第十二話
広大な草原の中、一頭の雄雄しい獅子が大地を踏み締め歩いている。
全長は尾も含めれば四メートルは越すだろう。その獅子は紅蓮の炎を纏い、鬣も同様に炎で形成されている。
尾の先だけは青白い炎が揺れているようだが、不思議な事にどの炎も一切の熱を持たない。正確に言えば、“敵対者”のみ熱を伝える特殊な炎であった。
牙は通常の獅子より長く、上唇から口下まで伸びている。その凛々しい顔立ちの中、真っ赤に染まった瞳がやたらと爛々に輝いていた。
まるで研いだ刀剣のように鋭い爪は、未だ振るわれていないながら、並みの鉄鎧如きならあっさりと切り裂くだけの鋭利さを秘めているだろう事が見て取れる。
それこそがヴラドが、不定形生物のスライムと成り果ててより数年の月日を掛け、ようやく得た新たな身体であった……
『それにしても、私達はどこに進んでいるんだ?』
「え? エルはきまっているんだとおもっていたけど、ちがうの?」
体躯が巨大となったことで、嬉々としてその背に座り込み居場所を確保したエルが首を傾げる。
その瞳はやや眠たげである。鬣の炎は仄かな温もりとなり、年中葉が落ちない樹海では分かり難いが、少なくとも春先くらいの気温のここ最近の中では非常に心地よいのだろう。
『ああ。私もロザリーが自信満々に進んでいるから取り敢えずその方向に進んでいるだけだ。そこのところ、実際はどうなんだロザリー』
ヴラドが問いかけると、前方を黒白のゴシックドレスと若葉色の腰まであるストレートの髪を揺らしながら歩いていたロザリーが、くるりと反転し後ろ向きで歩いたまま口を開く。
「言わなかったのよさ? 考えがあるって。今向かっている方向、この世界で言えば西。地球で言えば北の方角には、私が昔使っていた拠点の一つがある筈なのだわ。流石にもう荒らされているだろうけど、隠し部屋の類は見つかっていない可能性は高いのだわさ」
『何か置いてあるのか?』
「まっ、最盛期の頃に使っていた物に比べれば大した物でもないけど、装備品が幾つか。それにこの世界での通貨なども置いてるのよさ」
「つうか……そうび?」
エルが一人、次々と出てくる知らない単語に頭を悩ませている。ヴラドと二人きりの生活であった為か、どうしても知識の偏りは免れなかった。
そのツケがどうやらこうして同行者が増えることでまわってきたらしい。それでもエルであれば、そう長い時間も掛からず覚えていくことだろう。
それだけの知識欲、そして記憶能力をエルは有している。今も会話から内容を推察し、分からなければ邪魔にならない程度にヴラドへと質問している。
その努力が、父であるヴラドの役立ちたいと言う思いの為であるとは、流石にヴラドも知らない。
『やはりこの世界にも文化があるのか』
「それはそうだわさ。だから私も封印されたのだわ。まぁ、地球に比べればお粗末なのは確かなのよさ。知能数は高い種が多いのに、根底で力こそが正義だという風潮があるから、どうもまとまりに欠けるのだわね」
本当、嫌になるのよさ。なんて口にするが、ロザリーの顔には笑みが浮かんでいる。この世界では努力すれば才能の有無は分からないが、少なくとも成長していける為、ある程度の力を得る事が出来る。
そうして身についた力で欲しいモノを手に入れる快感は凄まじい。地球では犯罪であることも、この世界では力さえあれば何者にも縛られずにそれが叶う。
そう言う価値観が世界全土に根付いている。反面、お陰で知力では人すら越す種が居ながら、科学的面で発展してこなかった事にも繋がっていた。
更に言えば、地球より広大な星である為、種と種の交流がやや希薄なのもそれに拍車をかけているのかもしれない。
旅人や冒険者と言う者は、この世界ではある程度の実力がなければ自殺行為に等しいのだ。自然的に集団は内に篭ってしまう傾向が強くなる。
『そう言えば、すっかり私の進化のせいで話がずれてしまったが……魔神に関して、それに進化に関してもよかったら説明してくれないか?』
「分かったのだわ。どうせ、拠点の砦まではここから数日以上は掛かるのよさ――――」
そう言うと、ロザリーまでヴラドの首筋に跨りだす。とんっと、軽やかなじゃんぷで正確に歩くヴラドに跨った軽やかさは中々に見事であった。
「方角はこのまま真っ直ぐ。太陽を背に向けて進んでいけばいいのだわ」
「むぅ……ここはエルのばしょなのに」
「ニャー!」
突如乱入してきたロザリーに、エルとその手に支えられたリアンが抗議の声を上げる。女王蟻の一件から、すっかり二人とも仲がよくなっていた。
「いいじゃないのよさこれくらい。私達、家族なのだわさ」
家族と言う言葉にエルがむすっとしながらも、渋々引き下がっていく。家族と言うものは、エルにとっては殺してはいけないものの最たるものになっている為だ。
それは家族を大事にしているヴラドの影響が大きく反映されている結果と、そう言い換える事が出来るかもしれない。
「わかった。でも、エルがまえね」
「構わないのよさ。お兄様、ちょっと止まって下さい」
ロザリーに言われるまま立ち止まると、一度地に下りた二人と一匹が場所を交代して再びヴラドに跨る。
それを背の重みで感じつつ。ヴラドは内心で自分は乗り物ではないんだが……と愚痴を零しつつも、頼られている感じもあり、実は満更でもなかった。
首筋にエルが跨り、その腕の中にリアン。そしてそのやや後ろ、胴体の部分でスカートを気にしてか器用に横座りでロザリーが並ぶ。
それを確認し、ヴラドがロザリーに合わせて緩めていた速度を少し早めながらも再び歩き出す。
「さて……魔神に関してだったわさ?」
『ああ、その通りだ』
「魔神と言うのは、一定以上の実力者――と言うよりは、魂の強大さを誇る存在を指す言葉なのだわ。お兄様も感じていた筈だけど、この世界では“魔獣”あるいは、“魔族”を殺す事で、肉体から魂が剥離する時に零れるその欠片を身に取り込むが出来るのよさ。その質や量でこの世界の魔獣や魔族は成長し、中にはお兄様のように進化する事が出来るのだわさ」
この世界では明確に魂と言うのが認知されている。そしてそれは死亡時に肉体を離れるのだが、同時にその肉体で溜めた経験とも、世俗の穢れとも様々に言われる一部を落としていく。
ありていに言えば魂の残滓、もしくは欠片だ。そしてそれは強力な者程落としていく欠片も強力となる。
これが衝動の強さに関する秘密であった。そして魂を吸収するのだから、当然己の魂はより力強いものへと変化していく。
そして魂には大きさと質がある。たとえばスライムであればどんなに魂を取り込もうと、質は基本的にスライムと言う種から変化しない。変わるのは大きさだ。
核に外付けのブースターを取り付けていく感覚に近いだろうか。ヴラドがスライムの時に感じた成長とはこれのことである。
そしてその外付けの魂と本来の魂を一つの魂に純化してしまうのが“進化”。これにより、大きさは元にもどる、あるいはより小さくなる代わりにその質は急激に上昇することとなる。
今のヴラドがこの状態にあたるだろう。不定形で溜めた魂が限界をむかえ、圧縮され輝きを増した状態だ。
『と言うことは、出来ない者も居るのか?』
「私はスキルと、そう呼んでいるのよさ。世界的に体質やら先天的才能やら言われているけれど……とにかく、種の限界を超えて進化するには特別な才能なり、私流ならスキルが必要なのだわ。恐らくお兄様にはそれがある」
言われてなるほどとヴラドは納得した。確かに、だれもかれもが種の限界を超えてしまっては、世界のバランスが容易く崩壊してしまうだろう。
ちょっと考えれば分かることだが、どうやら樹海での生活は予想以上に人らしい思考をすり減らしていたようだ。
納得した表情を見せるヴラドにロザリーが続きを話し出す。
「魔獣と魔族の魂吸収も、そう言う意味ではスキルによるものなのよさ。魔獣か魔族か決める要因とも言えるのだわ」
『魔獣と魔族と分けているが、違いがあるのか?』
そうヴラドが質問すると、「いい質問なのよさ」とロザリーがにこやかに笑う。
「単純に、知能が低いか高いかの違いなのだわさ。そう言う意味ではそこのリアンもお兄様もエルも、みんな魔族と言う範疇なのだわ。逆に言えば女王蟻なんかは力はあっても魔獣のカテゴライズなのよさ。折角だからこの世界での力、魂の強大さにおける区分も話しておくのだわ」
『そんなものがあるのか……』
「境界線はちょっと曖昧だけど、しっかり存在するのよさ。これで魔神級かどうかも分かるのだわ。ちょっとお兄様止まってくれると嬉しいのだわさ」
言われヴラドが立ち止まると、ぶつぶつと小さく何語とかを呟くロザリー。
すると宙に新緑色の光が何か文字を形作っていく。どうやらそれはこの世界の文字なのか、残念ながらヴラド達には読み解く事が出来なかった。
それはロザリーも承知しているのか、同じく新緑色で構成された指揮棒らしきものを、横に箇条書きで書かれた文字の一番下を示し口を開く……
ロザリーによる基本的な世界の説明はまだまだ終わらない。