幽霊少女②
検証の結果、朔乃は空藍から約三メートルしか離れられないことが分かった。
三メートル範囲の中では自由に動き回れるが、指先一つでもそれを超えようとすると、見えない壁のようなものに阻まれるそうだ。
また、空藍の方から離れて行くと、朔乃の意思とは関係なく彼女の体も移動し、三メートルの範囲に収まってしまう。彼女曰く、まるで磁石のように引き寄せられるとのこと。
あとは幽霊だから人、物に触れない。スマホのカメラを向けてもセンサーは反応せず、写真を撮っても朔乃の姿は写らなかった。
自転車を走らせる空藍。その背後で、空中に浮きながらスーッと足も動かさず移動を共にする朔乃。
そんな色々な意味で目立つ彼女の姿に反応を示す人は誰もいない。
既に認めていたことだが、改めて朔乃は幽霊なんだなと空藍は思う。そして自分が幽霊に取り憑りつかれてるという現実を受け入れた。
「マジで……?」と思わず呟いてしまったが、それでもきちんと受け入れた。
*
移動しながら、空藍は朔乃の身に起こった大まかな出来事を聞いた。
それはたった一つの不幸から、一つの家庭が壊れた話。
未遂で済んだとはいえ、娘に性的暴行を与えようとした義父。内情はともかく表向きは家族として、そんな男と妹が二人であることを思えば、姉である朔乃としては気が気ではないだろう。
文字通り、死んでも誰かに助けを求めたくなる気持ちも理解出来る。
妹を助ける。
『助ける』といっても具体的に何をするか。自分に何が出来るか。何をすれば『助けた』ことになるのか。
考えて、呆気なく答えが出た。
そもそも朔乃が助けを求める原因が義父である。義父をどうにかすれば、朔乃が抱く心配事はなくなるのだ。
正攻法の一つは児童養護施設に入ることだ。
社会の、大人の力を借りて物理的に義父との距離を引き剥がしてしまえばいい。
そのことを朔乃に意見してみると、彼女は困惑しながら曖昧に頷いた。
「そんな簡単に入れるものなの……?」
「あとでちゃんと調べて見るけど、理由が理由だ多分大丈夫だと思うよ?」
児童養護施設とは親のいない子供だけでなく、虐待を受けた子供も受け入れる為にある施設だ。
「まあ、入るには時間がかかるかもしれないし、証拠も求められるかもしれないから、出来る限りの準備はしようとは思う。……嫌なことを聞くけど、家で変な姿を盗撮されたとか、そういうのある?」
「多分、ある……。下着が無くなっていたこともあるし、アイツなら絶対やってる」
「写真やデータであるなら押さえておきたいね。……まぁ、それはおいおいかな」
「…………」
自転車を三十分ほど走らせて、空藍は二階建ての一軒家の前に辿り着く。
朔乃の家だ。
「妹さんの部屋は何階?」
「あたしと同じ二階。明かりはついてないわね……」
「一応、見てみようか」
空藍は周囲を見渡した後、家の敷地内に入り壁際に寄る。物に触れられない朔乃は、逆に物理的な制限を受けることはない。壁を通り抜けた朔乃は、それから十秒ほど経ってから戻ってくる。
「ギリギリ見えなかったわ……」
「まあ三メートルじゃね。ちょっとジャンプしてみるからそのタイミングで見て」
結果からいって、部屋に妹の綾乃の姿はなかった。
一旦、朔乃の家から近い公園に二人は移動する。
「妹さんって中学二年生だっけ? そろそろ七時になるんだけど、いつ頃帰ってくるの?」
「極力家に居たくなかったから八時以降が基本だったけど、でもそれはあたしと一緒だったからで……」
家に居ると義父のことで不安に感じるが、だからといって夜遅くまで外にいれば、それはそれで何をしているのかと心配になる。
「取り敢えず電話かけてみるから、妹さんの電話番号を教えて」
「わ、分かった」
「あ、その前に妹さんとよく一緒に入る飲食店とかある?ファミレスとか喫茶店とか」
「えぇと、バイト先の一つが喫茶店だけど」
「ありがとう」
テキパキと行動を移す空藍に気後れする気持ちを抱きながら、朔乃はコール音のなるスマホに目を向ける。六コールまで鳴ったところで、空藍は一度電話を切った。
「出ないわね」と朔乃が呟くよりも先に、空藍は二度目の電話をかける。再び六コール目で電話を切り、三度目の電話でようやく少女の声が聞こえた。
『……もしもし』
力のない、か細い声だった。
空藍はスピーカーに切り替え、口を開くより先に朔乃が声を張り上げる。
「綾乃! 綾乃!! 聞こえる、綾乃!?」
『……もしもし?』
「っ」
眉根を寄せ、苦しそうに口を結ぶ朔乃を見ながら空藍は再度口を開く。
「僕の名前は望月空藍。泉綾乃さんの電話で間違いないよね?」
『……そうですけど。一体何ですか?』
「僕は君のお姉さん、朔乃と同じクラスで友……彼氏だったんだ」
『「えっ?」』
姉妹の声が重なり合う。
友達よりも彼氏と思われいた方が警戒心も薄れ、今から話す内容に信憑性を持たせやすい。これから先のことを考えても、色々とやり易いし必要なことだ。
「だから朔乃から、君の話はよく聞いていたよ」
『お姉ちゃんがわたしのことを?』
先ほどまで消え入りそうな声に、僅かにだが力が入っている。
興味を引き、会話の流れを掴む手応えを感じながら、空藍は「うん」と相槌を打つ。
「君のことが何よりも大切だっていつも言っていた」
『っ』
一呼吸置いて、ゆっくりと気遣いように続ける。
「それと朔乃から、お母さんが亡くなった後で、君の義父がどうなっていったのかも聞いた。親としてあってはいけない行動も……」
『うそ……、お姉ちゃんが、話したの……?』
電話越しでも分かる強く動揺した声。
顔も知らない少女だが、恐らく今は信じられないといった表情を浮かべていることは想像に難くない。
内容が内容なだけに、十代の少女にとって非常にデリケートな話だ。少なくとも気軽に他人に話せる内容ではないことは分かるだろう。
電話の男が、自分の姉と近しい関係だったと信じさせるには、これ以上ない証明になっているはずだ。
「だからこそ聞くよ。……君は、大丈夫? 義父に何か変なことはされてない?」
返答はすぐに返ってこなかった。
朔乃は不安と緊張を混じった表情でスマホの画面を見つめている。
息を飲む音を聞いて、数秒後に、少女の涙交じりの声が届いた。
『は、はい、わたしはまだ大丈夫です。でもっ、でも、お姉ちゃんは……!』
「今どこにいる? 外? 今は一人?」
『が、学校の先輩の家です……。 きょ、今日、お泊りに誘われて』
「分かった。それなら安心だね」
空藍の隣で朔乃は安堵したように息を吐く。
「もし良かったら、明日会えないかな?」
『えっ……? ど、どうしてですか?』
「朔乃がああなってしまって僕は後悔してるんだ。どうにか出来たんじゃないかって……!」
『…………』
「今更遅いのも、この気持ちが自分勝手な自己満足だってことも分かってる……! それでも、何でもいい。彼女が大切に想っている君の力になりたいって、そう思うんだ」
『…………』
「明日の五時に、朔乃のバイト先である喫茶店で待ってるから……。それじゃあ、お休み」
『あっ』
空藍はスマホを操作し電話を切り、フーっと肩の力を抜く。
「どう? 取り敢えずは妹さんの状況は分かったし、これで良い?」
「あ、ありがとう。と、取り敢えずは一安心ね……。ほんと、ありがとう」
感謝の言葉を口にしつつ、何とも形容しがたい表情で空藍を見る朔乃。
ちょっと引いてるように見えるのは気のせいか。
「え、何?」
「その……」
躊躇いはしたものの、結局彼女は口を開いた。
「詐欺じゃないわよね……?」
「えぇ……、どういう感想? 他に言葉はなかったの?」
「ご、ごめん。色々とあたしの想像以上だったから、ちょっと混乱してるのかも」
朔乃は胸を押さえながら深呼吸して、「ねぇ」と呟く。
「もしかして、あたしをダシに綾乃を狙ってる?」
「大丈夫? あと十回ぐらいは深呼吸しておこ?」
だいぶ混乱していている様子だった。