ゴースト
キレニニス崩壊の二日後、ワイズマンのアジトに悪霊が入り込んだ。数は五つ。その全てが黒く染まった、小さなガスの塊のような形をしていた。
そしてそのどれもが、明確にして強烈な悪意を持っていた。すなわちワイズマン全員の抹殺である。
「来たぞ!」
「守りを固めろ!」
対するワイズマンもしっかりと対策を講じていた。彼らは全員が盾を構え、さらにその上から物陰に隠れ、悪霊の攻撃から身を守ろうと躍起になっていた。自分から悪霊に手を出そうとする者は皆無だった。
一人を除いて。
「ロンソ、本当にやれるんだろうな?」
「お任せください。元より私は死神。魔界の住人。人間の放つ負のエネルギーは、何よりのごちそうなのです」
ワイズマンが陣取る地下洞窟の中央広間、その中心にあるテーブルの上で仁王立ちになりながら、ロンソは意気揚々と答えた。今になって初めて聞いた説明台詞であったが、ジョージ達はそれを疑わなかった。
悪霊がここに入り込んだのも、その悪霊が強い恨みを抱いていることも、全てロンソが見抜いた事だったからだ。そして今現実に、彼らは入口の方から強烈な殺意を持った何かが近づいてくるのを感じていた。この期に及んでロンソの力を疑おうとする者はいなかった。
「あなた方は下がっていてください。ここからは私の仕事です」
ロンソはそう言いながら指先に魔力を込め、その魔力の軌跡を使って眼前に魔法陣を描く。書き初めの陣はとても小さなものだったが、それは完成と同時にロンソを丸ごと飲み込めるほどに相似拡大した。そして肥大化した魔法陣は青白い光を放ちながら、ロンソの目の前で時計回りに緩やかな回転を始めた。
「見つけたぞ!」
「奴らはここだ!」
「殺せ!」
その内、洞窟の奥から声が聞こえてきた。怒りと憎しみを湛えた、低く唸るような声だった。
ワイズマンの面々は軽く戦慄した。その中にあって、チーム内で一番若いフリードが恐る恐るロンソに問いかけた。
「おい、本当に大丈夫なのかよ?」
「ご心配なく。聞き分けのない霊魂を鎮めるのは、ずっと前からやってきた事ですから」
「本当かよ」
「百聞は一見にしかず。まあご覧あれ」
ロンソはどこか楽しげであった。久しぶりに「本職」の腕を披露する事が出来て、心が高揚していたのだ。そしてそんな腕前を披露する対象が、今ではすっかり一蓮托生の身となっていた犯罪者仲間ならば尚更であった。
「一瞬で終わらせてみせますよ」
「ロンソ! 来たぞ!」
イヴァンの声が響いたのは、ロンソがフリードに余裕の笑みを向けたその直後だった。すぐに表情を引き締めて前に向き直ると、そこには確かに五つの影があった。回転する魔法陣越しに五つのガス塊が、尾を引きながら一直線にこちらに迫っていた。
ガスの前面には人の顔が浮かび上がっていた。その顔はどれも両目が落ち窪み、苦悶の表情を浮かべていた。そしてそのぽっかりと開いた口から、壊れたスピーカーのように恨み辛みの言葉をまき散らしていた。
「よくも我らを邪魔してくれたな!」
「死ね!」
「死んで償え!」
「ふふっ」
しかしその罵詈雑言を正面から浴びながら、ロンソは愉快そうに唇の端を吊り上げた。そしてその顔のまま右手を持ち上げ、ピアノの鍵盤を軽く
叩くようにその人差し指を中空で動かした。
刹那、魔法陣から光る触手が飛び出した。
「五匹。全て捕まえなさい」
ロンソが小さく命令する。その命に従うかのように、魔法陣から発光する触手が次々と飛び出し、一斉に悪霊へ殺到した。
「なんだ!?」
それを見た悪霊の一体が驚きの声を上げる。手遅れだった。触手達は容赦なく悪霊に絡みつき、身動きを完全に封じ込めた。ガス塊の顔はそれまで以上に強い苦悶の表情を浮かべたが、彼らの抵抗は全く意味をなさなかった。
「く、苦しい……」
「くそ! 離せ! 離せ!」
「まだ話せる余裕があるみたいですね」
そうして悶え狂う悪霊を見ながら、ロンソがつまらなそうに口を開く。そして指を鳴らし、魔法陣から新たな触手を召喚する。
呼び出された触手達は予めそうするよう言われていたかのように、何の迷いもなく一斉に悪霊達に殺到した。ガス状の体はさらに締め上げられ、苦悶の顔はもはや声も出せないほど悲痛の表情を浮かべていた。
そんな光景を見て、物陰に隠れていた残りのワイズマン達は呆然としていた。あまりに現実離れした光景に脳が追いついていなかったのだ。
「すげえ」
「あんな事出来るんだ。やるな」
「さて、どうしますか? これで全部とも思えませんが、とりあえず全部殺しておきますか?」
そんなワイズマンの面々に向かって、難なく悪霊を拘束し終えたロンソが涼しげな顔で問いかける。しかし脳味噌が働いていなかったため、その問いに即答出来る者はいなかった。全員が何か言おうとして、口をぱくぱくさせるだけだった。
「と、とりあえず、一人は残しておけ」
その中で最初に動いたのはジョージだった。ワイズマンのリーダーである彼は驚愕しつつもロンソを見つめ、落ち着きを取り戻しつつある口調で彼女に指示を出した。
「そいつら、たぶん月光の連中なんだろう? だったらそいつらを動かした、本当の黒幕を知りたい。いなかったらいなかったでいい。とにかく話が聞きたい」
「了解」
リーダーからの返答を受け、ロンソはそう返しつつ前に向き直った。それから彼女はおもむろに右手を前に伸ばし、掌の中にその拘束された悪霊の一体が収まるようにそれを突き出した。
そして悪霊が手中に入った次の瞬間、ロンソは一気に右手を握りしめた。同時に手の中にあった悪霊を縛る触手が一斉に蠢き、その悪霊を一息に引きちぎった。
悲鳴を上げる暇すら与えなかった。ガス塊は雲散霧消して黒い粒子の群れとなり、周囲に飛散した。次に粒子群はロンソが突き出した右手に向かって、吸い込まれていくかのように一糸乱れぬ動きで一斉に駆け出していった。
「ええ、そうよ。その調子……」
粒子は右手を通してロンソの全身に広がり、その体を覆い尽くした。ロンソの体は一瞬にして黒い雲に覆われる形となった。それでもロンソは怯むことなく、むしろ笑みすら浮かべてその身にまとった粒子を体内に吸収した。
吸引作業は数秒で完了した。粒子は服を透過し、全身の皮膚から体内へ入り込んでいった。そうして全てを吸い尽くしたロンソは満足げに熱い吐息を吐き、それから改まって残りの悪霊達に目を向けた。
「次に食われたいのは誰ですか?」
ロンソが吐息混じりに告げる。直後、残り四つの悪霊はそれまでが嘘のように大人しくなった。
ロンソが続けて口を開く。
「利口ですね。あなた方も英知を形に出来ないまま死にたくないでしょう?」
「何が言いたい」
悪霊の一体がロンソに問いかける。声音は弱々しかったが、それでもなお恨めしげな気配を帯びていた。
その悪霊に向かってロンソが言った。
「あなた方に我々を襲わせた真犯人が知りたい。それともこれはあなた方の独断なのか? それが知りたいのです」
「なるほど、復讐か」
「舐められっぱなしでは終われませんからね」
ロンソが答える。すると彼女に応答した悪霊は鼻で笑ったような声を出した。
「だとしたら、残念だったな。我々は何も知らん。本当だ。誰かから依頼を受けた事など一度も無い」
「本当に?」
「もちろんだ。これは我々の独断だ」
「へえ」
ロンソが感心した声を上げる。それから彼女は手を開いたまま右腕を持ち上げ、それを目の前で一気に握りしめた。
直後、悪霊二匹が八つ裂きにされた。ロンソと言い合っていた悪霊の背後にいた二体が、自身を拘束していた触手によって引き裂かれたのだ。
「え」
音もなく殺された同胞を見て、ロンソとやり取りをしていた悪霊は言葉を止めて愕然とした。そしてその悪霊の前で、ロンソは自分が殺した霊のエネルギーを全身で吸収し始めた。黒い粒子が一斉にロンソに向かい、ロンソはそれを体で受け止め深奥へ招き入れる。
「ごちそうさま」
彼女と話していた悪霊にとって、それは恐怖の光景以外の何物でも無かった。その一方で、新たな負のエネルギーを完全に取り込んだロンソは満足げな笑みを浮かべながら、残りの悪霊に向き合った。
「本当にそうなんですか?」
先の質問の続きである。悪霊達は恐怖に駆られた。この女はやろうと思ったら容赦なく「やる」女だ。恐怖は彼らの理性を揺さぶり、心のタガを外させていった。
「ち、違う。本当は違うんだ」
そのうち、悪霊の一人が口を開けた。それまでロンソとやり取りをしていたのとは別の個体だった。
「本当はある人間から依頼を受けたんだ。我々はそれを請けて、お前達を襲おうとしたんだ」
「おい馬鹿! やめろ!」
ロンソとやり合っていた個体がそれに口を挟む。ロンソはそれを無視し、秘密を打ち明け始めた悪霊に問いかけた。
「何故その依頼を受けたのですか? お金が欲しかったから? それとも実験対象が欲しかったから?」
「りょ、両方だ。実験を続けるのにも金がいる。実験対象も定期的に確保する必要がある。だから暗殺の依頼はもってこいなんだ」
「だから請けたと。それで、誰なんですか? あなた方にその殺しを依頼したのは?」
「それは」
「やめろ!」
悪霊が叫ぶ。しかし同胞は止められなかった。
彼は黒幕の名を告げた。
「なるほど。ありがとうございます」
その名前はワイズマンにとって全く馴染みの無いものだった。それでもロンソはとりあえず礼を述べた。
手がかりには違いないからだ。
「も、もういいだろ。全部話した。だから帰らせてくれ。もうお前達は襲わない。誓うから」
「それもそうですね」
そして後始末も忘れなかった。
「やっぱり信用できないので無理です」
ロンソが再び右腕を持ち上げる。悪霊達がやにわにざわつき始める。
「貴様! 何をする気だ!」
「やめろ、やめてくれ!」
ガス状生物が懇願する。ロンソがゆっくりと右手を開く。
「や、やめ」
「いただきます」
そして一息にその手を握りしめた。




