遥:私が彼女を彼に任せた理由
動物園。
オランウータンのエリアの木の影。
マズイ。バレたらどうしよう。
不安に駆られながらも、耳を澄ませる。私は幼馴染を——親友を——守ろうとしているだけだと、心に言い聞かせる。私はあのノートを見てしまった日から、ずっと過保護な親のようだ。
私は今は動物園に一人、帽子を深めにかぶって、幼馴染と謎の男を追跡している。かわいい動物ではなく高校生のカップルをじっと見ている私を誰か知らない人が見たら、あの男より私の方が明らかに不審者だと思うに違いない。
今日は、ちょっと本屋にでも行こうかと思ったら、駅前に二人が一緒にいるのをたまたま見かけて、こんなところまで後をつけて来てしまった。二人はもう三十分以上オランウータンのエリアから動かない。私は都合よく植えられていた木の影に隠れて二人を見張っている。
ちょうどいい距離で、二人の会話がぽつりぽつりと聞こえる。さっきまで明るかった二人の雰囲気が若干暗い気がする。
「俺が君に話しかけた理由?」
男が沙樹に聞き返した。
「——数学でわからないことがあって先生に質問しに学校に行ったときに、廊下を歩いてたら聞こえてきたんだ。先生と沙樹のお母さんとお父さんの声が。話してたんだ……沙樹の病気のこと」
「だからあの日……あの日公園で、私に話しかけたの?
かわいそうだと思った?
孤独だと思った?」
沙樹の声がほんの少し揺れている。もし沙樹を傷つけたら、こんな突然現れた男、私がぶん殴ってやろうと思った。
「いいや、違うよ。何年も前から、俺は君を知っていた。
どこに住んでるとか、なんの病気とか、そんな詳しいことは知らなかったけど……。行き場がなくて、公園のベンチに何時間も座ってると、君に出くわすようになった。君は、いつも病院から出てくるのに、どこか幸せそうで。電話で誰かと話してたり、家族や友達が君を公園で待っている日もあった。
沙樹の描いたあの象の親子の絵も、とてもあたたかな色合いで、ずっと冷たかった俺の世界とは対極に思えた」
どうしてあの男の言葉は、心が抉られそうになるほどに、まっすぐなんだろう。
「羨ましかったんだ。
俺はただ、君の生きている世界を生きてみたいと思った」
「あっ」
私は小さく声を出してしまった。この突然現れた男は、私が長年思ってきたことをさらりと言葉にしてしまった。この人には沙樹の世界がちゃんと見えている。辛いだけじゃなく、明るいことをちゃんと知っている。きっと、この人なら、沙樹を任せても大丈夫。直感でそう思った。




