092 バース王国
それからは特にトラブルもなく、順調に航海は進んだ。いや、航海というほど大仰なものではなかったかもしれない。太陽が昇る頃には、バース王国が地平線に見え始めていたのだから。
「もう私の知っている海の匂いです」
イクチのアマネがはしゃいでいた。迷子になっていたのだから、自分の知っている場所にたどり着くと心が軽くなるだろう。
そして、アマネとはここで別れることになった。これ以上近づくと、バース王国側がアマネに気づくだろう。これだけの巨大なモンスターを引き連れて行くのは大変な誤解を招きかねない。
「お世話になりました。ぜひアマツ皇国にいらして下さいね」
「機会があったらな」
レオに聞いてみたところ、アマツ皇国と一応国交はあるようだ。ただし、バース王国と同じく島国で、東の遠方にあるため直接的な交流はほとんどなく、物流は海運国のバース王国を経由して行われているらしい。
ということは、もし俺がいつかアマツ皇国へ行こうとするなら、バース王国から船で行くのが無難ってことだろうか。いや、こっちは飛行手段があるから、プレゴーンに頑張ってもらって東を目指せばいいだけかな。
「リューイチ、ここでの働きを期待しているぞ」
いよいよバース王国の陸地が近づいてくると、上陸の準備で各員は大忙しだ。その中で、レオは俺の肩を叩いて改めて俺にプレッシャーをかけてくる。
これから入港するであろう場所には、すでに大勢の人間がつめかけていてこちらに向かって手を振っているようだ。その中にはいかにもお偉いさんといった風情の集団がいて、レオを迎える態勢を整えている。とりあえず、普通の民がこれだけ集まっているということは、歓迎はされているようだ。
まあ、こういう雰囲気ならば、何か困っていることがあるならば解決してあげたいと思うのは人情なわけで。やるだけやってみるさ。
それからは、気が休まらない展開が続く。
俺はレオと共に行動するように言われているから、王子であるレオに向けられる視線の中に俺も入ってしまう。そして、俺の隣にはプレゴーンがいるわけで、正直レオよりもプレゴーンの方が注目を浴びている。
「あの、プレゴーンをどこかへ行かせましょうか?」
「……視線が突き刺さって気になる」
レオの傍らには側使えが二名、護衛の騎士が二名、そしてバース王国の外交官たちがいるため、話しかけるタイミングを探すだけでも一苦労だ。
「彼女がいた方が、リューイチの能力に説得力があるだろう。むしろ一緒に行動してくれ」
「えー……」
プレゴーンは不満そうだが、そうと言われたら断るわけにもいかない。何だかんだで物分かりがいいからそれ以上不平を口にはしないのは助かるが、今度何かで埋め合わせをしないとな。
俺のことはバース王国の外交官は聞かされていなかったようだ。帯剣しているとはいえ、立ち居振る舞いが騎士には見えないようで、最初は露骨に不審な眼差しを向けられたものだ。レオが簡単に説明すると「噂のモンスター学者ですか」と驚かれた。本当に学者扱いされているのか、胃が痛い。
それにしても、てっきり前もってモンスターの専門家としての俺を連れて行くことを伝えているものと思っていたが……。
「あらかじめ知らせておいたら、日数が経つほどリューイチへの期待が否が応でも膨らむだろ? そうなったらリューイチがやりづらいだろうと思ってな」
……確かに。散々待たせておいて結果はダメでした、だったら期待が大きく膨らんだ分、反動が怖いしね。レオなりの俺への気遣いだったのかもしれない。
そして、用意された馬車に乗り込んでようやく一息つくことができた。なお、プレゴーンは馬車と並走している。さすがにプレゴーンに乗っての移動は目立ちすぎるので却下だ。
とりあえず心に余裕ができたので、頭の中を整理する。
バース王国はダーナ王国の南にある島国で、国土はダーナ王国の半分ほど。四方を海に囲まれているため当然漁業が最も盛んだが、島の中央部にある鉱脈から発掘される宝石類も魚介類に並ぶ輸出品となっている。一年を通して温暖な気候で、国民の気質も温和で人当たりがいいらしい。
確かに、馬車から外を見ると、皆が笑顔を浮かべているように思える。ダーナ王国も平和で人々は明るかったが、ここはそれ以上かもしれない。俺はそんな人々の営みと、ダーナ王国では見られない植物や動物を観察しながら、馬車にただ揺られるのであった。
港から三時間ほど馬車で移動すると王都に着いた。馬車の速度は決して速いというわけではないので、港から結構な近距離にあるようだ。
道は石畳で舗装されていて、住民の服装はあかぬけている感じがする。港にいるときも思ったが、あまりダーナ王国と文化の違いは大きいわけではないかもしれない。島国ということで、もう少し目に見える形で独自の文化が発達しているのかもと思ったが、そうでもないらしい。建物も大体似た感じだし。
そして、そのまま王城へと連れて行かれる。ダーナ王城と比べると若干小さいかな? いや、あまり変わらないかも。そのぐらい差異がない。建築様式がたぶん一緒だ。
あ、そうだ。王城へ入る前にプレゴーンをどうするか考えないと。
「プレゴーンは……厩舎かな」
「えー、ここで一人は心細いかも……」
「すぐに迎えに行くからさ」
そんなことを話していたら、レオが外交官といくつか言葉を交わし、プレゴーンも来賓扱いとなった。レオは当然別格として、側仕え二人、護衛の騎士二人、そして俺とプレゴーンも来賓となるらしい。
「……モンスターだけどいいの?」
「今はリューイチの相方だ。何も問題はない」
いいのかなあ。プレゴーンはもちろんのこと、俺も礼儀作法とかまったく分からないぞ。騎士たちの立ち居振る舞いを真似するしかないだろうなあ。
「心配する必要はない。俺は何度かここに来ているから、面倒な手続きはほとんどない。すぐに、俺の歓迎式典が行われるが、俺の近くにいるだけでいい。挨拶が終わったら、食事でも適当につまんでいればいいさ」
レオは笑いながらそう言った。
うん、確かにそう言った。
「陛下、この男がグローパラスの管理人、リューイチ・アメミヤです」
レオはにこやかに笑って俺の背中をずいと押して、一人の男の前に立たせる。
その男こそ、このバース王国の国王であるカルロ四世だ。四十代後半ぐらいで、やや長い黒髪を首のあたりで適当にまとめている。人の良さそうな笑顔を浮かべているが、俺を見るその眼光は鋭い。
腹も減ったし、式典が開かれているホールのテーブルに並べられた豪華な食事をつまみたいのに、なんで俺はこんなところで国王と対峙しているんだろう。
「ふむ、そなたが噂のモンスター学者か」
国王も知っているのか……って当たり前か。
ここでおろおろしたり、頼りない様子を見せたらダメだ。レオが直接紹介したということは、レオによる俺という人間の保証がされていることだ。ここで情けない所を見せたら、紹介したレオの顔に泥を塗ることになる。レオはこの国王の義理の息子になるわけでもあるし、レオに恥はかかせられない。
「リューイチ・アメミヤと申します。陛下、お目にかかれて光栄です」
「先ほどから気になっていたのだが、そこのケンタウロスは君が連れてきたということかな」
「陛下、わたしはケンタウロスではありません。ソラウスという炎の馬です。名はプレゴーン。以後お見知りおきを」
プレゴーンはそう言って深く頭を垂れた。……敬語も使えるんだな。
「炎の馬……初めて聞く名だ」
「ソールというモンスターが人工的に創った太陽を運ぶ馬です。翼はありませんが空を駆ける能力があり、出会ってからは私の相棒とも言える存在です」
「空を駆ける! それはぜひ見てみたいものだ」
プレゴーンはちらっと俺を見る。俺が小さく頷くと、プレゴーンはいつものように空を駆け上がっていった。それだけで、周囲からどよめきが起きる。これ以上目立つと悪目立ちだ。俺はプレゴーンに向かって右手を小さく挙げる。俺の意図は分かったらしく、すぐにプレゴーンは降りてきた。
国王はそんなプレゴーンに、笑顔を浮かべて手を叩く。
「うむ、まさに空を駆けていたな。そなたのようなモンスターは初めてだ。そのようなモンスターを連れ歩いているのだから、リューイチ殿は優れたモンスター学者なのだな」
それだけで優れたって言葉をつけられるのは面映いものがあるが、とりあえず平静を装って軽く頭を下げることにする。
その時、先ほどのプレゴーンへのどよめきとは違う質のどよめきが起きた。どよめきというよりは感嘆の声といった方が適切かもしれない。
「フロージア!」
レオが相好を崩して声をあげる。
そのレオの視線の先には、美しいドレスを身にまとった美女がいた。長い黒髪をストレートに伸ばし、彫りの深い顔立ちから年齢を推察するのは俺には難しいが、おそらく十代後半だろうか。
この国に訪れた目的と、レオの様子から、その美女の正体はすぐに分かる。あれがレオの婚約相手の、バース王国第一王女か。
「積もる話もあるだろう。私は戻るから、後は皆で楽しくやってくれ」
よかった……国王がいなければ少しは緊張が和らぐ。
「レオナルド殿、リューイチ殿、また後で話をしたい。夜のパーティーが終わったら王宮へ来てくれ」
「承知いたしました」
レオがノータイムで返答する。
……え? 王宮?
どうやら、まだ俺は解放されないようだ。