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ガス

 リーンデン伯爵は己の欲求に忠実な悪魔だった。人間の負のエネルギーに執着し、それを得るためならばどんな手段も厭わない。そしてそのやり方で成功し、その力でもって魔界の一角を買い占め立派な館を携えるまでになった。まさに成功者、魔族の鑑とも言うべき存在であり、彼を知る他の魔族達も、彼の精力さには一目置いていた。

 しかし一方で、彼は己の欲のために、しばしば己の領分を越えた場所にまで足を踏み入れる傾向があった。分を弁えず、危険を冒してまで力を得ようとする。そんな彼を称賛する者もいたが、一方で彼の無謀さに難色を示す者もいた。奴は早死にする。危険を冒し過ぎる。同族の中にはそう断じる者もいた。

 リーンデン伯爵はそんな警句を一笑に付した。挑戦の果てに死ねるなら本望。俺は挑戦したからこそ今の地位を手に入れた。殺せるものなら殺してみろ。俺は逃げも隠れもしない。彼は自信満々にそう言ってのけた。

 その彼の言葉に「命知らずめ」と眉を顰める者もいたが、表立って警告を飛ばす者はいなかった。そこまでするようなお人好しは、伯爵の周りにはいなかったのだ。そして彼の実力を疑う者もまた、その周りにはいなかった。

 

「来るなら来てみろ。全員返り討ちにしてやる」


 伯爵はどこまでも怖いもの知らずだった。彼の館にはお手伝いはいたが、衛兵の類は一人もいなかった。侵入者を捕らえるトラップの類も用意されていなかった。これは全てリーンデンの自信の表れであった。今まで勝ち残ってきた自分が余所者に遅れを取るわけにはいかない。すべて正面から受け止め、逆に食らってやる。伯爵は常にそのようなことを考えていた。

 

「しかしヒマだな。隙を見せてはいるが、誰もやってこない。どいつもこいつも根性なしばかりだ」

「伯爵様の力と名声がそれだけ轟いているということですわ。自分から死にに行くような愚か者は、そうはいませんから」


 だが実際は、彼の寝首を掻こうとする者は一人も現れなかった。彼の「仕事中」に、伯爵の家を破壊しようと画策する者もいなかった。どいつもこいつも根性なしであったのだ。

 そしてリーンデンはそれに対する愚痴をこぼし、その時彼の私室を掃除しているメイドの一人がそれに答えるのが日常風景となっていた。リスクを恐れず、それに見合う強大なエネルギーを貪欲に貪ってきた彼の内には、途方もない程の力が漲っていた。弱肉強食を謳う魔族達は、それ故に彼を恐れ、下剋上を企てようとしなかったのである。自分が養分になるのなんて死んでもごめんだ。

 

「どこかに気骨のある奴はいないのか。退屈で死にそうだ」

「では魔王軍の前線部隊に喧嘩をしかけてみるのはいかがでしょう。彼らはいずれも強者揃い。相手には困らないと存じますが」

「馬鹿を言うな。俺だって戦っちゃまずい奴くらい見分けはつく。魔王軍を敵に回すなんて絶対お断りだ」


 目的のためなら危険も顧みない命知らずな彼だったが、それでも伯爵は、本当に危険な相手を見分ける嗅覚はしっかり備えていた。そして利口にも、魔王直属の部隊に喧嘩を売るような蛮勇は、彼は持ち合わせていなかった。

 リーンデン伯爵は確かに実力者であったが、魔界全土に覇を轟かせるような強者では無かったのだ。

 

「ま、それでも俺が強いことに変わりは無いがな。俺ほどの男を殺せる奴は、そうはいまい。お前もそう思うだろう?」


 それでもリーンデン伯爵は自信満々だった。彼にそう問われたメイドは困惑気味に頷いたが、伯爵は気分を害することはなかった。俺は強い。正規軍には後れを取るだろうが、それでもそこら辺にいるチンピラ共には絶対に負けない。俺はただのゴロツキとは違うのだ。伯爵は己の強さを信じて疑わなかった。

 

「下種共め、どこからでもかかってくるがいい。俺は逃げも隠れもしないぞ」


 そして退屈な気分を紛らわすように、伯爵は椅子から立ち上がりながら声高に宣言した。書棚の整理をしていたメイドは何も反応せず、自身の仕事を続けていた。彼の大言壮語癖は今に始まったことではないからだ。

 そして書棚整理の仕事を終えた彼女は、一息ついてゆったりと首を回し、すぐ左にあった窓から外の光景を眺めた。外は夜闇に包まれ、星も月も見えなかった。トラブルの気配すらない、静かな夜だった。

 その時、不意に何かが窓ガラスを破って室内に入ってきた。


「えっ?」

「なんだ?」


 ガラスの割れる甲高い音がした。メイドと伯爵は驚きながらも、揃ってそれに気づいた。そして二人はすぐに、ガラスを破って侵入してきたそれに目をやった。

 それは手の中に収まるサイズの、円筒形の物体だった。メイドもリーンデンも、初めて見る物体だった。

 

「これはいったい……」

「なんだ、誰のイタズラだ」


 未知の物体に困惑するメイドの横で、リーンデンが憤る。彼はそれの正体よりも、それを投げ込んできた不届き者の正体を知りたがっていた。誰であろうと自分を馬鹿にする事など許せん。彼は額に青筋を浮かべ、強い怒りを露わにした。

 

「ん?」


 その円筒の物体から緑色の煙が漏れ出したのは、伯爵が怒りの形相を浮かべた直後だった。

 

 

 

 

「ザルだな」


 館全体に煙が行き渡ったのを確認した後、ワイズマン達は一様にそんな感想を抱いた。伯爵の館には護衛の兵も外的排除用の罠も無かったので、先方に気付かれずに館を包囲するのは非常に簡単だったのだ。

 そして窓からガス缶を投げ入れるのも簡単だった。見張りが誰もいないからだ。窓ガラスを破っても警報一つ鳴らないのはさすがに驚いたが。

 

「いくらなんでも甘すぎだろ。本当に実力者なのか?」

「中途半端に強いからこそ、こうして隙を見せるのです。慢心というやつですね」


 呆れるジョージにロンソが答える。これが黒幕の最後なのか。毒ガスの充満する館を見ながら、彼はそう思った。

 怨念と化した月光の連中を捕縛した際、ワイズマンは彼らから自分達を襲わせた犯人の名前を聞き出していた。

 彼らの口から出てきたのは二人の名前だった。一人は月光に直接依頼を出してきたある芸術家。そしてもう一人は、その芸術家に月光の存在を教えた一人の魔族であった。

 

「どうしてそこまで知ってるんだ」

「我々も馬鹿ではない。その情報がどこから来ているのかくらい、自分で調べられる。罠にかかる程間抜けではないのだ」


 月光の一人はそう答えた。ワイズマンの面々は訝しんだが、かといって無視する訳にも行かなかった。

 

「どうするんだよ。そいつも消すのか?」

「ああ。やろう」


 ジョージの決断は迅速だった。驚くほかの面々に対し、ジョージは続けて言った。

 

「可能性が少しでもあるなら、放置するわけにはいかない。生かしておいて後で面倒に巻き込まれるつもりも無いしな」


 やるぞ。ジョージは強く言った。少しの逡巡の後、残りの面々もそれに従った。やり残しが原因で死にたくないのは誰も一緒だったからだ。

 そして今に至る。

 

「これで殺せたのかな」


 窓から緑色の煙が漏れ出し始めたその館を見ながら、ぽつりとユリウスが言った。彼はそれからロンソに視線を向け、彼女に尋ねた。

 

「どうなんだ? あいつについて何か情報は無いのか?」

「私も詳しくはわかりません。私はあくまで中枢に関わる仕事ばかりしていましたから。こんな田舎の情報は殆ど掴んでいないんです」

「やれやれ」


 ユリウスは肩を落とした。これでは何もわからず仕舞いではないか。

 

「じゃあ直接中に入って、死体を確認するしかないか」

「生きてたらどうする?」

「ガスが抜けるまで待とう。リスクは背負いたくない」


 ジョージが提案する。ほかの面々もそれに同意する。あのガスはゼミューの商人から取り寄せた致死性の高い代物。こっちまでガスを吸って死にたくはない。

 

「でも本当に死んでるんでしょうか? 案外生きてたりして」

「そんな馬鹿な」

「どっちにしろ、確認する必要があるな。とにかくガスが無くなってから」


 そこまでジョージが言った直後、派手な音を立てながら館が崩壊した。自重に耐え切れなくなったように崩落し、館は一瞬にして瓦礫の山と化した。

 

「確認の必要あるか?」


 その無残な姿を見て、フリードが茶化すように言った。ジョージは彼の方を向き、念のためだ、と答えた。

 

「まだ生きてるかもしれないだろ。実際に確認するまで安心はできん」

「あの残骸一個ずつ取り除いていくのか? 面倒くせえよ」

「それでもやるんだよ。このまま放置はできない」


 ジョージの返答にフリードが顔をしかめる。明らかに面倒くさがっていた。

 しかし彼が何か言おうとして口を開いた直後、館の瓦礫から腕が生えてきた。

 巨大な、人間の腕だった。

 

「えっ?」


 最初にそれに気づいたヨシムネが素っ頓狂な声を上げる。他のメンバーもそれに気づき、一様にそちらに視線を向ける。

 その彼らの眼前で、瓦礫の山の中から一人の巨人が姿を現した。全長は十メートルほど。全身緑色に染まり、その顔は憤怒に歪んでいた。

 

「誰だよ」

「ここの家主じゃねのか」

「あれが?」


 方々から戸惑いの声が上がる。その中でフリードはジョージの方を向き、ひきつった顔で彼に言った。

 

「確認の必要ないみたいだな」


 ジョージは笑えなかった。

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