プラン
オルリー・ルド・ラーシュの葬儀は盛大に行われた。通りを大量の馬車と随伴兵が闊歩し、それを道の両端に並んだ大勢の民衆が見つめていく。ここに集まった民衆の多くは女王の死を嘆き悲しみ、地べたに座り込んで大声で泣き崩れる者までいた。
「おお……」
「王女様……王女様……」
誰もが若き女王の死を悲しんでいた。それだけオルリーは街に愛されていたのだ。
代々メルヘムを統治した王族は、街の外れにある「骨拾いの丘」で燃やされる決まりになっている。そこは大きく切り立った崖のような場所であり、王墓もその丘の一角に存在していた。
骨拾いの丘、そして王墓はメルヘムに近く、街の全てを見下ろせる場所にあった。ここに王の墓所が建てられたのは、メルヘムの王が死して後も己の国を見守ってくれるよう願ってのことである。
そして今まさに、この天に近い場所で、女王オルリーの火葬が行われようとしていた。
「カレドゥよ。聖なる炎よ。我らが王の躯を清めたまえ。その魂を天へと導きたまえ」
王墓を管理する燃やし手が「祝福の文言」を述べ、静かに鐘を鳴らす。同時に反対側の手に火球を生み出し、オルリーの遺体が眠る棺に向けてそれを放つ。
天の火球、カレドゥが棺と接触する。次の瞬間、棺は真っ赤な炎に包まれ、棺とその中の遺体を等しく燃やしていく。
炎と煙が空へと昇り、王の魂を天へと連れて行く。その火煙の軌跡は、街の中からも見ることが出来た。
「女王様……」
「どうか、安らかに……」
ここに集まっていたのは、女王の下でメルヘムを動かしている文官と武官、そしてオルリーの親類縁者の面々だった。国の中枢とも言うべき彼らは、街の民衆と同じように悲しみに暮れていた。年老いて引退した彼女の両親と、まだ物心のついたばかりで政界とは無縁の妹に至っては、燃え盛る棺を前に泣き崩れてしまっていた。
泣かない者はいなかった。この場の全員がオルリーを愛していた。
「本当に、惜しい方を亡くしてしまった」
シャグル・モメントームもその輪の中に加わっていた。彼もまた目に涙を溜め、口元をハンカチで隠していた。
そして彼の両隣には同僚の文官がいた。彼らもまたシャグルと同じように嘆き悲しんでいた。
「これからこの国はどうすれば良いのだ」
「オルリー様の妹君にいたっては、今年でようやく六つになったばかり。主君となるにはいささか幼すぎる。それに隣国との折衝も難しくなってきている。今が一番大事な局面だというのに」
メルヘムが近隣の国々と上手く渡り合えていたのは、ひとえにオルリーの手腕による物が大きかった。彼女のしたたかな外交能力は非常に高く、オルリーはまさに対外政策方面の大黒柱であったのだ。
「我々がヒザンやフス・トゥー、ヌシレンカの暴れ者共をやり過ごせてきたのも、まさにオルリー様のお力によるもの。今奴らにこのことを知られたら、最悪メルヘムに攻め込まれてしまうかもしれぬ」
「あの恥知らず共のことだ。その可能性は充分ありえるぞ。本当に困ったことになった……」
そんなメルヘムの「切り札」が、唐突に死亡してしまった。何の前触れも無く、後継者すら選んでいない内に。
これによって生じた穴は非常に大きかった。たゆまぬ外交努力によって平和を維持していたメルヘムは、まさに試練の時を迎えようとしていた。
「しかし、いつまでも悲しんではいられますまい。時は待ってはくれないのですぞ」
しかし誰もが悲しみに浸る中で、シャグルが声を上げる。彼の周りで声を押し殺して泣いていた者達はそれに反応し、涙を拭きながら彼の顔を見つめた。
そんな彼らに向けて、シャグルは静かに言葉を放った。
「あなた方の仰る通り、今メルヘムは最も厳しい局面に置かれております。オルリー様が逝去なされ、そして周囲の野蛮な国々は今もなお牙を研いでいる。奴らがオルリー様の死を知れば、まさに好機と考えるでしょう」
メルヘムの周りには三つの都市国家があり、そのどれもが己の版図拡大に躍起になっていた。そしてその三者全てが、四国の中で最も武力の低いメルヘムを最初の標的に定めていた。オルリーはそんな彼らの毒牙から、小国メルヘムを必死に守ってきていたのである。
そのオルリーが死んだ。防波堤の最も重要な部分がごっそり抜け落ちたのだ。
「我々はこの穴を塞がなければなりません。不可能だとしても、やらなければならないのです。何故なら、もしこれが出来なければ、メルヘムは蛮族共によって蹂躙され、隷属を強制されてしまうからです」
メルヘムの防衛戦力は他の三国の軍事力に比べて遙かに小規模であった。彼らの攻撃を正面から受けては、ひとたまりもない。
それはシャグルのみならず、ここにいた全員が理解していたことであった。だからこそ彼らは、シャグルの言葉に真剣に耳を傾けていた。
「彼らの攻撃をかわすためには、これまで通り対話を用いていくしかありません。戦争に突入すれば、我らの負けは明白だからです。それに今から軍備を蓄えようとすれば、周りはそれを侵略戦争の準備であると決めつけ、一方的に攻撃を仕掛けてくるでしょう。それ故に我々は今までと同様に、会話による折衝を続けていく他にないのです」
力を持った瞬間、叩き潰される。小国の悲しき性である。シャグルの言葉は段々と力強さを増していった。
「行動せねば。オルリー様の死を悲しむだけではなく、そのご遺志を継がねば。我々はメルヘムの上に立つ者として、メルヘムに光をもたらすという責任を背負っているのです。それを投げ捨てるようなことがあってはならない!」
シャグルの言葉は、やがて棺を燃やす炎に負けないほどに力をつけていった。周りの面々も既に涙を止め、その彼の言葉から勇気と覚悟を得ていった。
「立ち上がるのです! この死を受け入れ、乗り越え、メルヘムをより良い未来へ導くのです! 決してオルリー様の顔に泥を塗るような真似をしてはならない! メルヘムを土に還してはならないのです!」
シャグルが腕を振り上げる。周囲の面々は完全に立ち直り、「そうだ! そうだ!」と彼に同調していった。オルリーの両親と幼い妹、普段は厳格な燃やし手さえも、彼の言葉に感銘を受け、惜しみない拍手を送っていた。
そして周囲から賞賛を浴びる中で、シャグルは見るからに心地よさそうな笑みを浮かべた。
オルリー王の葬儀は参列者達に悲しみと、それ以上に強い結束をもたらした。そしてその結束をもたらした当事者であるシャグルは、参列者の中で最も満足した表情を浮かべていた。
「これだ。これでいい」
骨拾いの丘からメルヘムの自邸へ向かう馬車の中、シャグルは一人笑みを浮かべていた。その笑みは丘で見せた物に比べ、遙かに邪悪に歪んでいた。
外は既に夜の帳が降りていた。窓から射す月の光が、彼の笑みをより悪どく演出していた。
「これで王はいなくなった。次に玉座に座るのは統治を知らない幼君。手籠めにするのは容易い」
何も今すぐ王になる必要はない。全てはタイミングの問題だ。まずはしっかり、自分の足場を固めていけば良い。
外の御者にこの声は聞こえていなかった。
「まずはこれから。これから一歩ずつ、慎重に進めていけば良い」
シャグルはこの時舞い上がっていた。全てが自分の計画通りに進んでいると思っていた。そして満足げな気持ちのまま、彼は馬車を降り、門をくぐった。
彼の屋敷は外見は質素だが、規模はそれなりに大きかった。門と屋敷の玄関ドアの間には中庭があり、シャグルは悠々とした足取りでそこを通っていった。
石畳の上を進み、やがて玄関へたどり着く。取っ手を掴み、ドアを押し開ける。
「お帰りなさいませ。旦那様」
屋敷に一歩入ると、そこには一人の女性が立っていた。白と黒のエプロンドレスを身につけた、専属のメイドである。彼女は深々と頭を下げ、主人の帰宅に応えた。
いつもの光景だ。シャグルは頭を下げたままのメイドに「ああ、ただいま」と返した。こうして自邸に帰ってきたシャグルは、この後メイドに自分の荷物を任せ、食事の準備が出来るまで自室に引っ込むのが日常となっていた。
いつも通りの光景がそこに広がっていた。
「お荷物はこちらでお預かりします。いつもの通り、お食事の準備が出来次第、声をおかけしますので、しばらくお待ちくださいませ」
だから彼は、メイドの顔をよく見ようとしなかった。それの存在を注意深く意識しようともしなかった。シャグルはメイドの足下に荷物を置き、「じゃあ頼んだぞ」と言いながら彼女の横を通り過ぎた。
「それはそうと、先の演説。中々様になっておりましたよ」
その時、不意にメイドが声をかける。彼女の後ろに立っていたシャグルは、思わず足を止めた。
「なんだと?」
「さすがはシャグル様。演説の実力はかなりのものでございますのね」
シャグルが肩越しにメイドを見据え、メイドが頭を上げる。シャグルはここに来て、ある違和感に気づく。
いつものメイドと声が違う。しかしどこかで聞いた声だ。
「政務の方も、それだけ必死に行ってくだされば良かったですのに。本当に残念でございます」
「お前、誰だ? 何者だ?」
困惑と恐怖を胸に抱き、シャグルが額から汗を垂らす。そのシャグルに向かって、メイドがゆっくりと振り返る。
メイドとシャグルが相対する。直後、シャグルが絶句する。
「お前、そんな!」
「お久しぶりでございます。シャグル・モメントーム」
オルリー・ルド・ラーシュ。
死んだはずのメルヘムの女王が、自分の目の前に立っていた。
「な、なんで、お前は確かに……!」
あんぐりと口を開け、シャグルがその場にへたり込む。後ろに下がろうとするも足に力が入らず。その場でばたばたと醜く足を動かす。
オルリーは冷めた目でそれを見下ろしていた。シャグルは何か言おうとしたが、結局は何も思いつかずにただ口をぱくぱく動かすだけだった。
「申し開きは結構。私は全て知っていますので」
銀髪の若き王女が、冷たく言い放つ。シャグルの動きが止まる。
目を泳がせながらシャグルが問いかける。
「と、申されますと?」
「あなたが私を殺そうとした事をです」
「何を馬鹿な。私が王女様を殺す? そんな事、する訳が無いでしょう?」
「実行犯から事の顛末を全てを聞いております。逃げても無駄です」
見苦しく言い逃れするシャグルの前で、オルリーが指を鳴らす。次の瞬間、物陰からマスクを被った人間が姿を現した。
シャグルはまたしても絶句した。
「う、嘘だ……」
賢者達。そこにいたのは、自分がオルリーの暗殺を依頼した連中だった。
オルリーが手を挙げる。マスクを被った一人が拳銃をシャグルに突きつける。
「ま、待ってくれ! これには、これには深い訳が!」
「言い訳は無用ですシャグル。王族殺しの責、死をもって償ってもらいます」
「違う、違うのです。王女様、私は決して王族殺しを頼んだのでは無いのです。ただ、排斥を望んだだけで」
「くどい。お前はただ、計画通りに死ねばいいのだ」
オルリーの冷徹な言葉が静かに響きわたる。シャグルが唖然とした表情でオルリーを見上げる。
「計画?」
「簡単な計画だ。私が餌で、お前が魚。まさかお前程の地位の人間が釣れるとは思わなかったが」
オルリーが自虐気味に笑う。シャグルの顔から血の気が引いていく。
「まさか、まさか最初からお前らグルで……!」
シャグルの最期の叫びは、途中から銃声によってかき消された。




