痕跡を探せ 一~三
※舞台と登場人物は同じですが、以前の問題とは別の話になります。
※アリバイ表等があるため、押絵表示ありにして下さい。
閑話.
日向ヒカリはリビングで九条優衣との会話を楽しんでいた。話の内容は、基本的に優衣の趣味である料理についてである。煮物の隠し味にワインを使う、醤油に日本酒を混ぜた特製ソースを使うなど、なかなか凝った料理の知恵に、ヒカリは感心するばかりであった。
今度は、ヒカリの方の趣味について話を振られたので、面白かったミステリ小説の話をすることにした。
ヒカリは古典ミステリなども読んでいたが、いわゆる新本格と呼ばれる、ヒカリが生まれるしばし前ほどの作品などが気に入っていた。特に、ヒカリは大学に入ってから猛烈にミステリを読み始めたので、印象に残っている作品と言えば、最近のものが多かった。
そんな話をしている中、『オメガの悲劇』っていう作品なんだけど、とヒカリがお勧めの一本を言ったとき。
「ああ、知ってます。最近映画化されましたよね」と優衣が反応した。確かに、『オメガの悲劇』はつい数カ月ほど前に映画化され、若手の有名俳優が主演となるなどして、ちょっとした話題となった。
ヒカリ自身は、その一年ほど前から原作を読んでいたので、「君達、今更なの?」状態を軽く味わっていたものだった。
物語のあらすじや、どこが面白いのか、ヒカリが語っていたときである。優衣の妹の舞衣がリビングにやってきた。
「おじゃましまーす。何話してるのー?」軽い調子で舞衣が加わってきた。
そこで優衣が舞衣に尋ねる。
「舞衣は『オメガの悲劇』、もう読んだの?」
「え? 『オメガの悲劇』? 映画で観ただけだよ」と舞衣が答えた。「たしか、先々週の日曜日かな?」
「あっ。映画観たんだ」ヒカリが感想を求める。「どうだった? 私、原作読んだだけで、映画観てないんだ」
「結構、良い出来でしたよ」と舞衣。「やっぱ映画だし迫力あって、ワクワク感すごかったですよ」
そうなんだ、とヒカリ。『オメガの悲劇』は、どちらかというとサスペンスであり、エンターテイメントとして完成した作品だ。映画化にはうってつけに思える。映画も観てみようかな、とヒカリは考えた。
「ところで舞衣」優衣が言った。「先々週の日曜って、期末テスト前だったよね? 友達と勉強会に行くって言ってなかった?」
「あ」と舞衣はバツの悪そうな顔をする。
「舞衣……」呆れたような顔をする優衣。そんな優衣にヒカリは感心していた。その生真面目な性質に対してではない。
「なかなかの記憶力と洞察力だね、優衣さん」
ヒカリは思う。ミステリでは、どんな時でも、形となって明らかな根拠が存在するとは限らない。犯人のささいな一言や、本当にちょっとした出来事などが、真実を白日の元に晒す手掛かりになりうるのだ。探偵役に必要な能力として、それらを見逃さない慧眼が挙げられるのは誰しもが思うことだろう。
果たして、そのように海辺における一握りの砂ほどのヒントを見極めることなど、人間に可能なのだろうか。
翡翠荘の殺人
第一問・痕跡を探せ
一.
ふと、目を覚ます。一瞬ここが自宅ではない事に、違和感を覚えた。そう、ここはペンション『翡翠』。昨日の夜から、旅先の宿で宿泊しているのだ。
翡翠は山中にある。辺りは森林に囲まれているのだが、そうとは思えないほど宿の中は清潔である。また、サービスが良く、施設も充実していた。ペンションというよりは、金持ちが建てた別荘、といったところであった。
アキラはベッドから身を起こすと、あくびをひとつした。この部屋『カギハシ』の窓は西側についており、ここからでは時間帯が分かりづらい。時計を見ると、時刻は七時を過ぎるくらいだった。朝食の時間まで、あと三十分もない。アキラは見つくろいをし、部屋を出て日を浴びることにした。
部屋を出ると、コーヒーのほろ苦い匂いがただよってきた。廊下を歩き、受付の前まで行くと、左手には暖かそうな日差しが入り込んだ入口があった。外に出て、うんと背伸びをする。昨日の大雪がまだ残っており、目の前に広がる草木も水滴を乗せている。辺り一面が日を浴びてキラキラと輝いていた。
ペンションに戻り、リビングに着くと、九条優衣がソファに座ってくつろいでいる。
優衣はアキラと同じく、昨日からのこのペンションの宿泊客である。どこか、おっとりとした雰囲気に、ロングの黒髪、優しい目つきとハッキリとした鼻筋。美少女と断言して間違いない。
昨日のデザートに、優衣が宿泊客みんなにプリンを作った。それをきっかけとして、アキラとその連れである日向ヒカリは、優衣と彼女の妹である舞衣と仲良くなったのである。
優衣がアキラに気が付き、挨拶をしてくる。
「あ、おはようございます、アキラさん」
「おはよう、優衣さん」アキラも挨拶を返す。
優衣と対面のソファに座り、尋ねる。
「舞衣さんは一緒じゃないの?」
「舞衣は散歩です」優衣が答えた。
優衣と舞衣は双子の姉妹である。妹の舞衣は、姉とは違い、活発な印象を与える少女である。ショートカットに凛々しい顔立ちをしているが、どこか姉と似ているのである。正反対のベクトルの二人が似ているというのだから、やはり家族という縁はいかんともし難いなのだと、アキラは感じた。
五分ほど二人で話していると、リビングに医大生の佐伯雄太がやってきた。佐伯とは昨日の夜、道の駅で出会った。雪が降り始めたため、宿へ向かうことができなかったアキラ達は、道の駅の食堂で、どうするかを相談していた。そこに相席になったのが、偶然同じく翡翠を目指していた佐伯であった。アキラとヒカリは彼の車に乗せてもらい、無事に翡翠に着くことができたのである。
佐伯は長く伸ばされた前髪の下にある眼鏡を、クイと指先で持ち上げて、挨拶をしてきた。
「おはようございます。アキラさん、優衣さん」
「おはようございます」と二人で応じた。
「昨日の酒が残ってて、危うく寝坊するところでした」と佐伯。自然にアキラの横に腰掛けた。
アキラと佐伯は昨晩からすっかりと意気投合し、夕食後はヒカリを交えて晩酌を交わしていたのである。アキラは酒に強い体質のため、全く残っていない。
「ヒカリさんや舞衣さんは?」佐伯が尋ねた。
「舞衣は散歩に出かけてますけど」と優衣。「ヒカリさんは?」
「くたばってんじゃないですか?」
「くたばってるの!?」アキラの答えに佐伯が噴き出しそうになる。
「アイツはよぼどのことがない限り」とアキラ。「七時半まで寝てますからね。基本的に」
じゃあギリギリですね。と優衣が苦笑した。
そのまま談笑していると、朝食の時間である七時半が迫ってきた。
「そろそろ食堂に向かいましょうか」と佐伯が提案する。三人は食堂に向かうこととなった。
食堂には既に舞衣が座っていた。机には料理が並べられている。舞衣が元気よくこちらに挨拶する。
「おはようございます。アキラさん、佐伯さん」
二人も挨拶で応え、それぞれの席に腰掛ける。七時半になったので、アキラはヒカリの到着を待たず、朝食を取ることにした。朝食は焼きたてのパンと、チーズの入ったオムレツなど、アキラにとってはなかなか魅力的なものだった。
アキラが食事を取っていると、ヒカリが到着した。アキラの前に腰掛ける。
「おはよう、アキラ」暖房のかかった部屋に、清涼なそよ風が吹いたかと錯覚するほど、爽やかな笑顔である。
「遅かったな」まあ平常運転か、とアキラ。
ヒカリは周囲にも挨拶を交わしたのち、食事にありつき始る。
「おいしい、このオムレツ」とヒカリが言った。
「あら、ありがとうございます」食堂の奥から声が聞こえた。このペンションの管理人である。管理人は二十代半ばとみられる女性で、一人でこのペンションを切り盛りしているという。どういう経緯でこのペンションをやっていこうと決めたのか、気になるところだと、アキラは思っていた。
「賑やかですね」と管理人。「泊って下さる皆さんが仲良くしてもらって、良かったです」
このペンションは公共の場がとても雰囲気が良く、また居心地が良いのだ。なので、部屋にこもっているよりも、リビングや食堂に出てきて過ごす時間が、アキラには多かった。
「ここにいる皆さん、今日も宿泊して頂けるそうで」と管理人が言った。
言われてみれば、そんな偶然を昨晩皆で驚いていたような記憶があった。何故だろうか、それだけで今晩が不思議と楽しみになってくるものである。
「ねえ、アキラ」とヒカリが言う。「今日は日中どうしようか」
私はからくり屋敷に行きたいんだけど、とヒカリ。
今日はどんな日になるのだろうか。アキラは柄にもないと自分でも思いつつ、今日一日を楽しみにしていた。
この夜に、殺人事件が起こってしまうとは知るはずもなかった。
二.
午前中にからくり屋敷に行ったのち、昼食としてラーメンを食べた。午後にはある神社へお参りするために、名物であるとてつもなく長い参道を片道四十分ほどかけて歩いた。
そうして、時刻は十六時半。アキラとヒカリは翡翠へと帰ってきた。
翡翠には既に、佐伯、九条姉妹が戻っていたようである。アキラとヒカリは部屋に戻って少し休んだのち、完全に別行動をとっていた。
六時頃、アキラがリビングに訪れると、ヒカリは九条姉妹とトランプをして遊んでいた。ヒカリは案の定、姉妹にボコボコにヘコまされているようである。
「アキラさんも一緒にどうですか?」
優衣がアキラを誘ってきたが、ゲームのルールを知らなかったアキラは辞退することにした。
ふとリビングの横にある、外廊下への扉を開閉している管理人を見かける。
「どうかしたんですか? 扉」アキラが話しかけた。
「ああ、アキラさん」管理人が答える。「ここの扉なんですけど、どうも調子がおかしいのか閉じるとき大きい音がするんです。位置的に、私の部屋の裏側にあるんですけど、開け閉めすると音が聞こえるのが気になって」
近いうちに見てもらおうかな。と管理人はぼやいていた。
「そうだ、管理人さん」アキラは言った。「ビールが欲しいんですけど、売ってもらえますか?」
「あ、はい。ありがとうございます。お部屋にお持ちしますか?」
「いえ、食堂で飲むことにします」アキラが答えた。
管理人はアキラを連れ、食堂へ向かう。食堂に到着すると、管理人はアキラに席に掛けて待つよう促し、自分は調理場の中へ向かっていった。
食堂には佐伯がおり、すでに彼は一杯やっているようだった。
「ああ、アキラさん」佐伯がこちらに気が付き、話しかけてきた。「戻ってたんですね。一緒に一杯飲みませんか?」
丁度、管理人がビールを持ってきた。アキラは佐伯の誘いに応じ、一緒に飲むことにした。
「そういえば、アキラさんは就職、どうするつもりか考えてますか?」佐伯が尋ねる。
「ああ、俺は就活とかはまだなんですけど」とアキラ。「今は公務員になりたいと思ってます。昔は学者とかになりたいと思ってたんですけど」
「へえ、どうして辞めちゃったんですか?」
「以前、一日十二時間勉強する生活を送ってたんですけど」アキラが顔をしかめながら言った。「ノイローゼになってしまいまして。こりゃあ自分には無理だと」
「いや、そこまで勉強しなきゃ、学者になれないんですか」佐伯が目を丸くする。
「俺はそれぐらい勉強しなきゃ、出来が悪い方だったんで」
「しかし、努力を続けることで能力が開花するかも知れないですよ」佐伯が言う。
「いるんですかね、そんな醜い蛙の子みたいな」
「アヒルの子です、アキラさん」
「似てますね。アキラとアヒル……」
おかしな調子で、二人は酒を飲みながら会話を続けていた。
そうこうしているうちに、時刻は七時を迎える。夕食の時間である。アキラと佐伯のいる食堂にちらほら人が集まり始め、各々が決められた席に着く流れになった。
全員が集まったところで、管理人が注意を呼び掛けた。
「皆さん。昨日も説明させていただきましたが、多目的室、図書室、娯楽室のご利用は九時までにして下さい。九時になると自動で電気がきえてしまいますので、よろしくお願いします」
そう言ったのち、管理人は料理を皆に配り始める。
「先に飲んでたの? アキラ」ヒカリが尋ねた。
「ああ、佐伯さんとな」アキラが答える。「お前はトランプどうだったの?」
「アキラ、舐めてる? この私だよ?」輝く笑顔でヒカリが言った。「ボロボロに決まってんじゃん」
「『じゃん』じゃないだろ……」
アキラが苦笑していると、管理人が料理を運んできた。
「ありがとうございます」ヒカリが管理人に礼を言った。
「お飲み物は、どうしますか?」管理人が尋ねる。
「私、白ワインで」ヒカリが言った。
「ビールお願いします」アキラも答えた。
「ただいま、お持ちしますね」管理人が調理場に消えていく。
ヒカリは機嫌良さそうに、食堂に流れているジャズの曲を鼻歌で追いかけている。
食堂に流れるジャズの曲は、アキラが佐伯と酒を飲んでいるときから流れていた。
「いい曲だよねえ」ヒカリが言った。
「このジャズ、昨日も流れてたよな」アキラが言う。「今日の朝は流れてなかったけど」
「ああ、このジャズですね」管理人が酒の小瓶とグラスを運んできた。配りながら説明する。「毎日夜六時から三時間と五分、流しているんですよ」
食堂にあるステレオを見ながら管理人は続ける。
「毎日同じ曲のレパートリーで、私にとってはもう時計のようなものなんです」
会釈をして、管理人が下がっていった。
アキラとヒカリは乾杯したのち、食事を取り始めた。
食後、ヒカリは先に二階の自室である『カザリ』に戻っていった。七時半から貸し切り風呂の予約を取っていたので、早めに食事を切りあげていた。
十分後、アキラも食後の酒を飲み終え、自室のカギハシに行こうとしたときである。大柄な男が受付の前で声を上げているのが見えた。
「すみません。予約をしていた時田ですが」
「はい、お待ちしておりました」と管理人が対応する。
こんな時間に宿泊客だろうか、とアキラは思った。時田と名乗った男は、受付の記名を済ませたようである。
「お仕事だったんですか?」と管理人が時田に尋ねた。
「ええ、結構遅くまでかかってしまい、遅れてしまいまして」時田が笑いながら言う。「しかし、もうこれで仕事はありませんので。この瞬間から私、記者から観光客に早変わりっていう」
管理人は笑い、時田に部屋の鍵を渡した。
「お部屋はお二階になります。ご案内いたしますね」
飲み物を買いに行こうと、アキラは食堂へ向かおうとした。時計を見ると、時刻は七時四十五分である。部屋を出ると、丁度管理人が廊下を通ろうとしている。管理人は両手でそれぞれ中身が大量に入っているであろうポリ袋を、重そうにして運んでいた。アキラは声をかけることにした。
「荷物、手伝いましょうか?」
「ああ、アキラさん」管理人が答えた。「いえ、大丈夫ですよ……これくらい、慣れていますから」
そう言われたのだが、アキラは管理人の片手からポリ袋を自然に取った。
「あ」管理人が言う。「すみません……お言葉に甘えます」
二人は食堂の調理場まで荷物を運ぶ。
荷物を運び終えたアキラは、そのまま廊下に出て行った。最後に管理人が何度も礼を言っていたのが印象的で、アキラは自分の本来の目的をすっかり忘れてしまっていた。そういえば、自分は飲み物が欲しいのだった。
そう思い出したとき、アキラに呼びかける声がした。
「あの、ちょいとよろしいですか」声の主は時田であった。
「はい?」アキラは時田に向き直り返事をする。
「ここのお風呂、どこにあるんでしょうかね」と時田が尋ねた。
「ああ、お風呂なら、そこのトイレの横にありますよ」方向を指さし、アキラが答える。「けれど、ここは貸し切りで、管理人さんに言って予約しないと入れないですよ」
「ははあ。そうですか」時田があごを手で擦りながら言った。
アキラのことを、じっと見ながら時田が尋ねる。
「常連さんですか?」
「いいえ。俺は初めてですけど」アキラが答えた。「連れがリピーターでして」
「リピーターですか。リビングや食堂の雰囲気からして、良い宿なんじゃあないかと思ってました」
「そうですね。それに図書館や娯楽室があったり……何よりサービスがいいです」
「へえ、娯楽室なんてのがあるんですか」時田が反応した。「あとで覗いてみようかな」
いや、失礼しました。そう言って、時田は去っていった。
それを見送ったアキラは、食堂で缶チューハイを買ってからカギハシの部屋に帰るのだった。
三.
ヒカリに勧められた本と格闘していたアキラは、わずか数十ページ目で根を上げ、本を机の上に置いてしまった。時計を見ると、時刻は丁度九時である。気分を入れ替えようと、リビングのソファで本を読もうかと考え廊下に出た。扉を閉め、鍵を掛けると、すぐ横にある洗濯室から、ヒカリがひょこっと顔を出してきた。
「アキラじゃない。どうしたの?」
「お前こそ何してるんだ? かくれんぼ?」
「そんなわけないでしょ」ヒカリは笑顔だったが、アキラには呆れた様子であると分かる。「洗濯だよ、洗濯」
「ああ、洗濯か」アキラは呟いた。
「アキラ、本は読んだ?」ヒカリが廊下に出てきて尋ねる。
「今、読んでる」アキラが答える。「が、早くも挫折しそうだ」
「活字、ホントに駄目なんだねぇ。慣れてない人でも、面白いと思ったんだけど」ヒカリは苦笑した。
二人が会話をしていると、二階から管理人が降りてくるのが見えた。管理人はこちらに気が付き、近づいてくる。
「アキラさん。先程は、ありがとうございました」管理人が話しかける。
「いえ、別に大したことじゃありませんから」アキラが答えた。
「何かあったの?」ヒカリが尋ねた。
「いいや、別に」アキラは淡白に言う。「少し荷物を運んだだけだ」
「お礼に、これから管理人室でお菓子を食べませんか?」管理人が提案する。「ヒカリさんもご一緒に」
『お菓子』という単語に惹かれたのか、ヒカリの笑顔に輝きが増す。
「ええ? いいんですか?」当然乗り気のようだった。「それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
「じゃあ、せっかくなので」アキラは答えた。
「それじゃあ、舞衣さんと優衣さんは、今回で三回目なんですか?」驚いたようにヒカリが言った。
管理人室で、アキラとヒカリは流行りのケーキを出された。アキラは生クリームが苦手であったが、幸いチーズケーキがあったため、それを貰うことにした。ケーキを食べているうちに、会話はこのペンション翡翠の話題になっていた。
「そうなんですよ」と管理人。「九条さんは、このペンションの一番最初のお客様でした」
管理人は思い出に馳せるよう、言葉を紡いでいく。
「三年ほど前になりますかね。ここがペンションを始めたばかりの頃、ご家族でいらしたんです。私が大学を卒業して間もない頃のことでしたので、至らないことも多かったと思うんですが、それでも翡翠を気に入って頂けたようでして」
紅茶を一口飲み、管理人が続ける。
「あの頃と比べると、お二人とも、すっかり大きくなちゃって」管理人が笑顔になる。「少し、おばさんくさいですね。フフ。」
「けど、管理人さんもすごいですね」とヒカリが言った。「大学卒業して、すぐここをやっていくなんて」
私にできるかなぁ、と付け加えた。
「それで、プリン作りとかも、させてもらえたんですね」アキラが紅茶をすすりながら言った。
「そうなんです」と管理人。「優衣さんには、すっかり親近感湧いてしまって。とにかく、九条さん達は私にとって、思い入れのあるお客様なんですよ」
そこまで管理人が言ったとき、ヒカリが腕時計を見ながら言った。
「あ、もう十時半だ。洗濯できてるんじゃないかな」
「ああ、すっかり話しこんでしまいました」管理人も、自室の時計を見ながら言う。「私も仕事しないと」
そういって、三人のお茶会はお開きとなった。管理人室を出ると、ヒカリは洗濯室、アキラは自室、管理人は食堂へと向かった。
アキラがカギハシに入り、鍵を閉めようとしたときである。
大きな悲鳴が聞こえた。
何だ? アキラは気になって廊下に出ると、ヒカリが食堂の方へ駆け出して行くのが見えた。アキラもそれを追い食堂へ着くと、管理人が口を両手で覆い、硬直していた。
その視線はある一点を凝視しているようだった。
アキラが彼女の視線を追うと、大柄の人物が仰向けで横たわっているのが見えた。
その人物は、さきほどアキラに話しかけてきた時田である。
時田の腹部から、なにか棒状のものが伸びていた。アキラは一瞬、腹から生えているのかと錯覚した。時田に近づくと、それは刺さっているものだと理解した。
「ちょっと診せて下さい」後ろから声が聞こえた。佐伯である。
佐伯は時田の身体を調べ始める。
ややあって、時計を確認してから言った。
「もう、亡くなってます」




