074 織物業
「報告は読ませてもらっているよ、リューイチ君。精力的に活動をしているようだね」
大臣は客間に入ってくると、にこやかな笑みを浮かべて俺の肩を叩いてきた。ただ、俺を見たとき、一瞬目を見張っていたな。
「ふむ、似合っているじゃないか、その服」
大臣は俺の新しい服を見て目を見張ったようだな。
それもそのはず、アラクネたちがアラクネの糸のみで作ったまさに一張羅だ。
アラクネがグローパラスに来てから最初に作る服をどうしようかと皆に意見を聞いたら、満場一致で皆が勧めたのが俺の服だった。俺はこの世界に来てからかなり最初の方に買った服を着ていたのだが、グローパラスの園長という肩書に対して見栄えが悪いらしい。俺はそういうのを気にしないのだが、立場に合った服を着ることも仕事のうちだと、キキーモラのエレナに説教をされてしまった。
貴族や大商人ならまだしも、俺の立場でそれほど見栄えにこだわらなくてもとは思うのだが、皆に勧められた以上その好意に甘える形となった。
できあがったのは貴族の礼服や軍隊の儀礼服のようなイメージの服だ。黒を基調としていて、前の合わせ目などの要所要所は黄色が彩りを与えている。そして、裏地と袖のあたりのスカートのようにふわっと広がっている部分は白だ。長ズボンもただ黒一色ではなく、前の折り目と脇縫い線は赤色で縦にスッと伸びている。
裏地には肌触りがいい種類の糸から作られた布が、表は丈夫で水に強い種類の糸から作られた布が使われていて、服としての性能は非常に高い。こんなに着心地がよくて、なおかつ見栄えのいい服を着たのは初めての経験だ。それだけに、自分との釣り合わなさを感じたりもするのだが。
「それはひょっとしてアラクネの糸で作られたものかな?」
「はい、そうです」
「……アラクネの糸のみ?」
「はい」
それを聞くと、改めて大臣は俺の服をじっくりと見定めるように眺め始めた。どうにもこうにも落ち着かない。
「アラクネの糸から織られた布、その布で作られた服は希少品だ。君が着ているその服、貴族だったらいくらぐらい出すと思う?」
確か、それなりに実入りの良い肉体労働を一ヶ月こなして金貨五枚になるって話だったよな。その給料三ヶ月分ぐらいとして……。
「金貨十五枚ぐらいですかね」
それを聞いた大臣は答えを言うことなく、俺が勧めた椅子に座った。大臣はにこやかな笑みから一転して、真面目な顔になっている。うむ、何となく嫌な雰囲気を感じるなあ。
「リューイチ君、我が国の主要産業が何か知っているかな?」
「確か、織物業ですよね」
産業革命前の中世ヨーロッパとそこの所は変わらない。魔法という概念があるとは言っても、一部の魔法使いのみに独占された技術であり、他産業との融合を試みているもののうまくいっていないようだ。少なくともこの国においては。
「その通り。毛織物業や綿織物業もあるが、我が国で特に盛んなのは絹織物業で、上質な絹織物を各国へ輸出することで多大な富を得ている」
絹か……。カイコのモンスター娘とかもいたりするのだろうか。
「そのため、織物業に携わる者は多く、織物ギルドの力が非常に強い」
「ギルドですか」
冒険者ギルドはなかったが、同業者組合としてのギルドが存在することは確認している。人口が増えて職業が細分化したら、同業者同士で集まって互いの利益を守ろうとするのは当然の流れだろう。
「また、織物を扱う織物商は商品の流通を担うことで莫大な利益を得ていて、当然のことながらその力は強い」
「力が強いとは具体的にはどのぐらいでしょうか? 王制である以上、その力には限界があると思われますが」
もっとも、王権が弱ければその限りではないと思う。ただ、この世界に来てからまだ日が浅いとは言っても、このダーナ王国における王権の強さは何となく感じ取れる。
俺がそう考えていると、大臣は俺を見てにやりと笑った。
「君の考えていることは正しい。我が国では国王陛下の威光は非常に強く、民からも非常に信頼されている。よって、一部の国のように商人が大貴族に匹敵する力を得ているわけではない。しかし、彼らが我が国にもたらしている経済効果は決して無視できない。それは理解できるな」
「はい。それは当然のことだと思います」
「そこで、君たちがアラクネの糸に関連する商品を取り扱い始めたらどうなるか分かるかな?」
う……、そういうことか。
俺の表情の変化を見て大臣は頷く。
「その通り。彼らにとって大きな脅威となるだろう」
「アラクネはまだ三人しかいませんし、織物を作るための糸を出すのは体力を消耗するそうで、大量生産はできません。現に、俺が今着ている服を作るのに三日かかっています」
現状は、グローパラス内での需要を満たすだけで精一杯だ。
「今はそうだろう。しかし、アラクネが娼館のリストに入っているのは確認している。彼女たちが子供を産み、また他の地域からグローパラスに移住することでアラクネの数が増え、アラクネの糸を市場に出す余裕が生まれたら君はどうするつもりだったかな」
正直言うと、自給自足だけでなく、経済をさらに回すために外へ売ることも考えていた。転移魔法を使いこなして遠隔地との商売も、ただの妄想や皮算用ではなく現実的に形にすることができると思っている。
しかし、俺は笑顔を浮かべて大臣にこう言う。
「市場に出すという考えは思いつかなかったですね」
よし、声に震えはない。完全に平静を保てた、頑張った俺。
「五十点」
「……へ?」
唐突な大臣の採点に俺は間抜けな声をあげる。
「顔色を変えずに答えたことは評価するが、市場に出す考えそのものを思いつかなかったというのは不自然だ。大量生産できないという先の発言は、大量生産できないから市場に安定して出すことはできない、もしくは市場に出すこと自体できないという意図の発言だろう? そういう意識を持った人間の答えとは思えないな」
もう俺はにこにこと笑いながら冷や汗を流すしかない。
「君は先を見据えた考えをすることができる人間だと思う。グローパラスに迎え入れているモンスターたちのリストを見ると、グローパラスを発展させることを主軸としているのが分かる。しかし、周りをもっと見ないとダメだ」
「周り、ですか?」
「今回で言えばギルドだ。我が国に限らず、どの国にも同じものはある。彼らは非常に縄張り意識が強く、また、商売の仕方を非常に限定的なものにしている。それは窮屈ではあるが、それによって商品の質は一定以上に保たれ、職務が細分化されることで雇用が確保できる。そのことをもっと理解しておくべきだ」
自由競争は無理ということかな。まあ、俺のやり方はイレギュラー的なものだから、それによって市場が荒らされることになったら彼らは黙っていないだろうし、俺もそのつもりはない。
「君の着ている服、君は金貨十五枚と予想したね」
「高すぎましたかね?」
その俺の言葉に大臣はため息をつく。
「逆だ、安すぎる。最低でも金貨五十枚はするだろう」
「……え?」
「世に出回っているアラクネの糸の衣服は、そのほとんどがアラクネの糸だけではなく、絹や羊毛なども使っている。アラクネの糸のみで作られているものとなると伯爵以上の貴族でも欲しがる代物だ。王都の貴族に見せれば最終的に金貨百枚ぐらいになると思う」
うわ……、なんか身分不相応も甚だしいって感じだな。
「これを俺が着るのはまずいですかね?」
「いや、モンスターたちの集落の長としては、むしろそれを着ることがふさわしいだろう」
「そうですか……」
よかった。いきなりお蔵入りにせざるをえなくなったら悲しすぎる。
「ただし、商売のことを少しでも頭に考えたなら、市場調査ぐらいはしておくべきだったな」
俺には色々仕事があるんだけど……厳しいな、この大臣。
「君なら商売を始める前には市場調査をすると思うが、万が一大雑把な価格でアラクネの糸を世に出したら、それこそギルドに宣戦布告をしていると思われかねないから注意したまえ」
「はい……」
なんか、まだ手を付けていないことにまでダメ出しをされて叱られている気分で納得いかないぞ。なんかにやにや笑っているし、俺をいじめて面白がっているだけではなかろうか、このおっさん。
「ただし、ギルドはきちんと筋を通す人間、自分たちに利益をもたらしてくれる人間には誠意を見せる。アラクネの糸をギルドに持ち込めば喜ぶだろう。ただし、色を染めてはいけない。染物師の仕事を奪うことになるからな。また、価値を下落させないために持ち込む量も少なくした方がいい。もっとも、そこらへんはギルドの方がうまくやるはずだ。もしギルドと連絡を取りたいのなら、わしの名前を出せば便宜をはかるだろう」
「はい、分かりました、ありがとうございます」
「その時に、絹や羊毛などを仕入れるといいだろう。アラクネの糸の割合を少なくして服を作れば、今いるモンスターたちへの服の供給がしやすくなるはずだ。アラクネの糸のみで作る服はなるべく少なくした方がいい。普段着はアラクネの糸の割合を半分以下にすることを勧める」
それから、ギルドについての説明や、織物商人の中で力のある数人の名前、ダーナ王国における織物業の位置づけ、輸入や輸出の大まかな内容などを大臣から色々レクチャーされた。なんだかんだで、世話焼きなのかもしれない。
なお、大臣にもアラクネの糸のみで作られた衣服を作ることになった。採寸の時に鼻歌を歌っていたのを俺は聞き逃していない。ちゃっかりしているな。




