016 G襲来
唐突に、目が覚めた。
まだ暗い。時計を見ると午前二時ごろだ。午後九時の鐘が鳴ってから間もなく同室の三人が寝たから、俺も一応寝たんだっけな。
五時間睡眠でも頭はすっきりしている。ここらへん、以前の体と比べると本当に楽だ。
だが、今はそんなことよりも、目が覚めたことに対して違和感を感じる。午前三時の鐘で起きる予定だったのだが、中途半端な時間で起きてしまった。
……何か、微かな気配を感じるんだよな。
その気配は外だ。この時間に窓を開けるのは同室の三人に迷惑だから、そっと部屋から出て宿屋から出ることにする。
すると、気配だけではなく、微かに音がする。宿屋の裏側の方だ。
武器がないのが若干心もとないが、ここまで来たらその正体が気になる。俺は物音を立てないように気をつけながら、そっと覗く。
「~♪」
そこには、残飯が入っている袋をあさっている少女がいた。
その少女は特徴的な姿をしていた。背中には薄い黒色の羽。鳥のように横に広がっているのではなく、首のあたりから腰のあたりまでまっすぐ伸びている。手足には棘のようなものがいくつかついていて、頭には黒の笠のようなものをかぶっている。そして、その笠からは長い触角が伸びていて……。
…………。
「うわあああ……」
思わず声が出てしまった。
間違いない。Gだよ、ゴキだよ、やばいものを発見してしまった!!
夜の闇に体色が溶け合っているけど、俺の目は夜中もはっきり見えるから、そいつの姿もきちんと認識することができた、不幸なことに。
回れ右して見なかったことにしようと思ったが時すでに遅し。ばっちりと目が合ってしまった。
ショートの黒髪が似合う健康的な美少女といった外見だ。
ただでさえ思考停止しかかったところで、思わぬアンバランスな美少女を見てしまったことで混乱してしまった。
そのため、そいつがこちらに跳躍してきて、俺を無造作に抱えて宿の奥にある細い路地に飛び込むという一連の動作が終わるまで何もできなかった。
「ちょ……!?」
「人間の男を捕獲できるなんて、あたしったら運がいい♪」
「こら、離せ!」
「巣に戻ったらねー」
やばい、嫌な予感しかしない。そして、俺を抱える腕にはえている棘がちくちく当たって嫌だ。痛みはほぼ感じないが、ぞわぞわしてこそばゆい。
とにかく、このまま巣に連れて行かれるのはまずい。あまり乱暴な真似をしたくないが、俺は掌を勢いよく突き出して相手の腹にくらわせた。
「ぎゃんっ!?」
完全に油断していたらしく、そいつは悲鳴をあげると俺をたまらず放す。俺はそのまま後ろに跳んで距離を取ると、腰を落として相手を油断なく睨む。
「あいたたた、人間のくせになんて力だよ」
「俺はただの人間じゃない。それ以上何かするなら、俺にも考えがある」
とはいえ、今の俺にできるのはせいぜい力任せに殴ることぐらいだ。相手が本気になったらどうすればいいか……。
「あー、分かったよ。強引に連れて行くのは無理そうだからあきらめる」
拍子抜けするほどあっさりと引き下がった。油断はできないが、とりあえず危機は去ったようだ。
となると、途端に好奇心が芽生える。
「あんたは一体?」
さあ、返ってくる答えは何か。ゴキブリ娘、コックローチ娘、ワーコックローチあたりが候補だ。
「ブラック・ローチだよ」
そうきたか。
「やっぱりゴキブリかあ……」
「失礼だな! 人間はあたしたちを毛嫌いするけど、男に関しては本能の方が正直なことがあるじゃない」
そう言ってしなを作るゴキブリ娘。
「あなたは見かけによらず丈夫そうだし、おとなしくしてくれるなら、仲間一同で色々と歓迎してあげるわよ?」
「遠慮する」
「んもう、後悔するぞ。……せっかく長持ちしそうなのを見つけたのになあ」
それにしても、端とはいえ王都にモンスター娘が出現するとは。それも初日にエンカウントするとは予想外だ。
「一体どこに巣を作ってるんだよ。王都の衛兵の目は節穴か……」
「ん? どこにも何も、人間が地下にあたしたちの巣にちょうどいいのを作ってるんだけど」
え?
「それはどういう……」
「じゃ、あたしはそろそろ退散するよ。夜警に見つかったら面倒だからね」
「もっと詳しく……」
話を聞きたかったのだが、G娘はあっという間に夜の闇へと消えていった。
午前三時の鐘が鳴ると、神々を祭る教会が活動を開始し、それに合わせて熱心な信者が起床して礼拝に出かける。
まだ日の出前で暗いのによくやるよ。街灯が存在するはずもなく、暗闇の中をランタンを持って歩いている。異世界らしく神に仕える信徒のみが仕える魔法が存在するみたいだから、信仰心が育つのは理解できるけど。
午前五時を過ぎて日が昇る頃には、ほとんどの住民が起床して活動を開始し、午前六時の鐘が鳴ると朝市が始まる。
俺は朝市を横目に一直線に目指しているところがあった。
それは公衆浴場だ。
この世界の人間は風呂の習慣が根付いていて、朝風呂は楽しみの一つらしい。それを証明するかのように、大きな公衆浴場が複数存在する。なお、どれも男女別でホッとしたような残念なような。
そして、午前九時になると職人たちが店を開く。
俺は午前九時の鐘が鳴ってからすぐに、教えられた宝石細工の店へやってきた。銀の金槌という名の店は小さく、少し不安になる。
しかし、ショーケースに飾られている細工物は、素人目で見ても美しさを感じるものだった。俺はエドガーの推薦を信じてドアを開ける。
その店は小ぢんまりとしているが、商品棚には凝った意匠の宝石細工が色々並べられていた。
そして、店の奥にはカウンターがあり、そこに白髪の小さな男が座っていた。おそらく俺の胸ぐらいまでしか身長がないが、その体躯は筋骨隆々で、鋭い眼光と長い顎鬚が印象的だ。
……この姿は間違いない。
「ドワーフ……。初めて見た、これがドワーフか、まんまだな」
思わず声が漏れた。
その声に目の前の男はカッと目を見張る。そして、俺もほぼ同時にぎょっとして思わず口に手を当てた。
失礼なことを言ってしまった軽率さに驚いたわけではない。
自分の口から出た言葉が、今まで使っていたものと違ったからだ。
「ドワーフ語? おぬし、ドワーフ語を話せるのか」
その男も俺がさっき使った言語と同じものを使っていた。
なるほど、これがドワーフ語か。
「はい。言語を覚えるのだけは得意なので」
我ながら苦しい言い分だ。まさか人間の言語ではなくてドワーフ語が口から出るとは。相手に合わせて自動的に言語が選択されるということか? そう考えると、これまでのモンスター娘は人間の言語を元々使うということになるのか。
それから男は機嫌よさげに色々と話しかけてきた。
男はドワーフのギムル。王都に定住している数少ないドワーフで、そのドワーフたちも各自の仕事で忙しくほとんど交流がないためドワーフ語を使う機会がほとんどなかったらしい。そこに、俺がドワーフ語で話しかけてきて驚いたと。
「それにしても、ドワーフに話しかけられたと思ったぞ。リューイチのドワーフ語はとても自然だ」
「ドワーフにそう言ってもらえると自信になるよ」
「それで、わしの店に何の用だ?」
「このアメジストの原石を買い取ってもらえるかな?」
俺は拳大のアメジストの原石を出した。ギムルはそれを手にとって色々な角度からしげしげと眺める。
「銀貨三十枚」
うーん、やっぱ原石は二束三文なのか。でも、これには魔力が……。
「……と普段のわしならとりあえず切り出すが、今日は機嫌がいい。正しい査定をしてやるわい」
「それはありがたいね」
なら、もったいつけずに最初からやってよ、とは言うまい。
「魔力を多少含有しているな。これなら、なんとか魔法学院の連中に売れるか。となると……金貨一枚で買い取ろう。銀貨六十枚で支払うということでどうだ?」
うお、金貨一枚=銀貨六十枚、さっきの提示価額のちょうど倍か。
……いつもなら半額提示かよ。まあ、価格の交渉ありきだろうけど。
「それでいい」
「よし、取引成立だな」
そう言うと、ギムルは店の奥から銀貨六十枚を持ってきて俺に渡した。いくつかの袋に分けて入れるとするか。
「ところで、さっき魔法学院とか言ってたけど」
「ああ、魔法使いを育てる学校だな」
「それは興味深いな。場所を教えてくれないか?」
魔法に関する思わぬ手がかりを発見した。
今日はかなり忙しくなりそうだ。
最近うちに出没しました。