エピソード1-3 呪われたスキルを授けられた一族
「えっ……? ここにいる人達の中に、女神様に選ばれた伝説の『勇者』がいるというのか!?」
僕は周りの人達と同じように、慌てて聖堂全体をキョロキョロと見回してみる。
大聖堂の中にいる人々は、大きくざわついていた。当然だ。とうとう探していた『勇者』様が出現し。女神様に選ばれたその人物は、ここに集まっている大勢の若者達の中にいるというのだから。
女神像を見上げる若い大神官様は、感動で目から大粒の涙を流し。両手を組みながら、黄金の光を放つ女神像に無言で祈りを捧げている。
魔王領で、『魔王』の誕生が確認されて以来。
王都イルシュタインの大聖堂では、教会が毎日のように、その日に18歳の誕生日を迎えた若者達を招き。彼らが女神様から授けられたスキルを確認するという、スキル授与の儀式を開催し続けてきた。
だが、今まで『勇者』スキルを持つ者の存在は、まだ一度も確認された事が無かった。
それがとうとう、今日……。
待望していた伝説の『勇者』が誕生したというのだから。大聖堂の中にいる人達が、大騒ぎがするのは当然の事だった。
だって僕も、そしてクレア様も。その伝説の『勇者』にクレア様が選ばれる事を信じて。期待に胸を膨らませながら、ここにやって来たのだから。
けれど、残念ながらクレア様は『勇者』には選んでもらえなかった。
それどころか僕達二人に授けられたスキルは、それぞれ『黒子』と『暗黒騎士』という、全く望んでもいなかったスキルが女神様から授けられてしまった。
……でも、だとしたら。
一体、誰が『勇者』に選ばれたのだろうか?
クレア様は『勇者』ではなかった。もちろん僕でもない。仮にその勇者に選ればれた人物の正体が分かったなら、もしかしたらその勇者には『黒子』である僕の姿が見える……という事はないだろうか?
僕は期待に胸を膨らませて、周囲の人々を見回す。
「――皆様、どうか落ち着いて下さい! 女神様より伝説の『勇者』のスキルを授けられた者は、直ちにこの場で手を挙げて名乗り出て下さい!」
大聖堂の広間に、大神官様の大きな声が響き渡った。
それまでずっとざわついていた聖堂の中にいる人々が、その声を聞いて一斉に静まり返る。
広間に集まる若者達が、一斉にキョロキョロと周囲の者を見回し。女神様に選ばれた伝説の『勇者』は一体誰なのだろう? と、お互いの顔を見つめ合う。
シーーーーン。
大聖堂の中にしばらく沈黙の時間が流れた。
だが、数分が経っても。誰も自分が『勇者』に選ばれたと名乗り出るような者はいなかった。
聖堂に集まっている若者の人数は、僕とクレア様を含めて、おおよそ50人くらいはいる。
それなのに、全員がお互いの顔を見合わせるばかりで。一向に誰かが手を上げたり、大声を上げて名乗り出るような気配さえ感じられ無かった。
「……これは、どういう事なんだ?」
学校の中で損な役回りばかりを押し付けられる、不人気職の『クラス委員長』を決める選挙とは訳が違うんだぞ。
女神様によって選ばれるのは、ありとあらゆる災厄の根源である邪悪な『魔王』を倒し。この世界を平和に導いて下さる伝説の『勇者』様なんだ。
勇者に選ばれるという事は、その者にとっても。その者の一族にとっても大変な名誉であるはず。
事実、僕やクレア様は、お嬢様が伝説の『勇者』に選ばれる事を信じて。祈るような気持ちでここにやって来たのだから。
それは今日18歳の誕生日を迎えたばかりの、他の街の若者達にとっても同じはずだ。
400年に一度だけ選ばれる、魔王と戦う聖なる運命を背負った伝説の『勇者』。
そんな名誉と誇り高い、栄光の肩書きを女神様から授かった者が、この中に確実にいるのは間違いないはずなのに。
一体どうして、誰も手を挙げて。この場で自分が勇者に選ばれた事を名乗り出ないのだろう……?
「……なぜ、誰も名乗り出てくれないのですか? この中に『勇者』スキルを女神様から授かった者がいる事は間違いないのです。なぜなら女神像が、頭上から聖なる光を天に向けて発しているのですから。今日ここに集まった若者達の中に、必ず伝説の勇者に選ばれたの者がいるのは間違いないのです!」
額から冷や汗を流し。焦りの顔色を浮かべた若い大神官様が、再度大声で呼びかけてみても。
……やはり、誰も手を上げる者は現れなかった。
こんな事は、教会にとっても全くの想定外であったに違いない。400年ぶりに伝説の『勇者』が選ばれた。その者を祝福して、国を挙げて新たな勇者の誕生を祝い。魔王との戦いの旅に出る勇者を見送る。
それが教会にとっても。この国にとっても。
いや……人類全体が思い描き、想定していたはずの明るい未来の姿だったんだ。
それなのに、まさか肝心の『勇者』が名乗り出てくれないなんて。
こんな予想外の結果が起きるなんて、誰も予想さえ出来なかったに違いない。
業を煮やした大神官の指示を受けた王国の騎士達が、聖堂に集まる若者達全員の能力石を、強制的に確認しようと動き出した。
「――さあ、お前達! 持っている青い能力石を見せるんだ! こっちに集まれ!」
銀色の鎧を全身に着込んだ王国の騎士達が、荒々しい態度で聖堂にいる若者達全員に声をかけていく。
一斉に大混乱に陥る、大聖堂の広間。
その時――広間の片隅から。
一人の女性の大きな悲鳴が聞こえてきた。
「――やめて!! 嫌よッ!! 私の能力石は、誰にも見せたくないのッ!」
叫び声の主は……クレア様だった。
「しまった……!! クレア様は呪われた『暗黒騎士』のスキルを女神様から授けられてしまっている! このような公の場で、それを世間に強制的に知られてしまうような事は、絶対に避けたいに違いない!」
まだショックで、心の整理もついていないような状況で。無理矢理、自分に与えられたスキルが、『暗黒騎士』である事を騎士達に確認されて、街の人達に広められてしまうような状況を、プライドの高いクレア様が受け入れられるはずがないんだ。
クレア様は、自分に与えられたスキルの事を隠し通そうとするに違いない。
だが……そんなクレア様の事情を知らない王国の騎士達は、ますます不審な眼差しでクレア様の近くに詰め寄り。
そして集団で囲むようにして、クレア様を追い詰めていく。
「おい! この女がもしかしたら、女神様に選ばれた伝説の『勇者』様なんじゃないのか?」
「……いや、それなら何でこんなにも自分のスキルが刻まれた能力石を隠そうとするんだ?」
「そんなのは知らねーよ! とにかく他の候補者はもう全てチェック済みなんだ。俺達は広間に残る全ての若者のスキルを確認した。後は、この女が最後なんだ。間違いなく、この女が『勇者』スキルを女神様から授けられた選ばれし者に違いないんだ!」
ジリジリと、カエルを狙う蛇の群れのように。クレア様に詰め寄っていく王国の騎士達。
「いゃあああぁぁーーっ!! お願いだから、こっちに来ないで! 私は、本当に『勇者』ではないのよッ!」
「なら、お前の能力石を見せるんだ! もう、お前しかこの場に残された候補者はいないんだぞ! 他の者のスキルは全員チェック済みなんだからな!」
追い詰められたクレア様は、悲鳴を上げながら慌てて駆け出し。外に繋がる扉を押し開けて、大聖堂から逃げ出していく。
「――待てッ、その女を決して逃すなッ!」
「急いで捕まえるのです! 伝説の勇者様を、決して外に逃してはいけません!!」
大神官様からの指示を受け。100人近い王国騎士が一斉に聖堂から飛び出したクレア様の後を追いかけていく。
脱兎のごとく、聖堂の広間から飛び出したクレア様は、大急ぎで街の大通りを駆けて外に走り去ってしまった。
ザワザワ、ザワザワ。
「おい、あの女は確か……レイモンド家令嬢のクレア様じゃないのか? やはり、レイモンド家の一人娘が、今回も『勇者』として選ばれたという事なのか?」
「いや。でも……おかしくないか? じゃあ何で、外に逃げだすんだよ? レイモンド家は今回の勇者認定の儀式に一族の願いをかけていたはずだ。再びレイモンド家から『勇者』が誕生したのなら、それは喜ぶべき事なんじゃないのか?」
「知らねぇよ。でも、他に考えられる候補者はいないだろう? かつての勢いは無いといっても、400年前に伝説の『勇者』を輩出した事のある名門の貴族なんだ。今回もレイモンド家から勇者が選ばれても、全然おかしくはないだろうよ」
広間に集まる人々は、口々にレイモンド家令嬢のクレア様が勇者に選ばれたに違いないと噂する。
人間の体をすり抜ける『黒子』となった僕の耳には。クレア様の後を慌てて追いかける途中で、様々な人々の声が聞こえてきた。
中には、レイモンド家は没落した貴族などと、悪し様にクレア様の事を罵るような輩もいたが。今はそんなくだらない奴らの言葉に構っている余裕は無い。
僕は急いで、クレア様の後を追いかけないと!
そしてクレア様の孤独な心を、誰よりも側にいて、救ってあげないといけないんだ。
クレア様が飛び出した大聖堂の扉は、まだ開いていたけど。僕はショートカットをする為に、聖堂の横にある白い壁に向かって突き進んでいく。
そして、盛大に壁に衝突をして。そのあまりの痛みに、悶絶して倒れ込んでしまう。
「……クソッ! 何だよ、コレ! 人間の体はすり抜けるくせに、建物の壁はすり抜けられない仕様なんて、そんなのありかよ!?」
打ちつけた頭を押さえつつ。僕はすぐに起き上がる。ここで文句を言っても、始まらない。
黒子のスキルの謎仕様は、これから少しずつ解明していくとして。今はまず、クレア様の後を追いかけないと。
慌てて聖堂の外に飛び出した僕は、街の大通りを全速力で走り。レイモンド家の屋敷がある方向へと向かった。
おそらくクレア様が向かう場所は、そこしかないと思えたからだ。
今や街のどこにも、クレア様が逃げ込めるような場所はない。だとしたら、きっと屋敷にある自分の部屋に戻るしか、クレア様にとって心の安らげる場所はないはずだ。
大通りを全速力で走った僕は、やっとの事でクレア様に追いつく事が出来た。
激しく動揺して息を切らしているクレア様は、レイモンド家の屋敷の前で一人で立ち尽くしていた。
レイモンド家の屋敷の正門には、クレア様の帰りを待つ。クレア様のお母様であり、現レイモンド家当主のクラリス様が娘の帰りをずっと待ち侘びていた。
「おお、クレア……! 大聖堂でのスキル授与の儀式はどうだったのですか? 女神様に『勇者』のスキルを与えて貰う事は出来たのですか?」
「クラリスお母様……。大変、申し訳ありません。クレアは伝説の『勇者』には選ばれませんでした。本当に申し訳ございません……」
クレア様のからの返事を聞き、一瞬だけ悲しそうな表情をするクラリス様。
無理もない。レイモンド家にとって、今回の『勇者』スキル授与の儀式は一族にとっての悲願だった。
一人娘のクレア様が再び勇者様に選ばれる事を、レイモンド家で暮らす全ての人々が期待していたのだから。
クラリス様は、その場で一度だけ深呼吸をすると。
涙で顔を濡らしている愛娘を、そっと自分の胸の中に抱き寄せた。
「……分かりました。勇者のスキルは女神様がお選びになるもの。今回はレイモンド家からは選ばれなかった。それは仕方の無い事です。決してクレアが悪いのではありませんよ」
泣き崩れるクレア様の頭を、優しく撫で続けるクラリス様。
母親の優しさと温かさに触れて、クレア様はより一層、目から悲しみの涙を溢れさせていた。
おそらくクレア様自身が、何としてもお母様であるクラリス様の期待に応えたかったに違いない。
子供の頃からそれをずっと側から見ていた僕には、痛いほど今のクレア様の心の痛みと深い悲しみが理解出来た。
「……それで、クレア? 女神様からあなたには、一体どんなスキルが授けられたのですか?」
「そ、それは……」
聞かれたくなかった事を、母親から尋ねられ。
途端にプルプルと全身を震えさせるクレア様。
一族の中から、不名誉な『暗黒騎士』のスキルを持つ者が出現した事を、正直にお母様に告げる事が出来ず……。
クレア様は全身を震わせて、心の中で激しく葛藤をしているようだった。
そんな時に、今度は大通りの向こう側から。
数十人を超える銀色の騎士達が、レイモンド家の正門に向けて押し寄せてくる。
「――いたぞッ! あそこだ!」
「レイモンド家の娘がいるぞ! 勇者スキルの刻まれた青い能力石を直接確認するんだ!」
後方から追いかけてくる銀色の騎士達の姿を見て。
激しく動揺したクレア様は、慌てて屋敷の中へと逃げ込もうとする。
「クレア……? これは一体、どういう事なのですか!?」
王宮の騎士達に追われている娘の状況が分からずに、困惑してしまうクラリス様。
「お母様、本当にごめんなさい! クレアは、クレアは……。名門レイモンド家に生まれてきてはいけない『呪われた運命』を背負った、悪しき子供だったのです!」