第七話(加筆版)
2012 6/11 誤字脱字、誤用などを修正しました。
どうしてこうなったのかと、ヴラドは一人心の中で滾る暗澹とした暗い思いを吐き捨てる。
犬型に変形した肉体を巧みに扱い、ジグザグに樹海を駆け抜け迫り来る“群れ”を引き離す。
傍にエルはいない。この突然始まり、そして終わりの見えない鬼ごっこが始まって四時間程経過した後、遂に離れ離れになってしまった。
その時の逃げることしか出来なかった己を思い出し、心の内側が憤怒の業火に包まれる。
(何たる不覚ッ。体たらくにも程があるぞ私はッ! いくら訓練時代から数十年と経っていたとは言え、ああも昆虫風情に手玉に取られるなど……)
口があれば唇を噛み切っていた事だろう。もしかしたら未然に防ぐことは不可能であったかもしれない。
だが、可能性が零ではないのでれば、ヴラドはそれを可能な限り実践しなければいけなかった。それを出来るのはヴラドだけであったからだ。
逃げ切れるかもしれないという甘い誘惑に気を僅かに許した結果の失態。それはほんの些細な、それこそ僅かな油断であったが、それを見事に突かれてしまった。
(落ち着こう。怒りに駆られては冷静な判断は出来まい……今重要なのは、どうやってエルと合流するかのみ)
ほんの数秒から数十秒。一分に満たない逡巡の果てに元の平静を取り戻し、ヴラドは既に深部と言ってもよい樹海の中を犬型の肉体で駆け抜ける。
子猫を拾ってから数ヶ月、エルの実力は飛躍的に上昇しており、単純な戦闘能力で言えばヴラドのソレを既に上回るだろう。
それでも縦横無尽に駆け抜けつつ、まるで庭のようにも感じる樹海の中、迫り来る“群れ”を一掃するにはあまりにも脆弱な力だ。
その数はまさに無尽蔵の名こそ相応しい。一体どこに隠れていたのかと疑いたくなる程の数。
ヴラドに口と舌があれば盛大に舌打ちをし、アメリカで培った聞くに堪えない罵詈雑言を吐き散らしたに違いない。
実際はそんな余裕もなく、ただひたすらに逃げ続ける事しか出来ないのだが……
『しつこい奴等だッ』
高々と聳える広葉樹の上より一体の影がヴラド目掛けて飛び掛る。それを犬型フォームの、獣特有のしなやかさで回避し、ようやく鉄並みの硬度を得た触手の一突きで的確に頭部を破壊。
甲殻を突き破り、脳髄を破壊し絶命させる感触を感じる暇もなくその躯から触手を即座に肉体に戻す。
そのまま振り向くことすらなく樹海を駆け抜ける。既にこの終わりの見えない逃走劇の中で撃退した敵は五十体を超えるだろうか。
時間帯効率と言う意味では恐ろしく効率のよい狩りではあるが、チップが己の命だと言うのだから笑えない。
まるで誘蛾灯に集る羽虫の如く、次々と現れる二メートル程の昆虫どもはヴラドとエルを付け狙ってきていた。
気付けば苔や背の高い草、茸、蔦、食虫植物、群生する植物が段々と禍々しいものへと変化している事に気付く。
(不味いな……明らかに奥に誘われている。前出会った時は、知能の欠片も感じなかったから油断していた。一体どんなカラクリだ?)
そう思考している間にも、突如地面より這い出てきた一体を避け――更に横合いからその強力なあぎとを開閉し迫ってきた一体を軽やかなジャンプで避ける。
とんっと、軽い音と共に木々に飛び移り、よじ登ってきた有象無象を避けるように再び跳躍。地面に着地して即座に出しえる速度へとシフト。
背後からは夥しい量の“気配”。同時に横や前方からも少数だが感じられる。
恐らく背後数十メートル先には津波のように奴等が押し寄せていることだろう。物量作戦もかくやと言わんばかりだ
少々どころか、全く持って見たくない光景なのは間違いない。
悪態を吐くこともせず、ヴラドは肉体に取り込んでいる子猫――大きさはここ数ヶ月変化が見られない――の様子を確認し、エルが無事であることを信じてもいない神に祈りつつ、樹海の最奥へと進んでいく………
――――そもそもヴラドが今の状況に陥ってしまったのは四時間以上も前に遡る……
今日で子猫を拾ってから数ヶ月程、やはりと言うか、地球の猫とは生態や成長に違いがあるのか、まったくもって体重はおろか体長に変化が見られない。
傷も当初の実験で判明していた傷に効く薬草、それらを用いることで無事塞がった。元々自然治癒の能力も高かったのだろう。
食性に関してだが、キャットフードなどある訳もないので、とりあえず仕留めたウサギのような生物、この世界に来た当初にであったホーンラビットの生肉を与えて見たのだが、どうやら正解であったらしく、口の周りを真っ赤に汚して一心不乱に飛びく。
余程空腹だったのだろう。餌を取られまいと、まるで抱き付くように手で押さえ噛り付く姿は小さくとも立派な獣ハンターなのだと、ヴラド達に示していた。
以降このリツゥアノーン、愛称リアンと名付けられた黒の子猫はヴラド家の一員として育てられる事となる。
『美味いか?』
『ナァー!』
「おいしいの?」
『……』
ヴラドの思念にはその尻尾を揺らし、愛らしい声で鳴くが、エルが問うとぷいっと無視し、そのまま木を加工して作られた皿に収められた生肉に齧り付く。
ヴラドは内心で苦笑を呈すが、リアンのその反応にエルの細い眉がくいっと持ち上がる。
「……このこかわいくない。ねぇパパ、すてようよ?」
どうもあんまりエルには懐いていないらしく、大概は今のように呼び掛けにすら反応を示さない。
もしかしたら、エルが日本語を扱っていることも原因かもしれないが、ヴラドにもそこは不明であった。
ぷくっと頬を膨らませ、ヴラドの身体を椅子にしているエルが声を上げるのも、既にここ最近では習慣のようなものだ。
『猫なんて天邪鬼な生き物だ。いずれはエルにも懐く』
「ほんとうに?」
『ああ、あんまり構わず、寄ってきたときにコミュニケーションを取るのがコツだ』
「わかった、やってみる!」
口ではいらないなどと言っても、本心は興味津々に違いない。
エルにとって生き物とはヴラドを入れて、殺していいモノと駄目なモノに大別されてしまっている。
この黒の子猫はそんなエルの世界にやってきた殺しては駄目な生き物、その二番目だ。
自分からそう決めたかは今はいい。これを通じて、エルにとって良い意味での経験をきっと得られるだろう。
猫や犬などを撫でたり、あるいは人に撫でられる、撫でる、と言った行動はコミュニケーション能力を上げる効果がある。
それはオキシトシンと言う成分が分泌されることで得られる効果だが、撫でられるだけで分泌されるよりも、撫でる側となるのもまた良い経験となるに違いない。
だからこそヴラドは積極的にエルの頭を撫でるし、この子猫とも仲良くなって欲しいと思っている。
そわそわと、子猫をちらりちらりと横目で見るエルの様子を見て、年頃の女の子らしいと思える自分の心にヴラドは安堵した……
『よし、エル、この水皿をそっとリアンの前に置いてみるといい』
「う、うん」
テーブルの上に置かれた木材を円形にくり貫き外を削って整えた皿。それをエルに渡せば緊張した面立ちでそっと受け取る。
リアンも肉を食べ終えて喉が渇いているのだろう、ヴラドが大抵は置く皿なのだが、エルが手に持っても特に反応せず待っていた。
「はい。ど、どうぞ」
緊張に上擦った声を上げつつそっと肉の入っていた皿の横に置く。すると得に問題もなくリアンは皿の中の水を舐め始めた。
その様子をキラキラとした眩しい瞳で凝視するエル。この行為も既に十を超えているが、それでもエルは飽きないらしい。
「ぱ、パパ。さわってもだいじょうぶかな」
『さて、それは私にではなくリアンに聞くべきだろう』
「うん……せなか、さわってもいい?」
返事は返ってこない。しかし、その長い尻尾が一度横に振られるのを後ろから見ていたヴラドは目撃していた。
それはリアンなりの合図だ。許可と言い換えてもいい。もう何度となくやってきた行為だが、一度としてリアンはエルに触れる事を許してはくれなかった。
それが遂に積極的ではないものの許しが出たのだ。一歩に過ぎないが、エルとリアンの仲が深まった瞬間と言えるだろう。
『エル。リアンが触れてもいいそうだ。ゆっくり、優しく頭の方から背中の半ばまで擦るように撫でるんだ』
ヴラドに言われた通り、その背中を撫でようとするが――――
「フゥーッ!」
「ご、ごめんなさい!!」
元々膂力の強い種であるせいか、予想以上の力を入れてしまったらしく、リアンが毛を逆立て威嚇の声を上げる。
「パパ、ど、どうしよう……え、エルきらわれちゃったのかな……」
その大きな瞳にこれまた大粒の涙を浮かべ、エルがおろおろとリアンとヴラドを交互に見る。
今にも泣き出しそうな表情に、何とかしてやりたいのだが、こればかりはリアン次第であるためなんと言ってよいのか返答に困ってしまう。
『ん?』
「り、あん?」
そんな二人の前でリアンが逆立てた毛を戻し、ゆっくりエルの前で横になる。その姿はまるで「ほれ、撫でるんだろう?」と、そう言っているようで、エルも思わずもう一度手を差し出してしまう。
先程より更に慎重に、そっとその柔らかな黒い毛に指先が触れる。そのままゆっくりと手のひら全体でその背を撫でていく。
「ぱ、パパっ!!」
リアンがエルの何時にも増しての大声にびくりと一度反応し、その頭をくいっと持ち上げるが直ぐにまた床にぺたりと伏せ、くぁっ! と欠伸を一つ。
『ああ……良かったなエル。今日からは水皿はエルにやらせても問題はなさそうだ。出来るな、エル?』
「うん! エル、がんばる!!」
そう言って再び太陽のように輝かしい笑みを浮かべ、それは蕩けそうなくらいに嬉しいと感情を表に出しつつリアンを撫ぜる。
少しだけ鬱陶しそうな様子であったが、リアンも特に嫌がる素振りも見せず、暫くの間エルはリアンを撫で続けた。
それを横目に見つつヴラドは思考する。狩りは既に終えており、陽は既に傾き始めている。ここ最近ではエルに戦闘能力面ですっかり先を越されてしまった。
ヴラドの成長性も異常と言えるのだが、エルの場合は元から戦闘能力の高い種族な為か、まるで乾いた大地が水を吸い込むかの如く成長していく。
最近では科学に真っ向から喧嘩を売るような、“魔法”としか言い様のない力まで見せる始末だ。
今はまだ小さな火を灯したり、旋風を起こしたりするのが精々だが、成長と共にその魔法のような力も増すのであれば、将来は一体どうなるのか。
ヴラドとしては生き残ると言う意味でも歓迎だが、この世界にエルに匹敵した成長性を持つ種が居ると思えば、頭が痛くなるのも事実であった。
ほのぼのとした空気に、やはりリアンを助けたのは正解だと改めてヴラドが思っていると――――
「パパ」
『ああ……少なくとも三体は居るな』
「エルがかたづけてくるよ?」
『大丈夫だ。エルはリアンとロッジで待っていてくれ、もし万が一があった時だけ出て来てくれればいい』
「パパがそういうのなら……けが、しないでね」
エルの言葉に思念だけで首肯を返すと、形態を犬型に変化させそのまま扉を押し開けロッジの外に躍り出る。
瞬間待ち構えていたかのように襲い掛かってきた“フォレストアント”。即座に四肢を鉄並に硬質化させ、扉を押し開けた勢いのままの前足でフォレストアントを押しのける。
そのまま背部から鉄槍と化した触手で比較的甲殻の薄い部位を貫く。緑色の液体がヴラドに降りかかるが、それに気に留めた素振りも見せず、近くで様子を見ていた二体のフォレストアントに素早く接近。
飛んで火に居るなんとやらとばかりに、その強力な顎で向かえ撃とうとするフォレストアントを嘲笑うように跳躍。
弾力の強化により高々と舞った肉体は、宙で無数の触手を展開し、硬質化した槍がまるで雨のように二体へと降り注ぐ。
一体が瞬く間に剣山と成り果てる中、もう一体は素早い動きで見事に降り注ぐ触手の嵐を掻い潜る。
昔出遭った時より遥かに動きが俊敏だ。その事実に一瞬動きが止まり、その間に地面に着地。
瞬間襲い掛かって来た鋭利な鋏のような顎。見事球体のヴラドの生命線、核を狙った一撃を即座に犬型から平べったい形状に変身して回避。
そのままずるずるとフォレストアントの真下に移動、地面から突き立つ木々のように触手がフォレストアントを刺し貫く。
都合三体、時間にして一分と少しの戦闘を終えたヴラドが苦い顔を見せる。
フォレストアントと出会ってから幾度か住処を実は変えており、襲撃もなかったことから女王には伝達されていないと思っていたのだが――――
(明らかにこのロッジを狙って来ていた。これは少し不味いかもしれないな)
先程の三体が斥候のような役割であれば、本隊が向かってきている可能性が高い。
もし今までの期間が働き蟻増産の意味合いであったのならば――考えても仕方がないと思考を棄却。
即座にこの場を捨てる判断をし、フォレストアントを暫くのエネルギー源とし取り込むと、エルを呼ぶべくロッジへと戻っていった………
『エル!』
「パパ?」
荒々しく扉を開け放ち、ロッジに入るのと同時にヴラドの思念が勢いよく発せられる。
そうそう声――思念――を荒げることのないヴラドにしては珍しい行動に、エルがきょとんとした顔と声でヴラドを呼ぶが、それに構わず必要な事のみ告げるべく口を開く。
『ロッジを捨てる。恐らくそう時間が経たないうちにフォレストアントの大群が此処に押し寄せる』
「フォレストアント? ……ああ、アリさんだねパパ。でも、エルのてきじゃないよ?」
聡明とは言え、まだまだエルは幼い。数の暴力と言う本質をまだよく理解出来ないのだろう。
なまじ実力がある分だけそれは顕著なのかもしれない。
『エル、量は時に容易く質を上回る。エルは確かに強くなったが、相手が千以上も居て全部倒せると思うか?』
勿論数は当てずっぽうだが、下手するとそれを上回る可能性もある。ヴラドの言葉を誇大妄想と切り捨てるのは早計だろう。
「たぶんむり。それに、パパがにげようっていうんだから、エルはそれにしたがうだけだもの」
そう言ってにっこり笑うと腰掛けていた椅子から降り、そのままヴラドの横に移動すると「それじゃあいこう、パパ」と、外に向かう。
リアンがなぁーと鳴きヴラド達に着いてくる。動物としての本能なのか、それとも地球の猫とは違い知能が高いのか、その足取りに迷いは見られない。
エルとリアンの様子に頼もしさを覚えながら、ヴラドは一人と一匹を連れて外に向かった。
瞬間、凄まじい頭痛にも似た痛みがヴラドを襲う。
『ッ…ァ…!?』
「ぱ、パパ!」
慌ててエルが駆け寄るが、ヴラドはそれに構う事も出来ない。何か、強制的に周波数を合わせられているかのような不快感。
脳内を弄り回されるような感覚に頭もないのに頭痛が増し、異もないのに奇妙な吐き気を覚える。
数秒がまるで無限にも引き伸ばされたかのような時間間隔の果て、遂に何かとぴったりくっついたと言う訳の分からない“確信”がヴラドの全身を駆け抜けた。
瞬間、どこかで聞いた事のある声が思念としてヴラドに響く。
『ごめんなのよさ! 本当はこん――――』
何を謝っているのかも判明する前に、ぶつりとまるで回線が切断されるように少女の声が途切れる。
そこでようやく声の主があの夢の中の、肉声の主であると思い至り、どう言う事だと自問しつつも収まった頭痛に何とか平常を取り戻す。
どう言う意味であったかは気になるが、今はそれより優先するべきことがある。
『心配を掛けた。早く行こう――』
と言いかけヴラドの思念が途切れる。三体のフォレストアントを始末して数分と経っていない筈だが、どうやら既に手遅れだったらしい。
地面がまるで地震のように小さく振動している。同時に草原の方角から土煙と共に、“何かの群れ”がヴラド達の方へと向かってきているのが見えた。
距離にして数百メートル程は先だろうが、数分もしないうちにロッジに到着するだろう。
ヴラドがざっと確認出来るだけでも、明らかに百や二百なんかでは足りない、それこそ千単位、あるいはそれ以上の数。
流石にこの数はエルも予想していなかったのか、その大きな瞳を驚愕に見開き信じられないと言った感じだ。
かくいうヴラドにも流石に我が目を疑うかのような光景であった。
リアンは勇ましくも毛を逆立て「フゥーッ!!」と威嚇しているが、無謀と勇気は別物である。
最も早く硬直から回復したヴラドが即座にリアンを身に取り込む。
何時かのエルを助けたように、酸素を窒素で薄めた泡で包み、ゲルの弾力性を強化、犬型フォームへと肉体を変え、『エル、呆けている暇はないようだ。行くぞ』と声を発し、そのまま草原とは逆の方向、食物連鎖の縮図が渦巻く大樹海へとヴラドは走り出した………
『そう簡単には逃がしてくれないかッ!』
どこから沸いたのか、樹海から草原とは別働隊でも置いていたように現れたフォレストアントを触手で刺し貫き絶命させる。
「じゃまっ!」
同時に地面から現れた一体をエルの見た目にそぐわない膂力を誇る一撃が襲う。
冗談のような速度で巻き込んだ風による気流により、信じられない威力を発揮した素手の殴りはその堅牢な筈の甲殻を吹き飛ばし、そのまま本体ごと近くの大木に吹き飛ばしていく。
速度を出来るだけ殺さず、樹海の中を木々に足を引っ掛けないよう進むが、数十メートルも進めばまたもやどこから現れたのか、フォレストアントがその巨大な顎をガチガチと鳴らし突っ込んでくる。
それをエルのパンチが迎え撃ち、その肉体があっさり吹き飛んでいく。それでも次々と沸いてくるフォレストアントを見て、エルの顔が引き攣る。
『無駄に相手をしなくていい。今はとりあえず逃げ切ることだけを優先するんだ』
「う、うん」
背後から迫り来る大群。横合いから飛び出してくる少数隊、そして先回りでもしたのか、待ち伏せだったのか、前方からも時折進路を塞ぐように沸いて出てくる。
ヴラドはその自由な肉体を用い、即座に変形し次々ととやり過ごし、エルはその圧倒的な身体能力を利用し、どこの忍者だと言わんばかりに木々を飛び移ったり幹を蹴り飛んでいく。
それでも振り切れない場合はその凶悪な素手の一撃を持ってして活路を開く。
ヴラドも時に触手を振り回し、時に酸や塩基を飛ばし、失ったエネルギーは死体を取り込み即座に回復することでペースを維持している。
樹海に入ってそろそろ一時間、木々の高さも増し、本格的な樹海の領域に踏み入ってしまったというレベルだ。
斜めに向かう事も考えたが、背後から追いつかれる可能性もある為、現状は真っ直ぐ進むしかなかった。
幸い人外の恩恵か、方角はなんとなく理解できる。四肢を動かし、樹海の中でありながら生前の全速力を上回る速度で駆け抜けていく。
ヴラド自身は兎も角、エルの体力やリアンが心配であったが、予想以上にエルの体力は高そうであるし、リアンは泡の中で大人しくしている。
その様子はまるで状況を理解しているようで、時折こちらの意思を理解しているのではないかと思ってしまうくらいだ。
稀に遭遇するフォレストアント以外の生物を避けつつ、エルもヴラドも二、三言時に言葉を交わすだけでひたすらに樹海を進み続ける。
ふと、今まで気づかなかったが、樹海の様子がどうも可笑しい事に気づく。何が変なのか、逃走しながらも意識を傾けること数分。
(……そうか、生き物の気配が薄いのか。元々騒がしい場所ではないが、それでも生命の気配が濃厚な地だと言うのに、その気配が随分と希薄なんだ)
それが意味することに思考を巡らせていく。フォレストアント達が狙っているのはエルだと言うのは間違いない。
そこに何故かヴラドまで含まれているが、この際はすべてがエルに集中するよりはいいだろうと逆に御の字だ。
ならば、エルを横取りされたくない為に樹海の生物を排したのか? それはあっているようでどこかズレている気がヴラドにはしてならない。
そもそも、この樹海が広大とは言え、同じ種がこれだけの数を維持するのは相当大変な筈である。
そこで何か違和感、そう――――数、その思考が強烈な違和感を放っている。
今まで襲ってこなかったのは兵隊蟻や働き蟻の増産の為だとヴラドは検討をつけていた。
では、増やすのに必要なのは何か? それは餌だ、つまり、フォレストアントの爆発的な増殖に伴い森の生物が減少してしまったのである。
最近は草原での狩り、樹海も浅場であった為に見逃してしまったのだろう。
こんな広大な樹海で目に見えるレベルで生物が減っている。ならば、一体どれだけの数でフォレストアントは勢力を拡大しているのか。
考えるのが嫌になってしまうくらいの怖気が駆け抜ける。一瞬脳裏に過ぎるのは逃げ切れるのかと言う事実。
心に一瞬忍び寄る不安と言う名の魔手を、即座にヴラドは鼻で笑うように消し飛ばす。
ヴラド一人であろうと、最善の道を取り、生き残る為の活路を探し続けただろう。そこに今は“家族”が居るのだ、それならば不可能を可能に変えてみせるのが“父”の役割だろう。
子を守れないでなにが一家の大黒柱か。子に格好良い姿を見せるのもまた、父の役割なのだ。
『エル! あまり私から離れるなよ。何時分断されるか分からない』
出来るだけ思念を限定し、フォレストアントに伝わらないよう気をつける。
声量を絞るのと似ているが、それとも違う感覚は言葉にし難い。
ヴラドの思念が無事届き、エルがこくりと頷き素早く少し離れていた距離を詰めてくる。
そこで返事をしないのは、やはりエルが年以上に聡明な証だろう。
時折逆に年不相応な幼い面もあるが、それもエルの美点と言えなくもない。
『エル、まだ疲れてはいないか?』
「だいじょうぶだよパパ、まだまだエル、はしれるもの」
そう言ってその細い腕を曲げ力瘤を作ろうとするが、残念ながら僅かも盛り上がらない。
エルなりの励ましなのか、それとも自然に出た反応なのか、今の状況を忘れている訳ではないが、ヴラドの心に笑みが零れる。
高くなっていく木々の間を駆け抜けながら、触手を伸ばしてエルの頭を乱暴に撫でてやる。
いきなりのヴラドの行動にわっぷわっぷとエルが口にするが、それでも止めない。
乱暴なのは移動しながらなのでヴラドとして許して欲しいところだ。
ぷくっと頬をエルが膨らませるが、直ぐにその怒ってますと言う表情も、撫でられ続けるうちにほにゃっと崩れてしまう。
そこに泡の中でリアンが「ナァー」と鳴く。まるで自分も居ると主張しているようで、ヴラドの心は温かな感情で満たされる。
(そうだ。私には守らなければいけない家族が居る……誰一人として犠牲を出しはしない。父は何時だって子の英雄であり続けなければいけないのだから……)
そう心の中で再度の決意をし、力強く地面を蹴った――――