幽霊少女①
空藍は幽霊少女こと、泉朔乃と花瓶の置かれた机を挟んで向かい合う。
死者を悼む為に置かれた花瓶を視界に入れながら、その死者と話すことになるなんて誰が予想できようか。
傍から見れば独り言を喋る痛い奴に見えるんだよなと、現実逃避気味に思いながら空藍は口を開く。
「助けてって言ったけど、僕は何をすればいい?」
「た、助けてくれるの!?」
「このまま帰っていいなら帰るけど?」
朔乃は慌てて首を横に振る。
「たった一人の妹がいるの……。妹を助けて欲しい……」
「何か事件に巻き込まれてたりするの?」
朔乃はもう一度だけ首を横に振り、少しだけ口ごもる。
「……父親は幼い頃に病気で、お母さんも去年事故で亡くなって、アイツがいる家で妹は一人だけなの」
「アイツ?」
「……お母さんの再婚相手で、義父だった男よ」
それまで悲しげに沈んでいた瞳に、憎しみの光が宿る。
「アイツが綾乃に何かしていれば、あたしは、あたしは……!」
歯を食いしばり声を震わせる朔乃を見ながら、空藍は彼女の言葉や態度からその背景を想像してみる。
「……取り敢えずは、その妹、綾乃ちゃんの助けになればいいの?」
「お願い……! お願いしますっ!」
朔乃は深く頭を下げてお辞儀をした。
切羽詰まった想い。感謝の伝わる礼儀正しい姿を見て、蓋をしていたある疑問が湧き出てくる。
「……死者が幽霊になる原因なんて分からないけど、君のその想いが未練であることは分かる」
それを聞くべきかどうか。躊躇いはしたものの、こんな状況で今更だと空藍は言葉を続けた。
「妹に対してそれだけ強い想いを抱きながら、どうして君は自殺したの?」
「違う!!」
強く、大きな声が空藍の鼓膜を震わせる。
予想外の反応に、空藍は一瞬虚を突かれる表情となった。
「あたしは自殺なんてしていない!! あたしはころっ……っ!!」
「どういうこと? 自殺じゃなくて、まさか殺人だって言いたいの?」
「っ!」
朔乃はグッと言葉を飲み込み黙り込む。
怒りと悔しさ、そして諦めを見せるその表情に、空藍は戸惑うしかない。
「……復讐はともかく、殺人犯がいるなら野放しには出来ない。そっちの方も力になるよ」
「……別にそれはいい。あたしのことより、妹の、綾乃のことをお願い」
「いや、でも」
「そもそも相手の名前が分からないし、どうせ無駄だから……」
朔乃は怒りを引っ込め、どこか諦観したように笑う。
「名前が分からないって、それは無差別的な犯行ってこと?」
理由があれば良いという訳ではないが、私怨でもない無差別の方がより悪質で危険だ。大した理由もなく再犯される可能性もある。それに、そんな奴が学校に侵入していて、今現在も野放しにされているなど恐怖でしかない。
「それにどうせ無駄だからってどういう意味さ?」
「本当にいいの……。お願い、これ以上は答えられないから……」
何か特別な事情があるのか、朔乃は黙り込む。
これ以上は何も話す気はないという意思が感じ取れ、空藍も今の感情を呑み込み溜息を吐く。
「分かったよ。でも言える時が来たら、その時は教えて。力になるから」
「……ありがとう」
「じゃあ、妹さんの所に行こうか」
「え、もう行ってくれるの!?」
「やっぱり暗くなるから明日からの方がいい?」
夕暮れだった時間帯も、あと一時間もすれば夜が訪れる。
早ければ早いほうが良いと思うが、流石に面識のない相手が訪れるには少し遅い時間か。
「それは有り難いし勿論あたしは助かるんだけど……、あっ、ちょっと待って!」
教室から出ようとした空藍を朔乃は慌てて呼び止める。
「まだ何かある? 話は移動しながら聞こうと思うんだけど」
「あたし、この教室から外に出られないの……」
「……そっか」
言われてみれば納得で、自由に移動出来るなら、こんな場所でジッと立ち尽くす理由がない。心配に思う妹の元に行っているのが普通だ。
「君の住所を教えてよ。取り敢えず一人で行ってみて、様子を見るなり出来そうなことをしてくるから」
空藍はスマホのメモ帳を使い、朔乃から聞いた住所をメモする。マップアプリを使い本人にも間違いないかと確認を取ってから、空藍は教室の扉をくぐった。
「望月君!」
教室と廊下の間。僅か数センチしかない見えない境界線を挟んで、二人は向かい合う。
「改めて話を聞いてくれてありがとう。妹の、綾乃のことをよろしくお願いします!」
「うん。また明日ね」
当たり前のように自然と出てきた別れの挨拶。
無意識に出た言葉が故に「幽霊を相手に変な気分だ」と、空藍は照れ隠しと共に笑おうとして、止まる。
「あっ……」
朔乃の頬に伝わる一筋の涙。
彼女は呆けたようにその涙に触れてから、晴れやかな笑顔を浮かべた。
「また明日!」
『気の強い孤高といった感じの少女』
卓也はそんな風に朔乃のことを評したが、今の彼女を見てとてもそんな姿は想像できない。
幽霊であることすら忘れてしまうほどに、とても素敵に思える笑顔だった。
「……うん。じゃあ、バイバイ」
空藍は朔乃に背を向け、廊下を歩きだす。
靴を履き替え、玄関を出て自転車を取りに行く。
そして校門の所まで自転車を走らせてから、フーっと長い息を吐いてから後ろを振り返った。
「…………」
視線の先には、ダークブロンドの目立つ髪色を持つ少女が宙に浮いていた。
若干気まずそうにしているのは見間違いではないだろう。
「……どういうこと?」
「あ、あたしにも分からないわよ! 自分の意思とは関係なく、勝手に体が動き出すんだもの!」
「まあ、教室を出てもそのまま背後にいたことは気付いていたけどさぁ……」
つい先ほど見せた、あの涙の別れは何だったのかと、空藍は気の抜けた脱力感を味わう。
既に予感があり、わざわざ確認するのも面倒な気持ちだったが、空藍は幽霊少女に尋ねた。
「……これ、憑いてるよね?」
「……多分」
そう言って朔乃は苦笑いを浮かべた。