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第四話(加筆版)

2012 6/11 誤字脱字を修正しました。

『ほら、飯だ。腹が空いただろう?』


 そう言って先程仕留めた人型の生物を地面に転がす。見た目は彼の世界でよく出てきた亜人、“ゴブリン”に近いだろうか。

 肌の色も緑で、同色の体毛に覆われている。顔も鉤鼻で、顔にはイボが多くあり、ギョロリとした大きな瞳は濁った黒色だ。

 樹海に住む種族の中では比較的知能は高いが、それでも彼の世界で言うところのチンパンジー程度である。

 小説なんかで出てきたゴブリンとは違い、衣服を身に着けている訳でもないし、ましては言葉などを口にすることもない。

 精々が折れた木々などを振り回したり、群れで狩をする程度だろうか。この世界に言語を操る種族が居るのか、最近では少し心配になっている。



「……(こくこく)」



 樹海で助けた幼子が嬉しそうに首を縦に振る。言葉を口にする事は出来ないようだが、こちらの言葉テレパシーの内容は理解出来るらしい。

 そう、先程口にしたのは言葉ではなく、思念みたいなものである。この世界に言葉があるのかは彼には分からないが、この世界の生き物の多くは思念を相手に伝える事が出来る。

 彼が今身を窶しているスライムも元からなのか、成長の結果なのかはさておき、その能力を有していた。

 知能が低いと漠然とした思い、それも本能に根ざしたものくらいしか伝えられないし、伝わらないが、人並みの知能があれば言葉の壁を越えて意思疎通が可能だ。

 それを完璧ではないとは言え理解できるこの娘の知能は、恐らく人に比肩するレベルだろう。

 


『ああほら、穴を空けてやるから待っていろ。まだ“牙”は小さいんだ、折れてしまう』



 ゴブリンの首筋にしがみ付き、懸命に“伸びている犬歯”を突き立てようとしているのを見て、慌てて触腕で引き寄せ、そのまま別の触腕の先端を針のように尖らせゴブリンの首筋に穿つ。

 そのまま拘束を解いてやればちょっとぎこちない歩きで首元に向かい、そのままかぷりと吸い付く。

 ちゅぱちゅぱと血を啜る幼児の背中には、デフォルメされたように小さな“翼”。

 それも鳥のような翼ではなく、蝙蝠に何かと近いタイプのものだ、色も黒に近い赤茶で手触りはビロードのように滑らかだ。

 犬の尻尾のようにぱたぱたと揺れるそれは、どうやら感情を表しているらしいと、幼児を助けてから今日までの一週間で彼は学んでいる。

 そう、助けた幼児、彼女は人ではない。彼の推測、いや、希望的想像が正しいのならその正体は恐らく“吸血鬼ヴァンパイア”だ。



 血を吸う鬼。その名の通り、生ける屍と言われる永劫の夜を渡る存在者。有名どころで言えば、それこそヴラド=ツェペシュであるワラキア公やカーミラ、ストリゴイなどなど……

 アベルとカインの冒険において、カインの末裔であると言われる祝福を受けし者達。創作でも数多く題材に取り上げられ、相当な知名度を誇る存在である。

 諸説様々であるが、その身は齢を刻むことにより更なる力を増し、多くの血液を力に昇華すると言う。

 再生能力が高く、並大抵の傷は瞬く間に修復してしまうし、その身を蝙蝠などに変化させる事も出来る。

 超能力にも似た力を扱い、血を媒介とした“魔術”を使用でき、またそのカリスマ性は非常に高い云々……

 数ある伝承の生き物、あるいは魔物や魔族の中でも非常に強力なその種の特徴と助けた幼子は一致していた。

 吸血鬼と言う種族に一種の憧れを抱く彼からすれば、この世界にそれらしい者達が居るかもしれないと分かっただけでも僥倖である。


 

 彼女を助けた後、その身をどうすればいいかと悩み、取り敢えず自身のエネルギー補給の為にフォレストドッグを一体仕留めた時、丁度幼子が目を覚ます。

 するとどう言う訳か、流れ出るフォレストドッグの真っ赤な鮮血を凝視するではないか。

 その瞳は血のような赤であり、じわじわと白を侵食し眼球全てを赤に染めていく。

 もしやと思わず好奇心にフォレストドッグをそっと差し出せば、傷口をぺろぺろと舐め始め、暫くすると満足したのか眠りについてしまった。

 最初は驚きまさか好血症ヴァンパイアフィリア――血を好む病気――かと思ったのだが、それから数分すると更に不思議な事に背中から一対の翼が生え、彼女が人ならざる者であると知る。

 ある意味で人外となってからは目標の一つである姿、それを図らずとも目にした彼の心境はなんとも複雑であった。



『もういいのか?』

「……(こくり)」



 彼女が頷くのと同時、仮称ネームゴブリンを触腕で引き寄せ身で包み込む。

 流石に溶かすのを見せるの精神的にありえないだろうと思い、肉体の色を黒に変えて誤魔化している。

 血液が主な主食だと助け出して一日と経たずに分かり、おけげでこうしてこんな場所に来てまで“子育て”をすることとなったのだ。

 元より助け出したからには、その身を預かる覚悟はしていたが、こうして満腹になり眠そうに目を擦る彼女を宥めつつ寝かしつけていると、どうも奇妙な感慨に陥ってしまう。

 確かに彼は子育ての経験はある。なんせ孫も居たくらいなのだから、子育てそのものは問題はない。


 が、それでも恐らく異世界に違いない世界で何の因果かまたもや子育てをする羽目になるとは、一体どんな天の采配なのか。

 それが己が選んだ選択肢であるとはいえ、そう思わず彼が思ってしまうのも無理からぬことだろう。

 それでも見捨てるつもりはない。一度決めたからにはそう、“家族”として認識したからには最大限の手を差し伸べるつもりである。

 かつて教官から学び、子にもそれを伝えて来たように。家族に対して彼がすべき事は単純でありとても重要なことだ。

 


(眠ったか)



 樹海のほんの入り口辺りの浅い場所、その一本の巨木の根に出来た丁度小さな子供がギリギリ通れるくらいの入り口の奥にある、ちょっとしたスペースが現在の棲家であった。

 すうすうと可愛らしい寝息をたて眠ってしまった幼児をその中に運び、敷き詰めた一メートル程もある大きな葉に横たわらせる。

 下には枯れた葉を敷いてあり、空気の層が寒さを和らげてくれるだろう。今の季節は不明だが、彼の感覚は初夏くらいだろうと告げている。

 気温にすれば三十度近い温度が続く中、この中は涼しく過ごし易い。と言っても、極端な温度差でもなければ、彼には関係ないのだが、幼児にとっては別だ。

 人ではないとは言え、正しい対応が分からない以上は、人の子をベースにして考える必要があるだろう。

 まだ幼いのもあるだろうが、彼女はよく睡眠を取る。それこそ一日に十五時間は眠っているだろうか。

 彼と戯れている時でも、まるで電池が切れたかのように突如として眠りに入るなんてことも何度となくあった。



 よく寝る子は育つと言うが、いささか眠り過ぎである。と言っても人ではないのだから、それが普通なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 彼には判断することはできず、それが何かよくない兆候でないことを祈るばかりである。それ以外では非常に賢く、しっかりとこの場で彼の帰り待っていたりと殆ど手が掛からない。

 トイレも端に掘られた穴でしっかりと一人で出来るし、彼の言いたい事をぼんやりとだが察することもできる。

 逆に怖いくらいだが、余裕が多い訳ではない彼には助かっているのも事実だ。この幼子を助けた事で強者へと至る道はまた遠回りとなってしまったのかもしれない。

 それでも胸に今も煌々と燃え盛る熱い信念は健在だ。急ぐ必要もない。今の彼には本能的に寿命と言う楔が殆ど存在しないと理解しているのだから。



 幼子が眠りに付いた後、何時もなら“狩”に出かけるのだが、今日は違う。彼女の名前を考えようと思っていた。

 何時までも心の中で“幼子”などと呼称していては不憫だし不便だ。それに際して自分の名前を考えるつもりである。

 生前と思われる人であった時の名は人であった自分の名だ、生まれ変わったのなら、別の名を名乗るのもいいだろうと考えていた。

 名とはそのモノを指す記号であり、名が無いモノはその存在をあやふやと化してしまう。

 幼子ですら、便宜上“幼子”と、名を仮とは言え与えられているのだ。物事を識別する上で、“言葉”と“名”は非常に大きな意味を持つ。

 言葉を持つ者の世界と、それを持たない者の世界は全く別である。言うなれば、人と動物は異なる世界に身を置いているとさえ言い換える事が出来るだろう。

 それらは極論ではあるが、とにかく名は重要だと言うことだ。彼はさて、どんなものが良いだろうかと思案に暮れる。



(そうだ、な……ふむ)



 念のために入り口を大きな枝で覆い隠しながら、先ずは自らの名を考える。幾つもの日本名が出てくるが、どうもファンタジーのような世界でそれは似合わない気もする。

 と言っても外国人の名前はそう詳しくない。確かにアメリカにて暫く在住していたが、付き合いは専ら教官とその知り合いばかりであった。

 ああでもない、こうでもないと色々悩みつつ気持ち良さそうにすやすやと眠る幼子を眺めていると、ふと器用に畳まれた翼に目がいく。

 そこで閃く。彼は吸血鬼が好きだ。恐らくファンタジーで出てくる生き物や種族で一番何が好きですか、そう聞かれれば間違いなくヴァンパイアと答えるだろう。

 この世界にはどうやら類似した存在はいる。それは彼女が証明している。

 ならば――――



(よし、今日から私は“ヴラド=ツェペシュ”を名乗ろう。どうせなら、身も吸血鬼へと至れるのであれば完璧だが、それは高望みに過ぎるだろうが。せめて名くらいは共にありたい)



 同時に彼女の苗字もヴラドに決定である。既に家族であるのだから、その姓を共有するのは至極当然の事だ。

 本来ならヴラドは姓ではないのだが、彼はヴラドを姓だと誤って覚えてしまっていた。

 ツェペシュに関してはあえて串刺し公の名を彼は己が名とすることに決めている。この世界にその意味を知る者は居ないゆえの暴挙だ。

 が、困ったことに下の名前をどうするかで悩んでしまう。明らかに西欧風の容姿の幼子は、それに則した名が良いだろうと考えるも、先程も述べた通り外国の名に詳しくはない。

 ああでもない、こうでもないと蠢く姿は、いささか以上に情操教育上でよろしくないのだが、彼としてはとても真面目である。

 結局名が決まったのはそれから何時間も後、彼女の目が覚めた後であった………






 ――――エルジェーベトがヴラドと家族となってから数年の月日が経った。成長の過程は人と同じなのか、年々エルは愛らしく育っていく。

 詳しい年齢は残念ながら助けた当初からある程度の年齢であったため、判然とはしないが、大体十になるかならないか辺りだろうとヴラドは思っている。

 雪のように真っ白な髪は毛先付近で緩やかなウェーブが掛かり、今では腰まで伸びていた。その手触りも絹に劣らぬものであり、感覚の鈍いスライムの身でなければ、ヴラドも一日中撫でていたことだろう。

 瞳は最高級のルビー、ピジョンブラッドの如き輝きを放ち、まるで魔性のような妖しい魅力を誇っている。

 唇は薄っすら赤みの比率の強い桜色で、水気が豊富なのか常にぷるっとしていて妙に蠱惑的だ。

 まだまだ未発達の身体だが、それでも少しずつ女性らしい柔らかさを備えはじめており、いずれ目を見張るような美しさに育つに違いない。



 そんなエルを眺めるのがヴラドは好きで、気づけば少しずつ狩に出る機会も減っていた。最近では別に絶対強者への夢なんてどうでもいいのでは? などと思ってしまうくらいである。

 彼がなれなくても、このままならエルジェーベトがそれを叶えてくれるだろう。

 幸い彼女もヴラドを非常に慕ってくれている。常日頃から、将来はパパの役に立つの! なんて口にするくらいだ。

 いけないけないと思いつつ、そんな意地らしくも愛らしいエルジェーベトを見ているとどうも丸くなってしまう。

 狩に出るよりエルジェーベトと一日をのんびり過ごす方が大切だと、心底思ってしまっている辺りヴラドはもう末期であった。

 



「パパッ! お帰りなさい」

『ああ、ただいまエル』



 外で狩に出ていたヴラドが、数年前に樹海の入り口あたりで立てた“小屋”のドアを触腕で開くと、まるで体当たりでもするような勢いでエルが抱きついてきた。

 幸い予想していた事もあり、既にゲル状の肉体は弾力性を強化され、抱きついてきたエルを優しく沈む事無く迎え入れる。

 「えへへへ」なんて口にしながらにこやかな笑みを浮かべ、恐らくはウォーターベットのような触り心地だろうヴラドの肉体にしがみ付く。

 流石にこのままでは中に入れないと、触腕でそっと引き剥がすと、エルの頬がぷくっと膨れる。

 どうやらもっと抱きついていたかったらしい。この年頃なら、もう少し父離れというか、反抗してみせてもいいのだが、エルにその兆候は一向に現れない。



『エル、食事は済ませたのか?』

「うん。えっと……今日はオークを殺しておなかいっぱい血をもらったよパパ!!」



 見れば確かにその口元には僅かながら血が乾いた後が見られる。褒めて褒めて! と言う感じで頭を突き出してくるエル。彼女にとっては獲物は所詮餌でしかないのだ。

 しかもエルの潜在能力はヴラドとは比較にならないほど高く、年々その実力は真に化け物じみていくばかりである。

 取り込んで溶かし、糧とするヴラドが言える事ではないが、小さな身で血生臭い行いを平気で実行出来るその心が少しヴラドには辛かった。

 だがそれが吸血鬼だ。人と同じ枠で考えてはいけない。それはヴラド自身が人ならざる身となって、いやと言う程体験してきたことでもある。

 口も顔も無いが、それでも内心で苦笑し、そっと触腕でシャンプーもリンスも、ましてトリートメントもない世界で驚くほど艶々とし、触り心地のよい髪を撫でてやる。



 クリッとした幼いころ特有の大きな瞳が細まり、気持ち良さそうな顔を見せる。

 甘やかすばかりではないつもりだが、それでも彼からすればエルは唯一の意思疎通が可能な家族だ。

 大事にしたいと思っている。それこそ自身の命を天秤に乗せてもいいくらいに。

 動く気配のないエルを増やした触腕で持ち上げ、そのままさほど広くは無い、リビングと寝室があるだけの小屋の寝室へと向かう。

 もう既に外は満天の星が輝き、空は闇のヴェールに包まれている。人の頃の習性の為か、眠るのならやはり夜がいい。

 スライムの身とは言え、休息そのものは必要であるのだ。

 長年一緒に居たためか、それはエルも同じであり、今ではすっかり昼型の生活をおくっている。



『もう今日は寝るといい。私がベッドまで連れて行こう』

「……(こくり)」



 撫でられる間にどうやら眠くなってしまったらしい。既に触腕で姫抱きのように抱えられているエルの頭はこくり、こくりと不安定に揺れている。

 出来るだけ振動が伝わらないよう、滑るように移動していく。小さなお姫様を起こしてしまわないようにとの配慮だ。

 扉はないが、細い植物繊維のすだれで仕切られた寝室へと入り、一つだけ設置されたベットにエルを横たえる。

 ベッドにスプリングはないが、代わりに弾力性に富んだ植物の繊維が敷き詰められ、掛け布団は樹海の生物の毛皮だ。

 エルの着ている衣服も繊維から作られた、かなりお粗末なワンピースらしき衣服だが、彼にはそれを用意するだけで精一杯であった。

 様々な技術を叩き込まれ、あるいは自ら身に付けもしたが、流石に材料のない状態からは何をやるにも厳しい。

 それに着飾る必要もない場所だと言うのも理由だろうか。この樹海で言葉を操る存在は、今のところヴラドとエルだけなのだ。

 まるでアダムとイブのようだと思ったのは何時の頃だったかとヴラドは思案する。



『眠った、か……』



 念のために軽くまぶたに掛かった髪を細い触腕で払ってやるが、ぴくりとも反応しない。

 年非相応に聡明なではあるが、同時に年相応に元気がよく、そして電池が切れるように眠ってしまう。

 一度寝れば深い眠りなのだろう、中々目覚めることは無い。それはもしかしたらこの世界で生きるうえではマイナスかもしれない。

 逆に言えば、それだけヴラドがエルに信頼されている証とも言えるだろう。だが、その期待に応えられないのがヴラドには申し訳なかった。

 水気を多く含んだ艶やかな桜色の唇が半開きとなり、そこからすやすやと呼吸音が漏れ出している。

 見詰めれば見詰める程高鳴るヴラドの核。もう駄目だった。限界であった、耐えに耐えてきたモノが、まるでダムの罅割れを抉じ開けるように、凶悪なアギトを突き立て、ガリガリと理性と言う名の最初で最後の砦を食い荒らしていく。

 


 よく持った方だとヴラドは思う。心はささくれ立つこともなく、静かに崩壊の音だけを響かせている。

 依存していたのはエルなのか、それもともヴラドなのか。小さな天使は孤独からヴラドを守ってくれた。

 徐々に狩に出ることもなくなった時から、何れこの日が来るとどこかで直感しながら、それでも離れる事は考えられなかった。

 いくら生前に訓練を積んだとは言え、一度触れたぬくもりを手放すのは無理だ。出会った瞬間に、ヴラドは一人であることを捨てたのである。

 崩壊の鐘が心の中で響く。この数年で肥え太ったヴラドであって、ヴラドではない自身がその心を内部から食い荒らしている。

 霞む思考。それでも最後までぎこちないながらもエルの頬を撫でるのは止めはしない。

(すまない……)

 その言葉を最後に、プツリとヴラドの意識は途絶えた――――








「あ゛……あ゛あ゛ぁあぁあッ!?」



 絶叫が迸った。子供特有の甲高く、それでいて痛々しい程に痛苦に染まった叫び。それでもその瞳は一欠けらの希望に縋るように目の前の人物を映している。

 それが可笑しくて可笑しくて、内心で滾る狂おしい程の感情を爆発させるように肉体を揺らせば、その小さな身から再び絶叫が漏れ出す。

 その真っ白な肌には何本もの硬質化した触手が突き立っていた。

 手、腕、胸、腹、腿、足。まるで幾本もの槍と化した触手に肉体を刺し貫かれ、感じたことの無いレベルの痛みで目を覚まし、吐いて出た言葉は直ぐに口腔より漏れ出た赤黒い鮮血で掻き消える。

 ずっと、ずっと一緒だった。エルにとっては一番身近で暖かい人。

 それがどうして自分にこんなことをしているのか、痛みでぐちゃぐちゃになった、まるでショートしたような思考でそれでも懸命に考える。

 が、考える時間をヴラドは与えてはくれなかった。血溜まりをベッドに残し、そのままずるずるとヴラドの肉体に一瞬で引き寄せられ、そのままとぷんっと全身を呑み込まれてしまう。



 息が出来ず、もがこうとするが、内部でも硬質化した一部が腕や足を拘束していて足掻く事もできない。

 それ以前に血を失いすぎており、既に満足な力も出ず、まともな思考も出来なかった。過去に培った思い出が、ヴラドを敵と認識することを許してくれない。

 ヴラドは話したことはないが、それでもエルは幼い頃に命を救ってくれたのがヴラドであると、薄っすら霞む記憶の彼方で理解していた。

 こんな事をする筈がないと。パパは何時でも優しくて、時に厳しいけれどもやっぱり優しい人なんだと、言葉ではなく思念を伝えようとした時。

 ざわざわとゲルが蠢いた瞬間、先程とは比べようもない痛みが全身を駆け抜け、声にならない絶叫がその小さな口から絶え間なく迸る。

 気泡が口から漏れ出し、内部にゲルが侵入し、更に苦痛が増していく。それは生きたまま溶かされる苦痛。

 ジワジワと肌を溶かし、むき出しとなった神経を直接溶かしていく。拷問すら生温い痛みを与えてくるが、既にエルは余りの衝撃と痛みにその精神は崩壊しかけていた。

 

(きっとこれは夢で。めざめたら、パパがおはようって頭をなでてくれる。そうだよね、ぱぱ……)


 暗闇に落ち行く意識の端。僅かに残った感覚で、ひたすらに笑い続けるヴラドの声を、エルは聞いた気がした――――







『ハッ!? ゆ、夢、なのか――?』



 酷い夢を見た。自身が長年耐えてきた衝動についに屈し、成長したエルを捕食してしまう夢。それはヴラドが夢を叶える事を諦めた先に待つ未来だとでも言うのか。

 見ればエルはまだ小さな幼児だし、しっかりと眠っている。成長なんてしてはいない。

 それにしては生々しい夢であったとヴラドは思う。彼女を刺し貫いた感触、届いた悲鳴が今でも鮮明に思い出せる。

 そしてその身を捕食した時に感じたこの世のものとは思えない、至上の悦楽。気づけば自身が震えている事に気づく。

 名前を考えている間に眠ってしまったのだろう。そう考えるも、震えは収まらない。見た夢は、下手すれば起こりかねない未来だからだ。

 それから暫く、ヴラドの震えは治まることはなかった。






後書き


この物語内では基本、姓は前に持ってきています。

また、ヴラド=ツェペシュに関してもあえて話中の表現としています。

なにとぞご理解の程をお願い致します。

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