3.異界の名はジュエルミナス
「……ちょっと、どういうこと?」
目覚めたあたしは、とりあえず身体の異常な痛みが無いことに安堵し、ついで素早くわが身の状況を確認した。結果として、我ながらよく叫び声を上げなかったものだと感心した。
「申し訳ございません……。ですが、さきほどのように暴れられても困りますので……」
青髪イセリナが、食卓の向こうに座って謝罪を述べた。なぜか頬を赤らめているのが気にはなるが、それよりもあたしの状況をどうにかするほうが先決だ。
「まずは、冷静に話し合わなきゃね!」
甲冑おデブ少年エルバインが、イセリナの隣に座ってウィンクした。椅子の肘掛の間隔が狭いのか、甲冑の脇腹がひっかかって音を立て、エルバインは左右に身じろぎしている。そんなに窮屈なら立っていろ。その巨体に甲冑で合計何キロあるか知らないが、椅子が壊れたらどうするんだ? それはノルウェーから取り寄せたオーダーメイドなんだぞ? もちろん、お前のような巨漢が座るようには設計されていないんだぞ?
あ、もちろん、ペンション冬月のご利用に、体重や体型の制限なんて設けていませんよ? どなたでも、お気軽にご利用ください!
「改めまして、自己紹介をさせて頂きますわ。わたくしは――」
「ただし! 人間に限るがな!!」
「はい?」
おっといけない。心の叫びが飛び出してしまったようだ。イセリナは呆気にとられた様子で口を開けていたが、やがてコホンと咳払いをして「ええ、改めまして――」と話を続けようとした。
「あんたが誰だかなんてどうでもいいわ。とりあえず、縄を解いてくれない?」
「でも、また暴れますでしょう?」
「暴れるとかなんとかの前にね、この格好が恥ずかしくて、あんたらの話を聞く気にならないわ」
そう。あたしは今、荒縄で縛られている。複雑な格子模様を形成して、ことさら胸を強調するかのような構成であるそれは、まさしく亀甲縛りだった。エプロンの上からというところがまたいやらしい。そんな状態で椅子に座らされ、美女と甲冑がそれをテーブル越しに見ているというシュールリアリスティックな状況で、仲良く自己紹介と洒落込もうかと誘われても、まったく応じる気にならない。
だいたい、暴れたとはなんだ。他人様の家に不法侵入してくる暴漢に対して抵抗する権利くらいあるだろう。挙句に、家の主人を縄で縛って辱めるような真似をしておいて、話し合いもへったくれもあるもんか。どうにかしてこいつらを警察に突き出してやらねばならない。警察はあまり好きではないが、こういう時頼れるものといえば彼らくらいしか思いつかないので仕方がない。
「では、縄を解けば、お話を聞いていただけますか?」
イセリナが上目づかいにあたしを見ている。あたしが男の子で、青髪に違和感を覚えない嗜好だったなら、その視線で落ちていると思うが、今はとにかく亀甲縛りから解放されることを第一に考えよう。
「そんなことは、縄を解いてから聞いてほしいわ。あんたたちがやったことは立派な犯罪よ。警察に捕まった時に酌量の余地が欲しかったら、せいぜいあたしを大事に扱った方が身のためだと思わない?」
こいつらが泥棒の類なら、あたしが気絶している間に仕事をしてしまえばよかったのに、ダイニングに飾られているミステリークロック(十六時半を差している)はそのまま置いてあるし、室内を荒らした様子もない。
物取りでないなら、いったい何をしにこんな山奥までやって来た?
わざわざ予約の電話までしているのだから、こいつらが何らかの犯罪行為を目的に冬月へやって来た可能性は高い。
というのも、あたしは可能な限りお客さんの予約が重ならないようにしている。せっかく冬月を選んでくれたのだから、精いっぱいのおもてなしをしたいのが半分と、マンパワーの不足が半分だ。このことはホームページなどでは公開していないが、少し調べればわかることだ。
つまり、よからぬことを考えた誰かが、人里離れたペンションであたしと二人きりになりたいと考えれば、少しの下調べと予約の電話で、舞台は整ってしまうのだ。
我ながら危ない橋を渡っていると思うが、三年ほど平和に暮らしてこられたので、すっかり油断していた。内心では歯噛みしながら、あたしは余裕を見せるつもりで薄く笑って言った。
「この縄を解いて、黙って立ち去るって言うなら、一時間は通報を待ってあげてもいいわ」
「縄は解かせていただきますが、立ち去るわけには参りませんわ」
「……なんでよ」
「ですから、それはお話を聞いていただかないことには」
こいつらの目的はよくわからない。それを探るには、少々会話に付き合ってやる必要があるだろう。
「回りくどいのはなしよ。単刀直入に言いなさい」
「それは、話せば長くなりますわ……。今から五年前の出来事です……」
「いや、なにを語り始めちゃってんのよ? 単刀直入! わかる? つーかさっさと縄を解きなさいよぉ!!」
「ああ! 大変失礼いたしましたわ!」
いそいそとイセリナがあたしの縄を解き、束ねた縄を見つめてうっとりとした表情を浮かべた。
「あの……」
もじもじと身体をくねらせ、あたしと縄を交互に見つめながら、
「この縄で……わたくしを?」
言っちゃったー!! みたいに両手で縄を抱えて顔を覆ったイセリナを、エルバインが白い眼で見ている。どうやら、イセリナはS極とM極の世界の住人らしい。
「あんたが、あたしを縛ったわけ?」
あたしが半眼になりながらイセリナに問いかけると、
「いや、それは僕が!」
とエルバインが元気よく手を挙げた。
ドン引きである。
「え? その目はなに? 縄で縛るって言ったらこれが普通でしょ?」
「いやもう、あんたはただの変態デブだから。金輪際あたしに話しかけないで」
「ヘンタイデブ……? ちょっとイセリナ! 何とかしてよ!」
「うふふ……縄で……ふふ……」
「イセリナってば!! もう!! とにかくね、僕らはここでやらなきゃいけないことがあるんだよ! 迷惑はかけないから、数日泊らせてよ!」
憤懣やるかたなしといった様子のエルバインが、鼻息荒くあたしに詰め寄った。迷惑なら十分に掛けられている。このうえ宿泊して、あたしの手を煩わせるなどという狼藉を許すわけにはいかない。
「断るわ」
「えー? なんで?」
あたしは椅子にふんぞり返って、中学生がやるみたいに後ろへ体重をかけ、椅子をきしませた。
お客様は、このように椅子を乱暴に扱わないでくださいね?
「あんたらは、正体不明だ。不審人物だ。あたしはペンションの経営者として、あんたらの宿泊を拒否する。以上、質問は?」
「質問というか……さきほど、ちょっとだけなら話を聞いていただけると…」
縄と戯れていたM星雲の住人イセリナが、遠慮がちに話に参加してきた。
「話してみなさいよ。単刀直入に」
あたしの返答を聞いたイセリナの頬がまた赤くなった。
「た、タントウを……直入ですの?」
「なんで直入だけ漢字なのよ!! ここへ来た目的だけを簡潔に話せって言ってんのよ!!」
こいつらのペースに巻き込まれてはいけない。緊縛は解かれた。あとは適当に話を合わせてこいつらを追い出すか、最悪ここに留まることになっても信用させ、警察を呼ぶんだ。思えば家屋に浸入を許してしまったのも、こいつらの怒涛のピンポン攻撃に心を乱されたことが発端なのだ。
「では、簡潔に申し上げますわ」
イセリナがエルバインの隣に座り直した。エルバインも居住まいを正した。
「わたくしたちは、こことは別の世界ジュエルミナスからやって来ました。彼は救国の勇者エルバイン・レステロール。わたくしは、レンゼル王国セオールバラ領主の娘、イセリナと申します」
「イセリナはね、紺碧の癒し手っていう二つ名があるんだよ! 回復魔法と、結界魔法の天才なんだ!」
イセリナが澄んだ声で言い、エルバインが自慢げに彼女の二つ名とやらを紹介した。二人とも、冗談や嘘を言っている様子ではない。
あたしは、エルバインの口から出た魔法という単語を聞いて、あたしは気を失うほどのショックを受けた光景を思い出した。
「そういえばあんたたち……手が光って……なんか風が吹いて……」
あり得ない見た目の二人が見せた、ありえない現象。魔法がどうとか言っていたが、さてはこれが、こいつらの目的かと閃いた!
「あんたたち! 手品師かなんかでしょ!?」
この二人はペアで興行を行う手品師なんだ。きっと泉水あたりの宴会に呼ばれでもしたのだろう。手品師の中には、こうやって異世界からやって来たとか、神殿で悟りを得たとか口上を述べる人がいる。大方一仕事終えて、女将から紹介されでもして冬月に来たのだ。女将はときどき、そうやって冬月の宣伝をしてくれる。本当にあの人には頭が上がらない。
「「マジシャン……?」」
しかしエルバインとイセリナは見事にハモり、同時に目を丸くした。
「……違うわけ?」
「いえあの……申し訳ありません。そのマジシャンとやらではありませんわ。わたくしたちは、ジュエルミナスで復活した魔王を倒す使命を負っておりますの。でもある事情から、現在それは達成困難となっておりまして――」
「簡単に言うとね!」
イセリナが回りくどい話を始めそうになったのと、予想が外れたことで、あたしが思い切り不機嫌そうな顔になったのを察してか、エルバインが身を乗り出した。
「僕が痩せないと、ジュエルミナスは滅びてしまうんだ!!」
「……はあ?」
勇者が痩せないと、滅ぶ世界からやって来たおデブと美女のコンビは、あたしのリアクションに対して、深く、深く頷いたのだった。