第八話(加筆版)
2012 6/11 誤字脱字、誤用、提案による修正を行いました。
樹海を進み続けてそろそろ数時間が経つだろうか。周囲の景色はどんどん薄暗く、そして不気味に変化していく。
ここ数十分、大分振り切ることができたのか、フォレストアントの追撃が殆どない。
精々が数分に一体、二体程度だろう。だが体力はともかく、エルは明らかに精神面で疲弊し始めている。
三十分前までは終わりの見えない逃走劇に、その顔色も暗かったのだが、目に見えて追撃の数が減ってきた事でようやくその表情に笑顔が戻りつつあった。
思えば、それこそが最大の油断。昆虫如きがまさか、かような策を用いてくるなど誰が思おうか。
ヴラド自身、出来るだけ警戒を続けているつもりであった。それでもエルの安堵した顔に僅かな綻びが出ていたのだろう。
ゆえに、本来なら気づけたかもしれない“襲撃”を許してしまった。
このままなら逃げ切れる……そうヴラドが心で呟くのと同時、地面が“爆発”した。
丁度開けた位置の場所が爆弾でも仕掛けていたように地面が弾け飛び、草木や土が盛大に舞い上がる。
土煙が立ち込め小石が降り注ぐ中、思わずその散弾の如き勢いで飛んできた木片や小石を左に避けてしまった結果出来た、エルとの距離を詰めようとした瞬間――――
『なっ!?』
ヴラドが思わず驚愕の言葉を漏らしたのよりやや早く、“川”がエルとヴラドの間を強制的に遮った。
茶色い川。思わずそう判断してしまった後、それがよく見れば大小様々に集まった信じられない数の“フォレストアント”だと気づく。
あまりの密集度に茶色い流れとしか視認出来ないそれは、瞬く間に二人の間の間隔を押し広げていく。
地面が爆発したように見えたのは、どこからか地下を移動してきてそのまま出口を吹き飛ばしたからだ。
今まで追っ手の数が少なくなっていたのが、地下に多くを動員していたからだろう。だが今更それを理解したとしてもあまりに遅い。
生きた蟻の川は二人を分断した後、更に途中で二手に分かれ、まるで巨大な大蛇のような動きでエルとヴラドに向かって殺到し始める。その数目測だけで数百以上。
『エルッ! エルーッ!!』
瀑布の如き流れで大木を圧し折りつつ向かってくる蟻共を、木々を四足で飛び跳ねることで回避しつつ、可能な限り最大に上げた思念を飛ばしてエルの名を呼ぶが返事が返ってこない。
まさか……と信じられない思いが胸を満たすかと思った瞬間、木々の合間、百メートル程先で蟻の群れが吹き飛ぶのが見えた。
小さな躯体が跳ね回る姿も同時に一瞬だが映り、エルが無事であるのだと知る。心底心の中で安堵している己を叱咤しつつ、迫り来る猛威から距離を取り直す。
急いで追いつかなければ―――そう思い進路を変更しようとした瞬間、まるでそれを遮るように蟻の川がエルの方向へと回りこみそのままヴラドに旋回するように襲い掛かった。
密集する木々をものともせず、くねくねと器用に避けながら、時なぎ倒しつつ周到にヴラドを攻め立てる。
この数をまともに相手にすれば間違いなく待つのは死だ。それを理解出来ない訳ではないからこそ、ヴラドは内心不甲斐無い自身を罵りながらも“逃げる”。
紙一重。まるで蛇が鎌首をもたげ食らい付くように、蟻の群れがヴラドの居た大木をミシミシと圧し折っていく。
轟音と共に周囲の樹木を巻き込み倒れていく大木、それより一瞬早く地面に着地したヴラドはエルの無事を祈りつつ樹海の奥へと走り行く。
今までの襲撃の少なさは地下の動員以外にも、油断させる為だったのだろう。既に隠す必要もないと言わんばかりに、蛇のような群体で襲い掛かる群れとは別に、わらわらと個別でフォレストアントどもがヴラドへと殺到してきていた。
それらを相手していては後ろから迫る群れに追いつかれ、あっと言う間に蹂躙されてしまう。途方もない数の暴力を前に生き残ることなど、それこそ限りなく零に等しい。
脳裏に過ぎるシーンは、とある南米に生息する軍隊アリと呼ばれるアリ達だ。ジャングルや平地を凄まじい量で移動し、獲物を瞬く間に覆い尽くし噛み殺す殺人蟻。
まさに今のフォレストアントはその名こそ相応しい。知能の欠片も見られなかった筈のこの種が、どう言う訳か小賢しい知恵を身に付けている。
その巧妙な移動に始まり、統制の取れた動き、どう見ても司令塔に近しい存在が居るのは間違いない。それこそそれなりに知能を有した存在だろう。
今は兎も角引き離し、エルと合流しなければ……そう思考し、限界まで速度を引き上げる。
多少避けきれない大木に身体がぶつかるが、ブラドの身は不定形生物。その強みであるゲル状の肉体がある程度の衝突をものともせず、最大速度での走行を可能としてくれていた。
『しつこい奴等だッ』
高々と聳える広葉樹の上より一体の影がヴラド目掛けて飛び掛る。それを犬型フォーム、獣特有のしなやかさで回避し、ようやく鉄並みの硬度を得た触手の一突きで的確に頭部を破壊。
更に結果的に上昇している膂力にモノを言わせ、そのまま死体を近くのフォレストアントに投げ付け吹き飛ばす。
エル程の力はないが、それでも生前に比べれば信じられない膂力を今は誇っている。
そのまま振り向くことすらなく樹海を駆け抜ける。既にこの終わりの見えない逃走劇の中で撃退した敵は五十体を超えるだろうか。
(不味いな……明らかに奥に誘われている。前出会った時は、知能の欠片も感じなかったから油断していた。一体どんなカラクリだ?)
そう思考している間にも、突如地面より這い出てきた一体を避け――更に横合いからその強力なあぎとを開閉し迫ってきた一体を軽やかなジャンプで避ける。
とんっと、軽い音と共に地面に着地して即座に出しえる速度へとシフト。
背後からは夥しい量の“気配”。同時に横や前方からも少数だが感じられる。
恐らく背後数十メートル先には津波のようみ、奴等が押し寄せていることだろう。物量作戦もかくやと言わんばかりだ
少々どころか、全く持って見たくない光景なのは間違いない。
悪態を吐くこともせず、ヴラドは肉体に取り込んでいる子猫――大きさはここ数ヶ月変化が見られない――の様子を確認し、エルが無事であることを信じてもいない神に祈りつつ、樹海の最奥へと進んでいく………
(一体何が目的なんだ? この辺りはもう深部だぞ)
大分距離を離したが、それでも数百メートルもアドバンテージがあるかどうかは分からない。
相変わらずエルの方向や外へと向かおうとすると、どこからかわらわらと蟻どもが湧き出してくる。
一体どれだけの数のフォレストアントがこの森に存在しているのか、もし地球で発生していたなら未曾有のバイオハザードとなっていたに違いない。
湧き上がる不気味な怖気。分からない事は恐怖だ。まるで急に知能をつけたかのようなフォレストアント達の動き。
それがエルを付け狙う事と繋がっているのかは不明だが、可能性は高いだろう。分断されて三時間、そろそろエルを助け出した場所をも越えるころだろうか。
平時ならちょっとした懐かしさに浸る事も出来るだろうが、今はそんな事をしている余裕もない。
その先はヴラドですら過去一度も踏み入った事のない最深奥だ。この辺りまでくるだけでも大分生物の息吹が戻ってきている。
それは即ち、フォレストアントの十や二十、あるいは百でも仕留められないような強力な生物が跋扈する領域と言う事に他ならない。
今のヴラドでもこの領域内では一割程の種には勝つ事が難しいと言わざるを得ない。それでも当初に比べれば信じられない成長なのだが……
そしてこの先は、そんな地球上の生態系では考えられない化け物どもより更に強大な、それこそヴラドでは歯が立たないような存在が蠢く地だ。
まさに神話に語られる化け物に等しいだろう。過去一、二度程エルを見つける前に見た事のある存在からすれば、今のヴラドでも恐らく路傍の石ころのようなものに違いない。
それ程までに、これより先の地に住む生き物達は一線を画す存在なのだ。否が応でもヴラドの緊張は高まっていく。
それにここまで来ればヴラドにも蟻達の思惑が見え始めていた。“導かれている”。あるいは羊犬が羊を追い立てるように、ヴラドはこの樹海の最深部へと誘われている。
もっと早くに気づいてよかったのかもしれないが、昆虫相手と言う先入観がそれを阻害してしまっていたのだろう。
ヴラドがようやくそれに思い至ったのも、つい先程からフォレストアントの動きが襲い掛かると言うよりは、“道案内”のようなものとなっており、更に言えば明らかに“ヴラド”を守るように周囲に壁を展開し始めたからだ。
(一体何処に連れて行くつもりなんだ……? 少なくとも逃げ出そうとしない限り襲い掛かってはこないようだが)
蟻如きに良いように追い立てられた事実は非常に遺憾ではあったが、逆にそうまでして導く先で待つものにも興味が出てきていた。
下手すれば生餌を連れて行きたかっただけかもしれないが、それにしてはあまりに妙だ。
餌にするだけなら殺さない方が得だ。だと言うのにまるで生死を問わないような攻勢ぶりであったり、こうして逆に今は守るように展開している。
少々その動きは不自然であった。それを言うならば、急に知能らしきものを有したその一点こそが最も異常なのだが。
一体何がこの先で待ち受けているのか……蟻達の導きに従い、恐らくは終点でエルとも合流出来る筈だと願いながら、ヴラドはまもう少しでこの鬼ごっこも終わりだろうと密かに感じとっていた――――
(ここが樹海最深奥、か……)
フォレストアント達に誘導されるように進みだして一時間程、明らかに空気の重さがその地帯は違った。
そこはそう、深部となお比してもヴラドに“魔界”と思わせるに相応しい場所であった。あらゆる植物は奇妙な進化を遂げ、天を覆わんばかりの勢いで空を侵食している。
その色も緑などと言う色は少なく、紫やら赤やら、中には地球の自然界では殆どありえない青色をした植物など、かなり毒々しい。
差し込む光に反射するのは恐らく毒性のある胞子だろう。まるで霧のように、あちらこちらから胞子のようなものが引っ切り無しに植物達から排出されていた。
ヴラドは成長に合わせ、あらゆる毒性に非常に強い存在へと変わっている為に影響はないが、通常であれば一時間と活動は出来ない場所である。
幸いエルも種族柄なのか、毒に対する耐性は非常に優れている為、移動中に倒れることはないだろう。
植物以外の姿は見えないが、何か“強大”な存在の視線と呼ぶべきものがこちらを監視しているのを
ヴラドは感じ取っていた。
それはヴラドの能力が優れているのではなく、相手がこちらにも分かるよう監視している類のものだ。
言い換えればそれだけの行動が出来る知性を持つ者達が居る、と言う訳である。
ヴラドと言う“弱者”をなぜ監視する必要があるのか、それは不明だが、今回の一連の流れにもしかしたら何か関係があるのかもしれない。
視線の感じも何かと言うと敵意よりは成り行きを見守る、と言う感じが強いのもヴラドにそう思わせた一因だろうか。
下手をすればこれは本当に生きて帰れないだろうと、改めて気を引き締めていると、フォレストアント達の動きが緩慢なものへと変化していく。
視線を前に集中させれば、薄っすらとした靄の奥から巨大な“洞穴”が姿を現す。いや、それは洞穴などではない。フォレストアント達の“巣の入り口”だ。
『パパッ!!』
直径十数メートルもある巨大な地下への穴に圧倒されていると、ふとエルの声が響きそのまま横面に衝撃が奔った。
幸い声に対して反射的にゲルの弾力性が強化されていたからいいものの、下手すれば今頃エルはヴラドの肉体を突き抜けていただろう。
湧き上がる歓喜を抑え、エルとの接触と同時に変化した視線にいぶかしむヴラド。
(なんだ? 明らかにエルとの接触に監視が動揺した――?)
「パパ? どこかケガしたの?」
明らかに監視者達――複数名――が動揺したゆらぎ。それも間違いなく想定外の事態に対する反応にどう言う事だとヴラドが思考していると、エルが泣きそうな声でヴラドに縋り付いてきた。
その姿と声にハッと我を取り戻し、触腕でエルの頭を撫でてやる。思考の海に埋没してしまうのは、ヴラドの悪癖であった。
『大丈夫だ。どこも怪我はしていない。エルこそ怪我はしていないか?』
「えっと、すこしだけキズができたけど、すぐになおったよ!」
そう言って指で示した部位はなるほど、確かに草色のワンピースが千切れてしまっている部分が数箇所見られた。
エルは種族の特性か、その回復力は非常に高い。人と違い細胞の分裂限界数がもしかしたら無い、あるいは比べるべくもない差があるのかもしれないが、それでも何か代償があるのではないかとヴラドは危惧してしまう。
出来るのなら、その辺の詳細が分かるまではあまりその再生能力を使わせたくないと思うのである。
それももしかしたら過保護な考えなのかもしれないが、ヴラドにはこの世界の知識が無い。考えすぎくらいが丁度いいとも言えた。
『そうか……無事で本当に安心したよ……』
触腕を増やし、まるで抱き締めるように背に伸ばし、トン、トンっと背中を叩く。
エルもされるがままとなり、おずおずとその小さくか細い腕でヴラドに抱きつく。
エルのように温かな体温をヴラドは持っていないが、それでもそうされるだけでエルは幸せだった。
「パパ……」
再開の今だけ――その瞬間だけはフォレストアントも、監視者も、今の状況すら危険を承知で思考から排し、二人はそれから数分と言う短くも永遠に思える時を抱擁に費やした――――
律儀と言うか、どう言う訳かエルとの再開を黙って見守っていたフォレストアント達が、抱擁の終わりを皮切りにして巨大な地下へ続く穴に進んでいく。
ヴラドも四足形態のまま、エルの前に出る形でそのまるで地獄にでも繋がっていそうな巨大な穴へと進みだす。
進みだして直ぐに香って来たのは“死臭”であった。信じられない量の生餌や死体を運び込んだ結果だろう。
腐乱した肉の臭いが辺りから漂い、それも奥に行くほど強まっていくので、エルがかなり嫌そうな顔をする。
ヴラドは一応感覚として臭いを察知することは出来るが、それを臭いとして感知することはない。
ヘビが視力の変わりに熱センサーを搭載しているのと近いだろうか。それが死臭だと判断は出来るが、臭いそのものを感じる事は出来ない。
だからエルがどれだけ凄まじい悪臭に苛まれているかヴラドにはイマイチ理解出来なかった。それでも生前の経験から死体が腐乱する臭いを嗅いだ事もあるため、その不快さは理解できる。
「パパぁ……ここ、くちゃいよぉ……エル、かえりたい……」
更に地下へ、地下へ、入り組み、分かれ道が無数にあるのに迷わずフォレストアント達が進む中、エルがとうとう泣き言を漏らす。
先程から鼻を摘んでいるようだが、どうやらさほど効果は期待できなかったらしい。
さて、どうしたものかと考え、ふと内部に仕舞っているリアンを意識する。
『そうだな。リアンも居るが、エルも私の中に入るか? 少なくとも無臭の空間だ』
「は、はいる! パパのなかにエルはいる! ここくちゃくてあたまがおかしくなりそう……」
一も二もなく返事を返すエルに内心で苦笑しつつ、ヴラドが触手でエルを絡め取りそのまま肉体に引きずり込む。
エルが一瞬粘液質な液体の感覚を味わった後、リアンと同じく泡の中に閉じ込められていた。
と言っても強度はそう高くは無く、エルがパンチでも繰り出せばあっさり脱出出来るだろう。
「ありがとぉパパ。えへへ、パパのなかにはいるのはすごくひさしぶりだね」
『核だけは傷つけないよう気をつけてくれ』
「うん!」
そう言って膝の上にリアンを乗せてエルがニコニコと笑みを浮かべる。
リアンも状況を察してか、特に嫌がる素振りを見せず大人しくしているようであった。
先程までは悪臭に顔色を悪くしていたと言うのに、エルも中々の変わり早さである。
『フォレストアントが何か行動を起こすと思ったが、そう言う事もなかった。さて、一体何が目的なのか検討が付かない』
「うん……それに、おそとのいきものもおそってこなかったよ」
『ああ、その点も少し妙だった。私は長いことエルと居るから耐性も付きつつあるし、夢の通りにはならないで済みそうだが。少なくともフォレストアント達は衝動を感じている筈なんだ。それなのにこうも至近距離で本能に逆らう事が出来るなんて思えない』
「ユメ?」
ヴラドの発した言葉にエルが泡の中で小首を傾げる。リアンも真似して首を傾げるのがなんとも愛らしい。
流石にエルを無残に血祭りに上げ、更には己が糧とした夢を見たなどとは言えない為、心苦しいがヴラドは誤魔化すことにした。
『いや、ちょっと縁起の悪い夢を昔に見てね。それを思い出しただけだ』
「ふーん」
「ニャー?」
エルはどうでもよさそうに、リアンは何の話しか理解出来なさそうに口にする。
今がいわゆる捕虜にも近い状況だと言うのに、なんとも柔らかな空気がヴラド達を包んでいた。
流石にこれは不味いと、周囲の警戒に意識を切り替える。そしてそれから更に一時間と少し、幸い明かり苔らしきもので明るさは保たれている中を黙々と進み、とうとう恐らくは終点だろうと思われる前にヴラド達はたどり着いた。
フォレストアント達がまるでモーゼの十戒のように割れ、先に広がる広大な空間への道を作り出す。
ヴラドが一歩進むたびに後ろの蟻達が通路を塞ぎ、退路は必然と消えていく。
重苦しい空気と死臭が満たす中、懸命に生きる目を模索しつつヴラドがとうとう二、三百メートル規模の空間の中央へと至る。
そしてそれが“視界”へと映りこむ。体長恐らく十五メートルクラス。腹部は通常の蟻とは違い大きく長い。
背中には昆虫特有の翼らしきものがあり。その固体が飛行を可能としていることを示している。
放つ威圧感は出会った生物の中でも明らかに群を抜いての最高レベル。感じる衝動も凄まじく、大分衝動を自ら抑えたりする術を身に付け始めたヴラドにもかなりキツイレベルだ。
間違いようもない。周囲には一回り体格の良い戦闘用の蟻を侍らせたそのまさしく別格の存在者こそ、このフォレストアントのコロニーを支配する“女王”。
この樹海でも間違いなく上位に位置する強者。今のヴラドではどう足掻いても勝つ事の出来ない存在が昆虫独特の、無機質で感情を感じさせない瞳でヴラドを見詰めている。
ヴラドの中でリアンが威嚇の声をだし、エルは今の自分より明らかな格上の存在にどうすればいいのか顔を歪めている。
何か違和感をヴラドは覚えるが、少しの警戒も油断も許せない相手に全力で集中することで一杯一杯の為に、そこまで意識が回らない。
……五分、十分、ジリジリとヴラドの精神が削られていく。そして十五分経過し、流石のヴラドも内心どう言う事だ? と疑問符が沸く。
相手がどう言う意図の下、ヴラド達をここに誘導したかは分からないが、沈黙を保つ理由が分からない。
相変わらず女王蟻は微動だにせずヴラドを眺めているだけだ。こちらの精神を削りきる作戦かと思考しつつ、更に五分の時間が経過する。
四面楚歌の中で限界の精神を保つのは非常に苦しい。肉体が人であれば汗をかいていただろう。
こうなれば根競べだと内心で決意した瞬間、女王蟻が急に動きを見せる。その肉体がよろりと前に進んだかと思うと、急激な膨張を起こし、まるで膨らんだ風船の末路のように“破裂”した。
『ハ?』
「え?」
「にゃ?」
理解不能の事態に思考が停止する二人と一匹。ボタボタと肉片が降り注ぎヴラドにぶつかるが、停止した思考を戻すには至らない。
周囲の土を女王の体液と肉片で染め、それでも後ろのフォレストアント達は動く気配を見せない。どの固体もまるで抜け殻のように意思を感じさせなかった。
先程までは確かに強烈な存在感を放っていた強者が呆気なく。そう、呆気なく前触れもなく消え去った。
それも破裂などと言う訳の分からないことでだ。あまりにも予想外の事態の中、麻痺する思考を懸命に動かそうとヴラドの無意識が働き始めた瞬間――――
「お兄様!!」
女王の居た奥。いや、正確にはその更に地下から染み出すように全裸の少女が飛び出して来て、そのままヴラドに抱きついた。
まるで世界が凍りついたような錯覚さえ覚える中、流石のヴラドも一体何が起こっているのか説明してくれと、内心で信じてもいない神に愚痴を零すくらいには異常な事態であった。