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第二話(加筆版)

 取り敢えず悩んでも仕方がないと、数時間程この草原をうろついた結果幾つか判明した事がある。

 例えば移動速度。現状ではまるで這いずるような移動しか出来ず、その速度は非常に遅い。どんなに頑張っても生前、それもまだ若かりし頃の歩きよりやや遅いくらいが限界であった。

 これではもし何か脅威に曝された場合、満足な回避行動を取ることが出来ない。それは流石に不味い、折角得た新たな生を無駄に捨てるのは忍びなかった。

 それならばと触腕のように、足も生やせるのでは……と試してもみたが、残念ながら自重を支えることは出来ないようだ。

 その後も色々試行錯誤してみたが、よくあるスライムなら変形! も試すも残念ながらそれも無理であった。



 そこで取り敢えずは彼としても遺憾ではあったが、一先ず移動速度に関しては放置することにする。

 現在の肉体がどんな姿なのかも気になったので、触腕を伸ばし前に掲げ、その液体を鏡として見たところ、どうやら不定形な円のような形状でゲルが伸びており、その中心が盛り上がるような形をしているらしいことが判明。

 そこから必要に応じて触腕を伸ばしているようである。触手の腕と書いて触腕しょくわんと読むのだが、数に決まりはないが、多すぎると肉体の面積がその分減りバランスを崩してしまう。

 不思議な事に視覚を得る器官が見当たらなかった。一体どのような原理で視覚的情報を得ているのか不思議であったが、これまた考えてもしょうがないと早々に思考を破棄。

 そもそもそれを考えれば同じようなことがいくらでも沸いてくる。例えば最大の疑問点は脳もないのに、どうやって今もこうして思考しているか、などなどだろうか。



 他にもやはりと言うか、この草原がかなり広大であると言う事実が判明した。

 歩きに劣る速度とは言え、それでも数時間。そこそこの距離を移動したと言うのに、あいも変わらず視界に広がるのは原っぱであり、他に見える物と言えば時折広葉樹がまばらに群生しているくらいだろうか。

 そんな風景が飽きもせず三百六十度広がっていた。疲れと言うのが無いのか、それとも体力値が高いのか、少なくとも肉体的な疲労は現時点では感じていない。

 この草原で小動物のような生き物に遭遇する事二回、そして今、ある意味でここが地球ではないと思えるような場面に彼は遭遇している。

 目測でおよそ百メートル程前方で“ソレ”は移動していた。半透明の水色のゲル状の不定形な肉体。どう見ても“同類”である。



(つまり私は何かこの世界の生態系に属する生物、その一つに憑依なり生まれたなりしたと言う事だろうか)



 もしかしたら同じ改造を施された仲間であるとか、そういう路線も現状では零ではないが、可能性は低いと見ていいだろう。

 どちらにせよこのまま移動していけばいずれそのあたりも判明するのだ、焦る必要もない。現状問題なのは、今現在進行形で巻き起こっている“衝動”であろうか。

 仮の名称として自身を含めた対象種族を“ブルースライム”と名づけたとして、彼は前方で這いずる同胞を見つけた瞬間、何とも許容し難い衝動に襲われたのだ。

 それはあえて妥当な言葉を当て嵌めるとすれば、“食欲”、あるいは“餓え”や“渇望”などに近い感情であった。

 何とか理性を総動員して耐えているが、その衝動は凄まじいものがある。そう長い時間耐えるのは難しいと言わざるをえなかった。



 何とか視界からブルースライムを追い出し、背を向けるように移動すること十数分。

 ようやく凶悪かつ凶暴な衝動は形を潜めた。呼吸器官があれば荒い息を吐いていたかもしれない。

 まるで長い距離を全力疾走したかのような消耗感。移動で疲れたのではない、衝動に抗うのにそれだけのエネルギーを要した結果だ。

 次同じような衝動に襲われた場合、彼には先と同じく再び耐え切る自信はなかった。もしかしたら何れ慣れる事もあるのかもしれないが、少なくとも一回二回では到底無理だろう。

 この衝動が生来のものであるのか、それともこの肉体となった事による為か、あるいはこの肉体に対して“彼”と言うイレギュラーが重なったのが原因なのか。

 それは全く持って不明であったが、肉体の扱いが見知らぬ知識で分かったように、恐らくは“この肉体となった”ことが原因であると彼は感じていた。



 まるで彼と言う存在に、この生物の情報を上乗せしたような状態と言えるかもしれない。

 それが消耗した体力と疲弊した精神を癒すために一時間程移動せず、その場で立ち止まっていた間に出た結論であった。

 知らない知識や情報が脳裏に浮かぶ、と言う事自体はそれなりに気持ちが悪い事であったが、この訳の分からない場所で生きていくと言う点で言えば有用であるのも事実。

 この世界を異世界と仮定した場合、どんな危険があるのかはおろか、既知の生態系や環境とは大いに違う可能性も高いのだから―――

 さて、再び移動を開始しようとしたところで気づく。再び衝動が己を蝕んだのだ。ただし、それは生物として有り触れた衝動、“食欲”であった。

 失ったエネルギーを求めた肉体が、空腹と言う形で彼にエネルギー摂取を求めてくる。

 こんな肉体でも空腹を感じるのかと思いつつ、腹を満たしたいのは彼も山々であったのだが……



(食い物なんてここらにはないだろう。そもそも私は何を食べればいいのだ?)



 そう、第一前提として何を食えばいいのか不明であった。約百年間人間として生きてきた彼に、こんな不定形生物の主食なんて知る訳がない。

 この際美味しい料理は我慢するとして、最悪生ものを食するのも許容するとして。

 その辺の植物、あるいは肉を食した結果それが猛毒であり、あっさり死亡――――と言う展開は流石に勘弁であった。

 幸い生来の肉体ではなく、その身はこの世界のものである為、地球に存在しない菌でもある程度抵抗力を持っていると思われるのが救いだろうか。

 と言っても空腹は中々に強力で、このままでは数日としない内に飢餓で狂ってしまうだろう。下手すればその飢餓感は人であった頃よりなお強力だ。

 流石に地面に生えている草木を食する気にはなれない為、ここは小動物の類を捕食しようと決意する。

 意識上とは言え、生き物を捕食――殺す――事になんら感慨が浮かばないのはやはり人生の経験値と言うよりは、肉体による影響かもしれない。

 そんな事を考えつつ、どこを向いても草と木しかない広大な草原、その中から生き物を探し出す為にあちらこちらへと這いずりまわっていく。

 


 結局彼が獲物を仕留める事に成功したのは、実にそれから丸一日以上経過した後であった……






 今彼の目の前には一匹の小動物が転がっている。あえてその見た目を描写するとすれば、ウサギに近いだろうか。

 全長はざっと四十センチ程。色合いは草原に擬態する為か緑に近い色であり、最大の相違点は額に十センチ程の“角”があることだろう。

 他は彼の知る地球のウサギと驚く程近い姿である。そのふさふさの毛も、つぶらな瞳も、長い耳も同様だ。

 そんなウサギだが、もしかしたら草食性ではなく、その角で獲物を仕留める凶悪な肉食性なのかもしれない。

 と言うのも、この仮称“ホーンラビット”。いきなり彼に角を向けて飛び掛って来たのだ。

 他の小動物はなにやら彼を恐れて逃げてしまい、決して早くはない歩みでは追いつく事が出来なかった。

 それが今回は向こうから襲い掛かってきたのである。一体どういう訳か興味深いことではあったが、それより問題なのは“衝動”であった。



 あの飢餓や餓えにも似た衝動。それをこのホーンラビットからも感じていた。幸い、同胞らしき姿を見た時よりは控えめだがそれでも空腹にある今の状態ではかなり辛い。

 やはり幸いと言うべきか、この不定形な肉体は存外に戦闘向きであった。不定形生物と言うのは存外に汎用性が高いのだ。

 まず恐らくだが中心で浮いている球体――恐らくは核――を傷つけられない限り、肉体的損傷はあってないようなものらしい。

 角で貫かれても痛みはなく、一部切り飛ばされても極短い時間の間であれば肉体に吸収して再生出来るのも確認出来た。

 高熱に弱いだとか、極度の冷却に弱いだとか色々あるかもしれないが、少なくとも物理的な攻撃にはそれなりの耐性を保持していると言えるだろう。



 他にも大気――酸素なのか窒素なのか、あるいは他なのか判明出来ない為――を取り込む事で、意識した部分の肉体をそれなりに強力なアルカリ性に変化させる事が出来るのも判明している。

 それを利用した触腕をムチのように振るい、相手を打ちすえることと高濃度のアルカリで肉体を侵食していったお陰で、ホーンラビットを撃退することに成功した。

 pH値は案外役に立たない場合も多いので、正確なアルカリの強さは不明だが、少なくとも液そのものではないゲル表面だけで毛皮を溶かすだけの威力はある。

 もしかしたら酸性にも変えられるかもしれないが、今のところアルカリが一番簡単に上手くいくようであった。


 とりあえず襲い掛かってきたとはいえ、生き物を殺す事に躊躇いのない自身に安堵の息を吐く。

 彼は生前、若かりし頃それなりに精神的鍛錬をちょっとした事から積んでいるが、それでも最盛期から言えばそれも随分衰えている。

 もしここが本当に地球ではなく、どこか別の世界であるのならば、下手な罪悪感などは死を呼び込みかねない。

 ゆえに、例え地球基準で異常だとしても今の精神状態は有り難かった。原因不明で得た新たな生だが、無残にそれを捨てるつもりはない。

 生前に未練は無いが。生そのものへの未練ならたっぷりとあるのだから。生き足掻く。それは彼がアメリカで“教官”と呼び、世話となった人から叩き込まれた最早本能だ。



 ――さて、そろそろこれを“食べる”としよう。



 そう思考して触腕をするするとホーンラビットに伸ばし、そのままひょいっと持ち上げたかと思うと、とぷりっ――と音をたてて肉体で包み込んでしまう。

 本能のように理解出来た食事方法。これが今の己の捕食であると何となく彼は理解していた。

 今の肉体は生前百九十近い日本人としてはかなりの背を誇った肉体とは比べるべくもない程小さいが、それでも円形のゲルは一メートル近く広がっており、中心の盛り上がりも同じくらいである。

 小動物の一匹や二匹は容易く取り込む事が可能だ。ホーンラビットは瀕死ではあったが、完全に息絶えた訳ではなかったらしい。

 取り込んだ途端、最後の足掻きとばかりにもがくように暴れだしたのだ。窒息からなる苦しみのせいかもしれない。

 核を傷つけられては堪らないと、大気を軽く取り込み、ホーンラビットの辺りのゲルを強いアルカリに変化させていく。



 瞬間、あっと言う間にドロドロに溶かされていくホーンラビット。それだけでも相当に強力な塩基だと窺い知る事が出来た。

 スライムと言えば、彼の世界では雑魚に等しい扱いが多かったが、こうして実際に扱ってみれば中々に厄介ではないか。

 危機に反応したのか、あるいは最初からこの濃度なのか、そう時間も掛からずホーンラビットは動かなくなりそのまま形を失っていく。

 瞬間――ドクンッ――と、心臓の代わりとも言える核が震える。飢えにも似た衝動が満たされ、何とも不思議な高揚感が肉体を包み込む。

 酩酊感にも似た感覚はまるで快楽のように駆け巡り、暫しの余韻を残して消えていく。


(今のは一体……?)


 ホーンラビットを溶かしたからなのか、それともトドメをさしたからなのか。

 どちらでもあるタイミングであったため判然とはしないが、ただ食欲を満たしたのとは明らかに違うと言うことは彼にも理解出来た。

 ほんの僅かだが、それこそパーセンテージにすれば一パーセントに満たないレベル。

 しかし、確実にこの肉体の“性能”が向上したのを感じ取れる。まるでパズルのピースが嵌め込まれたように理解する。



(理由は不明だが、あの飢えとも渇望とも言える衝動を感じる相手。それを取り込むなり、息の根を止めるなりすると、より肉体の性能が上がっていく?)



 もしかしたら違うかもしれない。たまたま偶然と言うこともある。

 それでもこの思考が少なからず間違いではないと、本能のようなところで理解していた。

 そして同時に感じる疑問。それはつまり、自分もあの衝動を感じたように、襲い掛かってきたホーンラビットも衝動に襲われたのではないか。

 他の小動物が逃げていったのに対し、逆に襲い掛かってきたのもそれなら説明がつく。

 対象により、あるいはランダムなのかは不明だが、衝動の強さに差はあれど、それは少なくとも確固な自我をもってすら耐えがたい程である。

 理性のない獣があれに抗えるとは到底彼には思えなかった。



 もしかしたら何らかの抜け道はあるのかもしれないが――そうでないと、生態系があっと言う間に崩壊しかねない――現状取れる選択肢はそう多くはない。

 ふと、完全にホーンラビットが原型をとどめないくらいに溶かされ、肉体に循環され始めたのを感じる。

 今自分を見たら、赤色やら肉色やらが混じっている精神衛生上よくない姿が見られるだろう。

 生前、死体や肉片はそれなりに見てきたが、それでも流石に自分からそんなグロい姿を見たいとも思わないので、とりあえずの行動指標を決定する。

 まず、食料に関してはこの肉体が毒物にそれなりに耐性があると信じ、今回のように獲物を仕留めていく事とする。

 同類、もしくは明らかに己より強力な固体を発見したら出来るだけ身を隠す。例え満腹であろうと衝動は感じる可能性が高い、無駄な戦闘で命を落とさない為にも重要なことだ。

 敵わないのであれば逃げる。敵対勢力との戦力差を把握するのは基本的なことである。 


 そう決定すると、取り敢えず見つかりやすい草原は悪条件だろうと、再び移動を始めた………






 彼がこの世界に来て数日が経過した。つい先日ようやく草原を抜け、今度はその先に広がっていた大森林へと来ている。

 いや、大森林と言うのはやや語弊があるだろうか。何故なら奥に行くほど群生している植物は奇怪なものとなり、木々の樹齢も増していくのだ。原生林や樹海と言った方がいいかもしれない。

 この樹海を発見したのは偶然だが、見晴らしのよい草原は敵対生命体の発見も早いが、見つかる可能性も高い。

 そして現状の肉体での移動速度は、遺憾ながらも非常に遅い。それを考慮すれば森が生存には最適であった為幸運と言えよう。


 ここ三日四日で、幾つか判明した事もある。まるで先人がそうしたように、樹海のようなこの場所で生っている実を幾つか取り込んでみたのだ。

 先に小動物を捕まえ、その動物の口に果実を突っ込んで反応を見てから勿論体内に入れている。小動物の反応が不定形たる身と同じとは限らないが、少なくとも同じ星の生命体。

 極端な違いはないだろうとの判断である。分かったのは基本的に派手なのは毒性を持っていること。

 そして比較的毒性の弱い果実で肉体の耐毒能力を調べると、案外平気であることから、最低限以上に耐毒性能を保有していると分かった。

 流石に猛毒だと思われるものは試していないが、それでも十分な成果である。



 どうしそんな実験紛いの事をしたのかと言うと。味覚らしきものはあるらしく、流石に肉ばかりは飽きてきたのだ。

 感じる美味の基準も変わっているので、生肉が不味いと感じる事は無いのだが、それでも他の物を口にしたくなる。

 そうして試行錯誤の末に手に入れた果実は、何とも瑞々しく、そして美味であった。味は何とも表現のし辛いものから、リンゴや梨に似たものもあって懐かしい思いにも駆られたものだ。

 おかげで食料に関してと、水分に関しても解決でき、ようやく行動にも余裕が出てきたところである。

 そして今、彼はちょっとした新たな実験を行っていた。人生約百年間、男として生をまっとうした彼だが、憧れのようなものを終生抱えていた。

 “絶対強者”、その四文字。一度くらい誰でも憧れたことはあるのではないだろうか。



 何人にも勝る力。それは頭脳でも、純粋な膂力でも、あるいは闘争における戦闘能力とでも、はたまた政治や商業的手腕でもいいだろう。

 一口強者と言っても様々な分類が可能だが、その中でもとりわけ彼は戦闘と言う分野においての絶対強者に憧れを持っていた。

 始まりの原点はなんであったか。あまりに古い記憶の為彼自身定かではないが、恐らくはまだ幼い頃見たテレビの格闘番組が切っ掛けであったと彼自身は認識している。

 若い頃には独自に友人らと格闘訓練のモノマネをしてみたり、古武術に手を出してみたりもしていた。

 幸い才能も頭一つ分抜けており、努力した分だけ肉体はそれに応えてくれる。それが嬉しく、勉学もそこそこに武道の道へと彼は足を進めていく。

 周りから見れば酷く変わった人物に見られていた事だろうと、今では彼ですら思う。それくらい、まだ学生の頃の彼は熱い思いを胸に秘めていた。



 誇れる程の学歴ではないものの、そこそこの高校を卒業し。更に成人した後、自由に扱える金が出来れば友人の伝を頼って単身アメリカに渡り、そこの“教官”から直々に様々なことを学びもした。

 そこで彼は望んだ事以外にも学び取るのだが、一番心に響いたのは“家族”と言う言葉である。

 家族に碌な相談もせずアメリカに渡って来たと知った教官からは「馬鹿者がっ! 例え誰が敵に回ろうが、お前の味方をしてくるのが家族だッ! それを蔑ろにするクズは私の下には要らんッ!!」と、そうはったおされては強制的に日本に帰されたものだ。

 そこでようやく今までの道程を振り返る余裕を経た彼は、今までの己がどれだけ親不孝であり、そして両親が自身を自由にさせてくれていたのかを知る。

 無論、教官の言葉も理想論ではあるのかもしれないが、それでも彼に衝撃を与えるだけの力強さがあった。

 彼は良い意味でも、悪い意味でも、どこか子供のような人間だった。そうして両親に頭を地に下げ賢明に謝り通した結果、「好きにしろ。お前の人生だ。時折俺達の顔を思い出し、帰ってくればそれでいいささ」と父に言われ、彼は再びアメリカに渡る。



 そこで待っていたかのように教官が「ようこそ私の元へ。今日から君は私の教え子であり、そして子であるのならば家族だ。血が繋がらなくとも、家族とは素晴らしいものだと教えてやろう」と口にした。

 それからの日々は彼の人生でも一等輝いていたと言ってもよいだろう。学んでいる場所柄、紛争地域へと駆り出されたり、直接人を殺める機会にも出会ったが、それでもその日々は彼にとって宝石よりなお輝かしいものだ。

 そんな少し当初の望む結果とは変わりつつも、何時までも冷めない熱を抱えながら進んだ結果。銃器の取り扱いは無論、ナイフ捌きや素手による格闘術だって教官からお墨付きを貰っている。

 教官曰く「そう遠くない内に私と並ぶだろうさ」と言われ日には、彼は嬉し涙を零したものだ。

 順風万端、見える道は輝かしく、少々血生臭いものの確実に望む力を得つつある。そう、彼は思っていた。



 ――――そこまでいって気づいてしまった。自分には絶対強者へと至るだけの才はないと。精々が一流止まり。天才と言われる者へは届かない。勉学で言えば秀才が彼の限界であった。

 確かに、そのまま行けば教官に並ぶ実力を有せるだろう。その先には超える道だってあるかもしれない。

 だがそれまで。その先は無い。なまじ人より一歩二歩優れていた分、それを理解してしまった時の絶望感は大きかった。

 二十代も半ば、絶対強者への道は途絶える。それからは精々腕が錆付かない程度に自己鍛錬をし、それから一年足らずでアメリカで出会った女性と婚姻を結ぶ。

 今でも腑抜けたような彼に対し別れ際に口にした教官の言葉は覚えていた。「お前の夢は、熱はその程度だったのか――――」と。

 そこからの人生は特に語る程の価値も意味もないだろう。

 息子や娘に遊びがてら自身が培った技術を教え、一般的には幸せと呼ばれる生活を送り、気づけば孫が出来ていた。

 ついこの間まではパパと呼んでくれた子が、何時の間にか子を成していた時には、なんと時というのは短いのかと思う程。

 気づけば孫も大きくなり、己の肉体は皺くちゃの爺と成り果てている。夢は潰えたが、家族と言う絆は彼を癒してくれた。夢を忘れさせてくれた――――筈であった。



 死ぬ間際に未練はなかった。人生に満足していた。それに嘘はない。妻はアメリカ人であったが、日本語を賢明に学びつつ、大和撫子を目指す努力家であったし、子は三人も恵まれ金銭的にも過不足はなかった。

 子供のような憧れは所詮憧れだったのだと。諦めてしまう程度の熱意なのだと“思っていた”。

 それがこの世界へと来て再び彼を苛む。燻っていた種火は“あの衝動”の先にある可能性、それを糧に轟々と燃え上がった。

 そう、可能性だ。それは絶対強者への途絶えた筈の道。それが砂漠の蜃気楼かもしれないとしても、確かに目の前に存在していた。

 だからこそ、今も実験を行うべく彼は“獲物”へと静かに忍び寄っている。



(――距離目測六十メートル。“擬態”の効力順調。対象目標“フォレストドッグ”こちらに気付かず)



 全長八十センチ程もある、やはり森に擬態するためか、深緑色の毛を持った仮称ネームフォレストドッグは彼に気付かない。

 幾度かの“狩”により、取り込んだ色素を増やし、肉体の色を変化させることが出来るようになっていた。

 更には自然物を取り込み、匂いを擬態させることで相手の嗅覚を誤魔化す。こちらは元から可能であった能力だ。

 風下から近寄るのも忘れない。肉体は可能な限り薄く延ばし、必殺の一撃を叩き込むまで気配を限界まで殺して忍び寄っていく。

 我を殺し、単調な作業を淡々と繰り返すのは慣れている。それは嫌と言うほど教官ら教え込まれた基礎の一つである。

 密林の中、擬態装備と葉で肉体を覆い、観測としてひたすら待機していた経験も積んでいたのだ、成果が確実に見えるこの過程はそれに比べれば酷く易しい難度と言えた。



(――目測二十メートル……有効射程範囲まで残り十五メートル。対象、いまだこちらに気付かず。これより全神経を接近へと傾ける)



 今まで以上に細心の注意を払い、音すら立てないように進んでいく。対象は気持ちよさそうに、木々の切れ目より差し込む木漏れ日でお昼寝中である。

 それでも野生動物に接近するのは生半可の方法では無理だ。少なくとも、生前の彼では無理だろう。今の肉体だからこそ可能な芸当と言えた。

 観察により、驚異度はそう高くないと判明しているが、それでも何か隠し玉がないとは限らない。この世界に対してあまりに彼は無知なのだから。

 この肉体だって、この世界におけるヒエラルキーでどの辺りに位置するのか不明なのだ。

 暫くは石橋を叩いて渡るように、それでも時には大胆に歩いていく必要があるだろう。そしてとうとうフォレストドッグとの距離が十メートルにまで縮まる。



 相手を視界に移さず、焦点をぼかしながら残りの距離を今まで以上の鈍足で詰めていく。生物によっては、視線すら察知するタイプも居るのだ。

 俗に言う“視線を感じる”と言う状態を防ぐ為の術である。一メートル縮める為に数分を掛けるが、出来るだけ速度も上げなければいけない。

 対象が何時起きて、その場を離れるか分からないからだ。相手の様子を窺いつつ近づくこの行動は、酷く体力的にも精神的にも疲労する。

 それでもここまでの努力が泡沫の泡と消えるのと比べればどうと言う事もない。

 遂に触腕の射程範囲一メートル前まで接近する事に成功。が、同時にこれ以上近づくとバレると言うのも、肉体の性能のお陰か理解できた。

 呼吸器官は無いが、イメージの中で深呼吸をし、するすると何割かの息を吐き停止。

 確実に仕留めるという意思の下――――まるで伸び上がるように地面から肉体を持ち上げ、現状取りえる最高速度で残り一メートルを詰める!



 草木を掻き分ける音にフォレストドッグが目覚め、威嚇の声を響かせる。その判断は失敗だ。とるべき選択肢は“逃げ”の一手であった。

 その僅かな時間で鈍足と言えど、一メートルの距離を詰めるのは訳もないっ! ずるずるる肉体を滑らせるように動かし、 瞬く間に詰め寄ると即座に無数の触腕を放つ! 

 まるでムチのように飛来する一撃をイヌ科特有の身のこなしでフォレストドッグは回避し、ようやく事態を察し逃げようとするが、どうやら衝動が邪魔をするのか動きは鈍い。

 それ以前にここまで詰め寄って逃がすつもりは彼にはなかった。最初の一撃を囮に迂回するように忍び寄っていた触腕がその足に絡みつく。



『ギャッ!? キャンキャン!!』



 ジュワッ、と毛皮が溶け、そのまま肉まで溶かし始める。

 生きたまま溶かされるという苦痛に哀れな悲鳴を上げるが、それを無視してずるずるとその肉体は引き寄せられ、あっという間に彼の肉体に呑み込まれていく。

 同時に大気を摂取し、強力なアルカリとなったゲルが抵抗すら許さずにその肉体を溶かす。

 ものの数十秒も掛からず、抵抗むなしくフォレストドッグは息絶えた。この塩基を発せさせる力も、当初からすればより強力なものへと変化していた。

 核がまるで勝利に打ち震えるかのように脈動。肉体が快楽に等しい高揚に包まれる。

 既に十回近く味わう感覚だが、何度味わっても慣れない程強い感覚だ。

 まるで麻薬のようだと紛争地域で試した時の事をチラリと思考し、そして都合十度目の“強化”が終わるのと同時、やはりと確信に至る。



(限界があるのかは現状不明だが。特定の生物、衝動を感じる対象を殺す事で己を強化する事が出来る……)



 衝動を感じない生物と、そうでない生物の差は不明だが、そんなことは些細なことであった。

 どこまで強化出来るのかは不明であったが。人間が成長するように、この肉体も原始的な闘争を経て“強者”へと近づく事が可能なのだ。

 ただその一事だけで彼には十分であった。ここにきて、彼の目標は完全に定まる。

 思い出すのは教官の別れ際の言葉。今なら言える、そう――――


(どうやら、人で無くなった後でも夢を見るくらいには、私の思いは熱かったらしい教官)


 生前一度は諦めた夢路。それをもう一度追う。誰をも圧倒する“力”を手に入れる道。

 それを進む事をこの瞬間、彼は決意した。





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