054 荒野の妖精
ノエルの館からグローパラスに戻ってからは、妖精界へ出発する準備に追われることになった。
準備と言っても、妖精界へ向けてのものではない。行くのは俺とクレア、そして妖精がいた方がいいということでついてきてくれたプロミィの三人のみであり、事前準備するものはほとんどない。
グローパラスの運営についての報告書を書くのが出発する準備だ。いや、準備というよりは出発する条件と言った方が正しいか。グローパラスはダーナ王国の国家予算を使って運営されているので、日々の活動内容や収支報告書を提出することは当然の義務だ。
そんなわけで執務室にこもって書類を色々書いているわけだが、活動内容に書かれた俺の行動を見ると、移動にえらい日数がかかっていることを改めて思い知る。この世界の常識としてはそれが当然のことかもしれないが、交通網と技術が確立された地球での生活に慣れていた俺にとっては、移動による日数をどうしても無駄と感じてしまう。だからこそ、転移魔法の習得はこれからの円滑な活動のために必須といえる。
結局、事務仕事を終えてグローパラスを出発することができたのは戻ってから三日後だった。
「炎の色の変化かあ。私だったら幻覚魔法を使うけど」
「ウィルオーウィスプとしては、炎は本物じゃないとー」
「ヴィヴィアンってどんな妖精だった?」
「他のヴィヴィアンに会ってないから分からないけど、たぶんノエルを基準にヴィヴィアンを語るのはダメな気がする」
「今更言うのもなんだけど、プロミィ、向こうに友達がいるだろうに、無断で留守にしていいのか? ノエルの館から直接こっちに来たから気になってさ」
「そんな細かいこと皆気にしないよー」
「リューイチは考えすぎだって」
「いや、結構大事なことだと思うんだけどなあ……」
そんな雑談をしつつクレアとプロミィが仲良くなるぐらいに、道中は平和で特に何事もなかった。まあ、主要街道で何事かが起こるようでは困るが。
目的地の西の荒野は王都から四日の場所だ。俺たちはその荒野に一番近いルーゲンという村で宿を取り、村人たちに妖精について何か知らないか情報を集めることにした。もちろん、妖精界が近くにあることは言わないし、露骨に妖精のことだけを聞かないように気をつける。
その結果、この周辺ではそもそもモンスターの目撃例がほとんどないことが分かった。妖精界の入口があるなら妖精の目撃例があるものと思っていたが、当てが外れてしまった。
また、森が荒野になったことの影響についても聞くことができた。さぞや困ったことになったと思っていたが、荒野では魔力を帯びた鉱石が少量ではあるが採掘することができるらしく、当時の村人たちは生活の糧を失うことはなかったそうだ。その鉱石は採掘をしても、しばらく時が経てばまた新たな鉱石ができるため、生活の糧を失うことは当面ないらしい。妖精界が何らかの影響を現実世界に与えているのかもしれない。
結局、村では妖精界のことが何も分からなかったが、ここで何か分かるようなら妖精界のことについて王都でも何かしら情報があっただろうし当然か。
そして、翌日の朝早く、俺たちは荒野へと向かった。
荒野は、かつて森があったとは思えないような有り様だった。ごつごつとした岩が点在し、地面は乾いた砂と、小さなレキが散らばっている感じだ。緑はコケのようなものと、緑色が濃くない低木のような植物がちらほら見えるぐらいだ。
そんな荒野をただ進む。万が一にでも妖精界が他の人間に目撃されないようにするためだが、歩いていて面白くもない光景が続くのは微妙にきつい。
「ねえ、本当にこんなところに妖精界があるの?」
「あるって言われたから、それを信じるしかないな」
俺はノエルから渡されたハンドベルを取り出して、何度か鳴らした。音は荒野に吹く風の音にはかなくかき消されるが、ハンドベルから放たれる魔力は微かながらも静かに広がっていくのを感じた。
「これで門の守護者が出てくるとか言っていたけど、気長に待つとしようか」
しばらく待ってみて何も変化がなかったら、別の場所で鳴らしてみよう。当面はそれを地道に繰り返すしかないな。
と思っていたが、どうやらノエルの言っていたことは正しかったな。目の前の空間が歪んで、そこから女性がすっと現れた。
「あら、妖精かと思ったら妖精のほかに人間が二人……」
その女性は、女性にしては長身で俺と同じぐらいの背の高さだ。簡素な赤い服の上に、皮鎧を纏っている。腰にはサーベル、背中には弓と、女戦士といった出で立ちだ。一番目立つのは背中まである長い髪だな。美しい黒髪で、さらさらしているのが見ただけで分かる。
「あなたが妖精界の門の守護者、ヴィルデ・フラウですか?」
俺がそう言うとその女性はぴくっと眉を動かした。
「なぜ私のことを知っているの」
「北の森の湖に住んでいるヴィヴィアンのノエルから話を聞きました。このハンドベルもノエルからもらったものです」
「なるほど、ノエル殿の知人ね」
お、ノエルのことを知っているのか。それなら話が早そうだ。
「俺はリューイチ・アメミヤといいます。こちらの少女はクレア・ローレンツ、ウィルオーウィスプはプロミィです」
「私はヴィルデ・フラウのエルザよ」
「俺たちは妖精界に行きたいのですが、どうか案内をしていただけませんか」
「人間がなぜ妖精界に?」
少し迷ったが、ここは正直に言った方がいいだろう。
「ティターニア女王に面会し、転移魔法について聞きたいことがあります」
その言葉にエルザは呆れたような表情になった。
「まさか、人間が女王様に会いたいと言うとは思わなかったわ。女王様が人間に会うわけがないじゃない」
「俺は人間ではありません。ノエルが興味を持つような力を持っています。おそらく、女王も興味を抱くでしょう」
「ふーん……」
エルザは値踏みをするように俺の全身を見る。俺は続けてこれまでの経緯を話そうとした。プロミィの炎を見ればある程度信じてくれるだろう。しかし、俺が話を切り出すより先に、エルザが話を切り出す。
「リューイチ、あなたの腰の獲物、遊びで身につけているわけじゃないわよね。私は戦士、あなたの力、その剣に聞いてみるわ」
は?
「そういえば、リューイチは剣士とか言っていたよね、出会ったとき」
待て、クレア。俺の事情は全部話したはずだが、それなら剣士と名乗ったのが嘘というぐらい分かってもいいだろ。
「剣士か、面白い。どのぐらい腕が立つか興味あるわ。安心して、多少楽しませてくれたら合格にしてあげる」
エルザもスイッチが入ったようにあっという間に戦うことがもう決まったものとして話している。
「リューイチ、がんばれー」
……なんか、もう引込みがつかないな。
俺は神珠の剣を抜いて構えた。剣の名前は特にないので、とりあえず神珠の剣と呼ぶことにした。なお、当然のことながら俺は剣士ではない。体育の授業で剣道をやったことがあるだけだ。他の武道も、同じく体育で柔道をやったぐらいだ。受け身はうまいと言われたが、その程度である。
とりあえず、俺は正眼の構えをする。上段や下段は正しい形が分からないからこれ一択だ。対して、エルザは余裕の笑みを浮かべてそれっぽい上段でサーベルを構えている。
「私からいくぞ!」
エルザは勢いよく地面を蹴って俺に向かってきた。
たぶん、速いのだろう。迷いのない動きで体が躍動しているのが分かる。
しかし、俺は技は素人だが、身体能力だけは非常に向上した。今まで力や体力でしかそれを感じたことがなかったが、今この瞬間、エルザの動きが全部分かることで自分の身体能力の向上の半端なさが改めて分かった。エルザの動きを把握できる動体視力だけではない、それを認識できて、なおかつ対応する手段が複数浮かぶ自分の思考能力の速さにも気づかされる。
よくアニメや映画などで相手がスローモーションの動きになる演出があるが、時間が短くなるわけがないから「この間わずか云々」という思考時間にリアリティーを感じることはなかった。しかし、今まさに、俺はそのスローモーションの時間の中にいた。
「見える! 俺にも見える!」
どっかで聞いたような台詞を思わず叫んでしまうほど、その感覚は新鮮だった。神経を集中していたのが原因だろうか。今までこうして短い時間を長く感じることがなかった。
俺は様子見といった感じでまっすぐに振り下ろしてくるサーベルをかわしながらエルザの背後に回りこむ。そのイメージを実現できるだけの身体能力が備わっているのだ。
「え……!?」
エルザは後ろを振り返り、そこにいる俺を見て目を見開いていた。そして、体勢を変えるだけの時間がないと判断したようで、慌てて攻撃してきた勢いで走り抜けて俺と距離を取ろうとしている。
だが、惜しい。俺は左を伸ばしてエルザがサーベルを持つ右手を掴みつつ、右手の剣をエルザに突きつけた。
「ま、まいった……」
正直、エルザには可哀想な決着だった。あれだな、加速装置を発動させたような感じに近いからズルとも言える。相手の技をこちらの身体能力でねじ伏せるのは、戦いとしてはきっと美しくない。
「あなた、とても速いのね!」
エルザは顔を赤くして、興奮した感じで俺に話しかけてきた。うん、その台詞、なんか突き刺さるものがあるよね、男として。
「私も速さに自信があったけど、まだまだ修行不足って思い知らされたわ」
「とりあえず、合格ということでいいですよね」
「ええ。ノエル殿の紹介ならば間違いはないでしょうし」
何とか妖精界に行けそうでよかった。
そういえば、一瞬で終わったとはいえ、この世界に来てから武器を持って戦ったのは初めてだったかもしれない。ヘテロポーダの時など、何回か戦う機会はあったが徒手空拳だったからなあ。あの時はここまで相手の動きを遅く感じることはなかった。やはり、武器を持ったことで緊張感が違ったのかな。
できれば、武器を握る機会はこれっきりにしてほしいものだ。
これで二章が終わり、次回からようやく妖精界が舞台になります。
なお、ヴィルデ・フラウは「野生の女」という意味のドイツ産の妖精です。名前でググればどんな妖精か出てきますよ。




