023 水精襲来
突然のウンディーネの襲撃に、周囲はパニックになっている。ざっと見回した感じ、水が次々と溢れているために周辺が水浸しになっていることをのぞけば、これといった被害はなさそうだが、人々のモンスターに対する反応は大きい。
まあ、自分たちの生活空間にいきなり乱入してきたら驚くなという方が無理な話ではあるけれど。
「ねえ、リューイチ、どうする?」
「……どうするも何も、向こうはこちらの代表者をお求めなんだから、俺たちの出る幕はないだろ」
国王が出てくるわけはないが、おそらく衛兵の中でもそれなりの地位に就いている者が出てくるはず。
とりあえず、今は建物の陰からこそこそとウンディーネを観察しよう。
「リューイチさんは、あのウンディーネの目的が何か分かりますか?」
「確証はないけどね。二人だって、想像はついているだろ」
ウンディーネが水のモンスターであることと、最近俺たちが川を調査して感じたことを合わせれば、まず間違いないだろう。
これは、大変なことになりそうだ。
「あれか!」
「本当にモンスターが出るとは……」
急に周囲が騒がしくなってきた。
武器を持った衛兵たちが十数人現れて、ウンディーネと対峙する。
ウンディーネは、衛兵たちにはあまり興味がないようだ。おそらく代表者でないことが見て分かったからだろう。
「あ、お兄ちゃんだ」
クレアが先頭にいる男を見てそう言った。なるほど、クレアと同じ燃えるような赤髪だ。常任警備隊とか言っていたっけ。王都の治安を守るための組織だから、こうして出てきたわけか。
とりあえず、問答無用で攻撃を仕掛けるようなタイプじゃなくてよかった。
そして、しばらくは膠着が続く。
ウンディーネは周囲を警戒はしているようだが、何か仕掛けることはしない。警備隊はそんなウンディーネを油断なく見張り、俺たちは建物の陰でその様子を見ているだけだ。
そんな膠着状態が五分、いや、十分ぐらい続いた頃、ようやく事態が動きを見せる。
「そこまでだ、モンスター!」
凛とした声が響き渡る。
その声の主は一人の少女だ。長い金髪をたなびかせ、その身に纏うのは銀色の甲冑。白い馬に乗るその姿は、なかなかに絵になっていた。
「あの方は……」
「ティナ、知っているのか?」
「はい、有名な方です。ソフィア・フォン・レイヴァルト様。レイヴァルト伯の次女で、騎士として王都の守りを担われている方です」
なるほど、この事態を収めるために来たのか。他に騎士らしき立派な鎧を纏っている男が二人。モンスター一人相手ならこれで十分ということなのだろうが、事態はそう単純ではないんだよなあ……。
「我が名はソフィア・フォン・レイヴァルト! 国王直属騎士団の騎士だ! そこのモンスターよ、王都でこのような狼藉をはたらくとは、いかなる理由があってのことか!」
「国王との対談を希望しますが、今は仕方ないですね」
そのウンディーネの言葉に女騎士、ソフィアは眉を動かしたが、そのままウンディーネの言葉の続きを待つようだ。
「私はアクリア。この一帯のウンディーネの長です。本日は、あなた方へ警告をするために参りました」
なるほど、ウンディーネの長。道理で大きな力を感じるはずだ。ただ一人で来たのも、それだけ自分の力に自信があるからだろう。
「警告? それはまた随分と一方的な話ではないか」
「あなた方人間が私たちにした仕打ちこそ一方的なものです」
「我々はモンスターと関わりを持たぬ。言いがかりはやめてもらおうか」
あ、ダメだ、この女騎士、最初から話を聞く気がない。
「我々の方こそ警告する。これ以上王都を侵犯するのであれば、実力を持って排除する」
それどころか、今にも斬りかからんばかりの勢い。
幸い、ウンディーネの方が感情的になっていないようだが、逆に言うとそれが不気味でもある。これはもう、黙って見ていられない。
「二人とも、俺はこれから厄介ごとに首を突っ込むから、すぐにここから立ち去った方がいい。俺と二人は無関係、いいね」
「リューイチ、ちょっと、何を……」
「リューイチさん、私たちに協力できることが……」
「ダメだ、二人を巻き込みたくない」
二人が俺を止めようとするが、俺はかまわず飛び出していった。
「ちょっと待て、そこの女騎士! あんた、少しは頭を使って考えろ!」
とりあえず、言いたいことを真っ先に叩きつける。いきなりの乱入者に暴言をはかれたソフィアはしばらく目をぱちくりするが、自分が侮辱されたことに気づくと顔を真っ赤にして俺の方を向く。
「ぶ、無礼な!! 私は卑怯にも奇襲をしかけたそこのモンスターを相手にせねばならん! 立ち去れ!!」
「本当に奇襲をしかけるなら、たった一人で来るわけないだろ! 周りが水浸しになっただけで、特に被害もない。都市に許可なく侵入したとはいえ、いきなり実力行使に及ぼうとするのはただの考えなしだ!」
「黙れ! 私は王都を守る義務がある! 許可なく侵入したという事実だけで排除するには十分だ!」
……一理あるか。ウンディーネが無許可で王都に出現したのは事実だし、彼女の仕事からして脅威を排除することは間違ってはいない。
いかん、俺の方も頭を冷やさねば。
さらに、警備隊が俺を排除しにこちらに駆け寄ってきている。や、やばい、とりあえず緊急避難として近くの建物の屋根に飛び移らねば。
「……井戸から出現した意味を考えろ。おそらく、川から上水道を通ってここまで来たはず。その気になれば、王都に点在する井戸からウンディーネが大量に出現していたはずだ」
軽々と屋根にジャンプした俺を見て警備隊は目を丸くしている。だいぶ体の動かし方には慣れてきた。
「貴様、これ以上邪魔をするようだと……」
「その気になれば、ウンディーネは王都に水が来ないようにすることができる」
その俺の言葉に、ソフィアは目を見張った。
「彼女たちは水を操るモンスターだ。しかも、上水道を使って水を運んでいることも把握しているのだから、上水道からの水の供給を止めることは容易だろう」
ソフィアは何か言い返そうと考えているようだが、何も思いつかないようだ。
少し考えれば当然思いつくことだから、否定はできないだろう。そして、その意味がどれだけ重いか、考えるまでもない。
「水を断たれたら、誇張ではなく王都は甚大な損害を受ける。今は、ウンディーネの言葉をしっかりと聞くべきだ」
「ぐ……うぅ……それは、そうだが……」
自分が間違っていたことに薄々気づいたが、それを認めることはプライドがなかなか許さない、みたいな葛藤状態っぽいな。気持ちはよく分かる。
「もうあんた一人で判断できる案件じゃないことは理解できただろ」
「……うぅ」
「そもそも、ウンディーネが来た理由、あんたは分かるか?」
「…………」
ソフィアは何も答えない。
逆に、ウンディーネが俺の言葉に興味を示したようで、俺の方を初めて正面から見てきた。
しまったな、ちょっと余計なことまで喋ってしまったか。
「そこの人間、私自らがこうして人間に警告を発する理由、あなたには分かりますか?」
……直接聞かれたからには答えるしかあるまい。それに、理由を人間側に知ってもらわないといけないからな。
「王都から下水道を通して流れる人間の排泄物、ゴミなどが川を汚しています。その汚染の程度が、あなたたちの許容量をこえた……といったところでしょうか」
「……そうです。人間でそのことを理解している者がいたという事実に、少しですが安心しました」
やっぱりそうか。まあ、ウンディーネが怒る理由なんて、そのぐらいしか思い浮かばないけど。
「人間、あなたの名前は?」
「俺はリューイチといいます。ウンディーネの長アクリアよ、今日のところは引いて下さい。人間に今回のことを考える時間を少しでいいからいただきたいのです」
「こ、こら、何を勝手なことを……」
「女騎士さん、あんたは黙っていてくれ」
強い言葉で返した俺をソフィアは睨んだものの、それ以上は何も言ってこなかった。本来はソフィアが言うとおり俺の今の言葉はとても勝手で無責任なものだが、ソフィアがこれ以上何かやらかすよりかはマシだろう。
「……分かりました。私にも無礼がありましたし、一度引き返します。水も今までどおり使えますのでご安心を」
「感謝します、アクリア」
とりあえず第一関門はクリア。問題は……。
「明日」
ほらきた。
「明日、太陽が天高く昇ったときに、再び私はここに来ます。そのときに、川の汚染をやめることについて、人間から具体的な提案があることを希望します」
……まあ、そうくるよな。
「アクリアよ、俺に決定権はありません。女騎士さん、この場ではあんたが責任者だ。どうする?」
我ながら無責任にソフィアに丸投げする。まあ、俺が勝手に約束したらそれこそ無責任だが。
ソフィアは再び俺を睨むが、自分が負っている責任は自覚しているらしく、真剣な表情でウンディーネに向かい合う。
「明日は無理だ。我々にも都合がある。せめて六日は待ってほしい」
「私たちはこれまで長い時間耐えてきました。これ以上耐えろと?」
「三日!」
雲行きがあやしくなりそうだったので、俺は思わず叫んでいた。
「三日後の昼、太陽が天高く昇ったときに、何か具体的な提案をできるようにします。お願いします、あと少しだけ待って下さい」
ウンディーネは俺をじっと見て、それから小さく頷いた。
「……分かりました、それまでは待ちましょう」
受諾の言葉と共に、ウンディーネは、噴出していた水と共に井戸に吸い込まれていった。
どうやら帰ったようだな。ようやく張り詰めていた緊張がとけていく。
「きちんと上に報告しろよ、女騎士さん。事が重大ということを上に分からせないと大変なことになるからな」
念押しをして、俺はその場を離れようとする。
「当然報告はする」
俺を男の騎士と警備兵が取り囲む。
あー、これはもう逃げない方がいいかな。まだ王都にはいたいし。
「お前のことを含めて念入りにな」
ソフィアがものすごい目で俺を睨んでいる。
いや、理不尽だろ、これ。俺はむしろ助け舟を出したと思う。あのままだと、ソフィアのせいで交渉すらできない状況になりかねなかった。
だから、せめて一矢報いたい。しかしまあ、俺も大人だ。ここは度量の広いところを見せた方が後々のためにいいだろう。
「そんなに怖い目で睨んだら、可愛い顔が台無しだぞ」
キラッという擬音をつけたくなるほど、俺としてはまぶしい笑顔を浮かべたつもりだ。
完璧だ。これでソフィアも気を許してくれるに違いない。
そして、俺は城の地下牢に入れられた。
あれー?