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文学部の日常

 この季節は西側から射す夕刻の日差しが柔らかくて心地よい。こんな風に静かな教室でノートと向き合っていると不意に襲ってくる眠気に耐えかねて瞼が重くなってくる。


「花凛っ‼ あんた、私の自転車のサドルのところにブロッコリー刺したでしょ!」

 どたどたどたどたと。眼鏡の少女が大声を上げながら、追いかけて。


「にゃはははは。サドッコリーの座り心地はどうだった~?」

 どたどたどたどたと。色素の薄い黒髪の少女が逃げ回る。


「あんなの座れるわけないでしょ。私のサドルどこやったのよ。返しなさい!」

 どたどたどたどたと。逃げ回る少女はにやりと口角をもたげ。


「サドルなら美月がもってるよ~ん」

 あわあわと、ことの成り行きを見守っていた小柄な少女をびしりと指さす。

どたどたどたどた。……きゅきゅっ。おお、上靴のグリップを効かせた見事なストライドストップ。ぱちぱちと私は手を叩く。


「美月、本当なの?」


「そそそそそそ、そ、そんなわけないよぉ」

 そして眼鏡の少女に歌舞伎役者顔負けの睨みを効かされた小柄な少女はあからさまに動揺しながら視線を宙にさまよわせた。こんなんじゃ、瞼が重くなるわけないよね……。

私はそこでようやくノートを閉じて口を挟む。


「もう! みんな騒ぎすぎ。ここは文学部だっていつも言って……」


「梅乃だって、自分の自転車のサドルにブロッコリーが刺さっていたら犯人を追及したくもなるでしょう?」

 うっ、それは一理あるかも。こちらの、少し鋭い目つきを眼鏡で隠した強気な女の子が富永雪歩(とみなが ゆきほ)ちゃん。


「刺す方が悪いのではない。刺される方が悪いのだよ。にゃははははは」

 うん、それには一理ないどころか、まず言葉に知性が感じられないよね。で、こちらの特徴的に笑う、少し色素の薄い黒髪を短くカットした賑やかな子が西村花凛(にしむら かりん)ちゃん。


「そ、その、それで、サドルは本当はどこにやったの」

 あ、それ大事。結局それが分かれば問題はほぼ解決だもんね。さらにさらに、こちらでおどおどびくびくしてる、小学生顔負けの童顔……にも関わらず少し濃い紺色のブレザーの胸元が一番ふっくらしているロリ巨に、間違えた。女の子が菊池美月(きくち みつき)ちゃん。


 よく雪月花は自然の美しさを表現する熟語だというけれど、彼女らだって女子中学生の未熟さ、不安定さ、果てはお馬鹿さまで、余すことなく魅力を詰め込んだ三人組だと思います。そこに私、里咲梅乃を加えた四人が満ヶ谷学園中等部、文学部のメンバーだ。てか、ロリ巨乳って何? 私は健全な女子中学生だから分かりません。


「またまたぁ。美月ったら、とぼけちゃって」


「え? え? ええ?」


「さっきサドルは美月にわたしたでしょ?」


「もももも、ももらってないよぉ」

 因みに美月は、予定外の出来事に遭遇するとすぐに動揺してしまう節がある。


「ちょ、美月? 本当なの?」

 雪歩は学校の成績はいいんだけど、ちょっと頭が固いところがあるかも。詐欺にあいやすいタイプっていうか……。プライド高いから本人には絶対言えないけどね。


「だからもらってないってばぁ……」

 きっ、と雪歩が花凛をにらむ。


「嘘じゃないよん。疑うなら、美月ちゃんのカバンを確認されたし」


「えっ、かばん?」

 そして、花凛は学校の勉強はまったく出来ない。なんたって、中学一年二学期の中間テストでの成績は学年で下から二番目だ。だけどなんだか頭が柔らかくって、世渡り上手なイメージがある。雪月花にセカンドラスト。この物語の作者がどんな作品のファンなのかあっという間にばれちゃいそうな設定ですね。


 花凛の言葉を聞いて、ずんずんと雪歩が美月の荷物へと歩み寄る。学校指定の青いカバンのチャックをジジジと開けると、中からひょっこりグレーのサドルが顔を出した。


「みぃーつぅーきぃー」

 わなわなと拳を震わせて雪歩が美月に歩み寄る。


「ちっ、ちがうの、ちがうの、本当に知らないのぉー」


「にゃはははは」

 その様子を見て花凛がお腹を抱えて笑い出す。雪歩ちゃんもしかして少しお馬鹿さんなのかな? 教科書が全部サドルに押しつぶされちゃってる美月が一番の被害者なんだけど。ああ、もう見ていられない。


「本当に知らないの。晴天の霹靂だよ」


「へ? べんてんのせいへき?」

 違うよ、花凛。予想以上に元の語感を残してないよ。弁天様は厳かに崇めるべき、芸術の神様ね。決して特殊な性癖なんてもってないよ。

そんな花凛のことは、当然のように無視して雪歩が美月に歩み寄る。


「問答無用ね……」


「もう、ストップ。ストップ。雪歩は落ち着いて」

 どうにもこの三人を放っておくと誰も止まりそうになかったので、私が仕方なく雪歩を抑える。


「こんなのどう考えても、花凛のいつものいたずらでしょー。きっと美月のカバンにあれ入れたのだって花凛だよ」


「ぎくっ」


「はっ」


「一応言っておくけど、今時そんな古典的なリアクションはうけないよ……」

 私は物語の質を向上させるため、念のため二人を注意する。


「うぅ…………。梅乃~」


「はいはい、美月もちゃんと自分で説明できるようになろうね」


「ところで、べんてんのせいへきって何?」


「花凛、もうそれはいいから」


「はぁ、ちゃんと私のサドルも戻しといてよ」

 雪歩もようやく少し冷静さを取り戻したようだった。


「ところで、梅乃はまた書いてたの?」

すっかり落ち着いた美月が尋ねる。その視線の先にはさっきまで私が開いていたノートがあった。


「また、じゃないよ。ここは文学部なんだから、作品を読んだり、書いたりしている時間が普通だよ」


「にゃはははは、それもそうだよね。じゃあ私は漫画読む~」


「ちょ、漫画は…………。まあ、いっか、うるさくするよりは」

 花凛の行動にたまらず私はまた注意しようとした。しかし、ごそごそとカバンから某大手出版社発の、『火の鳥』全十三巻を取り出したのを見てやめた。渋い趣味だね。


「じゃあ私はどうしようかしら。今日は何も持ってきていないのよね」

 対する雪歩は思案顔である。するとそこに美月が息をするように爆弾を放り込む。


「梅乃の書いたのを読んでみるってのはどうなのかなぁ」


「……へ?」

 いや、むりむりむり。今急に話が変な方向に転がった。作者、間違えた。神様は、きっと私を辱める気だよ。こんな恥ずかしいの見せられない。


「あっ、それいいかも。確かに読んだことないし。梅乃、どう?」


「いや、どうって言われても、ね。それはちょっと恥ずかしいかなぁ……なんて」

 私は知っている。こういう時は過剰に嫌がれば嫌がるほど見たくなるものなのだ。


「いいよね、いいよね? 私も梅乃ちゃんの書く物語気になるなぁ」

 美月、さっき私が助けてあげたこともう忘れたの……。


「ほら、まだ完成してないし」

 すい、と目を反らす私を雪歩がさらに追撃する。


「連載中の小説だと思えばいいのよ。定期的に読ませてくれれば。ね、美月?」


「ああ、確かにね」

 やばいっ、さらに返答間違えたっ⁉


「ねね、ちょっとだけ。いいでしょ?」

 ぱちんと手を合わせる雪歩。一方美月は顎に手をあててなにやら思案顔になった。


「う~ん。どんなジャンルだろ? 小説、には間違いないよね。確か梅乃ちゃん将来は小説家になりたいんだもんね?」


「ま、まぁなれたらいいなぁくらいのものだけど」

 やはり自分の夢を話すのは恥ずかしい。


「じゃあ、やっぱりこの辺で一回誰かに見てもらっておきましょう」


「だからまだ途中なんだってば~」

 本当に、好奇心って恐ろしい。普段は全く小説に興味なんて示さないくせに。


「でも、ジャンルくらいは言えるよね? ファンタジー? コメディ? ミステリ? それともちょっと捻ってSFもの……とか?」

 うぅ、言いづらいなぁ。だけど、それで雪歩たちの好奇心が収まるなら仕方ないか。


「れ……」


「「れ?」」

 二人の声が重なる。


「恋愛もの……かな」

 ぽりぽりと、頬を指先で掻きながら視線を流す。すると、何故か数秒の沈黙。ぽかんとした二人の顔を見て、たらりと冷たい汗が一筋私の背中を伝った。


「きゃぁぁ~~~~」


「えぇえええ。見たい見たい見たいー」

しかし次の瞬間、雪歩と美月のきゃっきゃうふふな黄色い悲鳴。あまりの勢いに私は一歩後ずさる。


「はい、質問!」

 突然、びしっと、美月が右手を挙げる。


「何ですか、菊池さん」

 雪歩が先生然とした態度で指名する。くっ、無駄に本物っぽいな。


「主人公は女の子ですか?」

 わ、私に対する質問なのね……。


「お、女の子、かな」


「きゃぁあああ~~」

 再び二人の黄色い悲鳴。ぶんぶん両手を振り、雪歩がとんでもないことを言い出す。


「きっと梅乃はその人に自己投影してるに違いないわ!」


「うそでしょ? うそでしょ? じゃあ、相手は誰なの?」

 美月も恐ろしいほどあっさりと、その会話にのってくる。


「も、もう! 別に自己投影なんてしてないってば!」


「それで、相手は誰なの?」

 聞いてないっ!?

 二人の視線がふいとこちらに向けられると、耐えられなくなって私も目をそらした。

あれ、そういえば花凛は? いつもならこんなきゃっきゃうふふな会話をしていると、間違いなく乱入してくる花凛の声が聞こえてこない。そんなに手塚治虫に夢中なのかな? と視線をやると、花凛はやはり、手元の書物に夢中……。ってそれ、私のノート!


「ちょっとぉおおお‼ 花凛、それ。いつ、から」

 口をぱくぱくさせながら私のノートを指さすと、花凛は柔和な笑みを浮かべた。


「にゃははははは。梅乃~、これすごいよ。面白い。それに、勉強を教えてくれてる年上のお兄さんに、片思いする主人公の女の子がかわいい」


「…………」

 一瞬目を見合わせる、雪歩と美月。直後、三度目の叫び声。


「きゃあああああ~~」


「年上だって、年上だって~。憧れるぅ~」

 終わった……。


 ぴょんぴょん飛び跳ねる雪歩と美月をぼんやりと眺めながら、私は恥ずかしさで思考回路をショートさせた。さらさらと砂にでもなって風に運ばれてゆきそう。ああ、作者、間違えた、神様。出来るなら、十分前からテイクツーやらせてください……。


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