マスク
人界と魔界の両方に拠点を置くことに成功したワイズマンは、次にどの依頼を受けるべきかを検討し始めた。
「こんなにあるのか」
「百件はあるぞ。ここまで供給過多とはな」
ロンソがテーブルに並べた依頼紙の山を見て、イヴァンとユリウスが揃って唸る。この時ワイズマンの四人はマスクを外しており、その素顔を晒していた。
そんな四人の素顔を交互に見ながら、ロンソが腕を組んでそれに答える。
「前にも言いましたが、今この世界は混乱の極みにありますからね。大規模な争乱は起きてはいませんが、それも首の皮一枚で繋がっている状態なのです」
「表面上は平和に見えて、水面下ではドロドロの争いが起きてるって訳か」
「そういう事です」
ジョージの意見にロンソが同意する。その内の一枚を手に取って、エルフのエリーが声を上げる。
「要人誘拐? こんなのも仕事としてあるんですか?」
「なんでもありですよ。暗殺。破壊工作。物資運搬。住民煽動。キリがありません。とにかく何でもです」
「便利屋だからって、いくらなんでも頼りすぎじゃない?」
エリーの言葉にロンソが返し、さらにそれにヨシムネが反応する。ロンソは小さく笑い、彼女の方に向き直ってそれに答えた。
「ジョージの言う通り、まだ表向きには平和を保っていますからね。正規軍であれ影の部隊であれ、国が直接動く訳にはいかないのですよ。そんな事をすれば、たちまち世界のバランスが崩れてしまう。下手をすれば、そのままなし崩しに世界大戦が勃発してしまう」
「敵対勢力は排除したいが、大規模な戦争はしたくないと」
「そうです。虫のいい話ではありますが」
ジョージの言葉にロンソが答える。それからロンソは肩を落とし、続けて口を開いた。
「だから、彼らは第三者に頼むことにした。特定の分野のプロフェッショナルの集団だから自分達より有能だし、もし失敗しても自分達は関与してないと言い逃れも出来る」
「なるほど。消耗品様々だな」
「まあ、そうなりますね」
イヴァンが鼻で笑い、ロンソもそれに応える。エリーは感心したように声を上げ、そしてまた別の依頼が書かれた紙を数枚手に取った。
「こっちは貴族の娘の暗殺で、こっちは……畑荒らし? 隣の村のジャガイモ畑を台無しにしてほしい?」
「そんな仕事まであるのか」
「便利屋は仕事の貴賤は選べませんからね。働き口があるだけマシですよ?」
エリーの台詞に続くように、ジョージが呆れた顔を見せる。ロンソは「何も悪いことはしていない」と言わんばかりに澄まし顔を浮かべた。
一方でジョージは何か言おうとして、すぐに口を閉じた。彼女の言う通り、仕事があるだけマシというものである。
「ああ、ちょっと待ってくれます?」
しかしそこに来て、唐突にエリーが割って入る。全員がエリーに注目し、彼ら全員の顔を交互に見ながらエリーが続ける。
「その前にさ、マスク新調しませんか?」
「は?」
真っ先にユリウスが反応する。素っ頓狂な声を上げる彼に対し、エリーが続けて説明する。
「だから、マスクを新しいのにしましょうって言ってるんですよ。新しいメンバーも出来た事ですし」
「理由は? なんでそんな事しなきゃならん?」
「可愛くないからですよ」
エリーの解答を聞いた面々は一斉に苦笑した。ただユリウスだけが、鳩が豆鉄砲を食らったような、ぽかんとした表情を浮かべていた。
「私的には、動物の被り物とかいいですね。馬とか、虎とか。こっちの方が個人の見分けもつきやすいし、いいと思うんですよ。というかそうすべきです」
エリーは断言した。その顔はなぜか自信に満ちていた。
ユリウスは苦い顔をした。それから彼はエリーを見据え、嫌そうに首を横に振りながら言った。
「それは駄目だ。そんな事は出来ない。お断りだ」
「なんでですか? 今のマスクに思い入れでも?」
「このマスクは全部ユリウスの所有物なんだよ」
不思議に思うエリーにジョージが答える。エリーとロンソが同時にジョージを見る。
異界の娘二人の視線を受けながら、ジョージが続けて口を開く。
「ユリウスが持っていた仮装用のマスクを、俺達が改造したものなんだ。だから言ってしまえば、これはユリウスの持ち物ということになる」
「それを横からやってきた新入りに全否定されたんだ。気分悪くもなるだろうさ」
ジョージに続いてイヴァンも言葉を吐く。それを聞いたロンソは「さて、どうする?」と言わんばかりにニヤニヤ笑みを浮かべてエリーを見つめた。
エリーはイヴァンの言葉を無視して依頼の山から一枚の紙を取り出した。
「これなんかどうですか?」
完全にイヴァンとユリウスの言い分を無視した行動だった。二人は当然顔をしかめたが、それでもその両目はエリーの突き出した紙へと吸い寄せられていった。
「サーカス団の襲撃?」
「サーカスに妨害工作して公演を中止させてほしい、だあ?」
依頼内容をヨシムネが要約し、内訳を読んだイヴァンが顔をしかめる。それからイヴァンは顔を上げて視線をエリーに向け、その憎たらしい程に勝ち誇った顔を見ながら口を開いた。
「なんだよこれ。いくらなんでもこりゃあ」
「仕事の貴賤は選ばない。確かさっき誰かがそう言ってましたよね?」
呆れたイヴァンに、エリーが勝ち誇った口調で言い返す。どこまでもむかつく娘だった。
一方でエリーはその小憎らしい表情をすぐに引き締め、ジョージを見ながら口を開いた。
「で、どうです? せっかく違う場所に来たんですから、イメチェンしても悪くないと思うんですけどね?」
「おいジョージ。まさかこの話、受けるって言うのか? さすがに勘弁だぜ?」
エリーに続いてユリウスが口を開く。ジョージは顎髭をさすりながら、その二人を交互に見やった。
そして暫く考え込んだ後、おもむろに口を開いた。
「新調も、悪くないかもしれないな」
それから三日後。港町「ゴーメル」の外に逗留していたサーカス団の備品が炎上する事件が発生した。燃えたのは主にピエロの衣装と化粧用具一式、ライオンの餌の入った袋、ジャグリング道具、その他諸々の備品であった。
火はすぐに鎮火され、その後すぐに雇われ探偵や町の自警団が調査に乗り出した。その彼らの調査によって、火元はサーカス団が所有していた火水晶である事が判明した。
それは文字通り、中に燃えさかる炎を閉じこめた水晶玉である。使い方もシンプルで、これに魔力を注ぎ込むことによって、そこから自在に火を取り出す事を出来るのだ。
その水晶玉に、何者かが過剰なまでの魔力を送り込み、炎を暴走させたのだろう。それが自警団に属する魔術師の見解だった。その発表の直後、「そんな危険な物をなぜもっと万全に管理できなかったのか」という非難の声も上がったが、自警団は事件の調査を優先させた。クレームに対応するのはサーカス団の仕事だ。
しかし彼らが解き明かせたのはそこまでだった。誰が、いつ、何のためにこの「ボヤ騒ぎ」を引き起こしたのか。肝心のそこは全く解らなかったのだ。
「恐らくこれは、流れの愉快犯の仕業でしょう。ちょっと魔法を勉強して力をつけた何者かが、力を試すために水晶玉に干渉した。だから最初から物盗りや、怨恨目的で起こした事件では無いということです。そして犯人は既にここにおらず、捕らえる事ももはや不可能に近いでしょう」
しかし素直に「わかりませんでした」と言うのも問題だったので、自警団は適当に話をでっち上げることにした。当然ゴーメルの住民は不審に思ったりもしたが、結局は彼らの意見をそのまま受け入れる事にした。
彼らはその件について、必要以上に考えることを放棄したのである。
「素直に信じすぎだろ。もう少し自分で考えようとはしないのか?」
「そういうものですよ。皆今を生きるのに必死で、他の事に考えを回す余裕が無いのです」
広場で行われていたそのやりとりを遠目で見ていたジョージとロンソは、共にため息をついた。ベンチに座っていた二人は暫くそれを観察していたが、やがて飽きたかのように視線を外しておもむろに腰を上げた。
「改造はどんな感じです? もうそろそろ出来そうですか?」
「まあな。大まかな改造はもう終わってるから、今日中には出来るそうだ」
「それは楽しみですね。マスクを提供してくださったサーカス団の方達にも感謝しておきませんと」
「テントに火点けて騒いでる隙に盗んだだけなんだけどな」
そんな事を話しつつ、実行犯の二人は素知らぬ顔で町の外へと歩いていった。途中で多くの住民とすれ違ったが、誰も彼らを疑おうとはしなかった。




