねえよ! こっちだってこれで全速なんだからよ!」


 しつこく催促する市民に負けじと「口戦」しながら、ジョージとユリウスが弾薬箱を運んでいく。そうして彼らが持ってきた箱の蓋をイヴァンがこじ開け、黒色の砲弾を砲台に詰めていく。

 火をつけるのはフリードの仕事だ。


「点火ァ!」

「点火!」


 フリードに合わせて市民の一人が叫ぶ。近くにいた他の面々が一斉に耳を塞ぐ。

 フリードが砲台の尻に火を点ける。着火点から火花が迸り、砲台の中へと消えていく。

 直後、砲口から轟音と煙と共に砲弾が撃ち出される。弾は空中に放物線を描き、やがて前線で戦っている兵隊の頭上、巨人の胴体に着弾する。

 胴にぶち当たった砲弾はその場で炸裂し、赤い炎と黒い煙をまき散らす。煙の中から巨人の呻き声がこだまする。

 さらにそれと同じ性質を持った砲弾が、四方八方から巨人に殺到する。おかげで巨人の上半身は絶えず煙に包まれ、最前線にいた兵士達はその援護砲撃を頼もしくも悩ましく感じていた。


「後方に遅れを取るな! 我々も一気呵成に攻めろ!」

「ですが隊長、流れ弾が怖くて足下に近づけません!」

「弱気になるな! 当たる方が悪いのだ! 突撃せよ!」


 隊長は部下の諫言を無視して命令を下した。部下達はほんの僅かたじろいだが、すぐに剣を構えて一斉に突撃した。彼らは二列一組となって異なる方向から巨人の足下に吶喊し、前方の二人が同時に足を切りつけたらすぐに離脱し後続の列に戻るという、ヒットアンドアウェイの要領で攻撃を開始した。被害を最小に留めるために、部隊長がその場で思いついた戦法である。

 巨人が足を浮かせたら全体が後退し、動きが止まると同時にまた殺到する。彼らは象に群がる蟻であり、そして彼らはまた、蟻流の象の殺し方を心得ていた。


「足を切っていれば、その内奴はバランスを崩す! そこを狙うのだ!」


 部隊長はこの作戦に自信を持っていた。後ろから飛んでくる砲弾の雨もまた、彼の背中を後押ししていた。実際は当たる弾よりも外れる弾の数が多く、そして相応に流れ弾が部下に襲いかかってきてもいたのだが、部隊長はお構いなしだった。これくらいの攻撃で死ぬほど、ここの兵隊はヤワではない。ビビる前に攻撃しろ。彼は後ろの市民達に砲撃を止めさせることも、部下の兵士に突撃を中止させることもしなかった。

 部下にとっては地獄のような体験だった。


「ここの連中は脳筋しかいないのか」


 その様を遠くから双眼鏡で覗いていたユリウスは、思わず苦い言葉を漏らした。この時ワイズマンのメンバーは二手に分かれ、それぞれ違う場所で砲台の操作を行っていた。


「こっちが言えたことじゃないが、少しは身を引くことも覚えた方がいいんじゃないか」

「ここの連中はタフだから、これくらいで死ぬわけ無いのさ。だからこれもいつものことなんだよ」


 そうして渋るユリウスに向かって、彼と同じ任務についていた市民の一人が答える。彼はユリウスと同じく弾薬箱を抱えており、同じ砲台へと向かう最中だった。


「そら、さっさと運ぶぞ。まだあいつは死んでないんだからな」


 そしてその市民の言葉に頷き、ユリウスも双眼鏡を外して箱の運搬を再開する。そして砲台のそばまで箱を持ってきた後、彼は火付け役になっていたロンソに話しかけた。


「あれ、お前の魔法使えば一発なんじゃないか?」

「やろうと思えばやれますけど、今目立つのは避けたいですからね。どこから尻尾を掴まれるかわかったもんじゃないですから」

「今は平民のしておくってことか」

「そういうことです。余計な混乱は起こさないように」


 ロンソの言葉にユリウスも頷く。そして後は何も言わず、二人で砲撃の準備を進めていく。


「でもこれ、いつまで続くんだ?」


 砲弾を砲台の中に詰めながら、ユリウスが尋ねる。ロンソは火のついた松明を持ちながら、眉をひそめて答えた。


「半日じゃないですかね」

「やれやれ」


 ユリウスも嫌そうに顔をしかめた。ロンソが砲台に火を点け、弾丸が煙と共に撃ち出される。


「面倒だな。さっさと逃げたいのに」

「今は我慢ですよ」


 それから砲撃の轟音が立ち消えた後、二人は互いに顔を見合わせて言葉を交わした。

 遠方に見える巨人は煙に巻かれながら、それでもまだピンピンしていた。

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