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ブルジョワジー

 品評会当日。その美術館はいつも以上に客で賑わっていた。この町の上流階級に属する「成功者」達が、一同に会していると言っても過言では無かった。

 誰もがこの日行われるコンクールを心待ちにしていた。このような上位入賞者に対して破格の待遇が与えられるイベントには、それ相応の完成度を誇る品々が軒を連ねるからだ。芸術に心得があり、それでいてある程度の資産を持っている者にとっては、まさに宝の山にありつける絶好の機会であるのだ。


「今回はどんな品が出されるんでしょう。楽しみですわ」

「いや、まったくですな。今年は何が出てくるのか、わくわくしてきますよ」

「私はこれに出席するためだけに生きていると言ってもいいくらい、この品評会を心待ちにしていたんですよ。いやあ、傑作に出会うのが楽しみですよ」


 いつもは受付ロビーとして機能していたその広間は、今では高い服と宝石でゴテゴテに着飾ったブルジョワ達の社交の場と化していた。彼らないし彼女らは、品評会が本格的に始まるまでの間、ここで酒類アルコールや軽食を楽しみつつ、雑談に花を咲かせていたのである。

 そんなお高い男女の間を縫うように、せわしなく動く複数の影があった。それは周りの大人達よりも一回り小さな子供であった。

 彼らは簡素なスーツに身を包み、それぞれ手にお盆を持っていた。お盆の上には空になったグラスや、酒で満たされたグラスが載せられていた。子供達はそれを落とさないよう慎重に、しかし注文に間に合うよう早足で人々の中を歩き回っていた。


「おい君、これを頼むよ。それから後で別の酒を持ってきてくれたまえ」


 その子供達に対して、周りの大人達は全く手心を加えなかった。誰もが自分の要求を躊躇なく押しつけ、誰も彼らを助けようとはしなかった。


「ねえあなた? 頼んだお酒はまだ来ないの? 本当にのろまなんだから」

「おいガキ! 今お前、俺の足踏んだだろう! この靴高いんだぞ、何してくれんだクソガキ!」

「お前いい加減にしろよ。何やってるんだお前は。どこまで愚図なんだお前は」


 彼らにかけられる言葉の中には、もはや注文ですらない、単なる罵倒の言葉まであった。しかしどれだけ理不尽に罵られようとも、子供達は決して反抗しなかった。いきなり蹴飛ばされ、持っていた盆をひっくり返しながら倒れても、文句一つ言わなかった。ただその場で姿勢を正し、「申し訳ありませんでした」と土下座するだけだった。

 ブルジョワは相手にすらしなかった。彼らにとってはそれが常識であり、わざわざそれを指さして笑ったりするほど刺激的な光景では無いのだ。


「いつになったら学習するんだ! 俺の頼んだ酒を持ってこいって言ってるだろうが!」


 そして誰も助けようとはしなかった。丸めた背中に酒をぶちまける者はいたが、声をかける者はいなかった。小遣い稼ぎに駆り出された平民階級の子供に、手心を加える必要は皆無だからだ。

 彼らの親が創作活動に励んでいる間、その子供達はこうして日々の生活費を得る。才能の無い落ちこぼれの家の、これが日常なのである。


「申し訳ありません。本当に申し訳ありません」


 子供達もそれを疑問に思わなかった。苦しいとは感じていたが、それでも「苦しんでいるのは親も同じだ」と思って堪え忍んでいた。幼少の頃から、自分の両親から直接そう教えられてきたからである。親の成功の為に人柱となる。それが子供の仕事なのだ。

 だから自分は正しい事をしているのだ。自分は正しいのだ。彼らは自らの謝罪をそう正当化していた。


「申し訳……」

「ちょっといいかな」


 その時、謝っていた子供の一人に、一人の大人が声をかけてきた。子供が言葉を切って頭を上げると、そこには一人の男が立っていた。

 口元に髭をたくわえた、堂々たる出で立ちの男だった。その男は自分と同じく簡素なスーツ姿であり、手には空になったワイングラスを持っていた。


「大丈夫かね? ちょっと君に頼みたい事があるんだが」


 その男はそう言って、手をさしのべた。その子供は困惑した。自分を助けようとしてくるブルジョワに会ったのは生まれて初めてだからだ。


「遠慮する事はない。さあ立つんだ」


 男が自分の手を掴むよう催促する。その子供、白い髪と緑の瞳を持った少年は、恐る恐るその男の手を掴んだ。

 男はその手をしっかりと握り、勢いよく引き上げた。少年は突然の事に驚きつつ、それでも何とか自分の足で立ち上がった。


「怪我は?」


 男は言葉少なに問いかける。少年は反射的に、首を横に振った。

 近くにいた金持ちは皆唖然としていた。負け組のガキに情けをかける馬鹿の神経が理解できなかったのだ。


「そうか。それは良かった。無事で何よりだ」


 しかしその男は周りの視線を気にすることなく、その少年に問いかけた。ついぞ聞いたことのない、優しい声だった。

 それから男は盆を拾い上げた少年に向かって、自分の持っていたグラスを差し出した。


「君に頼みたい事があってね。お酒を持ってきて欲しいんだ。種類は何でもいい。そうだな、君のおすすめをもらおうか」


 少年は驚きに目を剥いた。この場所で、ここまで自分の好きなようにさせてくれる人に出会ったのは、これが初めてだからだ。

 一方で男も困惑した顔を見せていた。それから彼は少年の瞳を覗き込みながら、再確認するように少年に言った。


「大丈夫かな? 無理そうなら、他の子に頼むが」

「い、いえ、平気です。持ってきます。でも」


 そこまで言って、少年が視線を逸らす。何事かと男が訝しむと、その直後、不意に広間の奥から一人の人間が姿を見せた。


「ご来場の皆様、お待たせいたしました。品評会の開演でございます。順番に、一列になって、こちらまでお越しください」


 その男はそう言って、恭しく頭を下げた。広間にいたブルジョワはそれを聞くと、それまでの雑談を中断し、次々と目的の部屋へ向かっていった。

 まるで潮が引いていくかのような素早さであった。声をかけた案内役の男も、それに紛れてどこかへ消えてしまった。そうして広間に残されたのは、役目を終えた子供達と、件の髭面の男だけだった。


「あの、行かなくていいんですか?」


 助けられた少年が男に問いかける。彼が言葉を詰まらせたのは、もうすぐ品評会が始まることを知っていたからである。


「もうコンクールは始まるんですけど。見に行かなくてもいいんですか?」


 少年が問いかける。他の子供達も恐る恐ると言った感じで男を見つめる。

 男は澄まし顔でそれに答えた。


「私はいいんだよ。ここでちょっと人を待ってるからね。それより、お酒を持ってきてもらってもいいかな?」


 男がやんわり催促する。少年はすぐに背筋を伸ばし、一目散に駆け出していった。その後ろ姿を見送った後、男は続けて周りにいた子供達に言った。


「それから君達、ちょっとここから離れた方がいいよ。これから向こうで激しい事が始まるからね」


 子供達は最初、彼が何を言っているのかわからなかった。しかし男は大真面目な顔で言ってのけたので、彼らは己の生存本能に従って広間の隅へと動いていった。

 誰も彼らを咎める者はいなかった。落ちこぼれに時間を割いてやるほど、ブルジョワは暇ではないのだ。


「こっちの準備は出来た。いつでも始めていいぞ。ああ、もちろんだ」


 だから子供達が逃げるように部屋の隅に向かい、男が耳に指を当てて何やら独り言を呟いていたとしても、それに注意を払う者はいなかった。しかしただ一人、男に言われて酒を持ってきた件の少年だけは、その男が何をしているのか疑問に思った。


「あの、お酒持ってきましたけど」


 そう言って盆の上に載せられたグラスを差し出す少年の目は、男の耳元に寄せられていた。男もその視線に気づき、耳から指を離しつつ彼に言った。


「これか? ただの仕事さ」


 グラスを受け取り、男が答える。少年はなおも不思議そうに男を見ていたが、男は気にすることなくグラスの中の酒を軽く呷った。


「いい酒だ」


 そして男は嬉しげに、にんまりと笑った。自分の選んだ酒を喜んでくれた。少年も自然と笑みを浮かべた。

 その少年に男が視線を寄越す。少年は思わず背筋を伸ばし、表情を引き締める。男は堅くなった少年を見ながら、グラスを軽く掲げ、陽気な声で言った。


「人生に乾杯」


 次の瞬間、奥の部屋から爆発音が響いた。爆発は連続して轟き、出入口から粉塵と煙が吹き出し、広間に充満していった。

 子供達は咄嗟に顔を手で覆った。男に酒を持ってきた少年は、持っていた盆で顔をガードした。男はグラスを持ったまま、平然とその場に立っていた。


「少し爆薬多すぎるんじゃないか?」

「うるさいジョージ。外野は黙ってろ」


 そして粉塵と煙の入り交じった暴風が吹き荒れる中、男は酒をもう一口味わいながら、ケラケラと笑って言った。それに答えるように、耳に填め込まれていた通信機から憎まれ口が返ってきたが、男はそれでも笑いを止めなかった。


「しかしまあ、派手な奴は嫌いじゃないな」

「そう思ってんなら黙ってろ。俺は俺のやり方でやらせてもらうからな」

「フリード。お前はもう少し、スマートさを覚えた方がいいぞ」

「うるせえ」


 やがて嵐が収まっていく。その間もジョージは独り言を呟き、それに答えるように耳に填められた機械から声が返ってくる。

 そして爆風が一段落する頃には、ジョージのグラスは既に空になっていた。それに気づいたジョージは、すぐに横に立っていた少年にそのグラスを差し出した。


「すまないが、もう一杯もらえないか? 今日は酔いたい気分なんだ」


 少年は聞きたい事が山程あったが、ひとまずはそれに従うことにした。

 自分の役割を忘れない、良い従者であった。

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