3 ならば、わたしが姉となりましょう!
父の実家の領地で、ストレスから解放され、穏やかな夏を過ごす。
世間的には夏休みとはいえ、まだ学齢ではないわたしには関係ないのだが、立派な図書室や古いガラクタを置いた物置、食糧庫の地下室など探検に忙しい。
食事の際のギスギスした空気から解放されて、本も読み放題。冒険し放題。好き放題。
そんな楽しい日々を過ごしていたら、屋根裏部屋で、古い箱、いかにもゲームに出てくる宝箱のような箱を発見した。
中身は……古い宝石箱で開けてみると、宝の地図らしきものと羊皮紙に掛かれた魔法陣?
ほほお、これは面白い。後で図書館の地図帳と見比べるためにも箱に入れたまま、部屋へと持ち帰ろう。
明日は、これを使って宝探しをしようかな。
珍しいものを見つけたら、母に自慢しよう。
父にも……。
こっちの魔法陣は、魔力を通すと地図に正しい道筋が浮かびあがるとか、かな。
それともどこかにある危ない罠を、特別な魔法で切り抜けるためのものかな。
絵本の三枚のお札みたいに怖い魔物から逃れたり、イケメン考古学者の映画のように知恵で迷宮を突破するためのものかも知れない。
さすがに「ヒラケ・ゴマ」の呪文は、今時ないよね。
はぁー、毎日楽しくも穏やかに過ごしてはいるけれども、それはいつまでのことなんだろうか……。
姉が落ち着くのっていつ?
わたしたちの『夏休み』の終わりが来るのは、一体いつになるのだろうか。
いいなぁ、ズルいなぁ。
アンジェラはお貴族様で、使用人からも大切にされてて。
わたしだって、父に会いたいのに。
父は確かに姉の家族ではあるけれど、わたしの父親でもあるんだよ。
ひとりじめは、ズルいよ……。
◇◇◇◇
「やぁ、こんにちわ。お姉さんが僕を呼んでくれたの?」
眩い程に輝く、サラサラのゴールデンイエローの髪に、ボルドーような深みのある赤い大きな瞳の小さな男の子が、突然、部屋の中へと現れた。
「えっ? 誰? き、君は一体どこから来たのかな?」
うわー、恥ずかしい。
ボーとして、取り留めのないことを考えてるうちに、涙が零れて、手元の魔法陣の紙が湿っていたことにも気づいてしまった。
いつのまにか、考えが漏れて、声にまで出してたのかな……。
この子に泣き顔がバレていないかな……。
本当に、恥ずかしい。
「ズルいって、お姉さんの声が聞こえたんだ。だってお姉さん『ズルいが口癖の欲しがり妹』でしょう?」
「はぁ?!」
真っ白なセーラー服風の襟のついたシャツに、紺色のヒザ下のハーフパンツ姿のお坊ちゃまが、キラキラとした憧れの眼差しのようなものを、こちらに向けてきている。
欲しがり妹は、ニチアサヒロインでも、ポケットに入る系モンスターでも無いんだが……。
何なの? この辺りのキッズの間では、今そういうのが流行ってんの?
彼の話によると、姉は女神に加護を受けている特別な存在。
未来の聖女様なんだと。
その反動からか、周りの者は、雑念や煩悩に溺れやすく、母やわたしは『ざまぁ』されてしまうらしい。
……へー、ふーん、そう。
僕、それは、一体、何のお話なんだい?
「その女神は、とっても視野が狭くてね。聖女を幸せにするためならば、周りのことは気にせずに、周囲の足を引っ張って、蹴落としてでも、幸せにするタイプの迷惑な女神なんだよ」
「それ、どこの邪神だよっ!! そんなん全然『聖』と言えないだろうがっ!!」
この国には、マンガは無いから、児童書の話かな?
子供向けとは言え、ずいぶんと妙な物語があるんだね。
反体制的な社会風刺みたいなもの、かな……。
古い信仰や、かつての権力者を打倒したことを、綺麗に言い換えた、歴史をもとにした何かの逸話が由来なのかもしれない。
拙い幼児の語る、ヘンテコ超解釈に、衝撃のあまり、思わず下品な言葉使いをしてしまったではないか。
「僕はお姉さんを応援したい!! 頑張ってっ!! 頑張ってよ! 悪い女神になんか負けないで。立派な『欲しがり妹』になるって夢を叶えてよっ!」
いたいけな男児の全力の応援…………。
やめてっー!!
「そんな夢、語った覚え、一度もないよっ! むしろ、なってたまるもんかぁー!! わたしは返り討ちにあって『ざまぁ』なんてされたく無いんだからね!」
「『ざまぁ』されないのが、お姉さんの望みなの? 他には? お姉さんには他に、どんな望みがあるの?」
――――したいことや欲しいものはないの?
お金は? お金、たぁくさん欲しくない?
あー、ここって、貨幣経済が根付いてから、まだ千年もたってない未開の地域なのかあ……。
あれ、もしかして、まだ物々交換の時代かな?
待って、そもそもお金って知ってる?
貝? 石? 首輪? 鼻飾り?
えっ金貨? 金貨を使っているの?
それは最高だねっ。
そんな古き良きものがまだ残されているなんて、とっても貴重な時代なんだねっ!!
僕、お金ってだーい好き!
キラキラしててとてもキレイだし、みんなのギラギラとした欲望がいーっぱい詰まっているからね。
お姉さんにも、たーくさんあげちゃうよ!
だから僕と契約して、僕のお姉さんになってよっ!!――――
「ズルい大人の女の人って……、素敵だよね。憧れちゃうなぁ、お姉さん、そういう『僕のお姉さん』になってよ!!」
夢見がちな彼の言うことは、あまりにも取り留めがなくて、よく分からなかったが、きっと寂しい生活を送って来たんだろうな。
あぁー、可哀想に……。
この子、これまで、裕福には過ごしてきたけど、きっと家族には、あまり恵まれてはなかったんだろうね…………。
充分な愛情を与えられず、何でもお金で解決している親の姿ばかりを、見てきたんだろうなぁ。
お金を払わなければ、大事にされなくて、遊んでも貰えないと思っているんだよ……。
こんな小さな子が、年上のわたしに向かって、自分のしたいじゃなくて、わたしのしたいを伺って、遊ぼうと誘ってくるなんて……、なんか悲しいなぁ。
まだ十歳にもなってなさそうなのに、なんて胸に来る優しさなんだろう……。
我儘を言って甘えられるような、自分を優先させて貰う体験が、少なかったんだろうね。
こんな幼いうちから、周りの顔を伺って、周囲を優先することばかり、学ばされてきてしまったんだろう。
お目眼をキラキラさせて、下から覗き込むようにせがまれると……、これ以上、この子に悲しい思いはさせたくないっ!!
「分かったわ、わたし、あなたの…………、立派なお姉さんになるから!!」
「本当!! やったー!! 嬉しいなぁ、僕にも『お姉さん』が出来るなんて!! あ、これからはお姉さんのことはなんて呼んだらいい?」
「わたしは、エリカよ」
「エリカお姉さん、僕はマモン。マー君って呼んでね。よろしくね」
「これで僕とお姉さんは一緒にいれるよ」と紙を差し出してきたので、言われた通りに、記名した。
契約書って?こういう遊び?
最近の子供って、変わったことするんだな……。
いや、もしかして、これも毒親の影響?
いつもいつも約束破られるから、口約束では信用出来なくて、こんなふうにしないと、不安なのかもしれない。
ともあれ、謎のお金持ち風な美少年に唆された、わたしは『成り上がり』を目指すことにした。
だって、この子、ちょっと不思議ちゃんだけど、わたしを応援してくれる、とっても優しい子なんだもの……。
これまで『お姉さん』が欲しかったわたしは、異母姉の存在からも、決意した。
いつまででも、求める側にいては、駄目なのだ。
今度はわたしが与える側に、回る番なのだと。
わたしが、わたしこそが、『お姉さん』になるんだよっ!!
ざまぁされるような『欲しがり妹』には、なりません。
わたしは、この子に恥じないような、立派な『お姉さん』になると決めたんだ!!
こうしてわたしは、マー君という可愛い弟を、獲得したのだった。
◇◇◇◇
弟(仮)になったマー君とは、わたしの存在を耳にして、遊びに来た近所の上流階級のお子様なのだと思っていた。
現状を打破したいという願いからの、英雄譚への羨望。
自己投影混じりの、親近感わたしへの親近感。
強い家族への憧れ。
複雑な家庭環境を抱える彼の中で、それらが、ごっちゃになった結果、わたしに『立派なお姉さんになって』と望んだのだと、解釈した。
幼い子供に、現実と物語とを混同するなという、マジレスなんて、出来るわけがない。
「サンタさんはいるの?」とか聞かれたら、「いるよ」とニッコリ笑顔で、答えてあげるものでしょう。
難しいことは置いといて、想像力の翼を広げる手助けをして、好奇心を満たしてあげることこそが、情操教育的に重要でしょう。
だから、終わりの見えない夏休みの間を、一緒に過ごせる小さなお友達を得たぐらいのつもりでいたら、なんと、これから本当に義弟になるのだという。
「え? なんで? どうして?」
「お姉さん、僕のお姉さんになってくれるって約束してくれたよね? やっぱりだめ、かな……?」
「そんなことないよっ! お姉さん、ちょっと驚いちゃっただけだから!!」
「えへへ、そっかあ、なら、よかった……。実は僕ね、悪魔なんだよ!すごいでしょう!!すごいでしょう!!お姉さん、僕みたいな子は嫌い?」
「嫌いじゃないよ!! お姉さんは、マー君のこと大好きだから!!」
そんなふうにお目眼をウルウルされたら……、なんというかわいさ、この小悪魔ちゃんめっ。
一緒におやつを食べにテラスに向かうと、母や別邸の通いの使用人も彼を普通に受け入れてた。
詳しい説明は何もなかったが、急遽引き取られることになったのだろう。
既に異母姉がいるのだから、更に弟が増えたっておかしくはない。
色味は違うが、金色の髪は、父と一緒。
母の態度からも、更なる異母弟の登場という、厄介な案件でもなさそうなので、今度は義理の弟ということになるのだろう。
全く、もう……。
おそらく今回の事情は、子供には話せないような複雑なものなんだろう。
貴族社会というのは、本当に厄介だな。やんなっちゃう。
こんな小さな子が、自分の事を、悪魔と自称するなんて!!
本来なら「そんな言葉使ってはいけませんよっ!」と叱るのが筋なんだろうけど……。
この子はまだ、悪魔という言葉の持つネガティブな意味だって、理解していない年頃かもしれない。
仮に、身内に度々、そう罵られてきたのだとしても、この国の建国神話に出てくる、聖龍と邪龍のように、恐ろしくも偉大なもの、ぐらいの理解しかできなさそうな年頃だもんな……。
そんなのマー君が、可哀想過ぎるよ……。
一体どんな境遇だったのか、すっごく気になるけれど、本人もまだあまり分かっていないのならば、これ以上は、掘り下げないであげよう。
夢見がちで幼気な彼の無知に付けこむようで、申し訳ないけど、わたしがこの子の一番身近な味方に、なってあげよう。
つまり立派な『お姉さん』になれば、いいだけの話っ!
残酷な真実なんて今はいらない。難しい話をして、傷をえぐるより、優しく楽しく遊んであげるほうが、お姉さんらしいもんね!!
涙でうまいこと、召喚陣にエネルギーを込めて、『ズルい妹』がズルいと唱えたので、ちゃんと来てくれました。
なんの贄(対価)も持たないエリカちゃんだけど、契約書にサインまでしたので、めでたく、マー君のお姉さんになれました!やったね。