第三十二話
感想にて更新待ってますと言われたので、捻り出してみました。
峻厳なるリィーン山脈。竜族も住むと言われる険しい山々。
ヴラドがこの尾根を進み始めて既に数時間が経過している。
標高に換算すれば、実に三千メートル付近であろうか。
登山家が進むような道などは存在しない。
あるのはただ、時折他の魔物や動物が踏み荒らしたと思われる痕跡のみ。
『そろそろ休憩するか』
肉体的疲労もじんわりと堪りつつある。
このまま無理に進み、強力な魔物や魔族に出会えば撃退できる確率が減ってしまう。
ただでさえ既に幾度か、恐らくは指揮官級や騎士級と思われる魔物と遭遇している。
あまり派手に血の臭いを撒き散らしては、それこそ誘蛾灯になりかねないと出来るだけ戦闘は避けてきたが……
『――近いな』
三十分前、とうとう逃げ切れなくなり、一体の鳥型の魔獣を撃退してしまった。
痕跡は素早く焼ききったが、それでも僅かに浴びた返り血は誤魔化せない。
不自然な焦げ後、臭いも少々不味い言えた。
急ぎ足でここまで来たものの、ヴラドから発せられる残り香に釣られて、幾体かの気配が近づきつつある。
(出来るなら戦闘は避けたいところだが、このままじゃそうも言ってられないか?)
一際大きな岩の上に寝そべりながら、さてどうしたものかと悩む。
蹴散らすだけなら恐らくはそう難しいものではない。
窺える気配の濃度は、ヴラドに及ぶものではないからだ。
第一、まともに気配を隠せないような輩が、仮にも魔神を目指す己が身を害しようとは実に片腹痛かった。
そう言った傲慢な思考の傍ら、しっかりと冷静に状況を分析している。
確かに今近づいてる者程度、竜種を取り込み、実力を増したヴラドなら撃退は容易いだろう。
だが、更なる血に釣られて想像以上の存在が招きよせられないと、ヴラドは確信を持って口に出せない。
実際、近くではないが、幾度か強大な存在の気配を感じ取っている。
(気配ばかりに意識を集中していたが、この匂い……)
その匂いが正しければ、近づいてる気配を上手くまくことができるかもしれない。
思考したのは一瞬。軽やかに巨岩から跳躍、着地。
凄まじい速度で木々を掻き分け、時折跳躍を繰り返し足跡を誤魔化していく。
近づくにつれて増していく匂い、水気。
(間違いない。これは湖の匂いだ、それも相当に澄んだ類のもの)
血を洗い流し、湖か、その付近で気配を隠せばやりすごすことが出来る。
余程感知に優れたタイプでもない限り、上手くいくだろう確信がヴラドにはあった。
首元のアルラウネより譲り受けた種は魂力を放っているが、ヴラドの魂力で誤魔化しは効くだろう。
やがて進む事数分と少し、鬱蒼と茂っていた樹木は急に途切れ、なだらかな草葉だけの地面が一面に広がる。
『……これは』
感嘆の溜息が獣と化した口から零れ落ちる。
眼前現れたのは、大きさで言えば端が目視できる程度の小さな湖だ。
だがどうだ、その感じられる穏やかな力、澄んだ空気。
――聖域。
思わず浮かんだ言葉こそこの場には相応しい。
≪立ち止まりなさい魔の者よ。此処は血の匂いを纏いながら立ち入って良い場所ではありません≫
煌く湖面に現を抜かして一分か二分か、当初の予定を思い出し足を踏み出せばどこからか美しい声が響いた。
いや、この世界の言語を解せないヴラドに理解できるのだ、それは一種の念話だろうか。
まるで上等な楽器をかき鳴らしたかのような、思わず聞き惚れてしまいそうな類の美声。
反面、その声には一歩を踏み止めるだけの力があった。
同時に湖底から放たれる静謐なる力の波動。明らかに格上と分かる存在濃度。
だが、魔神と呼ぶにはあまりにその力は神聖に過ぎる。
我知らずヴラドの喉が上下した。
『まず、無断でこの地に入った事を心より謝罪させていただきたい。誠に申し訳ない……』
念話だけでは足りないと、獣が取れる服従の態度。
つまり腹を見せ害意はないのだと知らしめる。
砂利や土が毛を汚し、ワイバーン戦で一部欠けた履き爪が肉体を突いて軽い痛みを訴えるが我慢。
≪…………≫
返答はない。
だが、湖底から感じられる気配が幾分和らいだのをヴラドは見逃さなかった。
向こうも荒事を起こす気はないと判断し、更なる念話を試みる。
『私はこの地にあると言う、蛇竜族の里を訪れる途中の者だ。道中荒事を避けて来たのだが、やむ得ぬ事情で一体を殺めてしまった。このままでは血の匂いにつられ、更なる災いを招きかねない。水の匂いを感じ、血を拭えればと思った次第。このまま立ち去るゆえ、どうか見逃してはいただけないだろうか?』
緊張に念話が震えていなかっただろうかと反芻する。
感じられる力はそれこそ魔神級なのだ、それも間違いなくあの女魔神より強い。
もしヴラドを害するつもりであれば、逃げることすら難しいだろう。
こんな道半ばで倒れるつもりがない身としては、実に必死であった。
≪……蛇竜族の里へと赴きたいと言いましたか?≫
祈りでも通じたのか、一呼吸以上のたっぷりとした間を置いて返事は投げかけられた。
『ああ、そうだ。そこに私の娘と妹が身を寄せている筈なんだ』
相手にそれを確かめる術などないだろうが、それでも素直に口にする。
こう言う場面では、下手に嘘をつくのは己の首を絞めかねない。
獣としての本能が、湖底の存在に嘘はつくべきでないと囁いてる。
そしてそれは、結果的に吉としてヴラドに左右した。
≪……信じましょう。私の名は天使セリュンシャン。真実を友とし、虚偽を放逐する者。あなたは嘘をついていない。それに、野良の魔族にしては、実に理知的なようです。今、世は魔神が跋扈し、覇を競い合う時代……この出会いももしかすれば……≫
――セリュンシャン。
名に覚えはない。
もしかしたら有名な人物かもしれないが、ヴラドはまだまだ世の事情に疎かった。
セリュンシャンの声音からは僅かながら好意的感情が見えており、面映い心地になる。
≪争いはより大きな戦火を呼び込みます。常にそれを忘れないように……血は私が清めておきましょう≫
瞬間、どこからともなく水の玉が無数に現れ、ヴラドに触れるやいなや血を吸い取っていく。
瞬く間に汚れを吸い取り、そのまま空中に消えていく水の玉。
≪それと、こちらを持ってこのまま山中を進みなさい。彼の里は閉鎖的です、繋がりがなければ入ることすら難しい。これを門番にお見せない、センリュンシャンに託されたと言えばよいでしょう。そこで蛇竜族の長に会い、あのたの未来を占ってもらうといい。どうも、私にはあなたに不思議な縁を感じてならないのです≫
そう言って湖面から現れたのはネックレスであった。
水に浸かっていたとは思えない劣化具合。
むしろ先程完成させたと言われれば信じてしまう程だ。
飾り気が少ないながら、どこかほっとさせる魂力を放つ一品。
それにしても、どうしてここまでしてくれるのか、赤の他人である筈なのにと疑問に思う。
『施しを受けた身ながら申し訳ない。どうしてこうも親身になってくれるのか、差し支えなければお聞きしたい』
返答は一泊を置いて返ってきた。
≪……私はとある人物を待ち続けているのです。あなたはまだ小さい。しかし、時の先、もしかすれば来る待ち人となれるかもしれない、そんな可能性を秘めています。だからこそ、忘れないで下さい。あなたのその身に宿す野望は、一歩間違えれば、己が身どころか、親しき者達をも焼き尽くす諸刃であるのだと……≫
まるで見透かすかのような言葉をセリュンシャンは伝えると、急速に気配は薄れ、やがてヴラドでは感知できなくなってしまう。
一分二分と待つが、どうやらそれ以上語る気はないらしく念話が届くことはなかった。
日の光に照らされ、美しく反射する湖面。
物言わぬそれとなり果てた湖に背を向け歩き出しながら、それでもとヴラドは思う。
(確かに。私の絶対強者への道は諸刃だろう。だが、それでも……それでも一度捨てた夢を再度願ってしまったのだ)
――なにせ、それこそヴラドがあの過酷な樹海で生きる為に必要な燃料だったのだから。
――じわじわと心を炙り、何時しか大火となるであろうそれこそ、信念と呼び燃え上がるものである。
後書き
もっと字数増やしたかったけど、予想以上にきりがよかったのでここまで。
次回はナーガの里に到着します。
その後、暫くは里内で生活することになる+世界情勢ゲットだぜ!
みたいな感じ?
次は遅くなりすぎないよう、既にちまちま書いてます。
感想、今よりお返し致します。