第一話(加筆版)
この物語は、作者の他の執筆の休憩や憂さ晴らし時に書こうと用意したものです。
特に何も考えていない作品なので、色々おかしな点もあるかと思います。
更新は不定期、もしかしたら日に数度。あるいは週一、なんて場合もあるかもしれません。
また、合間などに基本書くため、文字数は多くありません。
基本的には二千程度だと思って下さい。
よくある内容ですが、付き合ってやって下さると嬉しいです。
それでは“ようこそ魔界へ!!”をお楽しみ下さい!
魔界と言う言葉を知っているだろうか、あるいは異世界などと置き換えてみてもいい。御伽噺やゲームなんかで良く見かけるあの言葉だ。
ファンタジーではお馴染みな言葉であり、多くの様々な作品で取り入れられた題材。
魔界と言っても色々な世界がある。瘴気と呼ばれる人には有害な物が立ち込める世界、地上ではなく地下に広がり光の無い世界なんてのもあるだろう。
あるいは魔界は惑星そのものであり、幾つも存在している、と言う設定もあっただろうか。
そんなのは妄想の産物だ。人が生み出した夢幻に過ぎない。
と言うのも、実際その世界に行って帰ってきた者も居なければ、そんな世界が見つかったわけでもないのだ。
科学の世界では例えそれが存在していようと、証明もなにも出来ないのであればそれは無いのと同然である。
理論上は……なんて言葉すら当て嵌まらない産物なのだ、魔界と言う言葉は。それでも愚かな者たちは夢を見る。その最たる例が“小説”かもしれない。
人の妄想を形とした一つの完成系。一時、その小説と言う分野において“転生モノ”と呼ばれる話しが一大旋風を巻き起こした。
転生と言う内容が一つの巨大ジャンルにカテゴリ出来るくらい、あっと言う間に広がり汚染し、他の領域を食い荒らしていったのだ。
どうしてそこまで急激に勢力を拡大していったのだろうか。
よく聞くのは時代の流れだとか、社会的風潮だとか、そんな言葉であるが、それに付け加えるのであれば“死と理想”なのかもしれない。
人は遅かれ早かれ死に行く運命にある。それはどうしても覆せない真理だ。
それは途轍もない恐怖である。死は恐ろしい、時代が進むにつれ、死後の世界と言う言葉はその効力を失っていった。
同時に縋るよすがを無くし、死と言う概念がより強く人々に降りかかっていく。それらを回避すべく一部の人は不老不死と言う甘い幻想に縋り、人生を無為に振っていった。
歴史を少し紐解けば不老不死の夢にとりつかれた者を見て取れることだろう。それだけ人は死に抗おうと必死だったのだ。
時代が進むにつれ、それが夢まやかしと気づき、不老不死と言う願いは形を変えていく。
それこそ“転生”だ。死は逃れられない、ならば……生まれ変わって記憶を引き継げばいい。
そう行った方向へと思考が曲がった結果、転生と言うモノは急激な勢力拡大に至ったのではないか。
死は逃れられないと言う思考は確固なものとなったが、それを受け入れるのは辛い。
受け入れることは出来ても希望は捨てられない。終わりは確実に訪れる。だからこそ一縷の希望を望む。
それらを文にし転生と言う形にした結果、時代に見事マッチングし一大旋風を巻き起こした。
無論、そこには上記以外の理由も多々に含まれるだろう。例えば純粋に別世界で異なる知識を用いることで得られる富だとか、あるいは純粋に力であったり作者の願望であったり。
上記の理屈だって決して正解ではないだろうが、一因である可能性も零ではないのではないだろうか。
そしてそんなどうでもいい考察を思考した彼も、別段転生なんて言葉は信じていない。人は死んだら無となる。二度と目覚める事の無い零へと還る。それが彼の自論であった。
更に言えば魂なんてものも信じてはいない。そんなものがあれば、世はどれだけ魂であふれ満員電車状態であるのか。
そう考えると無限に増えていく魂と土地がつりあう筈が無いと、勝手に思考してしまうのだ。
もしかしたら魂とやらの数は一定数なのかもしれないし、宇宙の膨張のように天国や地獄も規模を拡大しているのかもしれない。
それでも所詮想像は想像に過ぎない。が、別にそういった類のものが嫌いと言う訳でもなかった。逆に一般的な考えに基づくのであれば、彼はFT小説なんかは大好きな部類と言えよう。
特に吸血鬼が好きであった、もしかしたらそれもその長寿、あるいは不死性に無意識で憧れていたのかもしれないが、それはとても些細なことだ。
いわゆる転生ものと呼ばれる小説も多く目にしたし、暇があれば自分で書いてもみた。若人の時には様々なゲームだってプレイした。
ネットなんて便利なものがあるお陰で、誰でも気軽に人の目に触れる場所で小説は書ける。
それでもやはり、転生なんて言葉も、魔界なんて言葉も信じてはいなかった。そんな彼の人生約百年間、全てをぶち壊す事態が起きている。
孫や曾孫息子達に看取られ、一般的に言えば至極幸せな最後を迎えた筈の自身。
それがどういう訳か、暗い意識のシャットダウンから目覚めれば、見知らぬ場所にぽつんと一人っきりではないか。
彼が転生やらと考えてしまった理由の一つだが、それだけではない。ふいっと“腕”を掲げる。が、腕の代わりに視界に移ったのはいわゆる触手であった。
それも俗に言うスライムとかと呼ばれるタイプ。某ゲームのトンガリ頭のような可愛らしいモノではなく、粘液質で半透明の一見透き通った水色の触手。
不定形の肉体は流動しており、その触手を見ただけで自分の姿がかなりのキワモノとなっているのは想像に難くなかった。
そう、気づけば見知らぬ場所に一人っきりであるばかりか、どうやら人では無くなってしまったらしい。
そこで現実逃避に状況整理もかねて考えていたのが先程の思考と言う訳であった。
もしかしたら自分は死んでおらず、どこかの秘密機関に肉体を改造された……
なんて言う可能性も考えたのだが、一般人と呼んでは少しだけ特異な人生を歩んだ彼だが、最終的にはそう呼んでなんら語弊のないだろう彼を拉致して肉体改造を施す意味は無い。
ましてこうやって野に放つ理由も不明であった。野、今彼が居るのは地平線すら見渡せる立派な草原である。
自然が減少して久しい二XXX年からすれば、驚くくらい青々とした葉が地面より突き出していた。そんな立派な草原を見渡しつつ、不思議と凪いだ心に彼は驚かない。
これが未練ある生の半ばであれば、何か思うところもあったのかもしれないが、彼は死ぬ寸前満足していた。
やれることをやったし、幸せと言える人生を真っ当した。彼はちょっとした一事より家族と言う言葉と繋がりを大切にしていたのだが、結果的にそれは巡り廻って彼に返ってくる。
先に旅立った妻は居なかったが、その子孫は誰一人欠ける事無く彼が息を引き取る瞬間まで涙を堪え見送ってくれた。
当時では稀有な程の最後。小さいがとても意味のある終わりに彼は満足していた。ゆえに今の彼は人生を終えた後、思いがけず新たな生を得たに等しい。
前世と呼んでいいのか不明だが、彼が人であった頃の人生は既に完結しているのだ。それに百に近い年に老衰で死亡した彼は、滅多な事では驚かない胆力と精神を獲得していた。
それは年だけではなく、若かりし頃にアメリカで培った経験から来るものでもある。更に言えば、逆に人でないからこそ容易く踏ん切りもつこうと言うものだ。
人ならざる者だからこそ、人としての拘りも捨て去る踏ん切りが付こうと言う意味である。
そんな思考ももしかしたら人ならざる身になった影響かもしれないが、考えても仕方のないことだろう。
思考の海から一度脱却し、この先どうすべきかを悩む。取り敢えず未練は無いので、元の場所に戻ると言う選択肢を取る必要は無かった。
そうなるとこのどこかも分からない場所、あるいは地球なのか異世界なのか判然としない世界で生きていくしかないと言う訳だが……
ふと何となしに腕を意識して前方に意識を向ける、すると数を制限しなかった為か、ゆらゆらとクラゲの触手のように、無数の半透明状のぬるぬるした触腕が視界で揺れる。
かなり奇妙な光景なのだが、不思議と違和感を覚えない。まるでそれこそが自分の肉体であると錯覚してしまうくらいである。
どういう訳か、今の肉体の使い方が意識せずとも分かるのだ。この肉体がどう言うものかは流石に分からないし、ここがどこかも不明。
今の境遇に恐慌することはなくとも、どうすればいいのかで彼は悩んだ。苦悩する彼を尻目に、無数の触手だけがゆらゆら、ゆらゆらと不気味にたゆたっていた…………