098 潜むもの
今日の捜索を打ち切り、俺たちはウルスラの体内から外へと出た。何の成果もあげることができず、ただ疲労感だけが重くのしかかる。
「こりゃまいったな……」
問題の生物は何匹いるか分からない。そして、話によると繁殖をしている可能性もあるという。この調子では、生物の完全駆除にどれだけ時間がかかることか。その間、ウルスラが苦痛からいつ暴れるか分からず、この海域に人間を近づけることができないとなったら、バース王国にとってかなり困ったことになるだろう。
「擬態能力さえなければ……」
「擬態する前にイカスミでもかければ、擬態してもイカスミで場所が分かったりしない?」
俺の呟きに、マーメイドの一人が提案する。イカスミか。透明人間に鼻血をかけるような感じだな。
「悪くないけど、最初から擬態していたらそもそも発見できないからイカスミをかけることができない。運良く擬態前に発見しても、あの素早さ、うまくイカスミをかけることができるかどうか分からないし、かけることに成功しても水中で動いていればすぐにイカスミが流されるだろうね」
「そっかー、そうだよねー」
とにかく擬態が厄介だ。周りと同化するのだからどうにもならない。
周りと同化……。
……あー、うん、周りと同化できなくさせればいけるんじゃないか。例の生物に何かしら働きかけるのが無理なら、周り、つまりウルスラの体内をどうにかすればいい。
「ウルスラ、あなたはイカの姿をしているのですから、擬態能力を有していたりはしませんか?」
『残念ながら、私に擬態能力はない』
イカの姿をしているなら擬態能力を持っている可能性があるとは思ったが、まあなかったらないで……。
「ならば、擬態能力を持つようにあなたを進化させます」
『進化……そのようなことが可能なのか?』
「それが、リディアス神が俺に与えた力です」
擬態能力……今回の場合は保護色だな。それはこの世界に来た時、スライムに進化で与えた能力でもある。一度やったことだから、今回も簡単に発動することができた。
だが、これだけではまだ足りない。せっかくだから、もう一つ。海の生物の中で特徴的な姿をしている生物がいる。ウルスラが、その特徴的な姿になるような能力も与えることができた。
「どうですか?」
『これは……どうにも落ち着かないな』
まあ、そうだろうな。
周囲のマーメイドたちが驚愕の表情でウルスラを見ている。
なぜなら、今のウルスラは、体色がほぼない透明な姿になっているからだ。クラゲみたいなものだ。また、透明な姿をしている生物がいるのはよく知られていて、不思議な生物特集などでの常連とも言える。
なんで透明な生物がいるのか、理由は知らない。たまたまそういう生物がいただけで、透明なことに理由はないのかもしれない。そもそも体色を持つ必要がなかったということかもしれない。俺が知らないだけで、透明なことが生存にとって有利なのかもしれない。気になるが、今となっちゃ知りようがない。地球にいた頃も気になったことがあったから、その時きちんと調べておけばよかったな。
今大事なのは、ウルスラを実際にほぼ透明にしたことだ。
そう、完全な透明ではなく、体中に走る血管を流れる青白い血は透明になっていない。そして、血を力強く全身に送りこむ巨大な心臓もその場所がよく分かる。これは絶対落ち着かないだろうな、本人としては。
だが、これで問題の生物は見つけやすくなったはずだ。さすがに透明なものに擬態することは無理だろう、たぶん。仮に透明になれたとしても、目や血液など透明にできないところがあるはずだ。
「これで、問題の生物も見つけやすくなったはずです」
もちろん、ウルスラが胎内に飲み込んだ船や砂などは透明にならない。そこで擬態をされたら発見は困難だろう。しかし、問題の生物がずっと同じ場所にとどまっているとは思えない。移動している個体を発見すれば、あとはそいつを追いかければいい。周囲に擬態できるようなものがなければ、擬態できる場所に逃げられる前に捕獲できる可能性は高くなるだろう。
『なるほど……。それにしても、そなたの力は大したものだな。まさに神の力と言えるだろう』
「借り物の力みたいなものですけれどね。それよりも、ウルスラさん、あなたの力を貸してほしい」
そして、俺はマーメイドたちも集めて生物撃退作戦の概要を説明した。
基本的に作戦は単純だ。まず、ウルスラの体内に入らないグループをいくつか作り、ウルスラの周囲を移動して問題の生物を発見してもらう。体内に入ると移動しづらくなるが、体外なら自由に泳ぐことができる。ウルスラは巨大なので、大変な作業ではあるが。
問題の生物を発見することができたら、体内にいるグループに知らせるのだ。ウルスラは念話を使えるから、ウルスラを介して連絡を取り合う。体内に入るグループもいくつかに分けて、可能ならば発見した生物を包囲したい。
「しかし、それだけのグループを作ることができるほど我々の数がいない。結界の維持は最優先だ」
……あー、それがあったか。現状人間が近づいていないから、結界を維持しなくても何とかなるんじゃないかと思ったが、結界は侵入を拒むだけでなく、ウルスラが暴れたときに起こる大波を抑える役目も担っているらしい。もし結界がなければバース王国の沿岸部は大きな被害を受けていたに違いないとか。一体どれだけ派手に暴れるんだよ……。
「結界の維持の人数って絞れないのか?」
「数日前に試してみたことがあるが、結界の一部が耐えられなかった。その時に発生した水流で、何か巨大な生物を押し流してしまったそうだ」
……その巨大な生物って、ひょっとしてイクチのことかもしれないな。なんて運の悪いやつなんだ。
「本来なら、外からの監視はウルスラさんの巨体を考えると、単独で行動をするとしても……少なくとも二十人はほしい。体内で生物を捕らえるのは、三人一組のグループを八つはほしい。そうなると二十四人で、合計四十四人か」
「結界の維持以外のマーメイド、シービショップを総動員しても二十二人が精一杯だ」
ちょうど半数か。そういえば、結界内に侵入した時にやってきたマーメイドは十一人だった。ということは、半数を動員したってことか。
それにしても、最低四十四人ほしいところで、その半数が精一杯ってのはきついなあ。まあ、俺があげた人数も、根拠があって言っているわけじゃないけどさ。
「分かった。とりあえず、その人数でやってみよう」
全員を集めるためには少し時間がかかるということなので、俺は何人かのマーメイドに協力してもらって、一度ウルスラの周囲を移動して生物を探してみることにする。透明化がどのぐらいの効果を発揮しているか確かめる必要もあるしね。
そして、透明化の効果が思ったよりもあったことにすぐ気づいた。
「あれだよな……」
生物がいるとしたら胃のどこかだと思っていたが、それは違った。食道の脇だろうか。透明になっていて判別しづらいため、食道から分岐した通り道があるのかどうかいまいち分からないが、そいつはそこにいた。
「ウミサソリか……?」
俺の第一印象はウミサソリだ。古代生物の想像図みたいなもので存在感を放つ巨大な生物だ。人間と同じぐらい、いや若干大きいぐらいのサソリといった外見で、一度見たら忘れられないインパクトがある。
ただ、サソリにはない器官もある。体の脇から生えている一対のヒレみたいなものは、ハサミを持つ腕とは逆に後方に向かって生えている。おそらく、泳ぐときに使うのかな。また、サソリは尻尾の先に毒針を持っているが、こいつの尻尾の先はエビのようにウチワみたいな形をしている。ハサミとヒレ以外に、クモのように足が四対、計八本生えているのも見てとれる。
もしかしたら違うのかもしれないが、ウミサソリと命名しよう。そして、そのウミサソリは今はじっとしていて動かない。大きさがどのぐらいかは、ここからだとよく分からない。形が分かるぐらいしっかりと視認できる時点でそれなりの大きさだとは思うが。
「あれがウルスラ様を……」
「たぶんそうだろう。そして、痛みの原因もなんとなく分かった」
ウミサソリのいるすぐ傍に、細長い線のような組織が複雑に走っている。断定できるわけではないが、たぶん神経だと思う。そして、その神経に対してウミサソリが何か悪さをしているのではないだろうか。神経に直接何かされたら、そりゃ痛いだろう。
「さっきまでは、手当たり次第問題の生物を捜索する予定だったが、予定変更だ。あの生物はウミサソリと命名する。まず、ウルスラさんの神経の傍に巣食うウミサソリを駆除する」