ムーンライト
黒フクロウ。それは大抵の人間は近づかない「常闇の森」の奥深くにぽつんと建てられた、とても小さな酒場である。規模こそ小さかったが、そこは二十四時間明かりが灯り、中からは絶えず人や人でない者の声が響きわたっていた。
そして立地通り、そこに通い詰めるのは皆まともな人間では無かった。ごろつき、犯罪者、マフィアの鉄砲玉。宗教結社のエージェントに工業スパイ。改造手術の失敗作から破滅主義者まで。とにかく陽の当たる道から大きく外れた者共が蠢く魔境と化していたのだ。
ワイズマンのジョージもここの常連客であった。彼も犯罪者として、何かあればここを利用していた。何故ならここには、普通では手に入らないような「裏」の情報が大量に溢れているからである。後ろめたい人間が集まれば、それだけ交わされる雑談や噂話も後ろめたいものになるのだ。
「久しぶりだなジョージ。で? 今日は何を聞きたいんだ?」
ジョージはそれを求めてここに来ていた。そして彼はこの時、この酒場きっての「生き字引」とテーブルを挟んで向かい合っていた。彼から情報を聞くためである。
「こいつについて知りたい。何かしらないか?」
「こいつってどいつだ?」
「これだ」
懐から紙片を取り出す。情報料としてジョージから瓶ビールを奢ってもらっていたその老人は、ビール瓶に口をつけてからそれを手に取った。アルコールで目は濁っていたが、動きは機敏そのものだった。
「ふうん」
一瞥した後、老人は鼻を鳴らした。ジョージは何も言わずに彼を見つめた。
老人が顔を上げる。ジョージと目が合い、その彼の目を見つめながら老人が言った。
「こいつは、あれだ。月光の連中のもんだな」
「月光?」
「魔術師サークルみたいなもんさ」
老人の返答は簡潔だった。それでいて的確で迷いがない。ジョージは感心すると同時に不思議にも思った。なぜ彼はこうも知識を蓄えているのだろうか?
しかしそのことは、一旦隅に置くことにした。今はこの紙片の事に注目すべきだ。そしてこの「生き字引」から答えが出たわけだが、それだけで謎が全て解けた訳でもない。ジョージは続きを促した。
「その月光っていうのは、どんなサークルなんだ? 具体的には何をしているんだ?」
「魔術師サークルの名前の通り、魔法の研究だよ。魔術を磨いて強くなったり、新しい魔法を発明したりする。そんなことを毎日、飽きもせずに続けている。まあ根暗だな」
「それだけか? そんな連中が俺達を殺しに来たって言うのか?」
ジョージは今一つ納得がいかなかった。そんな研究者のような連中が、どうして自分達に爆弾を送りつけたのか?
「まあ落ち着けよ。別にそれが月光の全てって訳じゃねえんだからよ」
しかし老人は、そんなジョージをなだめるようにそう言った。それから彼はビール瓶を一本空にした後、脇に置かれていた三本目の瓶に手を伸ばした。
この日「生き字引」がジョージに要求した情報料は、ビール瓶五本であった。決して安くは無かったが、ジョージは躊躇う事無くそれを用意した。使うべき時にきっぱり使ってしまうのが、賢い金の使い方である。
現にこの老人は、ジョージの求める全てを包み隠さず話してくれていた。無法者といえど、意味もなく義理を破っていい道理は存在しえないのだ。
「さっきも言ったろ。月光は魔術の研究に精を出してるって。お前達を襲ったのも、その研究と関係してるのさ」
そんな老人がジョージにそう告げる。ジョージは片眉を吊り上げた。どういう意味だ。彼の視線が言外に告げていた。
老人はまずビールに口をつけた。そして一口飲んだ後、彼はジョージの方を見ながら口を開いた。
「人体実験さ」
「なんだと?」
「自分達の発明した魔術がどれだけ通用するのか。自分達の構築した魔術理論はどこまで正確なのか。あいつらはそれを確かめるために、生身の人間で実験をしているのさ。生きてる動物よりも、生きてる人間を相手にした方が、より正確なデータが手に入るからな」
そこまで喋って、再度老人がビールに手を着ける。そして老人が中身を飲んだ後、彼に向かってジョージが言った。
「だから、彼らは殺人を請け負うようになった?」
「そういうことだな。金がもらえて、実験も出来る。いいことづくめだ」
生き字引の老人はそういって、けらけらと容器に笑った。ジョージは全く笑わなかった。
要するに、自分達は彼らに実験ネズミとして「選ばれた」という事だ。これが面白くなくてなんだと言うのだ。
「くだらん。人を玩具にしやがって」
「お前の気持ちもわからんでも無いがな。それにそんなに嫌なら、お前らの方から拒否してやればいい」
「拒否?」
「ああ。やり方はお前らでもよく知っているだろう?」
生き字引がニヤリと笑う。ジョージもつられて呆れたような笑みを浮かべる。
目の前の老人が何を言おうとしているのか、ジョージは全て理解していた。
「やられる前にやれ、か」
「そういうことだな」
「何か手がかりは? 月光に繋がる情報は無いのか?」
「詳しい事はなんとも。あいつらは秘密主義の塊だからな。組織や個人に繋がるような情報は、全くと言っていいほど漏らさないのさ」
「厄介だな」
ジョージが渋い顔を見せる。この酒場で最も物知りであるこの老人が知らないとあれば、ここで掴める手がかりは殆ど無いと言ってもいいだろう。
「地道に調べていくしか無いか」
「死なない程度にな」
老人が笑いながらビールを呷る。他人事だと思って。ジョージは苦い顔でその笑顔を見つめた。
しかし愚痴をこぼしているだけではどうにもならない。彼は表情を消して立ち上がり、なおも酒を飲み続ける老人を見下ろしながら声をかけた。
「世話になったな。後はこっちで何とかする」
「おう。気をつけてな」
生き字引は目を合わせようとしなかった。ジョージもそれを気にする事はなかった。お互い馴れ馴れしくするのは肌に合わなかったからだ。
必要な時に会い、必要な物を交換しあう。そして用が済んだらさっさと解散する。このくらい適当な距離感が二人は好ましく思っていた。
「また酒奢ってくれよ」
「また会ったらな」
二人にはこれで十分だったのだ。




