第48話 水面は揺れる②
水に足をつけて、プールサイドに腰かけていた彼女に呼びかける。
「こんばんは、アルマ」
アルマはゆっくりとボクに視線をよこした。
月光が水面に反射して、彼女の冷たい表情がいつになく寂しげに見える。銀髪がハラリと肩からすべり落ち、人形がはずみで動いたように思えた。
「……みそらさま、就寝の時間ですよ」
「それ、アルマが言うかな?」
「……そうでございますね」
アルマはうつむいてしまう。
やっぱり変だ。
魔王を管理なんて、一番逆らいそうなアルマがずっと大人しい。
アルマと二人でゆっくりと話し合う機会は欲しかったが……そもそも、ボクは受肉した魔王さま設定。
どうしても『鴎外みそら』として会話しにくい部分がある。
でも、華奢なアルマの肩がいつになく小さく見える。
……危ないのは危ないが。
まあ、なるようになるかー。
「月、綺麗だね」
ボクはアルマの隣にぽてんと座った。
「……綺麗でございますね」
「赤色の月だともっといいんだけどね。かっこいいし」
「みそらさまらしいです」
ボクが隣に座っても露骨に嫌がりはしない。
だったら、はっきりと聞いてみようかな。
「甘城博士って?」
アルマの足がゆれて、水面に波紋が広がった。
「甘城ヒカリ……。わたしの今世での母親になります」
「有名な人?」
「表にあまり出てきませんが、断層次元収束化現象の第一人者です。
研究所の勤め人で……トゴサカ管理側の人間でございます」
ということは、ダンキョーと似た組織の人ってことか。
気になるが、他人事のように話すアルマのほうがもっと気にかかった。
「研究者ってことは、ボクたちのことを知っていたりするわけ?」
「把握はしていると思います」
「……娘になにも言わないの?」
「そういった間柄ですから」
水面は少しもなびいていない。
間柄か……他人行儀すぎるなあ。
家族の問題は、部外者のボクがあれこれと聞くわけにはいかないか……。
「アルマの母親が管理側の人なら……もしかして、ダンキョーがボクたちを監視しているのは察していた?」
「可能性は高いと」
「それなのに放置していたのは?」
「魔王さまの名を世に轟かせるにはちょうどよい組織だと……。
ダンキョーは監視組織、裏から手を回すことはあれど手は出さないと踏んでおりました。
……ここまで監視を強化してくるのは予想外でしたが」
「監視というか、管理だけどね……」
「母親の立場もあります。
今世でお世話になっておりますし、研究者とダンキョーの関係に軋轢をつくる真似はできません。……申し訳ありませんでした」
「それは別に構わないけど……」
アルマが大人しくしている分は本当に問題ない。
でもやはり大人しすぎる。
それに、どうして今まで秘密にしていたのか疑問がのこる。
彼女は肝心なことはボクに話していない。
それはたしかだ。
「アルマが抱えていることは……ボクがたずねていいこと?」
「…………聞くべきです。みそらさまには、その資格がございます」
表情は変わらず、涼しげだ。
だけど水面を見なくても、彼女が動揺しているのがわかる。
アルマの手はカタカタとふるえていた。
彼女のふるえが少しでも治まるのならばと、ボクは自然に手を差しのばす。
「ねえ、アルマ」
「…………はい」
「月、綺麗だよね」
ボクは満月を眺めながら、アルマのふるえる手に自分の手をかぶせ、少しだけにぎる。
わずかな反応はあったが、彼女はそのままでいた。
「どうして……みそらさまは……」
「手を握っていると落ち着かない?」
「…………落ち着きました。
……その、子供みたいで恥ずかしいですが」
「恥ずかしくてもいいんじゃない。
母さんも『人はねー、ずっと子供だよー』だって言ってたし」
「……そんなことを?」
「大人はできることが増えて、隠すことが増えて、あとついでに相手の気持ちを知るようになってくるだけ、らしいよ」
若作りの母さんが言うと妙な説得力がある。
「……みそらさまのお母さまは素敵な人ですね」
「そうかな? いろいろと落ち着きないし、『みそら君呼びはやめて』と言ったら反抗期だと泣くし。
人類みな子供ってのも自分への言い訳を作っているだけかもしれない」
「……。あの…………みそらさまの……お父さまは?」
「ボクの父親? 中学の頃に離婚してから会ってないよ」
アルマは不躾だったかというように唇を噛んだ。
「気にしないで」
「ですが」
「ボクが気にしてないんだからさ」
「……どんな人かおたずねしても?」
「うん。父さん、生物学者でさ。物静かな人で、こだわりがすごく強くてね。
大学勤めだったけれど……モンスター関連の仕事が増えてきて。
海外のあちこちを飛びまわるようになって、まあそれが離婚の原因だね」
いまだ全然会いに来ないあたり、こだわりを優先する父さんらしいというか。
「みそらさまは……その、さっぱりしていらっしゃいますね?」
親の離婚を聞いたときは動揺したけどなあ。
仲のいい両親だったし。
「喧嘩別れってわけじゃなかったから、かな。
家族の時間がぜんぜんなくなって、すれ違いが増えた結果だからさ」
アルマが今度はボクの手をにぎってきた。
もしかしたら、ボクの手がふるえていたのかもしれない。
「むしろ離婚したあとのほうが大変だったよ。
母さん、家族の反対を押しきったうえでの結婚だったから、親族が呼び戻しにきたりとか。
ボクを親戚に預けるかって話にもなったんだよ?
そんなときにトゴサカの集団モデル対象者の話がきたから、まあ、ちょうどいいなって」
「みそらさまがトゴサカに来てくれて……わたしは嬉しく思います」
彼女が真っすぐに見つめてくる。
瞳の中にはボクがいた。
やっぱりアルマは魔王だけじゃなくて、ボクの存在をきちんと見ているな。
「これは魔王じゃなくて、『鴎外みそら』が感じたことだけどさ」
「……はい」
「家族でも……好き同士でも、すれ違うことはあるんだなって。
根っこから、噛み合わないことはある。
だから、そんなに重く感じなくてもいいかなーって」
そう、呑気に言ってみた。
アルマの抱えているものはわからないけれど、家族に関しては少しでも気が楽になれたら嬉しい。
彼女は静かにうなずき、わずかに口をひらいた。
「みそらさま……」
「うん」
「わたしには前世の記憶がございます……」
水面がちゃぷちゃぷと揺れる。
「うん」
「前世の記憶を……鮮明に思い出せるのです………。
強く強く……とても鮮明に。
それなのに……わたしは、みなさまのとの日々を……『甘城アルマ』として楽しく感じてしまい……」
そこまで言って、アルマは目を閉じてしまう。
次に目をあけたときはいつもの涼しげな表情でいて、彼女は夜空を見上げた。
「月が綺麗でございますね」
韜晦した台詞から、これ以上は深い入りできないとなんとなく悟ってしまう。
ボクはしばらく手を握ってから、ゆっくりと手を離した。
「ココア、作ってくるよ。好きだったよね」
「……はい、ココアは好きです」
ちょっと物寂しそうなアルマに微笑んでから、ボクはリビングに戻る。
キッチンでかちゃかちゃとココアを作っていると人の気配を感じたので、思いきりため息をついてやった。
「はあああ……。赤沢先輩、隠れてないで出てきてください」
影の中から赤沢先輩がスッとあらわれる。
忍者みたいだ。忍者か。
「……さすがにこの空気の前にあらわれるのはねー。
わたしがいるとよくわかったね?」
「勘です」
「勘かあ」
「あと、ボクたちのプライペートな部分は他の人たちにやらせずに、なるべく赤沢先輩一人が監視してくれていますよね?
だから、いるだろうとは思いました」
ボクがココアを作りながらそう言うと、赤沢先輩は目を真ん丸とした。
「まいったな。本当に魔王みたい」
「ボクは鴎外みそらですよ」
「…………うん、そーだね」
なんか微妙な反応だな?
「あのね、鷗外君はもっとお姉さんを怒ってもいいんだよ?
騙していたわけだし、今もこうして監視しているわけだし」
「怒ったら監視をやめてくれるんです?」
「……ムリめ」
でしょーよ。
「三重生活とは言いませんが、ボクも正体を偽っていたわけですし、そこのところはオアイコです」
冷たいココアをテーブルにこてんと置く。
「それと、コンビニで先輩から教わったことは……嘘だとは思っていませんので」
赤沢先輩用だ。
赤沢先輩は目を何度もまばたかせ、ものすごく困ったように頭をかく。
「あー、うー……頭領にまた怒られそうだなあ」
「監視対象から賄賂は受けとるなって?」
「さすがにココアぐらいで賄賂にはならないよー。
……でもね、君が思っているよりこのココアの価値はとっても大きい。
わたし、貸し借りは大事にしたいの。鷗外君からは、ほんと貸しを作ってばかりだからさ。ちょっとね」
なにがちょっとかわからないでいると、赤沢先輩は真面目な表情になる。
赤沢先輩はイヤホンで同僚忍者と連絡をとりあっているようだ。
ボクが怪訝な表情でいると、赤沢先輩が叫んだ。
「鷗外君、たいへん‼ お母さんがサキュバス化したって‼‼‼」
はい????
は?
はいいいいいいいいいいいいいい⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉⁉
静かめの回です。




