バカめ、残像だ!~誰もが知るあのチートスキルでセクハラ職場にざまぁする受付嬢の話~
「あ、あれ?」
冒険者ギルドの受付業務に嫌気がさして、ロビーのゴミ箱を華麗に蹴り飛ばした……はずだった。
なのに私の脚は空を切った。
確かに長い筒状のゴミ箱を蹴り上げたのに。
ゴミ箱はそこにあるのに、私の脚は当たることなく通過したのだ。
「バカめ、残像だ!」
ふいに後ろから声が聞こえた。
振り返ると、私の後ろにさっきのゴミ箱がある。
筒状のゴミ箱は、金属特有の鈍い光を放っていた。
(えっ、えぇぇーーーー!)
蹴り上げたはずのゴミ箱は、なんと私の後ろにあったのだ。
慌てて蹴った場所へ視線をやると、あったはずのゴミ箱がなくなっていた。
「ど、どういうことなの?」
ぼう然としてつぶやくと、また声が聞こえる。
「物に当たるなや」
私の後ろにあった、ゴミ箱の方向から聞こえた。
でもいまここに、私以外は誰もいない。
(……ゴ、ゴミ箱から聞こえた?)
「えっと、誰かいるの?」
「いやお前、気づいとるやろ。ゴミ箱の声やって」
「……しゃべってるの? ……ゴミ箱が?」
「おう、しゃべるゴミ箱やな」
ゴミ箱に口などないが、声が聞こえてくる。
私は疲れているのかと目頭を押さえた。
「おかしいな、まだ声が聞こえる。さっきは蹴ったはずなのに後ろにあったし」
「お前な。誰もおらんからって、ああやって物に当たるんは、やめた方がええで」
間違いなくゴミ箱から聞こえる。
異常事態だけど、恐怖より興味の方が上回った。
「えっとゴミ箱さん? 私、あなたを蹴ったよね?」
「ゴミ箱さんって! ゴミ箱にさん付けとか自分おもろ! ああ、確かにワイを蹴りよったな。まあ避けたけど」
「避けたの? どうやって?」
「女神にもろた伝説のスキル『バカめ、残像だ!』を使ったんよ」
ここは冒険者ギルド。
魔物の討伐や薬草採集などの仕事を、その日暮らしの冒険者にあっせんする場所だ。
私はここの職員で、胸が大きいからというバカな理由で受付をやらされている。
胸が大きいと冒険者が鼻の下を伸ばして素直に従うけど、その分セクハラも多い。
冒険者たちは悪びれず、あいさつ代わりに胸を触ろうとしてたちが悪い。
この職場で唯一いいのは、制服が可愛いこと。
でも誰が選んだのか、胸元が少し開き過ぎと思う。
客も最悪だけど、上司はもっと最悪だ。
すでに営業時間が終わっているのに、私だけ残っているのは、上司が掃除やら資料の整理やらを押しつけて定時で帰ったからだ。
毎日毎日、私だけが残業。
ほかの受付嬢には残業をさせないのに、なんで私にばっかりさせるのよ。
しかもこの上司、冒険者以上にセクハラしてくる。
同僚たちはなかば諦めて触られるのを我慢しているけど、私は嫌なので断固として拒否している。
上司のせいであまりに職場環境が悪い。
困り果てた私は、査察に来て欲しいと冒険者ギルドの責任者宛てで手紙を書いた。
でも一向に音沙汰がなく、改善する見通しは立たない。
固定給なのでいくら残業してもお金はもらえないし、休みもほとんどもらえない。
セクハラ冒険者ばかりで、まともな出会いもない。
だからと言って取り柄のない私ができる仕事は多くないので、辞めるに辞められない。
ストレスが溜まりに溜まってむしゃくしゃした私は、ロビーにあったゴミ箱に八つ当たりしたけど、蹴りを避けられたのだ。
「スキル? スキルって何? 女神様がくれたの⁉」
「そうそう。元は人間なんやけど、ちょっと天界のミスで死なされたんや。そんでお詫びにスキル付きで転生さしてもろた」
私には少しも話が飲み込めなかった。
そもそも、天界がミスなんてするんだろうか。
スキルって何? 特別な力?
転生とかも普通じゃ信じられない。
だいたい、転生なのに人じゃなくてゴミ箱だし。
「ゴミ箱に転生したの?」
「転生するときに呪われたんや。まあ、ひとことで言うと天界のミスやな」
「天界ミスしすぎでしょ!」
「お、ねーちゃんナイスツッコミや。ワイもそう思うとんねん」
「ねえ、ゴミ箱さん。そのスキルっていうの、頼んだら教えてくれたりする?」
「……」
この最悪職場から抜け出せればと図々しく頼んでみたけど、急にゴミ箱は黙ってしまった。
「ごめん。ちょっと図々しかった?」
「いやまあ別にええで。けど、こっちにも何か見返りをもらおかな思うて」
「見返り?」
「だって最強やねんぞ。どんな攻撃も絶対回避やぞ。ちょっとやそっとでは、渡すと言われへんな」
(なんだろう見返りって。ゴミ箱にしてあげられることなんて限られてるけど)
「何をすればいいの?」
「弟子になれ」
「え? 弟子? 誰の弟子になるの?」
「ワイのや」
「ゴミ箱の!?」
「嫌ならスキルは渡してやらん」
「でもそのスキルっていうのは、教えてもらったら終わりでしょ?」
「実はあのスキルな、あれで初歩やねん」
「えっ!」
「ワイは天界で一気に全部もろたけど、普通は段階を経て増やしていくんや。階段みたいにな。増えたスキルの熟練度が上がらんと、上位スキルは増やされへんねん」
……驚いた。
あれだけじゃないんだ。
この職場を辞められればと思ったけど、もしかしてこのスキルで私、幸せになれるかもしれない。
素敵な結婚相手と出会えるかもしれない。
幸い、このゴミ箱には教える気がありそうだし。
「あ、あの。弟子って何をすればいいの?」
「ワイの言うことを聞いてもらおか」
「なんか言い方がいやらしいわね。例えば何なの?」
「まず、常にワイを持ち歩いてもらう」
「ゴミ箱を⁉」
「ワイ、移動できひんねん」
「でも、ゴミ箱を移動させたら、みんながゴミを捨てにくいでしょ?」
「ゴミ箱としての人生……いや人ちゃうな。ゴミ箱生はもうええねん。十分やった。もう十分ゴミ入れてもろた。でも、せっかく異世界に転生したんやから、スキル使って無双したいねん」
ゴミ箱が無双とか……。
いくら避けられても、攻撃できないでしょ。
……ま、まさか攻撃できるの?
「ちゃんと私にその伝説スキルを……えーと、なんだっけ?」
「『バカめ、残像だ!』やで」
「そう、その『バカめ、残像だ!』を教えてくれるんなら弟子になるわよ」
「よっしゃ。ほんなら今日からワイは、ねーちゃんの師匠やな。ちゃんと師匠って呼ぶんやで」
「ゴミ箱を⁉」
「師匠やからな」
あーあ。
流れでゴミ箱に弟子入りしてしまった。
なんだか、人として最底辺に堕ちた気分。
でも伝説スキルを覚えて、最悪な職場から抜け出すにはしょうがないよね。
自尊心はゴミ箱に捨てよう。
「師匠、よろしくお願いします」
「おう、よろしくな。で、ねーちゃんの名前は?」
「アイリスです」
「ほな、アイリス。スキル渡すから行こか」
「どこへ? ここじゃだめなの?」
「ここやと渡しにくいがな」
(どこかで特訓でもするのかしら?)
「じゃあ、どこならいいの?」
「ワイをアイリスの家へ連れて行ってくれ」
「え⁉ 私の家? 嫌よ。別にここでいいじゃない」
「いや、ワイはええねんけど。アイリスがここじゃ嫌かな思うて」
「別に嫌じゃないわ」
「分かった。ほんなら床に寝そべってくれ」
「嫌よ。この床は、冒険者たちが汚れた靴で歩き回るもの。制服が汚れちゃうじゃない。……もしかしてスキルを覚えるのに寝る必要があるの?」
「そうや。寝ている間に受け渡すんや」
「寝るならベッドがいいわ」
「せやろ? ひっついて一緒に寝なあかんねん」
「一緒に寝るって誰と?」
「ワイとや」
「ゴミ箱と!?」
「ええから早くワイを家へ持って帰ってくれるか」
こうして私は他人を家へ……じゃなく、よそのゴミ箱を家へ入れた。
「男を家へ入れたことないのに」
「ゴミ箱やから男とか性別ないで」
「でも、口調が男よね」
「まあ前世が男やったからな。カッコよかったで」
(前世がイケメンでも、いまがゴミ箱じゃなぁ)
ゴミ箱を床に置いたが、椅子に乗せろとうるさい。
「だって師匠汚いじゃん。椅子が汚れちゃうよ」
「おまっ、師匠を汚いとか!」
「それに中もちょっと臭うし」
「そりゃゴミ箱やからな。ゴミ入れられてたし」
もちろん家へ持って入る前に、中身をゴミ置き場に捨ててきた。
それでも内側は匂いがするし、外側はロビーに置いていたので汚れている。
ロビーのゴミ箱なので、生ゴミが捨てられていないだけマシだ。
「仕方ない、洗おっか」
「なら一緒に風呂入ろうや」
「ゴミ箱と入るわけないでしょ!」
だいたい私の家にお風呂なんてない。
タオルで体を拭いたり、オケで髪を洗うくらいだ。
私は外の水場にゴミ箱を運ぶと、中も外もたわしでゴシゴシ洗ってやった。
「あ、痛い、やめ、おほうっ、あはんっ」
途中で変な声を上げだしたので叩こうとしたら、スキルで避けられた。
暗い中、頑張ってキレイにしたのは自分のためだ。
「寝る準備ができたけど、憂鬱だわ」
「よっしゃ。そしたら素肌で抱きついて寝るんや」
「ゴミ箱に⁉」
「もうそのくだりはええって! ひっついて一緒に寝るん、分かってたやろ? はよ素肌でひっつけ」
私は言われたとおりにシャツを脱いで、上半身だけ裸になるとゴミ箱に抱きついて寝た。
なぜか胸が触れるのに抵抗がなかった。
きれいに洗ったからとかではなく、気分的に何となく安心できる気がしたのだ。
あと、金属製のゴミ箱はヒンヤリしてて、胸がちょっと気持ちよかった。
◇
「んんっ」
「おい、苦しいねん。アイリス! 朝や、起きろ!」
「な、何、この長い筒……」
「ワイや、師匠や」
「あ、そうか。ゴミ箱と寝たんだった」
「コラ、ちゃんと師匠と言え。それに胸を押し付け過ぎで苦しいわ」
半分覆いかぶさるように抱きついていた。
ゆっくり上体を起こして、乱れた髪をかき上げる。
「ごめん。ヒンヤリしてて密着しちゃった」
「最初はむにゅむにゅして気持ちよかったけど、途中から胸圧強くて少し歪んだやないか」
筒状のゴミ箱を上から見ると少し楕円化している。
スキルで逃げられたのに、歪んでも我慢していたようだ。
私がスキルを得られるように耐えてくれたらしい。
「うふ。師匠っ、ありがと」
「ア、アイリス。あの……あのな、ちょっと刺激が強いからシャツ着てくれ」
「何言ってんの。さんざん生で密着したじゃない」
「いや、夜は暗かったやろ。それに、肌に触れたんはスキル渡すために必要やったから……」
なんとなくゴミ箱が赤くなったような気がした。
(結構、可愛い性格してるのね)
素直にシャツを着て、ゴミ箱を椅子に乗せる。
「ねえ。これで伝説のスキルを覚えられたの?」
「よっしゃ、確認したる」
「どう?」
「初歩やけどな。ばっちり渡せてるで」
「使ってみたいんだけど」
「使いたい思うだけで使えるんや。決めゼリフもセットで勝手に言うてしまうぞ」
必死に使いたいと念じたけど何も起こらない。
「ねえ、使えないんだけど!」
「あ、攻撃されな無理やな。回避スキルやもん」
「じゃあ、師匠が攻撃して!」
「いや、無理やろ。ワイはごみ箱やで?」
「師匠の上位スキルは攻撃もできるんでしょ?」
「ワイのスキルかて同じ回避スキルや。カウンターで攻撃できるけど、自分からは発動できひんねん」
「私が師匠に攻撃して、それのカウンターで私に攻撃してもらうのはどう?」
「伝説スキルから伝説スキルのコンボはできんのや」
これじゃ、本当に伝説のスキルを使えるようになったか分からない。
私はとりあえず、ゴミ箱を抱えて冒険者ギルドへ出勤した。
◇
「おら、ねーちゃん。出発前に乳揉ませろや」
「だめです。ほら、お仲間が待ってますよ」
「ちっ。減るもんじゃなしにもったいぶりやがって」
「頑張ってくださいね~」
(やっと行ってくれた。まったく。何が『減るもんじゃなしに』よ! あなたはこの胸を触れないの。触らせるのは私がいいと思った相手だけだから!)
いつものように、冒険者からセクハラを受けながら受付業務をこなす。
私に残業を押し付けた上司は、また仕事もせずに別の受付嬢と無駄話をしていた。
会話しながら受付嬢のお尻を触ったり、胸を突いたりしている。
彼女たちはよく我慢できるわね。
ありえないわ。
上司に軽蔑のまなざしを向けていると、気づいてこっちにやってきた。
「おい、アイリス。悪いが今日も残業を頼むぞ」
「なんでですか! 私は昨日も残業したじゃないですか! おとといもその前も、毎日毎日!」
「お前だけを残業させれば、彼女たちは俺が触っても受け入れんだよ」
「みんなへセクハラするために、私だけ残業させてるの⁉」
さらに上司はニヤニヤすると小声でつぶやく。
「でもな、本当に触りたいのはアイリスの胸だよ」
(キ、キキキキモッッ!)
上司がじっと胸を見てくるので、恥ずかしくて両手で隠した。
限界だ、もう限界だ!
どうして、私ばっかり貧乏くじ引かなきゃいけないのよ。
風俗店じゃあるまいし、胸やお尻を触らせるなんて嫌よ!
辞めてやる、こんな職場辞めてやる!
今日で退職する、そう覚悟を決めたときだった。
「ねえちゃんたち、俺らと大人の遊びをしようぜ!」
「きゃぁ!」
「や、やめて!」
「ふたりは私の仲間です。やめてください」
ロビーでいざこざが始まった。
態度の悪さで有名な荒くれ男ふたりが、若手パーティにからんでいる。
若手パーティの方は見たことがないので、多分新人だろう。
(ほら! 早く止めなさいよ、バカ上司!)
もめごとをなんとかするのが上司の役目。
でも、このセクハラ男は受付のカウンターに隠れてガタガタ震えるだけだ。
格好から僧侶と魔道士らしい女性ふたりが、荒くれ男ふたりに腰を抱かれて抵抗している。
仲間を守るべき男剣士は、腹を殴られたのかうずくまっていた。
数人いるほかの冒険者たちは助けに入らない。
助けてもメリットがないからだろう。
仕方ない。
上司も役に立たないし、また私が言って聞かせるしかないな。
じゃなきゃ、あの女僧侶と女魔道士が不憫だもの。
「やめてください。冒険者ギルドで騒ぎを起こさないでください」
「なんだぁ、受付嬢のくせに俺らに文句あんのか」
ひとりが女僧侶を開放すると私に近づいた。
足元から舐めるように見上げると、開いた制服の胸元をジロジロと見てくる。
「じゃあ、巨乳のねえちゃんに相手をしてもらおうか? 俺らふたり相手じゃ大変だぜ? なあ?」
話を振られたもうひとりは、ニヤリと笑って女魔道士を開放すると無言で腰をクイクイ動かした。
下品にもほどがある。
いつもなら、少し触られるくらいは覚悟する。
触ってくる手を払いながら、刺激しないように帰ってくれと頼むしかない。
でもこの職場はどうせ辞めるんだし、丁寧に対応することもない。
それに、今日は試したいことがある。
奴らの後ろに置いたゴミ箱へ視線を送る。
(師匠、大丈夫だよね?)
私にはゴミ箱がうなずいたように感じられた。
なんだか安心できたので覚悟を決める。
「私があんたたちなんか相手にする訳ないでしょ」
「なんだとぉ」
「てめぇ、受付嬢の分際で!」
「逆に言わせてもらうわ。女に手を出すセクハラ冒険者なんかゴミ以下よ。弱い者イジメして楽しいの?」
「おい、誰がゴミ以下だと?」
「俺らの実力分かってて言ってんのか?」
もちろん受付嬢だから知っている。
こいつらの冒険者ランクは下級、でもステータスは中級レベル。
実力があるのにランクが低いのは素行が悪いから。
「受付嬢として言わせてもらうけど、あなたたちは威張るほどじゃないわ。どうせ、私に攻撃しても当てることすらできないわよ」
「おーい、お前ら、聞いたよな?」
「挑発したのはこいつだぜ? 腕っぷしで生きる冒険者としちゃあ、実力を見せてやらないとなぁ?」
ふたりが居合わせた冒険者たちに声をかけた。
でも、誰もうんともすんとも言わない。
煽ることも止めることもしないのだ。
私にもファンが少しはいると期待したけど、こいつらがいつも見ていたのは私じゃなく胸だったんだ。
いまので完全に職場への未練がなくなった。
「ふたり同時でいいわよ。私は強いから。それにみんなが見てる前で、女相手に外したんじゃ恥だものね」
「最初っからそのつもりだ!」
「後悔しやがれ!」
とことん煽られた男ふたりが拳を振りかぶる。
目線や拳の位置から、私の顔を狙っているようだ。
(だ、大丈夫よね? ちゃんと避けられるよね?)
怖くて顔を手でかばいながら、スキルを使うと必死に念じた。
「喰らえ!」
「おらぁ!」
ふたつの拳がこちらに届くと思った瞬間だった。
私はいつの間にか、彼らの後ろに回り込んでいた。
「バカね、残像よ!」
知らずに言葉が口から出た。
一瞬だけ、見えるはずのない自分の姿が見えた気がした。
奴らは攻撃が空を切って体制を崩している。
当たることが前提で、反撃が来ない前提で殴りかかったので前のめりにずっこけた。
「いててて。な、何だ? 何が起こった⁉」
「当たったよな? いま、当たったよな? なのになんで当たらなかったんだ?」
彼らの目には、私がゴミ箱を蹴り損なったときと同じように、残像が見えたようだ。
(やった! 私にも伝説のスキルが使えた!)
ゴミ箱は本当にスキルを与えてくれたのだ。
私が移動した場所はゴミ箱のちょうど横だった。
感謝の思いでそっとゴミ箱に触れる。
音を出すだけなら魔導具にもできるけど、このゴミ箱は意思を持って話せるし、結構気遣いもする。
絶対回避の伝説スキルも使える。
凄いゴミ箱なのかもしれない。
「なんかよく分からん魔法を使いやがったな?」
「奇跡は二度起こらねぇ。覚悟しやがれ!」
「とりあえず、また避けるしかないわよね」
私がぼそりとつぶやくと、ゴミ箱がささやく。
「おい、アイリス。いま使えるんは初歩の回避スキルだけやぞ。いくら逃げ続けても問題は解決せえへん」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「その初歩スキルはな、攻撃が当たる寸前に顔が向いとる方向へ一定距離転移するんや」
「私が奴らの後ろへ転移したのは、攻撃を見ていたからね」
「転移後は体の向きが反転する。反撃できるんや」
なるほど。
スキルを使ってみて初めてその凄さが分かる。
敵が残像を攻撃中に、真後ろへ回り込めるのだ。
隙だらけの相手へ死角から反撃できてしまう。
「アイリスは戦闘経験ないやろ? 素手でやり返すんは無理そうやな。武器が欲しい」
「ないわよ、武器なんて」
冒険者が使う武器なんてどれもそれなりに重い。
私でも持てる武器なんて都合よく近くに――。
「ここにあるやろ」
「どこに?」
「ふたり同時に攻撃できる長さで、アイリスでも持てて、しかも丈夫な金属製や」
「まさか! で、でも……」
「弟子のデビュー戦やで。師匠なら派手に勝たせてやりたいと思うもんや」
「……分かったわ。師匠、体を貸してね」
私はゴミ箱を持ち上げた。
横にして頭の上に。
「てめぇ、そりゃ何のつもりだ!」
「投げて攻撃する気か!」
「ほらほら、脇をガラ空きにしたわよ? でもあんたたちの攻撃じゃ、また当たらないかな?」
「クソがぁ!」
「悶絶しやがれ!」
回避は念じるだけ。
怖いけど、自分から避けたりガードしたりする必要はない。
今度はどちらも振りかぶらない。
蹴りだ。
ひとりは脚狙いの下段回し蹴り。
もうひとりは脇腹狙いの中段回し蹴り。
(お願い、上手くいって!)
私は真上を見上げた。
次の瞬間、私は奴らの頭上にいた。
天井ギリギリの空中に転移。
奴らが何もない場所へ蹴りを空振るのが見えた。
彼らはいると錯覚した私の姿を蹴ったのだ。
そして奴らの回し蹴りは、勢いあまってお互いに命中。
下段回し蹴りはもうひとりの軸足に、中段回し蹴りはもうひとりの腹に当たった。
「バカね、残像よ!」
私は落下しながら、横向きに持ったゴミ箱を奴らへ向ける。
(このまま、落下しながら師匠をぶつけてやる!)
自分の体重ごと、奴らにゴミ箱をぶつけた。
めまいがするほどの金属音が鳴り響き、手からゴミ箱が吹っ飛ぶ。
直後、足から床に着地したが、落下の勢いでそのまま大きく尻もちをついた。
「あ、痛たたぁ~」
一瞬息が止まるほど、床に尾てい骨を打ってしまった。
お尻を押さえながらゆっくり立ち上がる。
目の前の床で荒くれ男ふたりが伸びていた。
横にしたゴミ箱が、上手いことふたりに当たったみたいだ。
直後、大歓声が上がる。
居合わせた冒険者たち、同僚たちがいっせいに声をあげたのだ。
「す、すげぇ!」
「何だよいまの、オイ!」
「お前、本当に受付嬢なのか!?」
「アイリスさん凄すぎ!」
「彼女、あんなに強かったのね!」
歓声が湧き上がり称賛を受けたけど、私にとってはどれも興味のない音だった。
それよりもっと大切なことがある。
近くに飛んだゴミ箱へ近寄った。
横向きに転がっているそれを丁寧に床へ立てる。
二か所、かなり大きなへこみができていた。
「師匠、ごめんね。大丈夫だった?」
「大丈夫や言うたらカッコええねんけどな、見ての通りべっこりいってもうたわ」
「直るかな?」
「まあ、内側から叩いたらいけるんちゃう? それよりもや。スキル使わんでブチ当たるんが、こんなに恐ろしいとは思わんかった」
(まるでスキルを覚える前も、殴られたことがないような口ぶりね)
上司がカウンターの下から出てくると、急に偉そうに大声を出す。
「よし、俺の指導通りだな。おい、冒険者たちはいったん外に出てくれ」
しかし、ギルド内には熱気が残っていて、上司がいくら呼びかけても誰も外に出ない。
冒険者たちがいると、伸びているふたりを拘束したり、介抱したり、説教したりなどの事後処理がしにくい。
「みなさん、いったんギルドから出てくれますか。ちょっとやることがあるので」
私が呼びかけると、みんな従って外に出てくれた。
からまれていた若手パーティだけは、外へ出ずに上司へ向かっていく。
「何だ、お前たちは。いいから早く外へ――」
「いえ、外には出ません。私たちは本部の査察メンバーです」
男剣士が女僧侶と女魔導士の前に出て答えた。
さっき、殴られた腹はなんともないようだ。
「え、誰だって?」
「この職場を調査して欲しいと、匿名の手紙があって来ました」
「ちょ、調査? ま、まさか、王都のマル査!?」
「マル査? 税金調査に来たのではありません。冒険者ギルドの本部からセクハラ調査に来ました」
「セ、セクハラ!? さ、さささ触ってません俺は!」
「通報内容は『女性従業員の胸やお尻を触る行為が毎日行われている』というものです。なぜ説明する前に触ったって分かったのですか?」
墓穴を掘って慌てた上司が、必死に受付嬢たちへ呼びかける。
「お、俺はセクハラしてないよな? な? な?」
「お尻を触るあんたの手、キモくて最悪」
「ほんと毎日毎日、屈辱だったわ」
「触られるたびに家で泣いてました」
同僚たちがいっせいに手の平を返した。
「ア、アイリス、助けてくれ。お前のことは触ってないだろ?」
「そうですね。触らせないですもんね」
「ほら、こうやって反対意見も――」
「でもセクハラ拒否を理由に、私だけ毎日残業させたじゃないですか。とてもつらかったです」
私がとどめの悪行を追加すると、上司は口を閉じて黙ってしまった。
周りに誰も味方がいないと気づいたようだ。
剣士の格好をした査察の男性が口を開く。
「しばらく見ていましたが、あなた、相当受付嬢にセクハラしていますね」
「い、いや……」
「しかも、セクハラ拒否を理由に残業を指示したと」
「そ、それは……」
「さっきのトラブルも、上司として解決の努力をせずにただ隠れていた」
「……」
「冒険者ギルドの内規に従い、あなたを解雇します」
「ちょ、ちょっと待って。調査でいきなり解雇はないでしょ⁉」
上司が食い下がると、僧侶と魔導士の格好をした査察の女性ふたりが前へでる。
「この方は冒険者ギルドの理事です」
「即日解雇できるように、責任者自ら来てくださいました」
責任者に宛てた私の手紙が役に立ったのだ。
「責任者が……来てくれたんですね」
ほっとしたせいか、急に涙があふれてくる。
私は人前でぽろぽろと泣いてしまった。
目をつむり、声を出さないで涙を流した。
「この場であなたを解雇します」
責任者のひと言で、上司がひざからくずれ落ちた。
上司は元上司になり、同僚の受付嬢たちから冒険者ギルドを追い出された。
責任者の男性が私にハンカチを渡してくれる。
「あなたが戦いで使ったのは、スキルという特別な能力ですよね?」
「……」
私は涙を拭きながら、小さくうなずいた。
「いくつかのスキルについて、存在を把握しています。その中でもあなたの使ったスキルは特別なもの。人間であのスキルを持つのはあなたが初めてです」
「そうなんですか?」
「あなたは英雄になる人です。冒険者ギルドの特別職として、本部へ来てくれませんか」
「冒険者ギルドの本部……ですか?」
「厚遇を約束します」
予期しない展開にぞくぞくと体が震えた。
私は地方の冒険者ギルドで受付嬢をしていただけ。
なのに王都にある本部の理事が、私のことを英雄になる人だと言った。
本部へ来るなら厚遇を約束すると言ったのだ。
でも、もう違う生き方をすると決めていた。
職員を続ける気持ちは残っていない。
ゴミ箱の残像を蹴ったあのときから、私の心はここになかった。
「ごめんなさい。私はもうこの仕事を辞めます」
「え、辞めるのですか⁉」
「新しい人生を歩みたいんです」
「いや、あなたに辞められては困ります! 本部が嫌なら、ここでこのままでもいいですから!」
「いえ、辞めます。自由に生きてみたいです」
私は引き留めを断り、冒険者ギルドを退職した。
最後に冒険者登録を強く要求されたので、交換条件としてあるお願いを聞いてもらった。
同僚たちに別れを済ませて冒険者ギルドを出た私たちは、鍛冶屋へ向かって歩き出す。
もちろんゴミ箱は歩けないので私が抱えている。
「なあ、アイリス。ほんまにワイが報酬でよかったんか? ただのへこんだゴミ箱やで?」
「これから鍛冶屋に行って直してもらおうね」
「後で金をもろた方がよかったとか言わへんか?」
「あのねぇ、これから私を助けてくれるんでしょ?」
「お、やっぱ『バカめ、残像だ!』の上位スキルが気になるんやな?」
「それも気になるけど、もっと師匠に期待してることがあるんだ。ねえ、分かる?」
ゴミ箱がしゃべるのをやめた。
分からないらしい。
ちょっとからかってみよう。
「シャツを脱いで生で密着すると、胸がヒンヤリしてよく寝れるの。師匠だって私との胸圧展開を期待してるんでしょ?」
「お、おま、あ、あれはスキルを渡すために……」
(相変わらず、可愛い性格してるわね)
でも私が本当に期待しているのは、ゴミ箱の呪いが解けて元の姿に戻ること。
だって彼は……優しくて、とても素敵な人だから。
了
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