カース
弱肉強食の世界の中で弱者が生き延びていくのは容易ではない。少しでも気を抜こうものなら、いとも容易く強者にすり潰されてしまう。力こそ全ての世界の中に、慈悲は存在しないのだ。
そうならないためには、何よりもまず強くなる必要がある。泥を啜り、血反吐を吐きながら、同じ階層にいる他人を踏み台にして上のランクに這い上がるのだ。
しかしそのような「正道」は、往々にして長く厳しい道程である。その道に挑戦した者の大半は志半ばで倒れ、新たな強者となれるのはほんの一握りでしかない。恩恵は高いが、それ以上にリスクが高かったのだ。誰だって死にたくはない。
だから力の無い者達は、比較的楽に力を手に入れる方法を探し始めた。そして幸か不幸か、彼らはそれを見つけだした。
虎の威を借りる事である。
「偽物?」
黒フクロウから帰ってきたジョージの話を聞いたユリウスは、怪訝な顔を浮かべた。同じ部屋にいた他の面々も同様だった。彼らは自分達が襲った村が呪われていた事よりも、自分達の偽物が出現した事の方に注目していた。
もう過ぎた事よりも、今起きていることに注目する。そちらの方がずっと有益だからだ。
「俺達と同じ格好して、同じ事してるっていうのか?」
「そうだ」
ユリウスの問いにジョージが答える。彼の返答を聞いた面々は揃って沈黙した。誰もが「そんな事してる奴がいるのか」と驚きの表情を見せていた。
「でも、どうしてそんな事を? 何かメリットがあるのですか?」
その内エリーが声を上げる。ヨシムネが札束を数えながらそれに答えた。
「簡単よ。自分らより強い奴になりきって威張り散らせるからよ。相手がそいつらの名前を知ってたら、脅迫も通りやすいからね」
「なるほど。楽して強くなれるって事ですね」
「外見だけだけどな」
納得して頷くエリーにイヴァンが言い返す。エリーはすぐにイヴァンの方を向き、そしてイヴァンは彼女の顔を見ながら口を開いた。
「奴らは俺達の名前を借りてるだけだ。技術だの装備だのまで模倣してる訳じゃない。貧弱な素人相手ならまだ話も通るだろうが、だからと言って調子に乗ってると、いずれボロが出る」
「そう旨い話では無いということですね」
ロンソが腕を組み、うんうんと頷いて言った。エリーもイヴァンとロンソの言葉を聞き、感慨深く「なるほど」と呟いた。
そのやりとりを横目で見た後、ユリウスはジョージに視線を向けて話しかけた。
「で、どうするんだよ。そいつらのこと放っておくのか?」
「潰す」
ジョージは澱みなく答えた。全員の視線が一斉にジョージに集まる。
ヨシムネが彼に声をかける。
「やるのね?」
「ああ」
ジョージは短く言った。その声に迷いは無かった。彼はそのまま周囲を見回し、力を入れて声を放った。
「偽物連中の情報を集める。何でもいい。俺達に関する情報を片っ端から集めるんだ。俺達の名前を無断で使う屑共を炙り出すんだ」
次の瞬間、全員が立ち上がる。その目は使命に燃え、同時に怒りに燃えていた。
ワイズマン全員が一つに団結した瞬間だった。
同じ頃、ホムソーンと呼ばれる村に馬の群が辿り着いた。その馬は全部で四頭であり、その全てに人間が乗っていた。
彼らは全員、動物を模したマスクを被っていた。
「うん?」
「なんだ?」
外に出ていた村人は、その存在を見ても何とも思わなかった。馬に乗る面々が腰に剣を差し、背中に槍を携えていても、誰も警戒しなかった。
ただ全員、不思議そうにその沸いて出てきた「余所者」を注視していた。
「鉱山はどこだ」
その余所者の一人が馬から降り、そんな事を言いながら村人に近づいていく。村人は何の疑いも持たずに、奥にある山を指さして言った。
「あちらでございます。あそこから宝石の原石が穫れるのでございます」
「案内してもらおうか」
「わかりました。着いてきてください」
村人が答える。最初に降りた男はそれに頷いた。そして残りの面々も馬から降り、その村人についていく。
しかし途中まで進んだところで、余所者の一人が唐突に剣を抜いた。
「動くな!」
そして前を行く村人をひっ掴み、首筋に剣を押し当てながら声高に叫んだ。
「俺達はワイズマンだ! こいつの命が惜しかったら命令に従え! 今すぐにだ!」
残りの余所者も一斉に武器を構える。外にいた他の村人は突然の出来事に呆然とし、咄嗟に動くことが出来ずにいた。
「この中で一番でかい建物に入れ! 全員だ! 早くしろ!」
そんな彼らを動かしたのは、自称「ワイズマン」の一人が放った怒声だった。村人達は尻に火がついたように慌てだし、言われてもないのに村長の家の中に駆け込んでいった。
「ちょろいもんだぜ」
「あの連中、やっぱり影響力強いんだな。あいつらにして正解だった」
その混乱の有様を眺めながら、ワイズマンの何人かが小声で言葉を交わす。そのやり取りは当然村人には聞こえなかった。
その一方で、村人たちの動きは非常にスムーズだった。彼らは命令されるや否や、嫌な顔一つせずに村長の家に向かっていった。まるでそうする事が義務であるかのような、自発的な行動であった。
何かがおかしい。そう疑問に思う人間はいなかった。自称ワイズマンの連中は、楽して金儲けが出来る事にすっかり浮かれていた。
村人を縄で縛る事すらしなかった。
「さあ、鉱山を案内しろ! すぐにだ!」
「さっさとしろ! 死にたいのか!」
そんな浮かれ気分のまま、彼らは貪欲に宝石を求めた。そして彼らは家の中にいる村人から無作為に一人選び、その人間に案内を強制した。
村人の一人は言われるがまま、彼らを鉱山の奥へと案内した。剣で小突かれながらの命令であったからか、その村人は非常に従順であった。
この時、強盗団はその全員が鉱山に向かっていた。村長の家に留まって見張りをしようとする者は一人もいなかった。
しかし幸運な事に、村人は一人も逃げだそうとしなかった。大量の原石を袋に詰めて村長の家まで戻ってきた強盗団は、村人の数が全く減ってない事に対して何の疑問も抱かなかった。
「助けて! 誰か助けて!」
村人の中から声が上がったのは、その直後だった。強盗団が声のする方を見ると、そこには一人の女性が座り込んでいた。
女性の腹は大きく膨らんでいた。
「お願いします。赤ちゃんが産まれそうなんです。どうか助けてください!」
妊婦が懇願する。強盗団はそれにすぐ答えた。
「駄目だ。どうせ適当なこと言って、ここから逃げるんだろう?」
「そんな事はしません。ここでもちゃんと産むことは出来ます。だからどうか、産ませてください。お願いします」
妊婦は座り込みながら、ひたすら頭を下げた。しかしこの強盗団は、弱虫に自分達のペースを乱されるのが何より嫌いだった。
狭量な連中だったのだ。
「ふざけんな! なんで俺達がお前の面倒見なきゃいけないんだ! それ以上無駄口叩いたら容赦しねえぞ!」
「お願いします! 別の部屋に行かせてください! ここでは安全に赤ちゃんを産めないんです!」
「うるせえ!」
強盗団の沸点は低かった。強くなったと自惚れていた彼らは、本能のままに行動した。
「俺達に楯突いたらどうなるか教えてやる。見せしめだ」
男の一人が妊婦に近づく。そして彼女の前に立ち、背中の斧を両手で構える。
「ロクに力も持ってないくせに、一丁前に俺達に刃向かうんじゃねえ。ムカつくんだよ!」
妊婦が怯えた表情を見せる。
その妊婦の顔面目掛け、男が斧を振り下ろす。
頭蓋が砕ける。血と肉が飛び散って辺りを汚す。
「へ、へへ、やったぜ。やってやったぜ」
頭を失った妊婦が力なく崩れ落ちる。斧を持った男はそれを見ながら凄絶な笑みを浮かべる。
後ろにいた彼の仲間も同じ笑みを見せていた。誰もが血と己の力に酔いしれていた。
「俺達に逆らうからこうなるんだ」
「馬鹿共が。死にたくなかったら静かにしてるんだな!」
そこまで言ってから、強盗団が周囲に意識を向ける。そして絶句する。
妊婦の周りにいた村人達は微動だにしていなかった。顔や服に血と肉が貼り付いた状態のまま、じっとこちらを見つめていた。そして返り血を受けなかった他の村人達もまた、蝋人形のように冷たい顔で強盗団を見つめていた。
生気の抜け落ちた顔は白く染まり、目だけが赤く輝いていた。
「お前達は選ばれなかった」
その村人の一人が口を開く。
それを皮切りに他の村人が立ち上がる。
その村人が強盗団を指さす。
「お前達は選ばれなかった」
村人が続々と立ち上がる。
全員が赤く光る目で強盗団を見つめ、、狂ったように同じ文言を繰り返す。
「お前達は選ばれなかった」
「お前達は選ばれなかった」
「お前達は選ばれなかった」
単調な言葉の群れが呪詛の輪唱となり、強盗団の脳を等しく揺さぶる。それを前にして、男達はそれまで被っていた虎の皮をあっさりと脱ぎ捨てた。
「な、なんだよ。やめろよ」
「ふざけんじゃねえよ。何のつもりだよ」
言葉は強がっていたが、心は既に折れかかっていた。彼らは怯え竦み、村人の言葉に縛られるかのようにその場に立ち尽くした。
「やめろ! やめろ!」
一人が半狂乱になる。耳を塞いで頭を振り乱す。しかし声は脳髄を揺らし続ける。
声が響く。足下の床が崩れる。
足下から手が伸びる。
手が足を掴む。
「お前達は選ばれなかった」
下から妊婦の声。
次の瞬間、男達の絶叫がこだました。
「おたくらの偽物が死んだようだぜ」
その数日後、ジョージは黒フクロウの「生き字引」からその情報を受け取った。代価はウィスキーをショットグラスで二杯。何とも安上がりな代物だった。
「本当か」
「ああ。あんた達と同じようにホムソーンに行って、そこで宝石をかっぱらおうとしたらしい。どうやら連中、外見だけじゃなく手口まであんたらを真似しようとしたらしい」
「向上心の無い奴らだ」
ジョージがばっさりと切り捨てる。ボロを纏ったその男もジョージに賛同し、「あいつらはド三流のチンピラさ」と吐き捨てた。
「で、宝石を盗むまでは良かった。でもその後、村から嫌われた。それで皆殺された」
「呪われたってことか」
「そういうことだ」
「何が起きたのかはわからないのか?」
「そこまでは知らん。ただ俺が聞いたのは、ホムソーンの広場のど真ん中にあいつらの死体が転がってたって事だけだ。物凄い怖い思いをしたのかってくらい、顔を恐怖に歪めた状態でな」
男はそこまで言って、再びウィスキーを飲んだ。彼はジョージの飲まない分を拝借していたのだ。
ジョージは彼のなすがままに任せていた。今の彼は酒を奪われた事よりも、勝手に標的が死んでくれた事への怒りと無力感に囚われていた。出来ることなら自分達でけじめをつけたかったのだが。
「俺が思うに、あれは呪い殺されたんだ。間違いない。じゃなきゃ、あんな酷い死に様はねえよ。直接見た訳じゃねえけどな」
男は伝聞の上から自身の憶測を被せていた。信憑性も何もあったものでは無かったが、ジョージは気にせず男に問いかけた。
「村から嫌われたって事か」
「ああ。だから言ったろう、あそこはヤバい場所なんだって」
あんたらも気をつけなよ。男はそう言って席を立った。この時男はジョージの頼んだウィスキーの瓶をさりげなく持って行ったが、ジョージは気にしなかった。
眉唾な部分があるとは言え、酒瓶一本で今一番欲しかった情報が買えたのだ。大収穫と言うべきだ。
それでも反省すべき部分は山程あるが。特にこれからは、もっと情報に詳しい者を用意すべきだ。悩みの種がまた一つ増えた。
「親父、ウィスキーもう一本くれ」
しかし自分の酒を持って行かれたのはさすがにムカついたので、ジョージは仕方なく新しいウィスキーを頼むことにした。
色々な意味で、今は飲みたい気分だった。




