009 旅立ち
俺は朝早く目が覚めた。
今の俺の体に睡眠は必要ないが、数時間眠って目が覚めると心地よい気持ちになるのは変わらない。
ゆっくりと起き上がろうとすると、両腕に重みを感じる。
右腕にはニュンが、左腕にはネルがしがみついていたのだ。二人ともぐっすりと眠っていて、口元にはよだれらしきものがついている。涙と同じで、やはり成分が気になる。
二人を起こさないように二人の腕をそっとはがすと、俺は洞穴の外に向かう。
しがみついていた二人以外にも、ここに住んでいるスライム全員があちこちですやすやと眠っている。昨日はあの後盛大に祝っていたからなあ。
ただ、宴会のようなことにはならなかった。モンスターは繁殖のときをのぞけば基本的にかなり小食らしい。スライムなら三日に一度、木の実や果実、魚、昆虫、小動物など、何でもいいから少し食べるだけで十分とか。
大食いのモンスターが多いイメージがあったので、これは意外な事実だった。
もっとも、生きていくために必要な量が少ないというだけで、食べる日には満腹になるまで食べるというモンスターも少なからずいるらしいが。
「おはようございます、リューイチさん」
後ろから声がかけられた。この声はソニアさんだな。
なお、ソニアさんも俺の魔法で進化を遂げた。
一代限りのハイ・スライムということでソニアさんは「必要ありません」と遠慮していたが、俺自身自分の力を試したいという目的があったので、遠慮無用ということになったのだ。
ソニアさんはメタル化の金属の輝きに心惹かれていたが、常時液体金属というのは踏ん切りがつかないらしい。
そこで、体の一部を一時的にメタル化するという折衷案になった。
結果は成功で、状況に応じて剣のような攻撃的な手段にも、盾のような防御的な手段にも使えるという利便性の高いものになった。
似たようなことを実はスライムで試していたがうまくいかなかったんだよな。
種族ごとに進化の可能性が違うということかな。どれとも、種族の強さが進化の多様性の限界を決めているのか。
いや、ハイ・スライムは種族ではないんだっけ。じゃあ、個々の強さかそれとも才覚か。まだ分からないことだらけだ。
ただ言えることは、既存のゲームや二次元の世界、地球における生物について俺の知っている進化の仕方だけではなく、新しい進化にも成功したということだ。
もちろん、俺が知らないだけで実際にこういう生物がいる可能性はある。
それでも、進化の自由度の高さを確認できたと考えている。
「ところで、お礼がまだなんですけど……」
「別にいいですよ、俺自身色々参考になりましたし」
「いえ、それでは私たちの気がおさまりません。スライムの誇りにかけて、受けた恩にはきちんと報いないと」
うーん、もしソニアさんが人間のことをよく知っていたら聞きたいことがあったんだけど、直接人間と会話したことは数えるほどしかなく、森から出たこともないと言っていたからなあ。
それならば……。
「何か、人間にとっても価値があるものってありますか? さすがにお金はないでしょうけど、何かしら換金できそうなものがあればありがたいのですが」
異世界に放り込まれたパターンとしては、所持金がない→最初の町で冒険者ギルドに登録して仕事ゲット、という王道があると思う。
ただし、この世界に冒険者という職業があるかどうか分からない。あったとしても、ギルドやそれに似た組織があるかどうかはまた別だ。
これから人間の街を拠点にすることは間違いないから、数日分の宿泊費があれば助かる。食事は最悪取らなくても平気なわけで。
「そうですねえ……。少々お待ち下さい」
ソニアさんはそう言って外に出て行った。
そして、ほどなくして何かを持ってくる。
「これなんてどうでしょう?」
ソニアさんが手に持っているそれは、透明な紫色の小さな石が複数集まった拳大の石……アメジストってやつかな。
原石のわりに結構紫色の輝きがあるな。まあ、原石だから大した価値はないだろうけど、二束三文というわけでもないからちょうどいいかな。
「これは微量ですが魔力を有しているので、それなりの価値があるかと」
「魔力!?」
さすがファンタジー。
ああ、紫色の輝きはてっきり原石の輝きだと思ったけど、よく見たら内部に光のようなものが宿っているな。これが魔力ってやつか。
「鉱石にはこうした魔力を有しているものもあります。ここからちょっと離れた場所にある洞窟に、たまにあるんですよね」
「なるほど。ありがとうございます、お礼はこれで十分すぎます」
売る場所を考えないといけないし、価値が分からない、というよりもこの世界の物価どころか貨幣単位すら分からないから、何も考えずに売るってわけにはいかなくなったなあ。
これ以外で何か換金できそうなものを歩きながら考えないと。
「ところで、ここから人間の住む街や村まで、どうやって行けばいいか分かりますか?」
森の出口っぽい方角ならおおよそで分かるが、人間の住む場所にたどり着くのが目的だからなあ。
「それでしたら、あそこを見て下さい」
ソニアさんは、昨日俺とスライムが色々試行錯誤していた広場の先を示す。
そこには、細い道らしきものがあった。
「あそこの道をまっすぐ行くと川があります。その川に沿って下流に向かえば、森を抜けることができます。そのまま川沿いに進めば人間が住む村があると、友達のピクシーが言っていました」
ピクシー……妖精か。
この世界の妖精はどういう種類がいるのかは分からないけど、ピクシーは大抵の場合人間に悪戯をして楽しむ妖精。うん、人間の村の場所を知っていてもおかしくないな。
「なるほど、ありがとうございます」
よし、きちんと目的地の方角が分かったのは大きい。
今から出発して、暗くなる前に森を抜けるようにしないとな。荷物はほとんどないというか、小屋に置いてあった背負い袋、水を入れる革袋、小さなナイフ、そして剣だけだ。
袋を背負い、ナイフと水袋を右の腰に吊るし、剣を左の腰に吊るせば、それで旅支度は終わりだ。
「それでは、出発します。泊めていただいて、ありがとうございました」
「いえ、リューイチさんがしてくださったことに比べたら……。いつでも遊びに来てくださいね、歓迎いたします」
ソニアさんに別れを告げていたら、腰と背中に重みを感じる。
ニュンとネルがしがみついているのか。ニルや、他のスライムたちも、こっちを寂しそうにじっと見ている。
う……色々心がくじけそうだが、まず一度この世界についてきちんと把握したいし、人間に会いたかった。
「また、来るよ」
ニュンとネルの頭を撫でる。
二人はなかなか離れようとしなかったが、ソニアさんも頭を撫でると、しぶしぶといった感じで離れる。
これ以上ここにとどまると決意が鈍りそうだ。
だから、最後に全員を一度ずつ抱きしめて、そして出発だ。これがラストぷよんぷよん。しばらく堪能できないから、よく体に刻み込んでおこう。
そして、俺はスライムたちに見送られながら、出発した。
この世界に来て最初に出会った知的生命体が彼女たちか。
これからもっと色々なモンスター娘、そして何より人間に出会って、この世界のことを勉強しなければ。
そのためにも、今はただ前へ進もう。