096 クラーケンの事情
「俺たちはこれからウルスラさんに会いに行けばいいわけだな」
「そうだ」
「で、どこへ行けばいいんだ?」
「当然海中だ」
いたく真面目な顔で返された。いや、俺はかまわないんだけどさ。
「ちなみに、どうやって海中に? 亀か何かに乗って行くのか?」
「この近辺には亀のモンスターはいないが」
そして、マーメイドは困ったような表情になる。
「……そこのケンタウロスに乗っているように、亀に乗りたいのか? 今は忙しいから別の機会にしてくれ」
「ああ、すまん、何でもないよ」
どうやらどこかに亀のモンスターがいるようみたいで一度会ってはみたいが、それは次の機会にしよう。単に、竜宮城みたいな場所へ連れて行かれると思ったからそれにふさわしい行き方を想像しただけで深い意味はない。
「わたしはケンタウロスじゃなくてソラウス。……覚えておいてね」
「ケンタウロスが空を飛んでいるからおかしいとは思ったが、別のモンスターだったのか。間違えて悪かったな。覚えておく」
やはり、ソラウスの知名度って低いんだな。
「海中へ行くと言われても、俺はともかく、プレゴーンは息ができないよなあ」
というか、そもそも俺のことを人間と思っているなら、俺をどうやって海中へと連れていくつもりなのだろうか。
「水中でも呼吸ができるようになる魔法があるから大丈夫だ」
ああ、そういやヴィヴィアンを探すときに、水中を捜索する手段として水中呼吸の魔法があるということを聞いたっけ。で、そんな便利な魔法は使えないから素潜りで頑張ろうと思ったら、水中でも呼吸ができるように身体が変化していたことに気づいたんだったな。
マーメイドは俺に手をかざして何やら呪文のようなものを唱える。俺には必要ないが、水中呼吸の魔法がどんなものか興味があったのでそのまま何も言わずに見守ることにする。やがて、身体がちょっと暖かくなた感じがして、一瞬身体が青い光に包まれる。
「これで水中で呼吸と会話ができるようになっているはずだ。念のため、確認してみてくれ」
……魔法をかける前からできることだったから、魔法が功を奏しているのかどうか分からないが、大丈夫だということを一応伝える。
「では、ソラウスにも」
「わ、わたしはここで……そう、留守番してる」
プレゴーンは慌てたように首を振った。
「プレゴーンは行かないのか?」
「炎の馬としては、ちょっと海の中は相性悪い……かも」
海の中をどこまで行くか分からないし、確かに炎の馬としては苦手な場所なのかもしれないな。
そして、プレゴーンは、スキュラのミレイがいた場所で待機することにして、俺とマーメイドたちはクラーケンの元へと行くことになった。
気合を入れて泳ぐつもりだったが、俺の泳ぐ速度とマーメイドが泳ぐ速度はまるで違うので、俺はヴィルナと名乗ったマーメイド十一人のリーダーに手を引っ張ってもらって進んでいる。これは非常に楽でいい。
今は深さ数十メートルぐらいのところを泳いでいるので周囲は明るいが、クラーケンがいるところはどうだろうか。大きさがどのぐらいか分からないが、それなりに深い所にいるとしたら困る。……いや、伝承とかで船に襲いかかっているところがあるし、海面までは来れるのかな。
「もし海の深い所に行くんだったら、暗くて何も見えなくなるよね。それはちょっと困るんだけど……」
「その心配はする必要はない」
ヴィルナは俺を引っ張っている腕とは反対の腕で向こうを指さした。何かがそびえ立っているような感じだ。陸地が近いのかな?
「もうあそこにウルスラ様がいらっしゃる」
「……え?」
よく見てみたら、その何かは青白い肌のようだ。肌? いや、違う。あれこれ考えながらさらに近づいたことで否が応でもその正体が分かる。
「クラーケン……やはり、巨大イカか」
俺はそびえ立っているものは陸地の海中部分の崖のようなものだと思っていたのだが、それはイカの外套膜だった。イカめしでご飯を入れる部分だ。人間の見方だと、目よりも上にあるから「頭が随分細長いんだなあ」と子供の頃は無邪気に思っていたが、実際は内臓が詰まっている胴体だ。
そして、その胴体である外套膜の大きさが桁外れだ。いや、本当に大きい。たぶん数百メートルじゃきかない。
『おお、来たか』
その時、俺の頭の中に声が響いてきた。おそらく、目の前にいるクラーケン、ウルスラだろう。
『実は今ここまで来たところでな、身体を横にするから少し待ってほしい。マーメイドにしっかりと捕まっておくのだぞ』
その言葉が響くと、ヴィルナだけでなくもう二人マーメイドが俺の傍に来ると、俺の身体をがっちりとホールドした。胸やら何やらが密着して嬉しくはあるのだがこれは一体どういうことだろうか。
「しっかりと捕まっておけ」
さっきのウルスラと、今のヴィルナの言葉の意味はすぐに分かった。
ゆっくりとウルスラが身体を横に倒すように移動し始めて、それだけで大きな潮の流れができているのだ。マーメイドたちが力強く泳いでいるため俺たちはその場からほとんど動かないでいられているが、この水流の強さ、俺だけだったらどこかに流されていただろうな。
『こうして、顔も見せておきたかった』
巨大な女性の顔が俺たちの目の前にあった。
クラーケンの姿がどんなものかというと、とてつもなく大きくて長い帽子をかぶっている人間の女性だ。そして、その下半身は八本のとてつもなく長い触手で、両腕はこれまたとてつもなく長い触腕だ。
帽子とたとえた部分が外套膜なわけだが、大きさは……たぶん数キロメートルあるな。外套膜の先端が目視できない。やばい、想像していたよりずっと大きい。そして、触手や触腕もおそらく数キロメートルの長さがある。触手の方はこれまた先端が目視できない。もちろん、人間の部分もそれに見合った大きさだ。
『私はクラーケンのウルスラだ。お前の名は?』
「リューイチです」
『リューイチ、こうして近くで見たらよく分かるが、お前は人間ではないな?』
その言葉にマーメイドたちは驚いたように俺を見る。
「はい。リディアス神の力の一部を受け継いでいて、準神というらしいです」
『……なるほど、古き大きな力を感じると思ったが、その言葉が真ならば納得できる』
それから、ウルスラは三ヶ月前に海に結界を張った理由を語り始めた。
クラーケンの食事は、魚などの生物ではなく、海のエネルギーそのものらしい。その海のエネルギーという概念がよく分からないのだが、生物がたくさんいる海水ほどそういうエネルギーが大きいそうだ。そのため、プランクトンが豊富で魚がたくさん集まるこの海域の深い場所で普段は生活をしているらしい。
食事の方法は単純で、海水を口から飲み込むと、体内でそのエネルギーだけが吸収され、海水はろうとから排出される。その際、海水と一緒に飲み込まれた生物たちも生きたまま排出されるそうだ。
だが、中には排出されない生物もいる。エネルギーの吸収にあたって消化液などを使わないようなので、体内でも生き続けることができるらしい。そして、そうした生物が今まさに問題となっている。
「よく分からない生物に体内を荒らされている?」
海にはものすごく数多くの種類の生物がいて、クラーケンでもその半分も把握していないそうだ。そして、三ヶ月前に飲み込んだ生物たちが、クラーケンの体内で色々と暴れているらしい。
「海の生物と会話ができたりしないんですか?」
『多くの生物とは大まかな意思の疎通はできるが、そいつらはかなり古い種のようで、まったく意思の疎通ができないのだ』
その生物たちが体内で何をやっているのか不明だが、時々激痛が走るらしい。その激痛は耐え難いもので、特に痛みがひどい時はのたうち回ってしまうそうだ。巨体がのたうち回ることで、海がものすごく荒れてしまう。海面近くにも影響があるため、危険だから結界を張って人間が近づけないようにしたという。
「……なるほど、そういうことか。それなら、その理由をバース王国に何らかの手段で伝えてもよかったのに」
「私たちマーメイドが結界を張っている。非常に広い範囲のため、この海域のマーメイド全員が交代で結界の維持をしている。人間のことに気が回らなかった」
もちろん、その生物たちの排除は何度も試みているらしい。マーメイドたちが体内に入っての直接駆除だが、その生物たちはすばしこくてすぐに逃げる。さらに、体内の全てが海水で満たされているわけではなく、海水以外の場所に逃げられるとマーメイドたちにはお手上げらしい。人間の姿になって歩くことはできるが、海水のない場所でもその生物たちは機敏に動けるため勝負にならないらしい。
『あの痛みは本当に耐えがたくてな、ほとほと困っている。何かいい知恵がないだろうか?』
うーむ、これは……一体どうすればいいんだろうか。
虫歯のような痛みです




