ホールインワン
仕掛け自体は単純なものだった。品評会会場にある作品展示台の真下に爆弾を設置し、標的が台の上に置かれた瞬間、スイッチを押す。台を大きく囲むように設置された爆弾は全く同じタイミングで起爆し、標的の作品を台ごと真下に落とすのである。
この後の流れは作品の状態次第で二通りに変わる。もし作品が甚大な損傷を受けていた場合は、その作品を廃棄してそのまま帰る。しかしもし無事な場合は、それを確保して持ち帰る。フリードは標的の確保を望んでいたが、こればかりは完全に運任せであった。
帰還にはゴムボートを使った。こちらも必須要素という訳ではなく、「あればなお良し」という程度の感じであった。しかしゼミューのブローカーはそれを用意してみせた。これにはワイズマンも驚くばかりであったが、ロンソとエリー以下「こちら側の世界の住人」にとっては何が驚きなのかわからなかった。
「そんなに驚く事なのでしょうか?」
「ていうか、これなんですか? どうやって使うんですか?」
「なんかブヨブヨしてるな。どんな動物の皮使ったらこんな素材出来るんだよ?」
ロンソが首を傾げ、エリーとフリードは興味深そうにゴムボートを見やる。アジトに運び込まれたそのゴムボートは黒く塗られており、後部には小型のエンジンが搭載されていた。
どこからどうみても、元いた世界にあったゴムボートそのものであった。
「乗り物だよ。水に浮かべて使うものだ」
そしてジョージは、そんな「こちら側の人間」に対してこれの用途を簡単に説明した。三人はそれの用法については理解したが、それでも何故それがそのように機能するのかについては今一理解できなかった。
閑話休題。作品を確保してゴムボートを操るのはイヴァンとユリウス、他の面々は美術館の内と外で問題が無いか監視する事になっていた。結論から言って作戦は成功し、標的は見事イヴァン達の足下に転がってきたのであった。
「確保完了。ブツが落ちてきたぜ」
「そうか。それで状態は?」
「ダメだな。辛うじて額縁が残ってるって感じだ。まず売り物にはならないな」
館内でイヴァンからその報告を受けたジョージは、小さくため息をついた。半ば予想通りの落ちではあったが、それでも金目の物が駄目になるというのは物寂しい思いがあった。
しかしいつまでもへこたれている訳にはいかない。そもそもこんな金持ちの巣窟に潜入しておいて、お宝一つだけをいただいて帰るなど、勿体ない事この上ない。
せっかくだ。こっちはこっちで金儲けさせてもらおう。
「プランBをやる。お前達は先に帰ってろ」
「やりすぎるなよ?」
「わかってる。ほどほどにな」
ジョージはそこまで言ってから、通信のスイッチを切った。そしてなおも子供達が見ている中で、おもむろに懐に手を伸ばした。
そしてジョージが手を抜くと、そこには一個の缶が握られていた。
「小遣い稼ぎだ」
ジョージがもう片方の手に持っていたグラスを投げ捨て、奥の部屋へと歩き出す。空のグラスが音を立てて弾け、それと同時に缶についていたピンを抜く。
「どうしますかジョージ? 手助けいりますか?」
「必要になったら呼ぶ」
外にいたロンソにそう答えてから、奥の部屋に向かって缶を投げる。
刹那、最初に起きたものとはまた違った爆発が、激しい閃光と共に巻き起こった。
その時何が起きたのか、正しく理解できる者はブルジョワの中にはいなかった。そもそも最初の爆発の時点で彼らは理性を失っており、物事を正常に判断する能力を完全に失っていた。
そこに二度目の爆発である。しかも今度は粉塵を伴う物ではなく、目が眩むほどの強烈な閃光と大音響を伴う爆発である。ほぼ全員が抵抗する気力を失い、咄嗟に目を瞑った。
「動くな! 地べたに座れ! 頭を床に着けろ!」
そして次の瞬間、その室内に大音量が響いた。気力を削がれたブルジョワ達は素直にそれに従い、全員がそそくさと床に額を押しつけた。
死にたくない。ただその一心で、エコーがかったその声に唯々諾々と従った。
「そうだ。それでいい。こっちの言うことに従ってくれれば、こっちも命を取るような真似はしない。それでいい」
そんなブルジョワの心理を悟るかのように、再び件の声が響いた。誰も反論せず、抵抗もしなかった。中にはここまでされて何もしない警備の怠慢を、心の中でなじる者もいた。しかし実際は、警備員達は閃光の爆発が起こると同時に、このエコーがかった声の主に眠らされていたのであった。
もっともそんな事、今の金持ち連中が察する事は出来なかったが。
「いいか、動くなよ? 絶対に動くんじゃないぞ?」
ブルジョワ達は従順だった。例え自分の耳元で足音が響いたとしても、その足を掴もうと気骨を見せる者はいなかった。
まったくやりやすかった。人死にが増えないのはとても良い事だ。ジョージは折り畳み式のメガホンを手に持ちながら、そんな事を考えた。そしれ彼は悠然とブルジョワの中を縫うように歩き、そして一枚の絵画の前に立った。
それは壁に飾られた、既に品評を済ませた一枚であった。この品評会では発表された作品はこうして、部屋の壁沿いに飾られるのが通例になっていたのだ。ジョージはその情報を、ユリウスとエリーが持ってきたパンフレットから仕入れていた。
「これでいいか。なんか高そうだ」
しかしジョージに絵心は無かった。彼が把握していたのは依頼人とターゲットの作品だけで、それ以外のブツの価値は全く把握していなかった。
だから彼は、適当に選んだ作品を二、三持って帰る事にした。絵だけではかさばるので、比較的小さな壷と彫像を持って行く事にした。運搬には部屋の隅に置かれていた台車を使うことにした。
それ以上は持ち帰らなかった。欲の皮を突っぱねても、後で泣きを見るだけだ。
「いいな? 動くんじゃないぞ?」
そうしてこれと思った物を見繕って木拵えの台車に載せた後、ジョージは念を押すように会場の客達に言った。彼の期待に応えるように、誰も動こうとはしなかった。
立派な心がけだ。ジョージがその光景を見て満足げに頷く。彼の耳の通信機が音を立てて鳴り始めたのは、まさにその時だった。
「どうした?」
「気をつけて。外の警備兵がそっちに向かってる」
「二十人くらいはいます。早く撤収を」
外にいるヨシムネとロンソからの通信だった。ジョージはそれを聞いてすぐに行動に移した。かさばる絵はそこに放置し、壷と像を両手に持って部屋の中央にある穴の方へ向かった。穴の底には暗闇が広がっており、中がどうなっているのかを測り知る事はジョージにも出来なかった。
しかし躊躇っている余裕はない。ジョージは穴の縁に足をかけ、そこから飛び降りようと決意を固めた。
「あ」
そこで不意にあることに気づく。彼はスーツの内ポケットから一枚の紙を取り出し、それを壁に掛けられていた絵の一枚に向けて投げ飛ばした。
紙は名刺と同じ大きさであった。そしてその紙は手裏剣のように縦に回転しながら、容赦なくその絵に突き刺さった。
「よし」
それを見たジョージは満足げに笑った。アフターケアも完璧だ。そして再び穴の方へ視線をやり、今度こそ一息にその闇の中へと身を投げた。
警備兵が室内に突入する一分前の事である。ジョージがゴムボートに乗り込んで仲間と共に逃げおおせるには十分過ぎる時間であった。
こうしてワイズマンの「計画」は完遂された。何の痕跡も証拠も残さず、死人も出さずに芸術品だけを奪っていく。この一件は世間では「破壊工作兼強盗事件」として取り上げられ、その派手なやり口と完璧な手際の良さから瞬く間に大陸中に広がった。
同時にワイズマンの名前も、より一層裏の世界で広く知られる事となった。




