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ディシジョン

 町付きの護衛兵が中に突入した時、そこは既にもぬけの殻だった。そこにあったのは一斉に床に頭をつけて背を丸めるブルジョワ達と、部屋の中央にぽっかりと開けられた大穴、そして絵画の一つに刺された一枚の名刺だけだった。

 煙はさっぱり晴れており、衛兵の視界を遮るものは全く無かった。にも関わらず、衛兵達はこの一件の下手人を見つけだすことは出来なかった。


「この穴の下に落ちたんじゃないのか?」

「下って、どこに繋がってるんだ?」

「そんなの俺が知るかよ。そういうお前はどうなんだ」

「俺だって知らねえよ」


 穴の奥を覗きながら、衛兵達は口々にそう言い合った。所詮彼らは雇われの身。町の下に下水道が通っている事を把握している者は、一人もいなかったのだ。


「こ、この役立たずどもめ! さっさとあいつの後を追わんか! なんのために高い金を払っていると思っているんだ!」


 そんな衛兵に、立ち上がったブルジョワの一人が喝を飛ばす。ここに自分を脅した「あの男」がいないことを知ったそのブルジョワは、これまでの失態を隠すかのようにより一段と居丈高に振る舞った。


「ええい、さっさとしろ! この愚図め! お前らクビになりたいのか!」

「へいへい。わかってますよ」


 その一方で、衛兵達はそんなブルジョワに心ない返事を返した。金で雇われているだけの彼らに、金持ちに対する忠誠心はかけらも無かった。


「こっちはこっちでやっときますから、あんたらはさっさと家に帰ってください。役立たずに現場を荒らされるのは、正直不快でしかないんでね」

「なんだと、貴様! そこまで無礼な物言いをするのなら、金輪際金を払ってやらんぞ!」

「へっ、別にいいぜ? 俺らの雇い主様は、お前ら以外にもたくさんいるんだからな!」


 楯突く衛兵にブルジョワが向かい合う。すると他の金持ち連中も次々と立ち上がり、最初に刃向かった金持ちの後ろについて援護の体勢に入る。一方で衛兵達も最初に口を開いた人間を先頭にして一カ所に固まり、徹底抗戦の構えを見せた。

 彼らに協調性というものは皆無だった。


「こっちが下手に出てればいい気になりやがって! この腐れ金持ち共め、ぶっ殺してやる!」

「貴様らの代わりなんぞ、いくらでもいるわ! 無礼者め、ここで成敗してくれる!」


 誰も目の前の事件を解決しようとはしなかった。彼らの中にあるつまらないプライドが、自分の意にそぐわない存在を許さなかったのだ。

 まったく滑稽な姿だった。ブルジョワ側の一人であるその男は、しかしそのやり取りには関わらずに冷めた目でそれを見ていた。そして終わる気配のないそれを前に、聞こえないようにため息をついた。


「勝手にやっていろ」


 そしてその男は小さく呟いた後、おもむろに一枚の絵の方へ歩き始めた。それは件の男が投げた名刺の突き刺さった絵であり、男はその名刺を誰にも悟られぬよう静かに、素早く引き抜いた。

 名刺は白紙だった。男はそれを見たまま、懐からマッチを取り出した。

 マッチ棒を一本擦り、火を起こす。そしてその小さな火を名刺に近づけると、次第に炙られた部分から文字が浮かび上がってきた。

 そこには取引場所と日時、絵の買取相手の情報が詳しく記されていた。この名刺を取った男、ワイズマンにライバル作家の妨害を頼んだ男に向けられた情報である。

 依頼主の男は、事前にこうなることをワイズマンから説明されていた。だから彼だけは一人、平静を保っていられたのである。


「なるほど」


 賢者達の依頼主はその内容を熟読し、脳裏に焼き付けた。そうして暗記し終えた後、彼は見えないように体で隠しながら名刺を破り捨てた。ついでにマッチ棒の火も消し、痕跡を完全に消す。

 これでいい。ワイズマンは本当にいい仕事をしてくれた。ライバルを滅茶苦茶にしてくれただけでなく、自分の作品の買取先まで斡旋してくれるとは。彼らにこの一件を依頼したその男は、一人暗い笑みを浮かべた。

 この際なぜ彼らが一国の女王と繋がりを持っているのかについては詮索しなかった。代わりに彼は「自分の絵は絶対に高い評価を得られる」ということのみに気を向けていた。

 自分の作品は女王に気に入られ、そのままパトロンとなってくれるに違いない。彼は自分の才能に絶対的な自信を持っていた。

 メルヘム女王。オルリー・ルド・ラーシュ。俺は絶対にこの女の心を魅了してみせる。芸術のために家族を売り、友を殺し、恋人を捨てたこの男は、一人幸福な未来図を妄想し始めていた。





 女王オルリーの元にその絵が届いたのは、それから三日後の事だった。一輪の向日葵が描かれた水彩画で、タイトルは「初夏」となっていた。

 送り主は「エンバー・ディクソン」。絵の額縁にそう名の記された紙片がつけられていた。そしてその名前の横には、四つ葉のクローバーの押印が捺されていた。


「女王様宛てにだそうです。何か心当たりが?」

「はい。私の友人からのものです」


 ワイズマンからの贈り物だ。オルリーはすぐに悟った。この名前とクローバーの印は、それがワイズマンからもたらされた物であるという事を告げるメッセージなのだ。彼女はその事を、リーダーであるジョージから前もって教わっていた。

 だから彼女はその送り主の名を一目見た後、「これは自分に宛てられたものだ」と言って他の者が手に取る事を固く禁じた。当然家臣の面々は、それを警戒した。


「大丈夫なのですか? 何者かがあなたを貶めようとしているのでは?」

「問題ありません。これは私宛のものです」

「しかし」

「このオルリーの決定に不服があるのですか?」


 誰も逆らえなかった。名君オルリーの頑とした態度を前にして、それに面と向かって逆らえる者はいなかった。

 そうして彼女は、ワイズマンからのプレゼントをちゃっかり手に入れる事が出来た。オルリーは自力でその絵を自室に運び、そして慎重な手つきで絵から額縁を外していった。

 ワイズマンから絵が送られてきた場合は、まず額縁の中を確かめろ。そこに大事な手紙が入っているかもしれないから。ワイズマンからの警句である。オルリーはその警告通りに額縁の中を改めた。予想通り、中には一枚の手紙が挟まっていた。


「この絵は、自分達が関わった一件で懇意になった、ある画家の作品である。単刀直入に言って、彼は貴女にパトロンになってほしいと思っている。しかし我々はそれを強制したりはしない。まずは彼の作品を見て、その上でご自身で判断してほしい。一応彼への連絡先を載せておくが、気に入らなければ無視してもらっても構わない。どうするかは貴女の自由だ」


 序文の挨拶を抜きにすれば、手紙の内容はそのようなものだった。そしてその言葉通り、手紙の一番下に一つの住所が記されていた。

 オルリーはそこにも目を通した。そして一通り手紙を読んだ後、丁寧に絵を額縁に填め直した。それから彼女は化粧台に向かい、そこからマッチ箱を取って絵の方に戻ってきた。

 その顔は嫌悪に歪んでいた。


「これでパトロンになれと?」


 マッチ棒を一本擦る。オルリーはそれを絵の上に落とし、その作品が燃え落ちていく様を冷めた目で見つめる。

 ついでに手紙も、その火の中に落としていく。


「ゴミめ」


 そしてオルリーは一人、誰に言うでもなくぽつりと呟いた。価値を見出せないブツに金をくれてやるほど、オルリーは酔狂ではなかった。

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