029 砂漠旅
砂漠に行くにあたっての準備はそれほど手間はかからなかった。
日差しを防ぐための白色のゆるやかな長袖と長ズボン、フード付のマントは三人おそろいだ。俺は重いものも平気なので、テントや保存食、水も運ぶ。二人には心配されたが、実際苦にはならない。
保存食は半分はモンスター対策だ。砂漠のモンスターは飢えていることが多いため、そういったモンスターと出くわすと危険らしい。王都に寄せられたモンスター被害では、繁殖目的以外でモンスターが先に手を出した数少ない事例が砂漠やその周辺に多いそうだ。
水に関しては、ティナが水魔法を多少使えるから飲み水の心配は一応ない。一応というのは、魔法で出した水は魔力の影響を強く受けているため、一定以上の摂取は体内の魔力バランスを狂わせて体調を崩すらしい。水がない状況下においては頼りになるが、最初から魔法の水に依存するのはよくないそうだ。
そして、準備が整い次第俺たちは出発し、徒歩六日をかけて、砂漠の入口の村、シャルタにやってきた。馬を使うには、俺たちは馬の扱いを知らないし、かといって馬の世話をする者や馬用の飼料などを一緒に運ぶ手間がめんどくさい。
「ふう……それにしても、日差しがきついな」
日本にいた頃のような湿気がないので不快度はそれほど高くないが、日差しの強さはかなり強力だ。気温はおそらく四十度を超えているのではないだろうか。
俺は村を色々まわって、スカラベの情報を集めていた。
それによると、ここから三日ほど砂漠を西へ進んだところに遺跡群があり、その周辺でスカラベの目撃例が多いことが分かった。
とりあえず、今でも目撃例があったことを聞いて安心した。まるで情報がなければ、砂漠を当てもなくさまようことになりかねなかった。いないことを証明するのは無理だから、場合によってはかなりの長期戦を余儀なくされたかもしれない。
その他、砂漠で注意すべきことや、危険なモンスターについて話を聞くことができていい成果だった。まあ、そのためにそこそこ銀貨を使うことになったが、必要経費としてそれなりの金を預かっているので躊躇なく使える。
宿に戻ると、クレアとティナはある作業に真剣に打ち込んでいた。
クレアが幻影魔法でブラック・ローチの姿を投影し、それをティナが紙に模写している。映っているモンスターの対象がアレなだけに二人は若干顔色が青いような気がする。
「熱心だね」
「そりゃあ、私の夢だもん、モンスター図鑑!」
クレアがモンスター調査をする目的の一つがモンスター図鑑の作成にあることを知ったのはつい最近だ。モンスターに対する誤解と偏見をとくため、モンスターの正しい姿を世に伝えたいということらしい。
何がクレアをそこまで駆り立てるのかはまだ聞いていない。でも、そのクレアの目標はとても素晴らしいものだと思う。
その図鑑の作成のため、クレアは実際にモンスターを目にして、それを幻影魔法で投影できるようにしている。魔法って卑怯なほど便利だな。そして、それをティナがなるべく正確に模写をする。こういった図鑑には絵は必須だよね。
なお、クレアの画力は非常に残念なもので、模写がうまいティナにこうして頼んでいるそうだ。
「リューイチのおかげで、モンスターに直接質問できたから、これを繰り返せばすごいものができあがるはず……! そのときは、二人の名前は協力者として最初にあげるからね」
「わあ、楽しみ」
「そいつはどうも」
直接質問できたモンスターとできなかったモンスターとで、項目の質に明確な差が出そうだが、それはいいのだろうか。まあ、そういうのはモンスターの収録数が増えてから心配することだし、俺が気にすることでもないな。
俺は二人に目的地が定まったことを話し、明朝出発することを告げた。
「暑い……」
「暑いです……」
「そりゃ、砂漠だしな」
太陽が容赦なく照りつける中、俺たちは西にあるという遺跡群を目指して砂漠を歩いていた。
いや、思ったより大変だ。砂漠の砂はとてもきめ細やかで、歩くたびに足が沈んで非常に歩きづらい。さらに、その砂漠の砂は太陽の光を反射してキラキラ輝いて目が痛い。これは完全に想定外だ。サングラスが欲しい……。
また、風が吹くたびに細かな砂が巻き上げられて俺たちに襲いかかる。村人の勧めでマフラーを買っていなかったら、鼻や口に砂が入ってくるのを防げずに、一度引き返していたかもしれない。
「何もさ、暑い昼じゃなくて、涼しい夜に進めばいいんじゃない?」
「夜は色々な生き物が活発に動き始める。話の通じるモンスターならともかく、毒蛇やサソリは危険だからなるべく避けたい」
そして、夜には火を絶やさないようにする。これについては、ティナの魔法が役に立った。ティナは砂の上に炎の魔法を固定化させることができて、ティナが寝ていてもその火は絶えることがない。
「うわ、ティナ、器用だな」
「私の大地魔法は大地との繋がりを基本としますから、こういった組み合わせは得意なんです。ただ、火の勢いはそれこそ焚き火ぐらいが限界ですけど」
夜は昼から一転して、若干肌寒さを覚えるほどに冷える。
俺はテントを用意して、二人をその中に寝させる。二人はかなり渋ったが、俺は外で寝ることにした。実際は寝ずに周囲を警戒していて、寝ないでも大丈夫な体の便利さを改めて感じる。
狼か犬のような獣が六、七匹テントと俺の方を遠巻きに眺めていたりしたが、炎を見てか、もしくは俺を見て立ち去ったこともあった。
それにしても、哺乳類を何種類か目撃したが、どれも耳が大きいな。暑い地方にいる種ほど、放熱のために耳や尻尾といった突起物が大きくなるんだよな、確か。そして、逆に寒い地方ほど耳や尻尾が小さくなるんだっけか。
そんな哺乳類のせいでえらい目にもあった。
二日目、俺たちは照りつける日差しの中を黙々と歩いていた。クレアとティナは互いの魔法をリンクさせて、定期的に周辺の地形を探っていた。
そして、ティナが珍しく大きな声をあげる。
「こ、これは!?」
「どうしたんだ、ティナ」
「大きな水のかたまり……オアシスですよ、オアシス!」
「うっそ、本当に!? やった!!」
クレアとティナは大はしゃぎだ。
まあ、それも当然か。汗をかいた肌に砂がこびりついて気持ち悪い。オアシスで体を洗うことができたら、それはもうリフレッシュできるだろう。
ほどなくしてたどり着いたのはまさしくオアシスだった。砂漠の真ん中に青い水がたたえられ、その外周には緑がある。まさに地獄の中にある天国。
二人が水浴びをする流れは至極自然であり、俺は見えない場所で待機するというのも至極自然な流れだった。ざっと見た感じモンスターはいなかったし、草食動物が群れていただけだから危険はないだろう。
そんなことを考えていたところに二人の悲鳴が響く。
『きゃあ!』
俺は迷わずオアシスに飛び込んだ。二人を助けるために。
そこで見たのは二人を襲う凶悪な生物、ではなく、愛嬌ある顔立ちをした耳の若干大きな猫の家族だった。
そして、その猫を見てきゃいきゃいとはしゃいでいる全裸の二人。悲鳴だと思ったのは歓声だったか。
クレアはトレードマークの真っ赤なポニーテールをほどき、意外にさらさらしている髪をたなびかせ、釣り目を細めて猫を見ていた。体は思ったよりもすらっとしていて、腰のくびれが魅力的だ。だが、尻が若干薄いのと、胸も若干小さめな感じが残念かもしれない。
一方ティナは、栗色の髪を丁寧に洗いながら、やはり猫を嬉しそうに見ていた。特筆すべきはその胸で、普段の緩やかなローブ姿に隠されているそれは、結構なボリュームのあるワンダフルなものだった。揺れる。そして、重量感がある。尻はまさに安産型といった感じで、二人の体型はわりと対極的なものだった。
そんな情報を、俺は一瞬のうちに脳内に記録した。
いいぞ、俺。
その代償は、両頬にできた二人の手形と、しばらく口を利いてくれないという針のむしろ状態だった。とはいえ、俺が二人を助けようとして飛び込んできたことは分かっていたらしく、なんとか許してもらうのであった。
その後は大きなトラブルもなく、三日目を迎える。
運がいいのか悪いのか、モンスターに遭遇することはなく、順調に進んでいる。クレアとティナの魔法、俺が勝手に地図魔法と呼んでいるもののおかげで、方向感覚を失うことなく確実に進めていることが大きいと思う。
そして、ついに遺跡群と思われる場所にたどり着いた。
小高い砂の丘を登ると、遠くに古い石造りの大きな建物がいくつか、砂に埋もれるようにたたずんでいるのが見える。
ついに目的地が見えて、喝采をあげる俺たち三人。
そのとき、強い風が吹いて砂が巻き上がった。
「うわ!」
『きゃあ!?』
これがたまにあるのが砂漠を歩いていて特につらかったことだ。目を傷めるので目をこするわけにはいかず、涙が砂を洗い流すのを待つしかない。
そして、改めて先に進もうとしたときに、それは目の前にいた。
全裸の人間の女性……ではない。足はたぶん何かの鳥の脚で、背中から腰にかけては赤い外骨格のような皮膚になっていて、腰からはサソリの尻尾が生えている。そして、背中には鳥の翼が四枚生えているという異様な姿だ。
そのモンスター娘は大人っぽい顔立ちで、俺たちをゆっくりと見回して妖艶な笑みを浮かべる。
俺は人間と鳥とサソリのキメラといった姿のインパクトに、思わず剣をいつでも抜けるように柄を握る。クレアとティナも、杖を構えて臨戦態勢だ。
「大丈夫よ、私はあなたたちを襲う気はないから」
そのモンスター娘は、よく通る声でそんなことを言ってきた。
「私はギルタブルルのムニラ。ここの遺跡の番人よ。いつもは寝ているんだけど、今日はたまたま起きていたから張り切っちゃった。たまには仕事しないと」
なんて迷惑な。今日も寝ていればよかったのに。
「というわけで、悪いことは言わないから帰りなさい」
「俺たちはやることがあるんだ。悪いけど、そういうわけにはいかない」
これはやはり一戦交えることになるのか……。
「そうなの? なら、通っていいわよ」
「え?」
あっさりとした言葉に思わず脱力してしまう。何なんだ、これ。
「一応声をかけたし、最低限の仕事はしたと思うわ」
いいのかよ、それで……。まあ、仕事熱心じゃなくてこちらとしては助かるけどさ。向こうの気が変わらないうちにさっさと……。
「ねえねえ、その尻尾ってやっぱり毒があるの?」
「あるわよ。結構強い毒だから触らないでね、危ないから」
「毒って具体的にはどんな症状? 致死性? それとも麻痺するだけ?」
クレアがここぞとばかりにくらいついていて、ムニラと名乗ったモンスター娘も当惑している。俺にとっては初めて聞いたモンスター娘だし、村で聞いた中にもなかったから、たぶん珍しいモンスター娘なんだろう。それだけにクレアの知的好奇心が刺激されている感じだ。
やがて、質問責めに参ったのか、ムニラはクレアから逃げるようにその場から飛び立つ。
「ああ、まだ聞きたいことが!?」
「つ、次の機会があったらね!」
そのままどこかへと飛び去るのかと思ったら、一度俺たちの周囲をぐるりと旋回して「警告はしたからね」と一言残し、今度こそどこかへと消えた。
なんか嫌な予感がするよなあ。
とはいえ、先に進むしかない。俺たちは遺跡群へ向けて進むのであった。
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