021 in 下水道
「あー、やっぱ来なければよかったかなあ……」
愚痴るように言った俺の言葉が反響する。周囲は暗く、剣の先に固定してある明かりの魔法だけが光源だ。何より特徴的なのは、様々な汚物が交じり合った臭いがたちこめていることか。
ここは下水道。王都には下水道が蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、最終的に三つの大きな地下水路に集まっていく。
俺が歩いているのはそのうちの一つだが、とにかく広い。左右に横幅二メートルほどの通路があり、真ん中は横幅六メートルほどの汚水が流れる川がある。これだけの規模のものをよく作れたものだ。
俺がこんな所を歩いているのは、この前のクレアの話を聞いて、下水道の中がどのようになっているか気になったからだ。
トイレから下水道に侵入するのは、大きさ的にも心情的にもさすがに無理というかやりたくないので、ゴミを最終的に捨てる場所から侵入することにしたのだ。
そう、ゴミは埋めるわけではなく、下水道にそのまま流しているのだ。
ゴミ運搬人を追跡した結果、王都の門を出て少し歩いたところに下水道へ続く入口があり、そこでゴミを流しているようだ。入口には関係者以外立ち入り禁止、危険などと書かれていたが、周囲に人がいるわけではないので侵入は容易だった。
それにしても、これはきついな。汚水に色々なものが浮かんでいて嫌になる。
あれだ、テレビで見たガンジス川を思い出す。
まあ、この世界は都市の人口が少ないからマシかもしれない。そもそもゴミとなるものが少ない。ちょっとしたことですぐ物を捨てるような世界ではないからだ。だから、川の汚れも致命的なレベルではないのかも……。
そのまま垂れ流しというのは問題だが、こうして下水道を作り上げる技術はすごいな。天井も高いし、ところどころに横道や、おそらく地上に通じていると思われる道もある。
一体どのぐらいの年月をかけて作ったのか。川までの距離は大したことないとはいえ、これだけしっかりしたものを作るのは大変だろうに。
ただ、害虫、害獣の巣窟になっているのはまずいと思う。
ちょっと歩くだけで、ゴキブリやネズミの姿を何度も見かける。モンスター娘ではなく普通の動物の方だ、念のため。
これって、いつ病気が蔓延してもおかしくない気がする。下水道を定期的にメンテして、その過程でこれらの動物を駆除した方がいいのでは。
そんなことを考えながら歩いていたら、前方に気配を感じた。
「ああ!? お前は!?」
キンキンした声が響く。
なんていったっけ、あれだ、ブラック・ローチだ。ゴキブリのモンスター娘。どうやらあの時に出会ったのと偶然にも同じ個体のようだ。
「あれか、あたしの魅力に負けてここまで追っかけてきたとか?」
「それはないな」
「……じゃあ、こんな所まで何しに来たんだよ。こんな所まで自分からやってくる人間なんて初めてだ」
モンスター娘からいくつか聞きたいことがあったからちょうどいいな。
「いくつか質問したいことがあるんだが、いいか?」
「はあ? 暇なやつだなあ」
そして、そいつは目を細めてこちらに提案してくる。
「何か見返りはあるよな、当然」
「新鮮な魚や肉はどうだ?」
「何でも聞いてくれ!」
朝市で魚と鶏肉を買っておいたのが功を奏した。一応、こういうときのために用意しておいたんだよな。
「腐ってもないし汚くもないけど、いいのか?」
「あのねえ、あたしたちは好きでそういうの食べてるんじゃないから。そういうのを食べても大丈夫なだけで、特にあたしみたいなモンスターはおいしい食事の方が好きなのよ」
「そういうものなのか……」
当然と言えば当然か。見た目は人間だから、むしろそちらの方が普通に思えるかもしれない。
「あたしはローナ、名乗っていなかったよね」
「俺はリューイチだ」
さて、さっさと質問をするか。
「この下水道に、お前たちモンスター娘はどれぐらいいるんだ?」
「結構いるよ。私みたいなブラック・ローチのほかにも、同じゴキブリ系のモンスターが複数の種類いるし、ネズミも結構いるね」
そして、ローナは少し体を震わせて、小さな声で囁いてきた。
「あと、クモやムカデのモンスターもいる」
あー、そいつらってゴキブリを食べるよな。
「ネズミも含めてゴキブリの天敵だけど、ひょっとしてモンスター娘も狙われるとか?」
「いや、モンスター同士で食い合うことはほとんどないよ。実際、襲われたことはないしね。……本能的に怖いってのはあるけど」
「普通の動物のゴキブリは?」
「そっちが主に食べられているね。少し文句を言いたくなるけど、強い奴に食べられるのは仕方ないし」
クモやムカデのモンスター娘の主食ってことだろうか。ひょっとしたら、ゴキブリやネズミを求めて入り込んできているのかもしれない。
「ずっと気になっていたんだけど、たとえばゴキブリのモンスターなら、昆虫のゴキブリと会話できたりする?」
「いや、あいつらそこまで頭よくないし」
……心底ホッとした。昆虫のゴキブリに知能があったらマジで怖い。
「ただ、私たちなら多少の命令はできる。ゴキブリを食べるモンスターを先に発見したら、反対側に逃げさせたりとか」
「え? それで従うの?」
「ああ。可愛いもんさ」
ということは、こいつら次第では、一斉にゴキブリが襲いかかってくるかもしれないということか。なんて恐ろしい……!
そのとき、空気のゆらぎを感じた俺は、咄嗟に前にジャンプした。すると、さっきまで俺がいた場所に、新たなモンスター娘がいつの間にかこちらを見ている。
それはクモだ。下半身はクモで、腰から上は人間の女性のそれだ。黒髪はボブカットで、瞳が大きく顔立ちは若干幼い感じがする。なぜか迷彩調の軍帽をかぶっているのがやたら印象的だ。
「勘がいいでありますな」
「……えー?」
これだけでクモの種類が分かってしまった。
なぜ、地球の一部でひっそりと言われている愛称のイメージそのままなんだ。
「軍曹……アシダカグモ!」
「何でありますか? 私はヘテロポーダのカフィであります」
「ヘテロポーダっていうのか。巣をはらずに、その素早い動きで獲物を狩るクモはここではそう呼ばれているのか」
「お、私たちの特徴を知っているでありますね」
なお、ローナは俺にしがみついて震えている。まあ、天敵中の天敵だもんな。
「俺に何の恨みが? いきなり襲われる理由がないけど」
「強そうなのでつい襲ってみたであります。まさかあの奇襲をかわされるとは思わなかったので驚いているでありますよ」
バトルマニアかよ……。厄介そうだなあ。
「というわけで、続きであります!」
再びこちらに襲いかかってくる。
動きが速いからまともに相手をしたら面倒かもしれない。だから……。
「おや? よけないとは驚きであります」
俺はあえてカフィの攻撃を正面から受けた。
その攻撃は噛み付き。俺はカフィの突進を何とかこらえたが、カフィはそのまま俺の首筋に噛み付いてきた。
「ふふふ、モンスターになると私たちの種も毒を持つようになるのであります。さあ、これでもう動け……」
俺は噛み付くことによって動かないでいるカフィに向かって思い切り掌底打ちをした。
「ぐふぅっ……で、あります……」
カフィはどぅっとその場に片足、いや、八本中前の四本ほどの足をつく。
「なぜ毒が効かないでありますか? 私の毒は即効性がある麻痺毒なのに……」
「バブルスライムの毒よりは強いようだけど、少し痺れる程度だな。俺は毒に耐性があるんだよ」
「なるほど、厄介でありますな……。しかも、人間とは思えない怪力の持ち主とはまったくもってただ者ではないであります」
ん、見た目よりもダメージがなかったのかな。もう立ち上がっている。
「まだやるの? 俺はあんまり戦いたくないんだけど」
「それは残念であります。これ以上戦うのは無意味ということですな。最初の戦いは私の負けなのでここは従うでありますが、次は負けないであります!」
「いや、次なんてこないから」
意外に聞き分けがよく、カフィはそれ以上襲ってくることはなかった。
「すげーな、リューイチ! クモを一撃でやっつけるなんて!」
相変わらずローナは俺の後ろに隠れている。よほどカフィが怖いのか。
「む……、そこのブラック・ローチ、私と戦うでありますか?」
「ひぃっ!? 遠慮します! ごめんなさい!」
その後カフィにはクモのモンスター娘についていくつか聞いてみた。
予想通り、この下水道にエサがたくさんいることを聞きつけて、クモのモンスター娘だけでなく、動物のクモも結構な数集まってきているらしい。それを聞いたローナの顔が真っ青になっているのがちょっと面白かった。そして、カフィもクモならある程度命令ができるらしい。
この下水道は無駄に広いこともあって、彼女たちが住み着くのにちょうどいいらしい。土を掘り進めて巣を作っているモンスター娘が少なくないとか。あまり掘りすぎて全体が崩れなければいいのだが。
とにもかくにも、俺としてはいい傾向だと思う。あまりネズミやゴキブリが増えすぎたら、王都の方に悪い影響が出るだろう。彼女たちがそういった害虫、害獣を食べてその数を減らすことは大歓迎だ。
なお、クモは昆虫ではない。節足動物の仲間だが、クモの仲間は独立している。ダニやサソリもクモの仲間だったな。でも、ノミは昆虫というややこしさ。
「知りたいことは確認できたし、そろそろ戻るか」
「えー、もう帰るの?」
「リューイチ殿もここで暮らしませんか?」
引き止められたが、ここで暮らせるはずもなし。いや、今の俺なら体調を崩すことなく暮らせそうな気がしないでもないが、さすがに環境が悪すぎる。
たぶん二度と来ないだろうなと思いながら、俺は下水道を後にした。
軍曹は生で見たことがありません。
とはいえ、家にいたらパニックになりそうです。