プリンセスキル
ワイズマンがその依頼を請けたのは、それを実行する三日前のことだった。依頼人である壮年の男は、テーブルを挟んでマスクを被ったジョージ達と対面していた。
「今回あなた方に消していただきたいのは、この者です」
依頼にはそう言って、一枚の紙をテーブルに置いた。そこには年端も行かない少女の顔が描かれていた。
「メルヘムの現女王。オルリー・ルド・ラーシュ様でございます」
男は少女の似顔絵を見ながらそう言った。ジョージ達も同様にその人相書きに注目していた。
その内、ジョージが顔を上げて依頼人に問いかけた。
「一国の女王を殺せと仰るのですか?」
この時ジョージは、ライオンの顔を象ったマスクを被っていた。その声もマスクに仕込まれていた変声機によって、歪んで加工されていた。
そんな獅子頭の男からの問いかけに対し、依頼人の男は険しい顔つきでそれに答えた。
「そうです。この少女を亡き者にしてほしいのです」
男の額には汗が浮かんでいた。よく見ると体も僅かに震えていた。それが躊躇いから来るものなのか、それとも彼が今いるこの洞窟の蒸し暑い環境に慣れていないからなのか、それは誰にもわからなかった。
「報酬は支払います。用意できる額ならば、喜んでお支払いしましょう。どうか私に、あなた方のお力を貸していただきたいのです」
「……」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら男が懇願する。それに対し、代表者のジョージは即答しなかった。ただ彼は「少し時間をください」と断りを入れ、それから後ろにいた仲間の方へ顔を向けた。
彼と同様にマスクを被った賢者達もまた、無言で顔を見合わせた。それから場を静寂が包み込み、蚊帳の外に置かれた男は気まずい空気を味わう羽目になった。
「で、どう思う? お前達としては受けてみたいか?」
その一方で、ジョージが仲間内に声をかける。この時彼らはマスクの無線機能を使って話しており、依頼人が彼らの会話に気づく事は無かった。
「どう思うって、俺としちゃ罠に見えるんだがな」
ジョージの問いかけに対し、熊のマスクの男、イヴァンが渋い声を出す。見るからに疑って
かかっているような声だった。
それに対し、犬のマスクを被ったユリウスが反応する。
「罠か。そう思う理由は?」
「こっちじゃ俺達はまだまだ無名だ。そんな俺達に、いきなり女王の殺害を申し込んで来たんだぜ。そんな大仕事、普通ならもっとこっちの世界で実績があって、実力も知れている奴に頼むはずだ。いくらなんでも怪しいだろ?」
「ふうむ……」
イヴァンの言うことにも一理あった。端整な顔立ちを犬のマスクの下に隠したユリウスは、その綺麗に整えられた顔を僅かにしかめた。確かに、そう言われれば怪しく感じられる。
「少なくとも俺はそう思ってる。他の皆はどうなんだ?」
そしてイヴァンが発破をかける。最初にそれに反応したのはヨシムネだった。
「でも別にいいんじゃない? 受けてみてもさ。お金は払うって言ってるんだし、特に断る理由も無いし」
「罠だったらどうする?」
「殺せばいいのよ」
兎のマスクを被ったヨシムネは、こともなげにそう言ってのけた。イヴァンは少し驚いてから納得したように頷き、ロンソとエリーもそれに同意した。
「そもそも我々は、仕事の選り好みが出来るような立場の人間ではありませんからね。いいんじゃないでしょうか」
「出来る仕事はやっておかないと。お金はいくらあっても困りませんからね」
猫のマスクを被ったロンソと、梟のマスクを被ったエリーが揃ってそう言った。ヨシムネとユリウスも「うん、うん」と同意するように首肯する。
最初渋っていたイヴァンも、それに反論する事は無かった。もしこれが罠なら、ハメた奴を殺せばいい。彼はそのヨシムネの言葉を全面的に受け入れ、あっという間に態度を翻したのであった。
そうして議論は収束していった。
「お待たせして申し訳ない。たった今話がつきました」
それからジョージは依頼人の方に向き直ってそう言った。何分も待たされた依頼人の男は怪訝な視線を向けながらジョージに問いかけた。
「話? 君達は今まで何を話していたのだね?」
「申し訳ありませんが、それについてお話しする事は出来ません」
男の問いかけに、ジョージはきっぱりと断った。依頼人はすぐに何かを言おうとしたが、それを遮るようにジョージが続けざまに口を開いた。
「ご心配せずとも、我々は仕事を完璧に遂行します。あなたがこの依頼を持ち込んだ、その理由について詮索するつもりはありません。ただ依頼をこなして、報酬をもらう。我々の間にあるのは、ただそれだけです」
「お互い、変な探りを入れる必要はないと?」
「そうです。そちらの方が貴方にとっても都合がいいでしょう?我々は単なるビジネスパートナー。それ以上でも以下でもない。でもそれでいい。それで正解なのです」
ジョージの口振りは実に堂々としたものだった。絶対の自信に満ちていたそれは、聞く者の心を落ち着かせ、安心させる力を持っていた。
「せ、正解?」
「そう。正解。正しい関係だ。我々はそれぞれ住む世界が違う。生き方も違う。そして我々は別に相手を理解しなくても、なんの不自由もなく元の世界で生きていける。それどころか、もし相手の世界を無理にでも知ろうとすれば、その時は手痛い傷を負うことになるでしょう。だから」
「知る必要はない……?」
「そうです。我々は正しい位置にいる」
我々は正しい事をしているのだ。だから何も恐れる必要は無い。
疑ってはいけない。
「お互いの平穏を保つためには、踏み越えてはならない一線というものを理解する必要がある。おわかりですね?」
「あ、ああ……」
その「自分」を持たない小心者にとって、ジョージの口車は効果覿面だった。
ここまで自信満々に言っているのだ。きっとこのままでも大丈夫なのだろう。素人の自分が口を挟むべきではない。
ここは彼に従っておこう。
「わ、わかった。もう何も言わない。詮索もしない。だからこいつを消してくれ」
男はポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭きながら言った。早口で目は泳ぎ、見るからに心の平静を欠いていた。ここに来てなけなしの矜持が場に流されることを拒んでいた。
しかしその男は結局、ジョージに媚びるような目つきを見せた。抵抗は一瞬しか続かなかった。彼は自分で生み出した同調圧力に屈したのだ。
「頼む。君たちだけが頼りなんだ」
男が頭を下げる。ジョージは笑う事も蔑む事もせず、ただ淡々と、重々しい雰囲気を作りながら言った。
「お任せください。善処しましょう」
その口振りは絶対の自信に満ちていた。
「で、あいつは何者なんだ? 誰か知らないか?」
「シャグル・モメントーム。メルヘムの大臣です」
そうして依頼人が帰った後、ロンソは自分のマスクを脱ぎながら相手の素性を明かした。この時には他の全員もマスクを脱いでおり、彼らは互いに素顔を見せながら話を続けた。
「大臣か。結構な大御所だな」
「ヒラの派遣調査員から今の地位まで登り詰めた生え抜きですよ。上昇志向の強い、出世欲の塊のような男です」
「なるほどね」
ジョージからの問いかけに、ロンソは自分の持っていた情報を惜しみなく明かした。それを聞いたジョージと他の面々は納得したように頷き、次にユリウスがロンソの方を向き、彼女に確認するように声をかけた。
「じゃあつまり、あいつは王の座を狙ってるってことなのか? 女王様を亡き者にして?」
「そういうことになりますね。さっき彼は生え抜きだと説明しましたが、同時に彼は出世のためなら手段を選ばない人間でもあるのです。それこそ殺人や賄賂も喜んでやったようですよ」
「よくそんな事知ってるな」
イヴァンが感心したように口を開く。ロンソはそんな彼を見ながらそれに答えた。
「これでもそれなりに調査はしているのですよ。まあとにかく、彼はそう言うことも平気でやれる男だということです」
「危ない奴ってことですね」
エリーの言葉にロンソが頷く。一方でユリウスは「まあ、なんでもいいけどな」と呟き、ジョージもそれに同意するように口を開いた。
「そうだな。誰が何を考えていようが関係ない。俺達は仕事をするだけだ」
彼がそう言った瞬間、場の空気が一気に引き締まった。誰もが口を閉じてジョージを見つめ、そのジョージはまっすぐ前を見つめながら続けて言った。
「まずは情報を集めよう。実行前の下準備だ」




