第二十九話
次の日、ヴラドとアルラウネは洞穴から出て一緒に樹海を哨戒していた。
まだ日が昇りきる前の時刻に朝食を取り、そのまま北に向かって歩き出した二人。
このあたりの気候故か、今日も空は清々しく晴れ渡り、太陽は燦々とその陽光を樹木に惜しげもなく注いでいる。
「―――――」
見るだけで長年使っていると分かる草が踏み固められ、既に土が露出している獣道。
案内でもするように、その先を歩いていたアルラウネがくるりと振り向く。
動きに合わせ長い緑の髪が揺れ、ヴラドの鼻腔にほんのり花のような甘い匂いが届く。
嬉しそうに、ほっそりとした指が指し示す先を見ればなるほどと納得。
示された場所は木々が開け、ちょっとした広さの範囲に太陽光が降り注いでいる。
草花が喜び勇んで群生しているその場所の中心、そこはまるで真紅のカーペットのように色鮮やかだった。
「――――――。――――?」
ヴラドが興味深げに野性の野苺にも似た赤の正体、真っ赤な実を付けた野花を見れば、アルラウネが獣道から外れそこに向かう。
暫くして戻れば、その腕に一杯の赤が溢れていた。片手でそれらをそっと掴むと、そのままそっと差し出してくる。
どこか甘酸っぱい味を彷彿とさせる香りが届き、我知らずと鼻がひくつく。
『これを私に食べろと言うのか?』
問えば言葉は分らないが、ニュアンスで理解したのか更に前に手が差し出された。
少し眦を下げ、にこにこと嬉しそうに笑みを浮かべられれば、流石に無碍には出来ない。
仕方ないと、そのまま噛み付く訳にもいかず巨大な口を開ければ、舌の上にそっと置かれる赤い果実。
(……やや強い酸味と、後から染み出る甘味。少し味は違うが、やはり野苺に近いな)
「―――――?」
懐かしい味に思わず感慨深く味わえば、今までより強く笑みを深めその小さな口に野苺らしきものを放り込む。
最初に訪れる強い酸味の為か、一瞬目が細まり、その後に感じる甘味で再び眦が下がっていく。
どうやら食物が取れない訳ではないのだなと、的外れな事をヴラドが考えていれば、ずずいっ! と、腕に抱かれた多くの果実が惜しみもなく差し出される。
どうやらヴラドの反応から気に入ってくれたと思ったらしい。あるいは、最初から巨体を考慮して多く採ってきたのだろうか。
『分かった、もらう。食べるからそう急かさないでくれ』
どうしたの? そう言わんばかりに鼻先に突き出される腕。
抱え込むようにしている為か、必然身体ごと寄せる事になり、アルラウネの肢体が眼前に強調される。
実年齢は不詳だが、歳で言えば十代前半から中盤に差し掛かるくらいだろうか。
なだらかな曲線を描く柔らかな身体は、ほんのり甘い香りを放ち、老成した精神を持つヴラドからしても魅力的に映った。
種族柄なのか、本人の気性かは分からないが、恥ずかしげもなく素肌を晒される身としてはやはり複雑なものである。
黙ったままのヴラドに訝しげな表情を浮かべたアルラウネだが、段々とその顔が曇っていく。
伝わる感情は困惑、不安。どうやら本当は無理に食べていたのではないかと、そんな風に思っているらしい。
少女の機微一つ察してやれなかった己に呆れつつ、ようやくヴラドが口を開く。
ずらりと並ぶ鋭い牙の数々に物怖じもせず、小動物がせっせと物を運ぶように片手で果実を舌に乗せていく。
微笑ましい姿に思わず父性が擽られるのを堪えつつ、最後の一欠けらが舌に置かれた瞬間を見計らい、その手を舌先でペロンッと一度舐めてやる。
「!?」
ビクン! と跳ねるように反応し、そのまま慌てて腕を引きおろおろするアルラウネ。
口一杯に広がる酸味と甘味を噛み締めつつ、予想以上の反応に悪ふざけが過ぎただろうかと内心悩むヴラド。
受け取る感情には悪いものはない為、大丈夫だろうとは分かっていてもやはり心配ではある。
やがて落ち着きを取り戻したはいいが、その顔はほんのり赤くそまり、怒ってますと言った表情でヴラドを睨んでくる。
「――――――!」
感情から本気で怒っていないのは承知していたため、軽く受け流せばアルラウネもそれ以上は何も言わなかった。
ただ、先の反応からどうやら羞恥心そのものはきちんとあるらしいと、これまたどこかずれた事を考えてしまう。
「―――――――」
何か口にし、そのまま先を歩き出すアルラウネ。見れば先より機嫌がよさそだ。
花の下で蠢く大量の蔦が、先程より活発に動いており、その様はまるで犬が喜びに尻尾を振るようである。
その後、特に多くの会話を――と言っても、言葉が通じないから、ちょっとした意思疎通だが――とることもなく進みだして数十分。
幾度か木々に生えた果実をヴラドに示し、時に食べさせては進んでいるが、哨戒も既に四分の一の終わりに差し掛かっている。
アルラウネやヴラドを脅かすような、強力な魔獣や魔族の気配は今のところない。
「――――」
『……これは』
アルラウネが何事か呟き、その眉がきりりと跳ね上がる。どこか緊張した面立ちだ。
一方ヴラドはヴラドで、またアルラウネとは違う理由で顔を顰めた。
血。既に余りに慣れ親しんだ命の水。その香りがどこからか風にのって届いてきた。
「………………」
『………………』
両者ともに無言を貫き、周囲を警戒しながら血の香りが流れてくる方に向かっていく。
進めば進むほど血の香りはその濃度を増し、明らかに軽傷で流れる量を既に越している。
少なくともそれなりの大きさの生物一頭の血。あるいは複数の生物か……
獣道から離れて十五分と少し、唐突にそれはヴラド達の目に映った。
まるで何かに薙ぎ倒されたように、途中から、あるいは根元から折れた数々の木々。
牙か爪か、何かに引きちぎられたように胴体が別れた小型の生物。見れば中型の生物の死骸も転がっている。
血液がそこかしこに飛び散り、肉片がぶちまけられたそこは軽く見てもいい気分ではない。
ちらりと、アルラウネを見れば警戒を見せる表情とは別に、悲痛な感情が伝わってきた。
彼女にとって森とは長年暮らした住処であり、そこに住まう生物は意思疎通こそ出来ないが、庇護するべき家族にも近しい。
それを無残に殺された姿は、たとえ自然界の掟といえども感情を揺さぶる。
『血がさほど乾いてない。量からして時間は確かにかかるだろうが、飛び散った血も同じとなると……この状況を作り出した何者かだが、そう遠くには離れていないな』
より一層の警戒を強めたヴラドの様子に、アルラウネも何と無く様子を察したのか表情が更に険しいものとなる。
見晴らしが無駄によくなっている惨劇の場を少し離れ、それでも濃厚な血臭が漂う場所で警戒して五分、十分………
(そもそも、相手はどうしてこんなことをした? 腹を満たすため? いや、それなら殺した生物を喰らわないのは可笑しい)
相手が獣なのか、魔族なのか、そのどちらかで脅威度は大きく変わる。
同じ実力者でも、知能がある者とそうでない者、どちらが驚異的なのは明白だ。
では、目の前の惨状は知無き者が起こしたことなのか、それとも………
(過程でいい、突破口を考えろ。これが人為的だとして、それを行う相手のメリットはなんだ……?)
警戒しつつも頭を働かせていく。幾つもの可能性が脳内で踊り、様々なヒントが像を結んでは解を導き出す。
(食事ではない。示威行為? 馬鹿な、魔神の領域でそれを行う理由は……まて、 魔神の領域? そもそもが魔神を、アルラウネを狙っての行為であれば……)
アルラウネを思わず見る。そして思い出す、彼女は毎日森の哨戒を行っている筈と。
そして今回ついてきて判明したが、ルートは恐らく固定。
(アルラウネのことだ、敵意がなければ相手を見逃すことだってあるに違いない……つまり、 これは罠かッ!?)
急速に膨れ上がる不安感。間違いなく前の惨状は罠。ではなんの罠か? 派手に木々を払い、近くの動物を殺し、死骸をまるで集めるようにぶちまける。
そもそも、その場で殺したにしては、血痕がやけに飛び散り過ぎだ。
つまり、これはアルラウネと言う獲物を誘き出す為の“餌”に他ならない。
そして餌を用意するということは、仕掛けの様子をなんらかの方法で感知できると言うこと。
『アルラウネッ!! 急いでここ――――』
――――を離れるぞ! そう口にする途中で何かが飛来した。空気抵抗を切り裂くように突き進み、ソニックムーブで周囲の木々を吹き飛ばし、轟音を撒き散らしながら“ソレ”は降り立った。
ゆっくりホバリングするよう前方で宙に止まり、ゆっくりと地面に降り立つその全長はヴラドの倍以上。
保護色なのか、周囲と同化するような深い緑の鱗、腕と一体化した巨大な翼膜。
薄い皮膜のそれとは違い、爆発的な筋力で膨れ上がった下半身、そこから続く長い尾っぽ。
威風堂々たる濃密な気配。そこに居るだけで他を威圧する存在感は、ヴラドですら一歩気づかない間に押し下がらせる。
ギラギラと獲物を求め輝く赤眼が、とうとうアルラウネとヴラドを見つけ歓喜の光を宿す。
『ギィヤァアァアアァアアアアアッ!!』
『ドラゴンかッ!?』
今は魔神級といえど、本能的種族差により竦み上がるアルラウネ。
地面に降り立ち咆哮を上げるそれ、は間違いなく竜種と呼ばれる、この世界でもトップクラスのバケモノであった…………
後書き
あるぇー? なぜか出る予定もなかったドラゴン登場。
どうしてこうなった感が……
一話程エル達との合流が伸びそうです。
どうでもいいけど、個人的にアルラウネは気に入ってるキャラなので、現在下書きおこしてます。
とりあえずベースまで塗ったらキャラ紹介にでも載せる予定。
絵師の伝手とかあればいいけど、んなものない作者は自分でちまちま用意(笑)
ではでは、感想評価お気に入りに誤字脱字報告、心よりお待ちしております。
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