ヒュージ
完全に誤算だった。
まさか巨大化するとは、思ってもみなかった。
「これどういうことだよ? あいつあんな能力持ってたのかよ?」
「私に聞かないでください。あれがあんな能力持ってるなんて知らなかったんですから」
狼狽するイヴァンに対してロンソが言い返す。次の瞬間、残りの面々が一斉にロンソを見た。
「マジで?」
「おいおい」
「お前こっちの世界の出身なんだろ。それくらい把握しておけよ」
「知らないものは知らないんです。私だって魔界の全てを知ってる訳じゃないんですから」
そして方々から発せられる罵声に対し、ロンソは開き直った態度を取ってみせた。周りの面々はそう言ってのけるロンソに呆れる一方、納得もした。言われてみれば確かにそうだ。自分達だって、自分のいた世界の全てを理解している訳ではないのだ。
「貴様らか」
そうワイズマンが話していると、不意に頭上から声が響いた。見上げると、巨大化した伯爵がじっとこちらを見下ろしていた。
その顔は明らかに憤怒と憎悪に歪んでいた。
「我が館に毒をまいたのは貴様らか。貴様らが私の平穏を乱したのか」
鋭く生え揃った歯をがちがちとかち鳴らし、血走った眼でワイズマンを睨み付ける。その巨人は全裸で、武器の類も持っていなかったが、その筋肉で武装された巨躯はそれだけで圧倒的な威圧感を放っていた。
怒りの巨人がゆっくりと右腕を振り上げる。
「逃げろ」
青ざめた顔でジョージが告げる。
「逃げろ!」
ジョージが叫ぶ。それに答えるように全員が一目散に巨人の反対方向へと走り出す。
次の瞬間、それまで彼らがいた地点に拳が叩き込まれる。爆発したような音が轟き、地面が揺れ、逃げていた何人かが大きくよろめく。
「転ぶな! 捕まったら終わりだぞ!」
先頭を行くユリウスが叫ぶ。リーンデン伯爵が逃げる彼らを睨みつける。ワイズマンの面々はそれを直接視認したわけではなかったが、それでも巨大化したターゲットがこちらを睨みつけていたのは気配で察することが出来た。
気を抜けば腰砕けになり、失禁してしまうほどの強烈な殺気。彼らはそれを背中で受けていた。正直生きた心地がしなかった。背骨を直接鷲掴みにされているような気分だった。
「車がある。それに逃げ込め!」
しかしただで死んでやるつもりはない。そもそも死ぬつもりも無い。彼らはここまで来た装甲車を目指し、ひたすら逃げ走った。
一方で伯爵の動きは緩慢だった。最初の一撃を叩き込んだ後、彼は非常にゆっくりとした動作でその腕を引き抜いた。彼がめり込んだ拳を抜き、片膝立ちの姿勢から直立姿勢に戻った時には、既にワイズマンは目当ての車の中に全員搭乗を完了していた。
「あいつ、まともに追うつもり無いのか?」
「そんなこと知るかよ! 逃げるぞ!」
ぽつりと疑問を口にするイヴァンに、フリードが怒鳴るように返す。運転席にはジョージ、助手席にはユリウスが乗り込んでいた。ロンソとヨシムネは助かったように息を吐き、フリードとイヴァンは今か今かと苛立たしげに貧乏ゆすりしていた。エリーは一人、車内に置かれていた魔界の地図を広げ、それを食い入るように見つめていた。
やがてジョージがキーを回し、エンジンがかかる。唸るような独特の音が響き、車体が小刻みに震動する。
「イヴァン! 足止めしてやれ!」
エンジンをかけると同時にユリウスが後方に向かって叫ぶ。イヴァンはそれだけで自分の仕事を理解した。彼は壁に掛けられていたそれを手に取り、上部ハッチを開けて上体を外気に晒す。
そしてイヴァンは外に出るなり、手にしていたそれを眼前の巨人に向けて構えた。
ロケットランチャー。かつて月光の本拠に撃ち込んだのと同じタイプの代物だ。
「くたばれ」
躊躇いなく引き金を引く。
弾頭が発射され、ふらふらと頼りない軌道を描きながら、それでも一直線に巨人へ向かって飛んでいく。
リーンデンは微動だにしなかった。その場から動かず、迫って来るそれをただじっと見つめていた。
その伯爵の顔面に弾頭が突き刺さる。直後、弾頭が炸裂し、轟音と灰煙が巨人の上半身を覆い隠す。
「命中!」
「効果を確認しろ」
イヴァンの言葉にユリウスが返す。ハッチの下でヨシムネが新しい発射体を用意し、イヴァンがそれを素早く受け取る。
そうして二個目を受け取ってから、イヴァンが再び巨人に目をやる。その時には既に煙も晴れ、巨人の姿をよく視認することが可能になっていた。
煙の向こうの巨人は無傷だった。
「駄目だ。効いてない」
「無傷か?」
「ぴんぴんしてる」
外からイヴァンの声が返ってくる。車の中から舌打ちと嘆息が漏れる。フリードが蒼白な顔を見せながら、背中を向けて座っているジョージに問いかける。
「どうすんだよ? きっとあいつ、こっちが死ぬまで追っかけてくるぜ」
「なんでそうわかるの?」
「見るからにそんな雰囲気してるじゃんよあいつ」
エリーからの問いにフリードが返す。新参の子供からそう言われたエルフは、困った表情を浮かべた。
根拠も何も無かったが、言われてみればそうかもしれない。反論の言葉が見つからなかった。
「おい! こっちに来るぜ!」
その内、外を見張っていたイヴァンが声を荒げる。彼の視界には、こちらを睨みながらゆっくり歩み寄って来る巨人の姿が映っていた。
伯爵が右手を伸ばす。節くれだった指先が走る車の後部を擦り、巨大な手のひらが地面を掴む。
大地が揺さぶられ、装甲車の中に衝撃が走る。
「捕まえようとしてる!」
「飛ばせ! もっと飛ばせ!」
「わかってる!」
ヨシムネが相手の意図を察し、助手席のユリウスが必死の形相でジョージに発破をかける。巨人を見ていたイヴァンは見るからに動揺した顔つきで、車内にいたジョージ達に続けて問うた。
「マジでどうすんだよ! 死ぬまで追いかけっこすんのか?」
「騒ぐな! ちゃんとプランもある!」
そんなイヴァンをジョージが一喝する。メンバー全員の視線が一斉にジョージに集まり、その中でジョージは車を走らせながらロンソを見つめ返した。
「近くに町はあるか?」
「町?」
「そうだ。出来るだけ大きな町がいい」
地鳴りが轟く。いきなり何を言い出すんだ。ロンソは困惑したが、ジョージの目は真剣だった。それを見た彼女は少し戸惑い、考え込んだ後、一つの名前を思い出した。
「ヘイムゼン。工業が盛んな城塞都市があります」
「でかいのか?」
「田舎にしては立派な所ですよ」
「守備隊みたいなのはあるのか?」
「あったはずです」
「よし、どうすれば着く?」
「北西に向かってください。しばらくすれば、壁が見えてくるはずです」
「わかった」
ロンソの言葉にジョージが頷く。同時に彼はハンドルを切り、彼女の指示した場所へと車を走らせる。
背後から巨人の足音が聞こえてくる。どこまでも追いかけるつもりだ。
「何をする気なんですか?」
進路を変更した車の中、エリーが不安げな表情で尋ねる。ジョージは前を向いたまま、その彼女からの問いに答えた。
「俺達だけじゃ奴には勝てない。だから」
「だから?」
「よそに任せるのさ」
「他所って」
嫌な予感がした。巨人が咆哮する。直後、彼らの心中から懸念が消し飛んだ。
背に腹は代えられない。彼らはジョージのプランに乗ることにした。
「成功するんですか?」
絶えず震動する車内で、ロンソが訝しげに問いかける。ジョージは車を走らせながらそれに答えた。
「成功するまでやるのさ」




