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勇者が痩せないと、滅ぶ世界  作者: セキムラ
第一章 異界の人間現る
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1.勇者エルバインとお供のイセリナ

 甲冑。

 

 日本の武士が合戦の際に着用していた類のそれとは異なり、全身を覆う鉄と思われる素材で造られたそれの表面には、林の木々が映りこんで複雑な模様が描かれているかのように見えた。

 

 そもそも甲冑など、言葉では知っていても、目にする機会はそう多くはないと思う。

 

 冬人と出席したパーティー会場やハウスウェディングなどの場において、飾り物の一つとしておいてあるのを幾度か見たことはある。このように洋館に飾られているか、博物館に展示されているものぐらいしか、現代日本においてそれを着用した人物に出会うことはまずないと言っていいだろう。それが、一般的なのではなかろうか。

 

 ただ、そういう類の収集家でパーティー好きのお金持ちが冬人の友人にいたおかげで、あたしは甲冑を見慣れているし、同世代の同性よりは知識があるのだろう。

 

 だが、とあたしは思う。

 

 どのような人生の下地があっても、呼び鈴に反応してドアを開けたら、目の前に甲冑がありましたなどという状況で、冷静に対応しろというのは無茶な要求ではないだろうか。

 

 客商売を営む者として、お客様を拒否するなど言語道断です! と月子なら言うだろうか。

 

 あたしは改めて玄関前に立っている鎧を見た。いわゆるフルプレートアーマーに身を包み、顔面が円錐型になっていて、突出したくちばしのような形状をした兜を被っている。たしかバシネットとかいう名前だったと思うが、このような全身を覆うタイプの鎧とはセットでなかったような……。


 とにかく、その特徴的な形状の兜のせいもあって、不審人物どころか中身が人間かどうかもわからないそれを見て、あたしがそっとドアを閉めて施錠したとしても、恥ずかしくなどございません! 断じて!


「参ったわ……」


 あたしはしっかりとチェーンまでかけたドアを背に、ずるずると崩れ落ちた。そのまま、ペルシャ製の玄関マットへ倒れ込むように突っ伏した。縦六十センチ、横幅一メートルのそれは、一般的なハイブリッド車二台分ほどの値段である。手入れも相当に面倒くさいので、使ったらクリーニングに出しているのだが、いくら遺産が有り余っているとは言え、無限ではない。抑えられる経費は抑えた方がいいことくらいは分かっている。この絨毯は、初めてのお客さんが来る時だけ、押し入れから引っ張り出してくるのだ。


 せっかく、気合十分でお迎えする準備を整えていたあたしは、よろよろと立ち上がり、自室へ向かった。もちろん、警察に連絡するためだ。


 ちなみに季節は春とは言え、三月の長野はまだまだ寒い。ペンション冬月があるのは標高千七百メートル越えの山中だ。あの鎧はいったいどうやってここへやってきた?鎧を着て、徒歩で山道を進んでくるなんて不可能であり、車でやってきたのなら音が聞こえたはずだ。


 だが、いつお客さんがやって来るかと耳をそばだてていたあたしには、少なくとも車のエンジンの駆動音は聞こえなかったし、考えてみれば足音も何もなく、突然インターホンが鳴らされたように思えた。


「まさか……お化け?」


 自慢じゃないが、お化けだの幽霊だのという話をあたしにしてはいけない。「んなもん、いるわけないでしょ」とか言われて場を白けさせるのがオチだ。


 ここで問題なのは、焦って警察に連絡してしまい、気のせいだったでは済ませられないところにある。ただでさえ少ない人員で頑張っている彼らを、三時間かけて来させた挙句、何もありませんでしたでは申し訳が立たない。もしそんな事態になったら、十分に恥ずかしくございます。


「確認、してみるしかないわよね……」


 音を立てないように、そうっと立ち上がり、のぞき穴に左目を合わせようとしたその時であった。


――ピンポーン!!――


「うわひぃっ!」


 再度鳴らされたインターホンの機械音に驚き、あたしは情けない悲鳴を上げて、ドアから飛び退ってしまった。


「はあ、はあ……なんてタイミングなのよ……」


 あたしはとたんに早鐘を打ち始めた心臓をなだめるように、左胸に手を当てて深呼吸していた。こういう時は腹式呼吸だっけ?


 ひーひーふー。


 違う。これじゃラマーズ法だ。落ち着けあたし!


――ピンポーン!!――


「ひゃぁあっ!!」


 まるで、こちらの反応を楽しんでいるかのようなインターホンのタイミングだった。だがそのおかげで、ドアの向こうの甲冑男……か女か知らないが、そいつに対してだんだん怒りが湧いてきた。怒りは行動の原動力だ。山中での平和な暮らしを邪魔する極悪人め!


――ピンポーン!!――


 おー、鳴らせ鳴らせ。もう子供のイタズラくらいにしか思わなくなってきた。


――ピンポーン!! ピンポーン!! ピンポーン!!――


 出た、連続ピンポン。卓球かっつーぐらいに鳴らしなさいよ。絶対に開けてやらないんだから。


――ピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン!!――


 さらに出た。高〇名人もかくやと思わせるほどの、怒涛の連打。だがもう、あたしの心は乱れることはない。


――ピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン!!――


 実体のないお化けだの幽霊だのの類が、インターホンを起動させるなど不可能――


――ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン!!――


 すなわちこれは、何者か、少なくともインターホンの役割を知っている――


――ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン!!――


 人間であるならば、警察だ。さあ、安心して110番――


――ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン!!――


 ……。


――ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポ――


「うっせえこらあああああああああああああ!!!!!!!!」


 あたしは二階へと通じる階段わきの通路を通って自室へ向かおうとしていたが、踵を返して玄関まで走った。


 ドアノブに飛びつき、カギを開けて思い切り開けた。が、チェーンがガチャリと音を立てて、その性能を十全に発揮していた。とても、女の腕力で引きちぎることなどできはしない。


「ああああ!!!! ムカつく!!」


 バタンとドアを閉め、チェーンを外して少し扉を開け、思い切り蹴り開けた。大丈夫だ。輸入物の硬い建材で造られたドアは、あたしが蹴ったくらいではわずかな変形も起こすまい。ドアは勢いよく開かれ、ドアの向こうには甲冑を着込んだ不審人物が――いなかった。


 そこには、たった一点を除けば、いつもの光景が広がっていた。


 一般道からペンション冬月まで、切り開かれた山道は雪に埋もれ、あたしの愛車によって作られた轍がくっきりと残っている。両側の杉木は、わずかに湿り気を帯びてはいるが、夏のように湿った土や木々の香りはない。どこまでも静謐。わずかな木々の香りを求めて空気を吸い込めば、冷えた空気に鼻腔の粘膜が少しだけ痛みを感じた。


 さて、いつもの光景と違っている点は、背景に白銀の世界を背負って、美少女が立っていたことぐらいだ。


 どこまでも晴れ渡る空のような青い髪。それは胸のあたりまで伸びており、左右に分かれて、毛先は緩やかな内巻きの曲線を描いていた。


 女神湖のように深い青を湛えた紺碧の瞳。その目はもともと、長い睫毛までもが青であった。それは大きく見開かれあたしを凝視していた。


 細い眉、小さいが、低くはない鼻梁、下唇がぽってりとした桃色の唇。背景の雪に溶け込むかのように白い頬には、寒さのためかうっすらと赤みが差していた。


 少女はキリスト教のシスターが着ているようなデザインの服を着ていた。ただし、頭巾は被っていない。やたらと身体にフィットしており、彼女のスレンダーなボディラインがローブの上からでもよくわかった。


 身長はあたしより少し低く、160㎝といったところか。少女は下から覗き込むようにあたしを見た後、しずかに目を伏せ、頭を下げた。


 とにかく、玄関前に立っていた少女は美しかった。激高していたあたしが見惚れ、口を閉ざしてしまうどころかため息をついてしまうほどに。


 頭を下げた少女の胸元から、金色のチェーンで首に下げられていたペンダントがこぼれ出た。磨かれた琥珀色の石が留められており、周囲に月桂樹の葉に似た細工が施されていた。ジャラリと音を立てて、顔を上げた少女が口を開いた。


「こんにちは。わたくしはイセリナ・セオールバラと申します。この度は勇者エルバイン・レステロールの供回りを仰せつかっております。短い間ですが、お世話になりますわ」


「……」


 発せられた声は、予約時に電話で聞いた声だった。


「……?」


 あたしが黙っていると、イセリナと名乗った少女が心配そうにあたしの顔を覗き込んできた。


 落ち着け、あたし。


 目の前の美少女は、名前からして日本人じゃない。目の色はまだしも、髪の色はおかしい。染めているにしては色つやが良すぎるし、生え際から毛先まで一切の色むらがない。そもそも、地毛が真青の人間なんていない。

 

 だいたい、さっきの甲冑はどこへ行った?

 

 裾が長いローブで少女の足元は隠されていたが、その横には巨大な足跡があった。それは少し乱れ、少女の背後へ回り込むように続いていた。後方の林にでも隠れているのだろうか。あの巨体で隠れられるほど、林の木々は太くはないが、とにかくその姿は見えない。


 姿を隠したのではなく、本当に消えたのだろうか。


 レステロールの名前で入った予約は二名。


 やってきたのは甲冑と美少女。


 流暢な日本語を話してはいるが、日本人でも、普通の人間でもあり得ない。


 じゃあ、目の前に立っているのは何?


 ダメだ、訳が分からなくなってきた。


「と、とにかく……警察を……」


「ケイサツ?」


 少女が青い目を見開き、小首を傾げた。


 あたしはそれを無視して、一歩後退した。ペンション冬月始まって以来の危機だった。人間かどうかもわからない、変な奴らがやってきた。足が震えてうまく移動できない。


「こちらの国の治安維持部隊のことですわね? それには及びません。わたくしたちは、決して怪しい者ではありませんわ」


 どう見ても考えても、あんたは怪しいから、安心しろ。とにかく無視だ無視。お化けの類など信じていなかったが、こうして目の前に現れると恐ろしいものだ。たしか、お化けとは口をきいてはいけないのだ。


 あたしは震える身体をポーチに掴まって支えながら、屋内へ戻ろうと振り返った。


「ひっ!!」


 そこに立っていたのは、消えたはずの鎧だった。


「ごめんね。ケイサツは、困るんだ」


「デ……勇者エルバイン……あまり手荒なことは」


 後ろから美少女のたしなめるような声が聞こえ、目の前の甲冑がガチャガチャと動いた。バシネットの通気孔から、白い呼気が漏れている。あたしは、恐怖で動けなかった。


「わかってるよ」


 甲冑の左腕が動き、あたしの眼前に掌をかざした。その動作が妙にゆっくり見え、手が光った――。




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