100 帰還
クラーケンのウルスラさんとマーメイドたちと話し合い、バース王国の軍隊に協力してもらうことへの賛同は得るまで少し時間がかかった。ウルスラさんの体内に人間の軍人を多数入れることへの抵抗感がマーメイドたちに強かったからだ。もっともな反応ではあるが、なるべく早くウミサソリたちを駆除する方法として俺が思いつくベターな方法はこれしかない。
結局、ウルスラさんが早くから賛意を示したことと、ウルスラさんの安全を早く確保したいマーメイドたちの気持ちが、俺の案を受け入れさせた。
「バース王国の人間たちはマーメイドに感謝しています。ですから、マーメイドたちが崇拝するウルスラさんへ危害を加えることは絶対にありえません。その点は安心して下さい」
俺がこういう言葉を何度も繰り返したのも少しは意味があっただろうか。
とにかく、ここでやるべきことはやったので、バース王国に戻って報告をしなければならない。
「リューイチさん、私たちがバース王国まで送りましょうか?」
「それとも、あのケンタウロス……えっと、ソラウスでしたっけ? あの方がいる場所へ送ればよろしいでしょうか」
最初に遭遇したマーメイドが俺に声をかけてきた。気を使ってくれるのはありがたいが、今頃プレゴーンはスキュラのいた島にいるはずだ。だが、あの島はダーナ王国寄りなのでちょっと遠い。マーメイドとの交渉はもっと時間がかかると思っていたからそこを待機場所にしたのだが、こんなことならバース王国に用意してもらっていた部屋に戻しておいた方がよかったか。
あの島には、妖精に教えてもらった転移の門である妖精の輪を設置している。とはいえ、転移には入口と出口の両方に魔力がたまっていないと無理だ。この近くの島に妖精の輪を設置しても、向こうとつなぐだけの魔力がたまるには時間がかかるだろう。
結局、泳ぎが得意なマーメイド二人に、その島まで連れて行ってもらうことになった。二人の両肩に、まるで怪我人のようにかつがれる形で運ばれることになったのが、男としてはちょっと外面が悪いのが気になったが。
そこで体験した、本気を出したマーメイドの水中での速さは想像以上のものだった。見かけによらず体力もあるようで、速さを維持したまま長時間泳げるため、ものの数時間で目的地に着き、無事プレゴーンと合流することができた。
それから再びバース王城へと戻った俺は、マーメイドとの会談についてすぐに報告することになった。
本来なら謁見の間において、国のお偉いさんが並ぶ中で報告をするのが通常であるが、その前に簡単な報告がすぐにほしいということで、城にある王の私室に案内されることになった。なお、プレゴーンは用意されている部屋に待機だ。
すでに、カルロ四世、オルガ王妃、リカルド王子、フロージア第一王女、エレナ第二王女、そしてレオが待っていた。王宮で会談をした時と同じ面子だ。
そして、俺は事の経緯を簡略に説明した。
この一帯の海域を支配するクラーケンのウルスラが不調であったこと、彼女が痛みで暴れることにより唐突に荒れる海から人間を遠ざけるために結界が張られたこと、ウルスラを悩ませていた生物の正体、そしてそれらの駆除のためにバース王国の協力を仰ぐのがいいと伝えたこと。
全員、俺の話を一言一句聞き漏らすまいといった姿勢で真剣に聞いていた。そして、俺が「以上です」と言うと、皆が大きく唸るのであった。
「クラーケン……伝説に聞く海のモンスターは実在していたのか。リューイチ殿の話を聞くと、本当に巨大なんだな」
リカルド王子が興味深そうな声をあげる。
「マーメイドたちが我々を見捨てたわけではないことが分かったのが何よりも大きな収穫だ。リューイチ殿、感謝するぞ」
カルロ四世が俺に向かって頭を下げたので、俺も慌てて頭を下げる。一国の王にそんなことをされると胃が痛くなる。
「い、いえ、私が軽率な発言をしたので、そのことを責められるものと思っていましたので、感謝なんてとても」
「確かに、バース国の軍隊に協力してもらいましょう、という発言は軽率だな。使者であるリューイチがそこまで踏み込んだ発言をするべきではなかった」
レオのその発言が痛いところだ。俺はその場の思いつきをそのまま提案したのだが、当然のことながら俺がバースの軍隊についてどうこう言える立場ではない。使者としての俺の発言は言ってみればバースを背負っているのであるから、バースの都合を考えずに政治的な判断が必要となる内容を言質として与えるのは非常によろしくない。
だが、あの時は、ウミサソリを早急に駆除する方法として思いついたのがそれしかなかったのだ。バース王国の人間が協力することで、両者の関係性がより良い物になるだろうという打算もあり、我ながら名案と思った時点で、視野狭窄になったようだ。
いや、違うな。国という巨大なものを正しく認識することができていなかったのかもしれない。この世界にくるまで責任ある立場についたことがなく、外野から無責任に意見を言うぐらいのことしかしたことがなかったから、そのときのノリのままでやってしまったんだな。
そのミスを、俺とレオが先に言うことが必要だ。処分を言い渡されるより先に、自らの過ちを認める必要があると思う。レオもそう思ったからこそ、俺の発言に補足をしたのだろう。
「確かに通常であれば問題ではあるが、伝説のモンスターとの交渉であることと、我々がマーメイドたちとの接触に失敗していたことを考えると、そのような問題は今回に限っては些細なことと言ってよかろう」
いや、結果論で済ますところじゃないだろと思うのだが、事を大きくすると外交問題に発展しかねないのでまずいという判断もあるのかな。今回に限っての特例ということでなかったことにするのがお互いにとって得策ってことだろうか。
……言動には注意しないとな。責任を持って行動するという当たり前のことを心がけないと。
「リューイチ殿は、我が国の軍隊ならクラーケンを助けることができると考えたようだが、それはどういう理由でかを聞かせてくれないか」
リカルド王子が興味津々といった感じで聞いてくる。
とはいえ、確信を持っているわけじゃないから答えづらいんだよな。
「それは、一度軍の責任者の方とお会いして話をする必要があります」
「それなら話が早い。軍は最終的に父上が全権を握っているが、平時では俺が騎士団の責任者となる。まあ、実際は騎士団長が取り仕切っているがな」
それなら騎士団長に話を聞きたいが、まあ細かい話でなければ問題ないか。
「リカルド王子、バース王国の騎士団の方々は、連携した動きを取ることに慣れていらっしゃいますか?」
「当然だ。軍は互いに連携し機能的に動くことでより強くなる。我が騎士団は毎日厳しい訓練をしているので、リューイチ殿の想像以上であると確信を持って答えよう」
自信たっぷりの表情だ。これならば問題はなさそうだな。
「それならばまったく問題ありません」
「リューイチ殿、続きは謁見の間でお願いする。皆に報告をする必要があるから、すまないがもう一度事態の経緯を皆の前で説明してほしい」
「了解しました」
そして、俺は謁見の間で、バース王国の政治と軍事の中枢を担う貴族たちから胡散臭げな目で見られながら、クラーケンとマーメイドたちについて一から説明をした。なお、勝手にバース王国の軍隊の協力を仰ぐことを確約に近い形で提示した俺の発言は削ってある。これは国王の提案であり、無駄に場が荒れることを防ぐための措置だ。
よって、深刻な漁業問題について解決の糸口を見出した俺は、最初よりは好意的な目で見られるようになったと思う。もっとも、他国の、しかも怪しげな学者という認識をされていることから、一部からは敵意の眼差しを向けられているのも感じる。これはまあ仕方ないだろう。
俺が一度説明をすると、あとは国王が場を取り仕切って話を進めていき、そのおかげで俺はたまに質問に対して分かる範囲で答えるだけですんだ。これでもう俺はお役御免になるかと思ったが……。
「こちらが、モンスター学者であり、剣士でもあるリューイチ・アメミヤ殿だ。例の問題でマーメイドとの交渉に成功し、その交渉の結果、我ら騎士団の力が必要とのことだ」
騎士団長の声が響く。
騎士団の中から選び抜かれたという百人弱が並ぶ中、彼らの前に立つのは騎士団長、リカルド王子、レオ、そして遺憾なことに俺だ。
交渉役をバース王国の人間にバトンタッチしたかったが、モンスターとの交渉役としては俺以外に適任がいないということで再び俺が行くことになった。一度関わったことだから、最後まで見届けるのは義務とも言えるし、仕方ないだろう。
「リューイチ殿、我々は何をすればいいのですか?」
精悍な顔立ちをした騎士団長が聞いてきた。
俺はまず、まだ詳しいことを聞かされていない騎士たちに対して、謁見の間で話した内容と同じことを話した。
「マーメイドたちは、組織だって動くことに慣れていませんでした。そのため、ウミサソリを的確に追い詰めることができずに逃げられてばかりでした」
「なるほど。つまり、我々が連携して、そのウミサソリとやらを捕獲していけばいいということですな」
「そうです」
言うだけは簡単だが、実際にやるとなると困難だろう。それ以前に、騎士たちは顔色を悪くしているように見える。
「あの、リューイチ殿、つまり我々があの伝説のモンスター、クラーケンの体内に入るということですか?」
「はい」
俺の返事に騎士たちからどよめきが起こった。
「クラーケンのウルスラ様は非常に理知的な方なので、おそらく今皆さんが考えているであろう危険性は何もありません。また、マーメイドたちの魔法によって水中でも問題なく呼吸ができるのは私が身を持って確認済みです。ただ、鎧は着ない方がいいでしょうね」
俺が言うまでもなく、海に出るのだから鎧を着ることはないと思うが。
「そのウミサソリというモンスターはどのぐらいの強さですか?」
「ウミサソリはモンスターではなく動物です。あまり好戦的ではなく、すぐに逃げるので戦闘になる危険性はほとんどないでしょう。ただし、捕獲する際は、無力化する手段が必要ですが」
仮にも一国の騎士で、しかも選抜されたメンバーなら、万が一戦闘になったときに大怪我を負うようなことはないだろう。
それからいくつも質問があったが、皆の顔が真剣そのものだったので、俺もできる限りの解答をしたし、それなりにうまくやれたと思う。
そして、俺たちはウミサソリ駆除作戦の検討を始めるのであった。
三ヶ月ぶりです、遅くなって申し訳ありません
あと2,3話、8月中には完結予定です