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アート

 物品調達が仕事をしない時のユリウスの主な仕事である。彼はそれこそ歯ブラシから大陸間弾道ミサイルまで、「ワイズマン」が欲したあらゆる物を持ってくる事のであった。

 そして今日彼が頼まれたのは、赤い絵の具を持ってくることであった。


「赤色ですか? もちろん用意してありますよ! 家庭用から高級品まで何でも取り揃えております!」


 美と芸術の街ゼミュー。ここはこの戦乱の世にあって、唯一戦火とは無縁の場所であった。なぜならここで生み出された芸術品を各国に供出し、その見返りとしてこの街の独立と不可侵条約を締結しているからである。更には貴族や独立勢力にも積極的に取り入り、同様の手段でもって彼らの庇護を受けているのである。

 故にここにはあらゆる種類の芸術家とそれに類する者達が集まり、彼らの生み出す芸術品が金や命よりも尊いものとして扱われていた。また彼らに追従するように、彼らの欲する物品を提供する者達も一同にこの街に集まっていた。ユリウスが厄介になっていた店もその類である。

 そして芸術品を生み出せない者は永住権を失い、暴力と絶望の渦巻く荒野へ放り出されるのだ。


「何にしましょう? もちろんお取り寄せも出来ますよ? 私共に申しつけてくだされば何でも用意致します」


 その絵の具を取り扱う店の店主は、ユリウスに対してそうにこやかに言った。カウンター越しに応対していた店主のそれは、媚びや嫌味の無い快活な笑みだった。

 それを見て気分を良くしたユリウスは、自分も自然な笑みを浮かべて彼に言った。


「雨風で剥げない絵の具が欲しいんだ。素材にべったり貼り付く絵の具だ。それをバケツ五杯分欲しい」

「水に溶けず、風にも強い絵の具でございますか」

「そうだ。あるか?」

「もちろんございます。ですがやはり、それなりに値が張る代物でございますね」


 店主はそう答え、おもむろにポケットから羽ペンとメモ帳を取り出した。彼はそれらを使って何かを書き始め、数秒してからそのメモをユリウスに差し出した。


「バケツ五杯となると、これくらいになりますね」


 そこにはユリウスが要求した絵の具の値段が記されていた。1の後に0が十個ほど並んでいる。庶民にはどうあがいても手の届かない額だった。


「こんなにするのか?」

「最高級品をそれだけ用意するのであれば、そうなります」


 もちろん安くする事も出来ます。店主はすぐにフォローを入れた。しかしユリウスの頭にその言葉は入って来なかった。代わりに彼の頭の中では、たった今提示された値段がぐるぐると泳ぎ回っていた。

 払えないから困惑しているのではない。たかが絵の具にこれだけの値段がつくのかと、軽く混乱しているのである。


「これくらいの物であれば、このぐらいのお値段になります。いかがでしょうか?」


 そんなユリウスに店主が新しい紙片を差し出す。夢見心地でそれを聞いていたユリウスはすぐ我に返り、慌ててそれを受け取った。

 それまでの店主の話は全く頭に入っていなかった。


「それで、いかがしましょうか? お安い方をお求めになりますか?」

「いや、いい。最初に出された奴を買おう。高級な奴だ」


 ユリウスは反射的に口を開いた。今度は店主が驚く番だった。彼もまさかこれだけ高い代物が買われるとは思わなかったのだろう。目を口を開けて暫し呆然としていた。


「あ、はい、わかりました。お高い方でよろしいのですね?」

「ああ、頼む」

「ところでお金の方は大丈夫でしょうか? こちらは全て前払いとなっているのですが」

「それは心配いらん。大丈夫だ」


 店主の懸念にユリウスが答える。それでも店主は疑いの晴れない目でユリウスを見つめた。この時ユリウスは丸腰で店の中に来ていたのだ。


「まあ待ってろって。今持ってくるから」


 そんな店主に笑いかけてから、ユリウスがおもむろにドアを開けて店の外に出て行く。それから数十秒後、両手にトランクを持ちながらユリウスが再び姿を現した。


「これでどうだ?」


 カウンターにトランクを置きながらユリウスが問いかける。そのまま彼がトランクを開けると、中には札束がぎっしり積まれていた。

 店主があんぐりと口を開ける。それを見て勝ち誇ったようにユリウスが言った。


「釣りはいらんぞ」





 買い物はつつがなく完了した。店主は金を受け取り、ユリウスは大量の赤絵の具を手に入れた。ユリウスは購入した特注赤絵の具を全て台車に載せ、上機嫌でそれを引きながら通りを歩いた。なおここでは彼以外にも多くの人間が歩いていたが、ユリウスに注意を払う人間はいなかった。この街の住人は、基本的に芸術以外に関心を払う事は無いのだ。

 一方でユリウスも、そんな彼らに意識を向けることは無かった。代わりに「ホムソーンで仕入れた宝石が大いに役に立った」と、大いに上機嫌だった。その代わりホムソーンの取り分が殆ど無くなったが、構うことはない。

 新しく金が欲しくなったら奪えばいいのだ。ユリウスは平然とそんな事を考えていた。そして人の波をかい潜るようにして、台車を街の外へと運んで行こうとした。


「なああんた、これ何に使うんだ?」


 直後、不意に横から声が飛んできた。ユリウスは驚いて立ち止まり、声のする方に顔を向ける。

 そこには一人の少年が立っていた。子供用のスーツをしっかり着こなした、あどけない顔立ちの少年だった。


「なあなあ、こんなに沢山どうしたんだよ? それ絵の具だろ? なあ?」


 栗色のショートヘアを揺らしながら、少年がユリウスに詰め寄る。その目は好奇に輝き、意識は完全にユリウスに向けられていた。身なりは大人びていたが、その顔は玩具を前にした子供のそれだった。

 ユリウスは渋い表情を浮かべた。迷惑がっている事を隠しもしなかった。しかし少年はしつこく問いかけてきた。


「頼むよ。教えてくれよ。ちょっとくらいいいだろ? なあなあ?」

「……」


 本当にしつこかった。少年はユリウスにべったり張り付き、執拗に問いかけてきた。まったく躾がなってない。こいつは一体どこの家の餓鬼なんだ?

 一瞬、ユリウスはこの少年を蹴飛ばしてやろうかとも考えた。しかしこの場所でそんな事をすればたちまち大事になるのは目に見えていたので、結局無視する事にした。

 ユリウスは無言で台車を引き始めた。


「なんだよー! 教えてくれたっていいだろー!」


 すぐに少年の不満声が飛んでくる。ユリウスは無視した。台車が重く、倒すわけにもいかないので、どうしても進行はゆっくりとしたものになる。ユリウスは一目散に走れないのをもどかしく感じた。


「ケチ! 狭量人め! バーカ!」


 少年の罵声は続く。ユリウスは無視した。耳栓が欲しかったが我慢した。

 そのユリウスの背中に向かって、少年が三度声を上げる。


「俺知ってるんだぞ! お前”賢者”なんだろ!」


 ユリウスが思わず足を止める。

 そしてすぐに、それが下策だと悟る。素知らぬ体で歩き続けるべきだった。


「へへ、やっぱり図星か」


 しかし手遅れだった。勝ちを確信した少年が彼の元に走り寄る。


「なあ、それ次の計画に使うんだろ?」


 少年がユリウスに話しかける。

 その目は好奇に輝いていた。


「実は俺も、ここで一働きしようとしてた所なんだ。どうだ? 一緒にやらないか?」


 ユリウスは返答に詰まった。苦い表情を浮かべ、少年を見つめ返した。

 少年はまるで友達を遊びに誘うかのように、屈託のない笑みを浮かべていた。

 

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