平穏
教室に入るなり空藍は真っすぐに教壇の上に向かって進んでいく。
それに気付いたクラスメイト達の視線を集めながら、ワザとらしく大きく明るい声を上げた。
「おはよう、皆。僕は元気だ! 凄く元気!」
ついでに親指を力強く立てる空藍を見て、「くはっ」と笑い声が漏れてくる。
「いきなり大声あげんなよ、ビックリするわ」
「いやぁ、心配掛けさせた分、元気なのをアピールしたくてね」
「昨日、クラスLIMEで散々スタンプ爆撃してた奴のセリフかよ」
笑みと共に空藍にツッコミを入れる男子生徒の名前は斎藤卓也。彼の言葉に周囲のクラスメイト達も釣られるようにクスクスと笑う。それから各々、空藍に挨拶を返してくれる。
「ま、本当に元気そうで良かったは。昏睡状態だって聞いた時は流石にビビったし」
「何回も言うけど本当に身体に異常はないよ。むしろ心配掛けさせて申し訳ないぐらい」
空藍が鞄を置き席に着くと、卓也の後ろから二人の少女が歩き寄ってくる。
その内の一人、優しくて柔らかな雰囲気を持ったセミロングヘアの少女――天坂灯里が不安そうな顔で空藍の右目に目を向けた。
「おはよう、空藍君。目のほうは大丈夫なの? 虹彩異色症だって、LIMEでいってたけど……」
「目のほうも含めて大丈夫だよ、灯里。所詮は目の色が変わっただけだし」
「大丈夫なら眼帯外しちゃったら望月君? そんなの付いてたら、もしかしたらって驚いちゃうよ」
二人目の少女。灯里の親友である久坂絵美がそう言うと、卓也もそれに同意するように口を開く。
「それな。つか片目だけだと遠近感覚とか狂って不便なんじゃねーの?」
「それが不思議と遠近感覚も全然狂ってないし、今のところ何の不便もしてないんだよ」
視界は狭くなっているが、半日で慣れた。
「空藍君、昔から視力いいものね」
「ふっ、2.0より下の世界を僕は知らない」
「いいなぁ~。私は今年の視力検査で0.8まで落ちちゃったんだよねぇ。望月君の視力ちょっと分けてくれない?」
「オッケー、僕の左目と交換でいい? ちょっと待って今取り出してみるから」
「グロイから止めとけよ……ってかさ!」
卓也は会話の流れを切り、ビシッと空藍の右目を指差す。
「ぶっちゃけ俺は厨二に目覚めたお前の右目を見てみたい! さぁ、その眼帯を外せ!」
「うん、私も正直見たい」
「わ、私も気になるかなぁ」
「別に厨二に目覚めたわけじゃないけど……」
ニヤニヤと期待した笑みの卓也。好奇心を隠さず素直な絵美。遠慮がちだが、しっかりとした興味を示す灯里。
会話が聞こえていた生徒も、そうでない生徒も何事かと視線を向けてくる。空藍はワザとらしく溜息を吐いてから、クラスメイトの視線を集めながら再び教壇の上に立った。
「刮目せよ……」
静かだが、通る声が教室の中に響き渡る。
空藍は眼帯に手をかけ、数秒の間を開けた。
静寂が包む空間で「ゴクリ」と卓也は口で言った。
「開眼っ!」
大きな動作で眼帯を取り外し、空藍は晴れやかに笑う。
「いや、閉じてんじゃねーかっ!!」
閉じられた右目に向かって、ここ一番のツッコミが入った。
「いや、誰も目を開けるなんて言ってないし」
「思いっきり『開眼』って言ってだろ! ふざけんな、速く見せろ!」
卓也の言葉に周囲も同調しブーイングが飛んでくる。しかし空藍は鋼のメンタルで右目を眼帯で再び隠す。
「おいいいいい!!」
「僕のこの『力』を『開放』するのは今この時じゃない。いずれふさわしい『時』が来たら、この目を『解放』すると誓おう」
「いや厨二かよ!!」
「いや、皆がここまで興味津々だと、あっさり見せるのは逆に勿体ないなって。何かもっと大きな行事の後で披露するべきかと」
「いいからそういうの! 普通に今ここで見せてくれればそれでいいから!」
「…………」
「え、無視?」
クラスメイト達の視線を跳ね返しながら空藍が席に着くと、先ほどと打って変わって卓也は気遣うような表情を浮かべている。
「悪い。もしかして見せびらかすような真似とかしたくなかったか?」
「いや別にそんなことはないけど」
「えぇ……?」
「単純に期待値が高すぎて恥ずかしかっただけだよ。たかだか目の色が変わったぐらいで皆マジマジと見てくるんだもん」
「自分から教壇の上まで行っておいて……?」
「あはは……」
ジト目の卓也。困惑し呆れる遠藤。苦笑いを浮かべる絵美。
未だに視線を向けてくるクラスメイト達にも対し、空藍は言う。
「そのうち適当に見せるよ」
*
チャイムの音が鳴り響き、灯里に遠藤が各々の席に戻っていく。それに続く卓也の背を空藍は呼び止めた。
「後で僕がいなかった間に学校で何が起こったのか教えて」
それが何を意味するかは直ぐに理解したようで、卓也は短く頷いて去っていった。