アキラの過去と今
2000字ほどの超短篇です。
アキラは一年程前まで、学者を目指していた。理由は単純だった。学者になれば、社会に出ることもなく、人と接するような仕事に就かないで済む。勉強は嫌いではなかった。
思い立ったのは高校二年生のときである。アキラは猛勉強を始めた。授業時間を含めて、一日十二時間の勉強時間を目指した。特に力を入れたのは英語だ。英語力をつけなくては、良い大学に入学することなど出来ないからだ。
それに対して、姉はちゃらんぽらんな性格だった。アキラは当時、姉のことが好きではなかった。いい加減な性格をして、いつもヘラヘラしている。そのくせ、親戚等には可愛がられ、自分は逆に壁を作られた。アキラ自身が本来持つはずであった、愛想というものが、生まれたときには姉に全て奪われたような気分だった。
アキラは気難しい性格をしていると、自分でも思う。それは、両親からも言われていたことだし、アキラの友人の少なさからも十分すぎるほどに伺えることであった。
勉強を進めるうちに、自分と姉との差についての考え方が変わった。主に、自分は姉に愛想を奪われたという考え方についてだ。実に非論理的な考えをしていたことに恥じた。代わりに自分が特別なのだと考えるようになっていった。両親、親戚、その他の人間には自分のことが理解できない。愛想という概念を生み出した、世界の方が間違っていたのだ。
アキラは順調に一日十二時間のペースで勉強をしていた。やがて、起きている間はずっと勉強をしているようになった。成績は天を衝くような勢いで上がっていく。当然、次第に全国順位や偏差値などは上がりにくくなっていく。アキラの勉強量は、ますます増えていくばかりだった。やがて、風呂に入っている時間や、電車を待つ暇、それらの隙間時間さえもが勿体無く感じるようになっていき、参考書を開く時間に変わっていったのである。
当時のアキラにとって、この世の中の全てのことは、学業のついででしか過ぎなかった。
そして、いよいよ大学入試の季節がやってきた。アキラにとっては、子供だましのような問題をスイスイと解いていった。つい二年前のことだが、現在アキラはそれらの問題を解いたのだという記憶さえ残っていない。そんなアキラが日本で一番と謳われる、有名国立大学に入学したのは当然のことだった。そして、アキラ自身も当然のことだと思っていた。主席が自分でなかったのが不満なくらいだった。頭のスペックの悪い遺伝子を継がせた両親を、呪いすらした。
大学に入り、アキラは変わらず一日を勉強に費やしていった。異変が起こったのは、新生活を送り始めて間もない頃のことである。
大学の勉強は、高校の頃の受験対策の勉強とは遥かに違ったのだ。講義について、マスターするのはいい。必ず与えられた課題と、決められた正解が存在するからである。しかし、自主的に勉強をするとなると話は別だった。アキラは学者を目指している。自分が知りたいこと、学びたいことを自分自身で見つけ、更にはその方法を考えなければならないのだった。それはさながら、広大な砂漠でただひたすらダイヤの原石を見つけるかの如く、孤独で厳しい戦いだった。アキラは自分が只のポイントゲッターでしかなかったことを悟った。どうすればいいのか、分からなくなった。当然のことである。アキラはただ、人と接することが嫌だから学者になりたいだけだったのだから。学者は学問という大地を延々と歩きまわらなければならない人間だ。それだけのことができるのは、彼らにとって、その大地に知りたいことが山のようにあるからである。すなわち、アキラには資質というものが無かった。
ある日、唐突にそれは起こった。何の前触れもなく、アキラの中で何かがガラガラと大きな音を立てて崩れ去っていった。それはアキラが今まで積み上げていった、自尊心、あるいは心の支えとも言える、大切な夢だった。
そのときアキラは悟った。学者になることが夢だったのではない。自分自身の存在価値。学者になることそのものに、それを見出していたことが夢だったのだ。儚い夢だった。これまで頑張ってこれたのが、嘘のような希薄な魔法。アキラはノイローゼを患った。
一時は引きこもりとなった。一年の前期で充分なほど単位を取得していたことから、幸い留年するまでには至らなかったが、彼にこれ以上、学業の道を歩むことは不可能だった。反動で、活字も碌に読めなくなってしまったからである。
アキラはそれ以来、丸くなっていった。茶目っ気を出すようにもなり、何がきっかけかは忘れたが、姉とも仲良くなっていった。彼の世界、視界に、鮮やかな色が取り戻されていったかのように。
そして、ただそれだけではない。アキラの推理力と論理力は、彼が今まで積み重ね、決壊した儚い夢の残骸である。人の何が壊れ、崩れ去ってしまおうと、それが無駄になることは決してないのだ。この論理力には社会的価値などないかもしれない。それでも、『悪くはない』。アキラはそう考えている。




