002 ファースト・コンタクト
そして、俺はファルダムという異世界にいた。
神は、あらかじめ小さな小屋を俺のために用意してくれていた。と言っても、簡素なベッドと井戸があるだけだが。
最初の一週間は、肉体が人間から準神へと変化したことの負荷と違和感で、ろくに動けないことを見越していたのだろう。
俺は、ベッドにほぼ一日中横たわって唸っていた。
食事や睡眠は取らなくても平気なので、何もなくても死ぬことはなく、少しずつ身体を動かしながら身体を慣らしていた。
また、まったく空腹や眠気を覚えないわけではないことに逆に安堵した。一定周期で空腹や眠気を感じ、ある程度大きなピークを迎えると急にそれらを感じなくなるようだ。
もし、必要がないからというだけで空腹や眠気を感じることがなかったら、それこそ生きる楽しみの一部がなくなるというものだ。
思えば、最初にそのことを聞かなかったのは落ち度だった。危ない危ない。
とはいえ、水以外口に入れるものがないのは結構きつい。
一週間経つと、もう身体はすっかり慣れた。
とにかく、身体が信じられないほど軽い。一流の体操選手のような軽業も難なくこなすことができる。
魔法的なものはまだ使えない、というよりも使い方がさっぱり分からないが、小屋には簡素な剣が置かれていたので、この身体能力があれば何とかなるだろう。
この小屋はどこかの森の中にある。
木に登って森を出るための方角が大体分かったので、まずは森を出ることから目指すとするか。
森の木々や植物は、俺にはそういった知識がないから地球のそれとどう異なるのか分からないが、おそらく地球の植物とそう変わらないのではないだろうか。
地球と同じく緑色ということがその印象を強くしているのかもしれない。地球ではない別の惑星に植物があったら、その星における太陽によっては青色だったり黒色だったりするという話を聞いたことがある。
神の話によると、そういった環境も地球と似た世界ということらしい。
俺にとってはそうでないと困る。見るもの見るものがこれまでの世界と違いすぎたら、それだけで心が折れていたかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていたら、目の前に少し開けた場所が現れた。
朝出発してからおそらく八時間近く歩き続けているが、この身体はまだ疲れを感じていない。素晴らしい。
とはいえ、少し休憩は必要かもな。まだこの身体に慣れていないのだから。
そのとき、視線を感じた。
敵意はない……って、そんなことが分かるのか、すごいな俺。
そんなことにちょっと感動しながら、視線を感じる方向を見てみる。敵意がないので、驚かさないようにゆっくりと。
「……!」
そこには、半透明の青色をしたゼリーのようなモンスターがいた。
少し動くだけで身体全体が若干ぷるぷると震える完全な固体ではない、半ば液体のような身体は、人間でいえば十二、三歳ぐらいの少女の姿をとっている。
だが、完全に人間の姿を模しているのではなく、液体状の身体を完全にとどめることができないために、動くたびにどろりと水あめのように身体の一部がたれていき、その部分は別の場所からどろりと流れてきて補われる。
そう、かの有名なスライムってやつだ。
なるほど、移動するときにはこうなるのか。
本当に女の子だよ。モンスター娘だよ。
うわ、すごい。今目の前で動いているよ。
俺は言葉にならない感動で、ゆっくりと歩いてくるスライムを見ていた。
人型のスライムとなると、足元全体が自重でゲル状に横に広がって、移動速度が遅いというパターンもあるが、このスライムは足の形を比較的固体として保てていて、普通に歩けるんだな。
「こんにちは、人間さん」
俺が身長百七十センチで、スライムは俺の肩ぐらいまでだから身長百四十センチぐらいかな? 声も幼い感じだから小学六年生って感じだ。もっとも、その青色の身体でスライムという意識が強くはたらくから、相手が裸でも動揺しない。
ど、動揺してないぞ。
うん、ダメだ、視線が泳ぎそうだ。いや、相手の目を見て話さねば。てか、ロングヘアー、髪の一本一本を無駄にクオリティー高く再現しているな。
「こんにちは、えっと、スライムかな。俺は雨宮隆一」
人間と言われたことには特に否定は返さない。ちょっと前までは人間だったし、外見に変化がないわけだから見た目では人間以外の何物でもないだろう。
「アメミヤ・リューイチ? リューイチ! わたしはスライムのニュンだよ!」
にっこりとニュンは笑う。すごいな、感情表現をきちんとできるんだ。
それにしても、人懐っこいな。人間に対して何も警戒していない感じだ。ひょっとして人間を見知っている? なら、人間が住んでいる場所を聞けるかも。
「ねえ、ニュン。俺以外の人間ってどこにいるか分かる?」
「分からない。だって、本物の人間さんを見たのは初めてだもん」
え? ひょっとして知らないが故の無警戒?
「そ、そうなんだ。それにしては、随分気軽に俺に声をかけてきたね」
「うーん、何でだろ? リューイチを見たとき、なぜかお話したいって思ったの」
そう言って首をかしげるニュン。
これは、どういうことだ。俺は別にイケメンじゃなければ、子供が安心するような柔和な顔立ちってわけでもないというのに。
それに、こういう野生動物、いや、野生モンスターって、きっと警戒心は強いはず。それなのに無防備に俺に姿をさらすってのは……。
この一例だけじゃ確信を持てないけど、たぶん俺の持っている力が関係している?
まあ、この子が警戒心がない、この子にとっては俺の雰囲気が嫌いじゃない、とかそれだけのことかもしれないけど。
……色々考えなければいけないことはあるけど、そんなのはどうでもいい。
俺にはなすべきことがある。
そう……。
「ね、ねえ、ニュン。ちょっと、触ってもいいかな?」
事案発生。地球だったら逮捕だな。
だが、スライムに出会ったら、やることは一つだろ。誰だってそうするに違いない。
「ん? いいよ」
よっしゃあああああ!
心の中で雄たけびをあげつつ、平静をよそおう。
落ち着け、俺。落ち着け、落ち着け、紳士たれ、ビージェントルマンだ。
震える手をニュンに伸ばし……。
ぷるるんっ
「ん……!」
そのやわらかいと確信できるほっぺたを触る。
おお……!
おおおおおおおおお……!!
「やわらかい! いや、それだけじゃない! ひんやり、ぷるるん!!」
これは予想以上だ! ゼリーを触っても、表面がぬれすぎているし力をこめるとすぐくずれる。かといって、おもちゃのスライムの手触りはゲル状すぎて、ある程度固定化を保てるスライムを想定するとこれじゃない感があった。
本物はこうなのか!
近い感触は水枕かな。あれは枕だから全体的に平面で手でつかむときに完全にはフィットしなかったけど、ニュンの場合、丸みを帯びた女の子の身体ということで手にフィットしやすい。特にほっぺたは包むように持てるから最高だ!
「本当にぷるるんだ……!」
「ぷるるん! ぷるるん!」
その響きが気に入ったのか、ニュンもぷるるんを連呼する。
やばい、これは止まらない。
もっと、もっとぷるるんを! 圧倒的なぷるるんを!!
「はあ……堪能した」
五分ほどぷるるんしてようやく我に返った俺は思った。
これは、何かお礼をしなければ!
「なあ、ニュン。何か願いはないか?」
「願い?」
「願いって言っても何でもいいってわけじゃなくて、普段暮らしていて何か不都合なことがあったりしないか? 自分がもっとこうだったらいいのに、みたいな」
うーん、うまく説明できない。
進化って言葉はきっと理解できないだろうしなあ。
すると、ニュンは何かをじっと考えたかと思うと、俺の方をゆっくり見上げた。
「あのね、私、怖がらなくてもいいようになりたい」
「? どういうこと?」
「私は普通のスライムだから弱いの。他のモンスターや動物とか見かけたらすぐ隠れるんだけど、隠れるのも苦手……。だから、安心して暮らせるようになりたい、かも」
なるほど。それだったら、俺の進化云々の力でどうにかなる?
そのために俺はこの世界に来たことになっているわけだから、実際にやってみる機会を逃すわけにはいかない。
どうやれば進化させられるか、分かる気がする。
魔法は色々試してもとっかかりが分からなかったけど、進化魔法については本能的に理解しているのかもしれない。
なら、後はニュンをどう進化させるのがいいか、だ。