エピソード1 伝説のスキル『黒子』
「――さあ、皆様。今から女神様に心からの祈りを捧げるのです。今日、この大聖堂に集う若者達の中に、運命に導かれし伝説の『勇者』スキルを持つ者が出現する事を、私は心の底から願っています」
金色の髪を後ろに束ねた、まだ歳の若い女性の大神官様が高らかにそう告げる。
その途端に、それまで静寂に包まれていた大聖堂の中に、大きな歓声が沸き起こった。
「クレア様、いよいよですね……!」
「ええ、アスティア。今までずっと私の側に仕えてきてくれて本当にありがとう。私が伝説の『勇者』に選ばれるように、貴方もちゃんと祈っていてね!」
「ハイ。クレア様は必ず勇者に選ばれると僕は信じています。だってその為に、クレア様はこれまで血の滲むような鍛錬と努力をしてこられたのですから……」
僕とクレアお嬢様は、お互いの顔を近くから見つめ合い。両手で固い信頼の握手を交わしながら、コクリと頷き微笑する。
そう……この運命の日が訪れるのを、クレア様と僕は子供の頃からずっと待ち詫びてきたんだ。
王都イルシュタインの街では、その日――18歳の誕生日を迎えたばかりの若者達が、一斉に大聖堂の広間に集められていた。
この世界では18歳の誕生日を迎えた若者は、必ず女神様から『特殊なスキル』が授けられる事になっている。
そして400年に一度だけ――必ず伝説の『勇者』スキルを持つ者が、出現すると言われていた。
今日、レイモンド家次期当主であるクレア様は、きっとこの大聖堂の中で。晴れて400年に一人だけ誕生すると言われている、伝説の『勇者』に選ばれるだろう。
だってクレア様は、この日の為に……。物凄い努力を小さい頃からずっと、積み重ねてきたのだから。それを一番近くから見てきた僕は、心からそう確信をしているんだ。
既に今年、魔王領に存在する魔王の住まう居城に。伝説の勇者と対となる、新たな魔王の誕生を知らせる『暗黒の炎』が灯った事が確認されていた。
だから僕達の住むこの人間領においても、必ず『勇者』スキルを持つ、選ばれし者が出現するはずだった。
大聖堂の広間に整列する若者達が、順番に列を作って巨大な女神像の前へと進んで行く。
みんなそれぞれに不安と希望を胸に膨らませ、緊張した面持ちを浮かべているのが遠目でも分かる。
もちろん、僕だって心の底からドキドキしているさ。
一体僕には、どんなスキルが授けられるのだろうか?
せめて勇者となる、クレアお嬢様のお役に立てるスキルが授けられるといいのだけど……。そうすれば、これからも僕はクレア様のお側にいる事が出来るかもしれないのだから。
僕の名前は――アスティア。
クレアお嬢様と同じく。今日、誕生日を迎えたばかりの18歳の若者だ。
孤児院出身である僕は、小さい頃からこの街に古くから存在する由緒正しき貴族の名門――レイモンド家に従者としてお仕えしてきた。
レイモンド家は、400年前に『伝説の勇者』を輩出した事がある、由緒正しき貴族の名門の一族だ。
でも……それから400年の歳月が経過して。今は少しだけ、その勢いは落ちてしまっている。けれどその名声だけは今でも健在な、立派な名門の家系である事だけは間違いなかった。
聖なる女神像の前で祈りを捧げて、女神様にスキルを授けて貰う為の長い行列に並ぶ僕達の前に。
突然、燃えるように鮮やかな赤い髪色を持つ。一人の若い女性が前を通りかかった。
赤い髪の女性は、手に持つ黒い扇子を仰ぎながら。後ろに沢山の従者達を引き連れ。目の前にいるクレアお嬢様に対して、高圧的な態度で突然話しかけてくる。
「お〜っほっほっほ。あらぁ、やだぁ〜! こんな所に古臭いカビの匂いがする、没落貴族の一人娘が来ているじゃないの〜。ハァ……あまりの辛気臭さで、妾の高貴な鼻がもげ落ちてしまいそうよ。お〜っほっほっほ!」
クレア様に対して、高圧的な言葉をかけてきた赤い髪の女性の事を……僕はよく知っていた。
彼女はこの街で一番勢いのある、商人出身の大貴族。リッチモンド家の一人娘である大令嬢カティナ様だ。
カティナ様は王都で現在、一番力を持つ大貴族の一人娘でもあるにも関わらず。その性格があまりにも酷過ぎて、どこの貴族からも縁談の話がかけられない事でも有名な『稀代の悪女』として、街で噂されている人物だ。
「……カティナ様、ご機嫌麗しゅうございます。こうして直接お会いするのは、随分お久しぶりですね?」
「あらやだぁ〜。それは当然でしょう? 没落寸前の貧乏貴族の娘が、高貴な身分を持つ妾と直接会える機会など、ある訳が無いじゃないの。そもそも貴女はいつも家に篭ってばかりで、社交会にだって顔を出さないじゃない? もしかしたら家が貧乏で、社交界に着てくるドレスを買って貰えないのかしらぁ? お〜っほっほっほ!」
黒い扇子をパタパタとあおぎながら、大令嬢カティナ様はその場で大笑いをする。
流石は、噂通り最悪な性格をしているな……と、僕は思わず舌打ちをしそうになった。
カティナ様は周囲の好奇の視線など、全く気にする事なく。クレア様に対して、立て続けに侮辱するような言葉を浴びせかけてくる。
「でも、なるほどねぇ? 貴女のような没落貴族の娘は、伝説の『勇者』スキルをもう一度手に入れる事でしか、一族の名誉を回復させられるチャンスが無いものねぇ? 期待に胸を膨らませて、ここにやって来た気持ちはよ〜く分かるわぁ。本当にレイモンド家って哀れで惨めな、古臭〜いカビの生えた一族よねぇ?」
「……何とでも仰って下さい。女神様は必ずや、私達の品行方正な行いを見て下さっています。私は今日、必ずや『勇者』に選ばれると確信をしておりますので」
「へえ〜? そんなに大見栄を張っちゃって、いいのぉ? もしも後で、みすぼらしい三流のスキルが与えられて。大恥をかくのは貴女自身なのだから、妄言はそれくらいでやめておきなさいな。お〜っほっほっほ!」
執拗にクレアお嬢様を、上から目線で罵り続けてくるカティナ様。
性格が悪く、普段から下劣な言葉使いが多い下品なお方だとは聞いていたけれど……。まさかこれほどまで酷い性格の女性だとは思わなかった。
僕はクレア様の前に一歩進み出て。お嬢様をお守りする為に、カティナ様とクレア様の間に割って入る。
例え相手が現在、王都で最も権勢を誇るリッチモンド家令嬢のカティナ様であっても。これ以上、クレア様に対する侮辱的な発言を見逃す訳にはいかない。
僕はクレア様を身をお守りする従者だ。名門レイモンド家の次期当主に、揉め事を起こさせる訳にはいかない。躾の悪い吠え犬を遠ざけるのは、従者であるこの僕の役目なのだから。
僕はクレアお嬢様の前に立ち。正面にいる、大令嬢カティナ様を睨みつける。
そして彼女と対峙するように、正面から向き合った。
すると……なぜかカティナ様は僕と目線が合った瞬間に、慌てて視線を下げると。顔を真っ赤にしながら、僕から顔を背けてしまう。
――ん? 一体、どうしたんだろう?
さっきまで、まるで野犬のように。クレア様に対して、ずっと声高に下劣な言葉を浴びせ続けてきたというのに。
カティナ様は今ではすっかり、子犬のように全身をブルブルと震わせ。顔を真っ赤にしながら、大人しくなってしまっていた。
僕はカティナ様とは、一度も会った事が無いし。今までにも全く面識は無かったはずだけど。これは一体、どういう事なのだろう?
さっきまでの高圧的な態度が嘘のように、急にしおらしくなったカティナ様。彼女は後ろに付き従う従者達に声をかけると、慌てて僕達の前から遠ざかろうとする。
「……ふ、ふん! さぁ、もう行くわよ、お前達! カビ臭い没落貴族の娘なんかと話をしていたら、妾の高貴な体に、貧乏人の臭いが染み付いてしまうじゃない!」
再び黒い扇子をあおぎながら、大勢のお供の者を引き連れ。カティナ様は遠くに歩き去ってしまった。
結局、あの人は一体何がしたかったのかな?
でも、カティナ様もこの大聖堂に来ていたという事は……。もしかしたら彼女も今日、18歳の誕生日を迎えて。女神様にスキルを授けて貰う為に、ここに来ていたという事なのだろうか?
その場で『うーん』と、深く考え込んでいた僕の手を。すっかり機嫌を損ねてしまったクレアお嬢様が、強引に前へと引っ張っていく。
「――アスティア、もう行きましょう! 私達には、やらないといけない大切な事があるんですからね!」
「は……ハイ! 分かりました。クレアお嬢様!」
クレア様にグイグイと手を引かれて。僕達は高さ10メートルはある、巨大な女神像の真下に辿り着いた。
この世界では、18歳の誕生日を迎えた若者は必ず女神様から、特殊な『スキル』を授けられる。
それは例えば『騎士』であったり。『弓使い』であったり。与えられるスキルの種類は人によって様々だ。中には『鍛冶屋』や『裁縫師』のようなスキルを得て街の発展に尽力する者もいる。
でも、クレア様が望むスキルはそんな平凡なスキルなんかじゃない。もっと大変な名誉と責任が伴うものだ。
400年前に、かつてのレイモンド家の当主が女神様から授けられたという伝説の『勇者』スキル。
それをもう一度、クレアお嬢様が手に入れて。世界を救う為に、400年振りに蘇った魔王と戦うという、最大の栄誉と誇りをレイモンド家に取り戻すんだ。
僕はお嬢様と一緒に、巨大な女神像の前で目を閉じて。両手を重ねながら深い祈りを捧げた。
生まれた時に、必ず教会から授けられる青い能力石をそれぞれの手の中に握りしめ。
僕とクレアお嬢様は、二人で一緒に目を閉じて。静かに聖なる女神像に向かって、深い祈りを捧げた。
「――聖なる女神像よ。今日、18歳の誕生日を迎えた私達に、どうか聖なる『スキル』をお授け下さい……」
僕とお嬢様の手の中にある、青い能力石が微かな光を放つ。その聖なる光こそ、特殊な『スキル』が僕達の体に授けられた証明だった。
クレアお嬢様が、震える手でそっと。
自身の手の中で光る青い能力石を握りしめた。
そして、天にも祈るような眼差しで。
ゆっくりと自分の青い誕生石の中に刻まれた、小さな文字を。両目をゆっくりと開いて確認していく。
すると――。
クレア様の顔の血の気が、一瞬で引いたかのように。みるみると青ざめていくのが分かった。
「――そ、そんなッ!? 嘘よッ! 一体どうして!? なぜ、こんな事になるのよッ!?」
突然、クレア様が激昂するように。その場で大声を上げた。
「……ど、どうされたのですか、クレア様?」
クレア様は、まるで毒を飲み込んでしまったおとぎ話の中のお姫様のように。ブルブルと全身を震わしながら、痙攣を起こしているかのようだった。
そしてそのまま、放心状態になったかのように。
両目を見開きながら、口を閉じて押し黙ってしまう。
まさか……!? 念願の『勇者』スキルを、クレア様は授けて貰えなかったのだろうか?
いや、例えそうだとしても……。
ここまで、体を震わせるのはおかしい。
僕だって心の底からクレア様が『勇者』に選ばれて欲しいと願っていたさ。でも……もしかしたら。そうじゃない可能性が起こる事だって当然、覚悟していたつもりだ。
震えるクレア様の手に握られている青い能力石。
僕はその中に記されている文字を、そっとお嬢様の近くにまで寄って。両目を細めながら、その中身を確認してみる事にした。
そして僕は――見てしまう。
クレア様の青い能力色の中に刻まれた、恐ろしい『スキル』の名前を……。
お嬢様の誕生石の中に刻まれていた文字は、
――『暗黒騎士』だった。
そ、そんな……!? どうして、クレアお嬢様が『暗黒騎士』なんかに選ばれてしまうんだ!?
暗黒騎士と呼ばれるスキルは、数あるスキルの中でも、レア中のレアだ。選ばれし聖なる騎士である『聖騎士』よりも、その数は圧倒的に少ない。
……いや、ある意味では『勇者』スキルと同等なくらいに、数少ないレアスキルの一つだ。
でもそれは、伝説の『勇者』とは全くその性質も評判も異なっていた。
人間の身でありながら、魔族のみが扱う事の出来るという『暗黒魔法』を使用出来る呪われた騎士。
その邪悪過ぎる特性から、暗黒騎士に選ばれた者は心が醜くなり。人類に害を及ぼす悪しき者になると世間からは噂され恐れられていた。
それがまさか、清廉潔白で品行方正のお手本のような生き方をしてきたクレア様に授けられてしまうなんて!
「何でなの!? どうして私が暗黒騎士なんかに選ばれてしまうのよッ!?」
「クレア様、どうかお気を確かに持って下さい!」
目から大粒の涙を流すクレアお嬢様の前に立ち。僕は必死にお嬢様を慰めようとした。
過去に伝説の『勇者』を輩出した事がある、貴族の名門レイモンド家。でも今は、その勢いも落ち。強引で汚い商売方法で、のし上がってきたリッチモンド家に勢力が脅かされつつある事は僕も知っている。
だからこそ、一族から再び『勇者』が出現する事が出来れば。きっとレイモンド家を救う事が出来る。
クレア様は、そう強く信じて。幼き頃からずっとこの日の為に、貴族としての華やかな社交界にも一切出席する事なく。剣の修行や鍛錬を続けてきたというのに……。
それなのに、よりにもよって。
邪悪な暗黒騎士に選ばれてしまうなんて、そんな運命はあんまりじゃないか!
「うぅ……。うぅ……」
クレア様は、一向に泣き止む気配が無かった。
当然だ。こんな結果になった事を、現当主である母親のクラリス様に報告など出来るはずもない。
それどころか、一族から呪われた『暗黒騎士』が出現してしまった事が世間に知られたら。レイモンド家はますます、世間から蔑まれてしまうに違いないだろう。
でも……例えクレア様の身に。この先、どんなに辛い苦難の未来が待ち受けていたとしても。
僕は必ずクレア様の事を守り通してみせる!
その為には、僕自身が強い力を得る必要があるだろう。
だから僕は、自分自身に与えられたスキルを急いで確認してみる事にした。
僕は自分の手の中にある、青い能力石に刻まれた文字をそっと確認してみる。
そこには、小さな文字でこう書かれていた。
――『伝説の黒子』
……えっ?
「『黒子』って、一体何なんだ?」
おまけに『伝説』とかいう、謎の装飾文字まで付いているけど。そんな名前のスキルは、僕は今まで一度も聞いた事がないぞ。
戸惑いを隠せないでいる僕に。
すぐ目の前にいる、クレア様が小声で話しかけてきた。
「……ねえ、アスティア? どこにいるの?」
えっ……?
僕は慌ててクレアお嬢様に返事をする。
「クレア様、僕はお嬢様のすぐお側にいますよ!」
「ねぇ、アスティア!? 悪い冗談なら本当にやめて! 一体、どこにいるのよ? どうして私の側から離れてしまったの? もしかして私が暗黒騎士だったから。私の運命に失望して、離れていってしまったというの?」
キョロキョロと周囲を何度も見回すクレア様。
その両目からは、大粒の涙が滝のように床に滴り落ちていた。
「クレア様、僕ならここにいます!! 僕の事が見えないのですか!?」
僕は慌てて、クレア様の肩に手を伸ばしてみた。
だけど……僕の伸ばした手は、『スゥ――』っと、クレア様の体を貫通して。クレア様の背中を通り越し、そのまま背後にまですり抜けてしまう。
「えっ……?」
そんな、バカな? これは一体どういう事なんだ……。
――この時、僕は初めて気付いてしまった。
伝説の黒子スキルを得た僕の体は、クレア様から『見えなく』なっている事に。
いや、それだけじゃない。姿だけでなく、僕の声さえもクレア様の耳には届いていなかった。
そう――。
この時、僕はようやく自身の身に起きた異変に気付く事が出来た。
そして今後、僕の人生に待ち受けているであろう、最悪な『未来の運命』さえも理解した。
伝説の『黒子』のスキルを得た僕は、この世界から『僕』という存在そのものが完全に抹消されてしまい。
誰にも気付かれる事が無い存在に、変化をしてしまったのだという事に……。
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