コロナ×2020年=
実在の氏名、役職名、地名、国名、病名とは一切関係ないフィクションです。
大事なことなので繰り返します。
実在の氏名、役職名、地名、国名、病名とは一切関係ないフィクションです。
2020年12月31日。
コポコポと鳴る電気ケトルからマグカップにお湯を注ぐ。安物のインスタントコーヒーでも、この瞬間に昇り立つ香りは好きだ。
テレビからは紅白歌合戦の音楽が流れ、きらびやかに飾られたアーティストの姿が並ぶ。
例年ならば、実家で家族と過ごしていたが、今年は違う。コロナ渦による移動自粛と、実家にいる祖父母の身を案じて、帰省を断念した。
政府はオンライン帰省を推奨とか言っていたが、実家にはそもそもパソコンがない。スマホでテレビ電話するだけならいつもの電話と変わらない。
短大を出て事務職に就いて4年。大晦日をひとりで過ごすのは、人生初の出来事。
寂しくないと言えば嘘になるが、世界では150万人もの人が亡くなっている未曾有の感染症。こんな御時世では仕方ない。
マグカップの中で揺らめく琥珀色がなくなる頃、眠気が押し寄せる。コーヒーを飲んで眠たくなるなんてカフェイン効かな過ぎだろとか、心のツッコミをしつつ床に着く。
リネンの肌触りと、布団の下から伝わる電気カーペットの熱に包まれるとあくびがひとつ。
蛍光灯のリモコンを操作すると、短い電子音と共に部屋は暗くなる。
願わくば、来年は良い年であって欲しい。切に願いながら眠りに落ちた。
朧気な意識に、母の声が聞こえる。
「起きて。いつ帰って来たの?」
言葉の意味を理解し、急速に覚醒する。
ガバッと起き上がり、驚く母と目が合う。
「母さん! なんでいるの!?」
自分の言葉の違和感に気付く。ここは私の家ではなく、実家の私の部屋だ。
「何言ってるの? 母さんが家にいちゃおかしい? あんたの方こそなんでいるのよ。今年は帰省しないって言ってたじゃない」
なんで? なんで? なんで? 私は東京のアパートで眠ったのに、なぜ神奈川の実家で目覚める。
「おーい、母さん。なんか世界中がおかしなことになっているようだぞ」
部屋の入口に立つ寝間着姿の父が、半ば呆然とそう言った。
理解が追い付かない。世界中がおかしなこと? 世界中コロナコロナで確かにおかしなことにはなっているが、父の口振りはそう言う意味ではないだろう。
逸早いニュースを知る為、枕元のスマホに手を伸ばしフリーズする。
そこには何年か前の型式のスマホがある。よく見知ったスマホ。私が3年間愛用し、今年……否、年が明けているので去年……そう。去年の初売りの時に買い換え、今は手元にないはずのスマホだ。
なぜある? なぜ、ある!? なんでッ!?
慌てて手に取ったスマホの画面に映し出されている日付は、2020年1月1日。丁度1年前の今日。
なんだこれは? 何が起きている。
バグったスマホでニュースサイトを開く。
トレンドワードの1位に“時戻り”と言う聞いたこともない言葉。
『オートカレンダーバグ』
『瞬間移動』
『甦り』
『タイムスリップ』
訳のわからないワードが並ぶ。いや、もうわかっているけれど、理性がその事象を肯定していないだけ。
ニュースに様々なコメントが並ぶ。
『これは盛大なドッキリか?』
『やべー初夢中。オレの想像力神!』
『安心しろ。みんな見てる』
『と言う夢オチに一票』
『日本で自粛生活してたはずなのに、今ハワイおるんだがどゆこと?』
『わいは韓国』
『オレは中国いる。これガチ現実なら早く日本帰りたい。ガクガクブルブル』
『渦中になる前に逃げろ!』
『去年死んだお爺ちゃん普通に居間にいて腰抜かした!』
『マジか!? 人まで生き返ってるの?』
『時間が本当に2020年の元旦に戻っているなら有り得る』
『つまり、タイムスリップ、もとい“時戻り”したってことで合ってる?』
『時戻りキターッ!』
『嘘ッ! あの最悪な1年やり直せんの!?』
『俺が童貞卒業した1年が!?』
『知らんし。卒業し直せ』
『と言う夢オチに一票』
『二票目入ったな』
これはいったいなんだ? 何が起きてこんなことに?
血が引くような緊張の中、ベタだが頬をつねると、じんじんと確かな痛みが熱を持つ。
現実が、ゆっくりと理性に理解されて行くと、次第に血液が沸騰するような興奮に鼻息が荒くなる。
2020年12月31日から、本当に2020年1月1日に戻った。
昼過ぎに始まった政府の会見。グレーの垂れ幕の前、日の丸の旗の隣に登壇する総理大臣。
「総理! 今回の出来事に対する政府の見解をお聞かせください」
記者の問いに総理大臣が答える。
「えー、政府としましては、今情報を集め精査している段階でありまして、現段階では明確な答えは致しかねる状況であります」
「総理、時間が戻っていた場合、総理とお呼びしてよいのですか? 官房長官とお呼びすべきでしょうか?」
官房長官から総理大臣になった人に、なかなか切り込んだ質問をする記者だ。
「えー、それも含め、現在情報を精査中であります」
相変わらずすっきりしない日本政府を尻目に、世界の対応は迅速だ。
アメリカ政府は即時出入国を禁止。大統領自ら演説を世界中継。何本もの星条旗を背に、力強く語る。
「名実共に私が大統領に返り咲いた。否、元に戻った。私は同じ轍は踏まない。約束しよう。神が人類にもたらした偉大な恩恵により、人類はコロナに打ち勝つ!」
時戻り前の大統領選挙で敗退した前大頭領は、時戻りを事実と早々に表明。2020年1月1日現在。自分以外のアメリカ大統領は存在しないと声高らかに宣言した。
中国も件の都市を即刻ロックダウン。3000人規模の医療団を編成派遣するとの声明を発表。
イタリア政府も、2019年の段階で流行していたと思われる地域を即日ロックダウン。コロナウィルスの流行の有無を早急に調査するとの声明を出した。
翌日には、アメリカ最大手の製薬会社が声明を発表。
『ワクチンのデータは時戻りと共に消えたが、優秀な研究者たちの記憶の中には残っている。早急にワクチンを実用化することを約束しよう』
世界中がこの奇跡のような出来事に対して、コロナ包囲網を確実に展開して行く。
2020年1月5日。
居間から聞こえる父の笑い声に部屋を覗くと、テレビの前で涙を流すほどに笑う父の姿。
テレビには時戻り前にコロナで亡くなったコメディアンが映っていた。
「生放送だぞ。生きてるんだ。いや~、面白い」
自分が死んだ時の話を、面白おかしく、時におどけたりしながら、言葉巧みに話す。
下手したら不謹慎極まりない話なのに、それを感じさせない話芸に、私も笑えて来る。
時戻り前に死んだ人たちは、死んだ瞬間に2020年1月1日だったと言う。だから、自分が死んでからの2020年12月31日までの出来事は知らないとのこと。
各国でこの理解不能な事象の研究が始まっているが、人知の及ぶ出来事とは思えないので、解明される気がしない。
2020年2月。
正月三が日には、毎度品薄になったマスクや消毒液も流通し出し、日常が戻って来ている。
むしろ仕事などは退屈なくらい。時戻り前にまったく同じことをしているので、再放送のような繰り返しの毎日に、これでいいのかと不安にさえ思う。
白を基調としたアールヌーボー風の表参道のカフェには、お洒落な女子たちの姿。傍目から見たら、私と友人もそんなふうに見えるのかも知れない。
その友人も退屈そうに突っ伏し、くるくるとマドラーでアイスロイヤルミルクティーを混ぜている。
「あ~、つまんない。マンガの続きが来年まで読めないとか拷問過ぎない!?」
若干オタクな友人の愚痴。
そう。マンガなどはすでに1年分読んでいても、時戻りしたことによってまだ世に出ていない話を知っているという奇妙な状況が起きている。まあ、今現在の全てが奇妙な状況ではあるが。
私も好きな作家の新刊がしばらく読めない為、今まで読んだことのなかった人の小説などに手を出しているので、友人にもそう進めたが反応は芳しくない。
漫画家にしろ小説家にしろ、アーティストやクリエイター系の人たちにとっては、良いことばかりではない時戻り。
けれど、ワクチンは早くも世界中に出荷されている。時戻り前に臨床試験済みということで、特例で臨床試験なしで承認している為だ。
2020年3月。
ヒカリエのイタリアンレストランで友人とランチ。
雲丹のクリームパスタをくるくる巻く友人が問う。
「そういえば時戻り前に船内感染した豪華客船ってどうなったの? ニュースとかで見た記憶がないんだけど、確か今くらいの時期じゃなかったっけ?」
ボンゴレロッソのアサリから身をほじくりながら答える。トマトとニンニクの香りが食欲をそそる。
「確かすぐにみんな船室に隔離したから、感染者何人かしか出なかったんじゃなかったかな? 私もそんなに詳しくない」
そう。もうあまり日本ではコロナの話題自体がない。世界的には途上国などで感染者が出ている地域もあるけれど、先進国では特定のアレルギー疾患や持病のある人を除き、全員がワクチンを接種している。かくいう私も先月末に接種済み。
感染する人がいなければ、うつる人もいない。もうマスク姿の人を見ることもまばら。確実に平和そのものの日常が戻って来ている。
魚介とトマトの風味が効いたパスタを口に運び、そんなことをぼんやりと考えていた。
2020年4月。
桃色の絨毯が通りを埋める春。ひらひら舞う桜の花弁を眺めながらの花見。
すでに出来上がっている友人たちが、「こんなに世界は平和なのに、なんで彼氏が出来ないんだーッ!」とか叫んでいる。周りも花見客で賑わう公園。恥ずかしいから止めて欲しい。
時戻り前には考えられなかった光景。確か今頃は非常事態宣言とか出ていたはずだ。けれど今の現実は、WHOがコロナウィルスの終息宣言を出していたりする。
「せっかくの花見なのに浮かない顔だね? どした?」
沈んだ顔をしていたのか? 友人にそんなことを尋ねられてしまう。
プラコップのビールをゆらゆら揺らしながら答える。
「なんだか平和過ぎて、逆につまらないみたいな? 時戻り前は大変だったけど、なんだろう? すごく“生きてる”って感じがして充実してた気がして」
遠い目で、花見にはしゃぐ人々を見る。
友人も私と同じように辺りを見て、「だねー」と言った。
2020年5月。
原宿の裏道にあるカフェ。古民家のような味のある店内には、古書などが並び自由に読める。外では大粒の雫がリズミカルに雨音を響かせ、それだけで叙情的でレトロな雰囲気。
友人の失恋話にも飽きて、窓の外を眺めていた。
いろいろと対応の遅れている日本政府は、時戻りこそ世界に習い認めているが、それに関する法整備などは後手後手のまま。
特に問題になっているのは犯罪者の扱い。時戻り前に重罪で捕まっているものの、現在は犯罪を犯していない。もしくは犯罪の証拠を隠滅していて逮捕の証拠がない。はたまた捕まる前に逃亡し行方不明になっている。などなど。
さらに厄介な事柄としては、親族間の殺人などだ。殺した者も殺された者もそのことを覚えていて時戻り。再び殺すことも殺されることもないけれど、関係が最悪なのは言うまでもない。
そして、その最悪に上乗せして、時戻り前に自分を殺した者を逮捕してくれなんて問題も起きている。当然現状誰も殺していない者を殺人罪などには問えないが、時戻り前に重罪を犯した者になんの罰も与えなくてよいのか? そんな議論が起こっているが、答えは出ていない。
まあ、加害者としても被害者としても犯罪に関わりがない私には、どうでもいい話題だけれど。
梅雨の長雨を見詰めながら、レモンスカッシュの氷をカラコロと鳴らした。シュワシュワと鳴る気泡が美しい。
「ねえ、ちゃんと聞いてる?」
涙目の友人に「聞いてるよ。辛かったね」と女優並の演技で同情して置く。
2020年6月。
休日に掃除や洗濯物を干している時、何気に付けていたテレビではワイドショー。時戻り関連のトピックを紹介していた。
青年がインタビューに答えている。
「時戻りのお陰で命拾いしました。時戻り前では、自分は事故に遭って死んでたけど、事故に遭った日を過ぎてもこうして生きている。運命は変えられる。神か仏かわからないけど、本当に時戻りに感謝です」
そう。時戻り前、死んだ人たちの人生は続いている。あのコロナで亡くなったコメディアンも、元気に冠番組の司会を続け、ファンである父を喜ばせていた。
次は若い男女のカップルが映る。
「時戻り前は失業してしまって、彼女ともギクシャクして別れてしまったんですけど、コロナもない平和な毎日の中で心に浮かぶのはいつも彼女のこと」
見詰め合い微笑む二人。
「あたしたち、今月結婚するんです。時戻りが、あたしたちの仲を取り持ってくれました」
喜びに幸せの涙を浮かべる女性。心暖まる話だけれど、失業したくらいで破局する関係なら、すぐ別れるんじゃないかと邪推してしまう。いや、別に羨ましいとか言う僻みではなくて。
洗濯物のシワを伸ばしながら、そういえばここに男性を招いたことが一度もないなと、複雑な思いが込み上げて来た。
2020年7月。
時戻り前、延期された東京オリンピックが予定通りに開幕。
人類がコロナに完全勝利した証であるとか、今更感のある“コロナ”の名詞を全面に出しての開会宣言。
各国の首脳人もかつてない程に集結。平和で疫病のない世界を猛烈にアピール。
それほどスポーツに興味のない私としては、あちこち警備が強化されたり、外国人であふれ、元々人口密度超過の東京がさらに人であふれると言う、迷惑極まりない状況に辟易。
コロナ禍の渦中に流行ったテレワークを、オリンピック期間だけでも復活してくれないかと本気で思う。
飲食店も浮かれた旅行客でごった返しているので、コロナ渦のように友人とリモート飲み会。そもそも蒸し暑いなか出掛けたくもないし。
私は芋焼酎をロックで流し込む。友人は赤ワインをぐびぐびラッパ飲み。お互いお店ではなかなか出来ない飲み方が出来るのがリモート飲み会の醍醐味。
友人は、外国人いっぱいいるし、国際結婚狙いで逆ナンでもしようかしら? なんてへべれけで言っている。
そんな与太話を出来る友人の存在は貴重だ。
2020年8月。
日本選手が大金星を上げまくったらしいオリンピックも閉会。
お祭りムードの熱気は過ぎ去ったが、相変わらず東京の夏は地獄の猛暑。
カラフルにライトアップされたナイトプールに来ているが、プール内は大勢の客で芋洗い状態。
仕方ないので、ただただプール脇でトロピカルなカクテルを飲んでいる。
私も友人もそれほどギャルと言う訳ではないので、若干浮いている気がしてならない。
「えっ? なんでこんなにオスいるのにナンパされないの? あたしら可愛いよね?」
あんまり同意したくない問いが飛んで来た。もう酔っているのか?
「高嶺の花には声を掛け辛いんだよ」
冗談のつもりで言ったのに「マジか~」とか言う友人。うん。かなり酔っている。
DJが奏でるハイテンションな音楽と、はしゃぐ若者たち。それに引いてしまうのは、私も年を取ったと言うことかも知れない。まだ二十代半ばだが。
2020年9月。
残暑と言うには暑過ぎる日射しを、パラソル越しに睨む。
潮風も生ぬるく。浜辺はどこを見ても人、ひと、ヒト。かくいう私も友人たちとその人混みのモブを絶賛演じ中。
出店の焼きそばもカキ氷も嫌いなのに誰かが買って来たから、仕方なく食べる。
私は基本的に流されているかも知れない。それは日本も同じだが。
時戻り前とまったく同じ総裁選の結果に、やる意味があったのかと言う議論が巻き起こっている昨今。
政治と言うものにまったく興味のない私としては、極めてどうでもいいこと。誰が総理になったってこの国は変わらないと思う。
例えば高校生に、生徒会長と現職総理どちらに総理になって欲しいか投票させたら、ほとんどの高校で生徒会長が勝つと思う。それくらい若い人は政治に興味がないということを政治家には理解して欲しい。
まあ、どうでもいいことだけれど。
2020年10月。
仮装姿でごった返す渋谷。これも時戻り前にはなかった光景。
DJポリスの誘導を遠目に、てくてく歩く。
時々声を掛けて来る女子のグループと一緒に写真を撮ったりするくらいで、特に目的がある訳ではない。
「なんでじゃーッ!? なんでナンパされないのッ!? 寄って来るの女子ばっかじゃん!」
友人には“ナンパ待ち”と言う目的があったらしい。
てか、ゾンビナース二人組でナンパ待ちは無理がある気がする。
興に乗った友人が頑張ったので妙にクオリティーも高いし。だから女子にはいっぱい声を掛けられたのだろう。
時戻り前とは打って変わって例年通りの日常。
けれど、時戻り前と変わったのは何も人類だけではない。気象や気温が違うと各国の気象学会が発表している。
正確なデータはもちろん残っていないけれど、気象予報士や気象学会の人々の記憶しているものと違うと多くの人が言っているからそうなのだろう。
差異が顕著になり出すのは、各国がロックダウンや外出自粛を始めた辺りから、何億台と言う車が環境に与える影響は、天候さえ変える。人の業のなんと深きことか。
練り歩くモンスターの群。人類は、地球に群がる害虫かも知れない。けれども、害虫だって生きているんだから、150万人が死ななかったことを喜んでも良いよね?
2020年11月。
日本の総裁選と違い、時戻り前は敗北した大統領が再選したアメリカ。
コロナ対策が功を奏したのか? はたまた開票場の透明化の名目で全投票用紙をビデオ撮影したことで、再三訴えていた不正がなくなったからなのかは知らないが。
あべのハルカスからの夜景が綺麗だ。昼間はUSJに行き、今はホテルに帰って来たところ。
「うまかもんいらんか~?」
たこ焼きとお好み焼きを持って来た友人の言葉。
「にわか関西弁やめなよ」
すぐ感化されるところがある。困った人だ。
けれど、変わるのは人の性かも知れない。コロナ渦を経験したはずなのに、今こうして平和に暮らしている。
時戻りからもうすぐ一年。時戻りしたことさえ遠い記憶に置き換え、やり直している今が当たり前の歴史かのように振る舞い、日常を謳歌しているのだから。
青のりの風味を味わいながら、大阪の夜にそんなことを思った。
2020年12月。
クリスマスパーティーを友人たちと過ごす。彼氏が欲しい欲しいと騒いでいた連中なのに、今も彼氏がいない。コロナ渦のせいで彼氏が出来ないと言う言い訳はもう出来ない。
四人で食べ切れるのかと言うサイズのクリスマスケーキを一応四等分。
クリスマスだからとドンペリまで持って来た子がいるので、みんなテンションが上がって酔いの回りも早い。
楽しいことはあっという間。
「来年もこのメンバーで集まろう」
そんなことを恥ずかし気もなく言えるのは、私も相当酔いが回っていると言うことだろう。
実家の居間程落ち着く場所はない。時戻り前、ひとりで見ていた紅白歌合戦を家族と見る。
父がいて。母がいて。祖父母もいるありふれた瞬間が、途方もなく愛おしい。
なんだかんだぐちぐち考えることはあっても、こんなに平和で楽しい一年が過ごせたのは間違いなく時戻りのお陰。
一部には戻って欲しくなかったと言う人もいるかも知れないけれど、ほとんどの人に取って良い年になったことだろう。
除夜の鐘が鳴り響き、もうすぐ新年を迎える。
薄く儚く意識が覚醒して行く、あぁ、これは至福の時間だけれど、起きないと。
手探りで伸ばした手が、枕元のスマホに触れた瞬間違和感に気付く。
毎日毎日手にしているスマホ。大きさや厚みが変わればすぐにわかる。まして、以前愛用していたスマホと同じならば尚更。
バッと起き上がり、手にするスマホを凝視。それは、買い換え手元にはないはずのスマホ。2020年1月1日でもない限りは。
最悪の初夢だ。夢だ。夢だ。夢であって。
切なる願いと共に、震える手でニュースサイトを開く。
『再び時戻り』
『リセット』
『人類終了』
『リスタート』
並ぶトレンドワードに、過呼吸でも起こしそうなくらい乱れる呼吸。
つねるどころではないので、頬を掻きむしる。
痛い! 痛い! 痛いッ!
絶望からか? 痛みからか? 涙があふれて来るなか、コメントに視線を落とす。
『こんな悪質なドッキリあるか?』
『やべー初夢だぜ。オレの想像力神!』
『お前の初夢ならさっさと覚めてくれ。こんな悪夢に巻き込まないでくれよ!』
『夢オチ切望』
『永遠の2020年に閉じ込められたってこと?』
『それって人類終了じゃん!』
『リアルガチのKクラスシナリオとか笑えない』
『人類オワタ』
『つまり、コロナとか関係なしに一年前から人類終了してたのに、世界中コロナを打破する為に起こった奇跡だと勘違いしてたと言う、滑稽な話ってことでOK?』
あぁ、あぁ、悪夢だ。なぜ誰も気付かなかったのか?
“そんな都合の良い話がある訳がない”と。あの時から、私たちの世界はどこか別の次元のパラレルワールドに迷い混んでいたのに、世界中お祭り騒ぎで、誰も疑いもせず“奇跡”だと持て囃していた。
なんて愚かなことだろう? こんなことがあって良いのか?
『これ、来年も2020年なの? それとも何かの拍子に2021年に行けるの?』
『それは誰にもわからない』
『来年になってのお楽しみってこと? こんな楽しみでない“お楽しみ”人生初だわ』
そう。何より恐ろしいのは、終わりが見えないこと。“二度ある事は三度ある”と言うように、来年も2020年に時戻りするかも知れないし、しないかも知れない。
自暴自棄に生きて、2021年になったら、その一年が確定した2020年になる。
けれど、どんなに一生懸命生きても、その一年は無に帰すかも知れない恐ろしさ。
今まで生きて来て、一度も感じたことのない絶望と、言い知れぬ恐怖に、震えが止まらない。
冬の朝でも、暖房の効いた室内は暖かいはずなのに、ガチガチと歯が鳴る程震えた。
2020年1月1日。時戻り10年目。
朝のニュース番組では、キャスターが沈んだ声のトーンで話す。
「えー、またしても時戻りし、2020年を迎えてしまい、なんとコメントしたものか迷います」
隣の女性キャスターも続ける。
「はい。10年と言う節目に、このループから抜け出せるのではないかと言う期待も僅かにあっただけに、皆様のショックも例年より大きいのではないかと思われます」
確かに、ほんの少しだけ期待していたかも知れない。
でもどちらかと言うと、諦めの方が強い。
私たちは、この永遠の2020年から抜け出せないのだ。
コロナがどうのと言うことも、もう遠い出来事のよう。年々効率化が進み、もう今日この時に感染している全人類も特定されているので、その人たちが自暴自棄モードで変なことをしない限り広がりようもない。
大統領にあれ程固執していたアメリカ大統領も、前回の時戻りの時、「私にどれだけ大統領をやらせる気だ!」とか言って大統領を辞任し、オーストラリアにゴルフをしに行き大批判を浴びていた。
皆疲弊している。
毎年毎年、精神を石臼で挽かれるように磨耗して行く。
これが、永遠に続くのではと思えば、尚更磨り潰されてしまう。
絶望から命を絶っても、次の2020年1月1日にダイブするだけで、自分の知らない一年が過ぎ去るだけ。なんの解決にもならない。
70億人の人類、老若男女、富める者、貧しき者、肌の色も信仰も関係なく、誰もが平等にひとりとしてこのループから抜け出せないのだ。
悪夢に、終わりはない。
2020年1月1日。時戻り100年目。
薄い意識で、手探りに伸ばした手は、毎度毎度買い換え前のスマホを手にする。
100年目にならきっと2021年に繋がるとか、アホみたいなこと信じている連中とは違うので、なんのショックもない。
むしろ、今年は何処に行こうかと言うわくわくしかない。その期待を胸に友人に電話する。
「あけおめ。ねえ、今年は何処に行こうか?」
『あけおめ~。そうだね。久しぶりにニューヨークとかどう?』
「原点回帰か。いいね」
あれはいつだったろう? 時戻り十数年目だったと思う。「繰り返すなら、世界中見てみようよ」と、友人が言って、目から鱗が落ちたのは。
そう。世界は広い。100年やそこらで周り切れやしない。
人にだって、出会い切れやしない。70億人もいるのだから。
もう70~80国で暮らし、余程辺境の部族とかの言葉でなければ、世界中の国々の言葉も話せる。
人類終了とか言っている馬鹿はどこのどいつだろう? 人生は素晴らしい。例え繰り返そうとも、そこにはいくらでも喜びと幸福が散りばめられているのだから。
2020年12月31日の、とある翌日。
いつものように、布団の中からスマホに手を伸ばし、違和感に気付く。
波音が、さあさあと響き、潮の香りが鼻をくすぐる。
白い部屋と白いベッド。
私が昨日泊まったニュージーランドのコテージからの景色が広がっていた。
日にちを間違えただろうか?
まだ2020年12月31日か?
スマホに視線を落とすと、そのディスプレイには2021年1月1日の表示。
最初一瞬、それが一体どういう意味かわからなかった。
衝撃は、刹那の呼吸の後に来た。寝ぼけた意識がその意味を理解したのだ。
慌ててスマホでニュースサイトを開く。
『2021年』
『時進み』
『奇跡起きる』
『ループ脱出』
『スキップ成功』
並ぶトレンドワードに、夢かなと頬を久々につねってみた。痛みを感じて呆けてしまう。
なんなんだ一体? 何が理由でループから抜け出したんだ? 意味がわからない。
並ぶコメントも読んでみる。
『嬉しいけど、ドッキリじゃないだろうな?』
『あぁ、大丈夫。この初夢なら何度も見たわ』
『オレも何度も見たけど、これマジじゃね?』
『マジか!?』
『っていう夢オチに一票』
『これリアルガチとして、なんでループ脱出したん?』
『誰か魔王か神でも倒したのか?』
『“ないない”とかあながち言えないとこが怖い。500年以上2020年を繰り返したもんな』
『正確には567年な』
『まだ数えてるヤツおったことに驚き!』
『567年って、何にも掛かってないしな』
『変な話してもいい?』
『なんだ? 言うてみい』
『夢の話なんだが、五を“ゴ”と読んで、六を“ロク”と読んで、七を“ナナ”と読む変な世界にいた夢を見たことあって、この読みの頭文字は、“ゴロナ”になって、つまりコロナっぽくないかなっていう』
『コロナってなんだっけ?』
『紀元前クラスの昔に流行った病気』
『うろ覚えだけど、確かそれが流行った年から時戻りって始まったんじゃなかったっけ?』
『そんな昔のことよう覚えとるな』
『ってかそんな古代の話に掛けて何言ってんだ?』
『イツツをゴって読むってどこの言葉だよ? 日本語話せ』
『ゴなんて言葉、囲碁くらいでしか聞かん』
『ロクはどっから来たんだ? 付録?』
『ナナは女子の名前かよ!』
『いやしかし、なんだろう? ゴ、ロク、ナナってなんか聞いたことあるような気がしてくる』
『便乗して怖いこと言うな。そんな言葉はない!』
そう、ないはずなのに、確かになんか聞いたことがあるような気がして来る変な言葉だ。
まあ、気のせいだとは思うけど。
とにかく、何がきっかけかわからないけど、突然時間は進み出し、無事に平成33年を迎えた訳だ。
やばい。無一文だ。このホテルの支払いさえ持っていない。
まあ、なんとかなるだろう。
時戻り前の自分がどんなやつだったかもよく覚えてないけれど、この長い長い時戻りで、ずいぶん前向きで明るいキャラになった気がする。
異国で無一文でも、なんとか出来るだろうと思えるくらいには。