キャッスル・レイド
魔族は人の負の感情を糧とする存在である。怒り、憎しみ、悲しみ。彼らはそう言ったマイナスの情念を食らい、腹を満たす。彼らにとっては人の不幸こそが食糧であり、それ無くして彼らは生きていく事が出来なかった。
そして現状、彼らは非常に満たされていた。アベルズロアは今まさに混乱の只中にあり、至る所に負の情念が蔓延していたからだ。いつ始まったのかもわらない程に長く続く戦乱によって秩序を失い、あらゆる種族が利益と感情を優先して相争うその状況は、彼らにとって最高の世界であったのだった。
しかし彼らは、それで満足することは無かった。それどころか彼らはこの地に生まれてから一度も、「満足」という感情を抱いた事が無かった。
魔族は貪欲だった。加減を知らないが故に、際限なく負を求めた。ただでさえ飽食気味だった彼らは今ある物だけでは飽きたらず、より多くの、より新鮮なマイナスを欲した。
そして彼らは、ついに自分達の願望を叶える方法を見つけた。「外」に助力を請うたのだ。外の世界に住まう「悪」をこちらに招き入れ、彼らに犯罪を行わせ、大量のマイナスを生み出させようと画策したのである。
ロンソ・ステアーズは、その「魂の運び屋」の任に選ばれた魔族の一人であった。
「それは本当ですか?」
「はっ。誰一人欠けることなく、脱出に成功したとのことです。なお監獄は半壊、看守と囚人の両方に著しい死傷者が発生しているとの事です」
「わかりました。下がりなさい」
ワイズマンの四人が脱獄した情報は、すぐにロンソの耳に届いた。別荘の私室で伝令係からそれを聞いたロンソはすぐに彼を下がらせ、自分は椅子に座ったまま満足げに頷いた。
今回は「有望株」か。窓越しに月を見ながら、ロンソは安堵と歓喜の息を吐いた。運び屋を務めて百年、彼女が連れてきた人間は四桁をくだらない。しかしその大半はこちらの世界に順応できず、大した活躍も出来ずに惨めな最期を遂げてきた。
外の世界の人間はどれもひ弱で、期待外れも良い所であった。
「どうやら今回は、失望させてくれないようですね」
しかし今回は違う。体よく試験場から脱獄してみせた四人組の姿を思い描き、ロンソは思わず笑みをこぼした。奴らは使える。我々のために、大いに働いてくれる。
ロンソは他の魔族の例に漏れず、人間を都合の良い道具としか認識していなかった。弱者に同情する事もなかった。
だからロンソは、脱獄によって生じた犠牲者に関して何の感情も持たなかった。ヘマをして死ぬ方が悪いのだ。
「さて、では彼らと連絡を取りましょうか」
そこまで考えたところで、ロンソはその思考を中断した。そして袖の下から一個の水晶玉を取り出し、そこに魔力を込め始める。
遠く離れた相手に思念波を送るための魔道具である。これを使えば、どんな場所にいる相手にも一瞬で思念を飛ばして会話する事が出来るのだ。自分が監獄送りにしたワイズマン達と連絡を取る際に使ったのもこれであった。
ロンソはさっそくそれを使って、脱獄したであろうワイズマンと会話を試みようとした。思念を送り、彼らをここに誘導するのである。
「ロンソ様! 大変でございます!」
別の伝令係が大慌てでロンソの元にやって来たのは、ロンソがそれを実行しようとしたまさにその時だった。ドアを蹴破る勢いで室内に入ってきた彼は全身汗だくで、顔には明らかに焦りの色を浮かべていた。
「どうしました? そんなに慌てて」
月の光をバックに、不愉快そうに顔をしかめながらロンソが尋ねる。対して唐突に現れた闖入者は自分の不備を詫びる事無く、焦った顔のまま口を開いた。
「し、城が、ブラックベリー城が」
「ブラックベリーが?」
自ら治めている城の名前を出されたロンソが、少しばかり表情を翳らせる。そのロンソに、伝令が続けて言葉を放つ。
「ブラックベリー城が、人間に襲撃を受けております! 見たこともない物体に乗ってきた四人組で、全く歯が立ちません!」
刹那、ロンソは表情を凍らせた。
四人組。まさか。
「その人間達の特徴は? どんな格好をしていますか?」
「仮面を被り、露出の少ない黒い衣服を着ております。それぞれが未知の武器を持ち、それらはこちらの防御を軽々と突破していくのです」
「軽々と? 盾も魔法障壁も効かないのですか?」
「全くです! おまけに奴ら、炎を自由自在に扱うのです! 呪文の詠唱も無しに!」
ロンソの不安は確信に変わった。最も避けるべき最悪のパターンーーそもそもここを集合地点にしたのも、それを避けるためだーーが現実になり、ロンソの頭は一瞬真っ白になった。
飼い犬に家を焼かれた。ワイズマンに自分の本拠を襲撃されたのだ。
ロンソの耳にそれが入る三十分前のこと。監獄の司令官からロンソの本拠地、ブラックベリー城の居所を聞き出したワイズマン達は、早速そこに向かった。
自分達を虚仮にした女に復讐するためである。
「正面、門が閉じてるぞ!」
「イヴァン!」
運転するユリウスが叫び、ジョージがそれに答えるように叫び返す。名前を呼ばれたイヴァンは何も言わずに装甲車の奥に引っ込み、そこからロケットランチャーを持ち出してから上部ハッチに向かった。
ハッチを開け、上半身を外に露出する。硬く閉ざされた門に向かってランチャーを構える。
狙いを定めて引き金を引く。弾頭が門にぶつかり、大爆発を引き起こす。
緩んだ門に装甲車が突撃する。硬く閉ざされた門は呆気なくその門戸を開いた。
中庭は広く、走り回るには十分な広さを持っていた。
「敵襲! 敵襲……なんだ!」
「なんだあれは!? 馬か!?」
正面玄関ドアを守っていた兵達は、見た事もない物体が突っ込んできたのを見て目を剥いた。その兵士達目掛けて装甲車が驀進し、兵士ごと正面玄関をぶち抜く。
死体と扉と瓦礫を吹き飛ばし、装甲車が正面ホールに乗り上げる。そこでエンジンを切り、後部ハッチを開けて四人が城内に足を着ける。
「目標はロンソだ! 手段は選ぶな! 絶対に見つけ出せ!」
アサルトライフルを持ったジョージが声高に叫ぶ。三人もそれに頷き、それと同時にホールの四方から兵士達がなだれこんでくる。
「侵入者だ! 殺せ!」
「生かして帰すな!」
「おう、おう。随分とやる気みたいだぜ」
角と翼を生やした兵士の一人が叫び、それを聞いたイヴァンが楽しげに笑う。それからイヴァンがジョージに向き直り、ニヤニヤ笑いながら彼に尋ねた。
「あいつらはどうする? 無駄な殺しはするなってか?」
「いや、邪魔する奴らは皆殺しにしろ。こいつらもロンソの手足だからな」
「敵にかける情けは無い、ってね」
手にした火炎放射器をいじりながらヨシムネが口を開く。その口振りは見るからに楽しそうであった。
「せっかくだからさ、城も壊す? 金目の物貰ってさ」
続けてヨシムネが言う。ユリウスとイヴァンはすぐに首肯し、三人は続けてジョージを見る。
「いいな。そうしよう」
ジョージもそれに即答した。そして群がる兵士達に向かって、四人は一斉に武器を構えた。
殺しの時間だ。
ロンソが護衛と共にブラックベリー城に戻った時、そこには地獄があった。
「これは……」
かつて威容を誇っていた黒塗りの古城は、今や完全に瓦礫の山と化していた。至る所から煙が立ち上り、火の手が上がり、何もかもが崩壊していた。城を囲む門も塀もボロボロに崩れ、かつての栄光は塵と消えていた。
中庭の噴水は辛うじて被害を免れていた。かつての姿を保っていたのはそれだけだった。生き物の気配も感じられず、文字通りの廃墟と化していた。
「なんと……!」
「酷すぎる……」
それを見た取り巻きが絶望の表情を浮かべる。破壊し尽くされたその光景を見て、その場に膝を着く者さえいた。
ロンソは辛うじて平静を保っていた。しかし心の奥では言いようの無い怒りと悲しみが渦を巻いていた。それを表に出すまいと、拳を強く握って眉間に皺を寄せた。固く閉じた唇の奥では、歯茎から血が出んほどに歯を食いしばっていた。
取り巻きの一人がそれを発見したのは、まさにその時だった。
「おい、あれはなんだ?」
全員がそれに注目する。瓦礫の山のすぐ手前、そこにあったのは見たこともない物体だった。
「なんだ、あれは?」
「馬車か? それにしては不思議な形をしているな」
「見ろ。車輪のような物もついてるぞ。明らかに変な形をしているが」
初めて見るそれを前に、手下達があれこれ言葉を交わす。しかしロンソは、それを見た直後にその物体、そしてここを襲撃した者達の正体を即座に理解した。
あれはワイズマンの使っていた装甲車だ。
「おい、どこにもいねえぞ。どこに行きやがったあのアマ」
「ていうか、さすがにもう探しようが無いでしょ? ここまで滅茶苦茶にしちゃったらさ」
「おいイヴァン、お前のせいだからな。お前が所構わず爆弾を投げるからこうなったんだ」
「ああ? 俺のせいだってのか? 好き勝手しろって言ったのはジョージだぜ?」
その時、装甲車の方から複数の声が聞こえてきた。全員が声のする方に目を向けると、そこにはマスクを被った四人組の姿があった。
それもロンソには見覚えのある姿だった。
「それにしても脆い建物だったな。鉄筋使ってないのか?」
「使ってないんじゃない? 見るからに中世のお城って感じだし、見るからにボロいし」
「マジかよ。じゃあ俺達、今どこにいるんだよ? 中世ヨーロッパってか?」
「あり得るかもな。グレネードで吹き飛ぶ建物なんざ、現代じゃそうそう無いしな」
四人は全員リラックスした姿で会話を弾ませていた。その全員が見たこともない武器を持ち、見たこともない服装に身を包んでいた。
それを見たロンソは改めて、自分がミスを犯した事を理解した。今回連れてきた連中は悪意が強すぎる。そんな連中を「制御出来る道具」としか見ていなかったがために、こうして手痛いしっぺ返しを食らったのだ。
しかしどれだけ後悔しても、城が元に戻る事は決してなかった。




